第37回中国語弁論大会弁士


登壇順

坂田英恵さん(創価大学 通信教育部)

木下一博さん(創価大学)

戸村美緒さん(会社員)

菅井一雅さん(独協姫路大学4年)

好好中国語会話教室
畦美咲さん(小学4年生)
長野麗那さん(小学3年生)
長野浩さん(小学1年生)

高田郁恵さん(創価大学4年)

真木大樹さん(創価大学1年)

澤田未来さん(国際短期大学1年)

樫村美穂さん(創価大学3年)

中尾洋さん(創価大学)


37回優勝者原稿

我在贵州获得的难忘人生体验
                                中尾洋

2008年,我在中国的贵州大学自费留学一年。其间最难忘的事情是参加了教育志愿者的活动。

 我作为贵州大学学生志愿者组织“银鸽”的成员,在暑假和寒假两次赴贵州省的贫困地区访问。“银鸽”组织的主要活动内容有两个。一个是对教师不足的农村地区孩子们进行授课。另一个是进行家访,掌握当地居民的生活情况。由于一起去的队员里只有我一名留学生,因此为了突出特色,我负责担当介绍日本文化的课程。考虑到当地小孩都说方言,有时用普通话可能不能很好的沟通,所以我提前准备了日本歌谣、连环画、富士山的照片,还准备了孩子们可能感兴趣的教材。最终,我肩背手提带去了30公斤行李。

 暑假和寒假,我们分别在当地住了15天,对于我来说过得非常不容易。我们去了当地的4所中小学授课。在去位于深山里的学校的时候,单程就需要花1个多小时。与此同时,由于住宿的条件不是很完善,所以每天平均只能睡3个小时。但最让我懊恼的是自己外语水平的不足。还有就是在只有15天的短时间访问里不能给孩子们更多的援助。

 在苦恼的时候,一起访问农村的队员们给予了我支持。我们一起上学、一次做饭,在同甘共苦中,我们也打破了刚开始时有的距离感,开始变得无话不说。从开玩笑到中日两国的文化、战争的历史、、、、、、畅所欲言。在这个过程中,彼此建立了感受不到国籍差异的友情。

 在这个充满友谊的氛围里,作为一名队员我下定决心尽自己最大的力量去奉献。在认真授课的同时,我还积极参加课后与学生的交流。我让200多名学生在我准备的笔记本上写下他们自己的名字,并且努力去记。同时争取在时间允许的时候和他们每个人进行交流。在这个过程中,孩子们也逐渐对我报以了微笑。

 有一天,一名队员交给了我一篇学生写的作文。在一节以《我心中的老师》为题目的作文课上,一位女中学生写了一篇有关我的作文。文中记述了我上课以及平时与他们相处的事。“至今为止我听说了许多日本曾经侵略中国的事,觉得日本人非常可怕。但是见到中尾老师后,我的观念发生了很大的改变。”当读到这句话时,我非常地感动,感到了自己为中日友好贡献了自己的微薄之力。

 通过这次志愿者的活动,我比以前更深地了解了中国。而且感受到了中国朋友的温暖。中日两国间有过不幸的历史,但是我们是一衣带水的邻邦,友好才是永远的主题!我会永远记住在贵州留学的体验,今后无论走到哪里我都将为中日友好去尽自己最大的努力!

 2008年、私は中国の貴州大学に一年間の私費留学をしました。その中で最も思い出に残っているのは、教育支援ボランティアに参加した経験です。

 私は、貴州大学の学生ボランティア組織「銀の鳩」の一員として、夏と冬の2度にわたり貴州省の貧困地域を訪問しました。「銀の鳩」の主な活動内容は次の二つです。教師が足りない農村の子供達に勉強を教えること。また、現地の家庭を訪問し、住民の生活状況を把握することでした。一緒に参加した隊員の中で、留学生は私一人だったため、授業ではその特色を生かして、日本文化の紹介をすることになりました。現地の子供達は方言を話します。授業の際、標準語のみで意志疎通を図るのは難しいと考えたので、事前に、日本の歌、紙芝居、富士山の写真、さらに子供達が興味を示してくれそうな材料を徹して準備し、30キロ以上の荷物を両肩と両手に引っ提げて持って行きました。

 夏と冬、それぞれ15日間ずつ現地に滞在しましたが、それは私にとって決して容易なものではありませんでした。私たちは現地の4つの小・中学校に授業に行きましたが、山奥にある学校に行く場合、片道1時間程の山道をあるいて通わなければなりませんでした。また、宿舎の設備も整っておらず、毎日平均して3時間しか眠れませんでした。しかし、その中で何よりも一番悔しい思いをしたのが、自身の言語力不足、また一度に15日間という短い訪問の中で子供たちに十分な援助ができないと感じた時でした。

 そんな時、私を支えてくれたのは一緒に農村を訪問した隊員仲間でした。学校に一緒に通い、食事を一緒に作って食べ、様々な苦労を共にする中で、最初は距離を感じていたメンバーとも次第に打ち解け、何でも話せる関係になっていきました。たわいもないジョークから、日本と中国のお互いの文化のこと、戦争の歴史のこと等、ざっくばらんに語りあいました。そのうち、国籍の違いを感じない程、友情を築くことができました。

 あたたかい仲間に囲まれながら、私も一人の隊員としてできる限りの貢献をしようと決意しました。授業に真剣に取り組むのと同時に、授業後の生徒との交流も積極的に行っていきました。持参したノートに200人以上の生徒の名前を書いてもらい、それを必死で覚え、時間の許す限り一人ひとり交流しました。そのうち、子供たちも満面の笑顔で接してくれるようになりました。
ある日、隊員仲間が私にある生徒の作文を手渡してくれました。「私の心の中の先生」というテーマ作文を書く授業で、私の事を書いてくれた中学生の女の子がいたのです。そこには、私の授業や普段振る舞う様子がかかれていました。「私はこれまで、昔日本が中国を侵略したと聞いており、日本人は怖いと思っていました。でも、中尾洋先生に会ってそのイメージが変わりました」と。それを読んだ瞬間、私はとても感動し、中日友好に少しでも貢献ができたと実感できました。

 このボランティア経験を通して、私は以前より深く中国の事を知ることができました。そして、中国の友人の温かさを身をもって知りました。中日両国の間には、時には不幸な歴史もありました。しかし、わたしたちは一衣帯水の隣国であり、友好こそ永遠の主題です。私は、この貴州留学での体験を永遠に胸に置き、今後どんな場所に行っても中日友好の為に全力で貢献していく決意です。
最終更新:2010年11月30日 16:34