SF百科図鑑 ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』サンリオSF文庫


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February 28, 2005

ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』サンリオSF文庫

フィーメールマンプリングル100冊より、次に読む本のスレッドを早めに立てておきます。70年代フェミニズムSFの騎手ラスの長編代表作。「変革のとき」の長編化作品。
silvering at 23:46 │Comments(1)TrackBack(0)読書

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この記事へのコメント

1. Posted by slg   March 02, 2005 02:00
読了。

問題作だというからビビりながら読み始めたにもかかわらず、予想を上回るとんでもなさだった。
本書の主要な登場人物は、語り手の分身たるこの宇宙のジョアナを中心に、疫病で男性が滅び女性のみが単性生殖で社会を形成した平行宇宙の未来である「ホワイルアウェイ」から使節としてやってきたジャネット、第2次大戦が起こらなかった平行宇宙からやってきたジーニイン、そして後半で現れる、男性と戦争をしている平行宇宙の女戦士ジェイル、の4名である。
これらの宇宙相互の関係だが、時間旅行をしても別の平行宇宙にいく(を発生させる)だけだからタイムパラドックスは起こらず、自分の元いた宇宙には何の変化も起こらない、という、「ビルゲイツあじさいの恋」と同様の(笑)疑似科学的説明がなされている。
が、こういったSF的説明は本書にとってはほとんど付け足しのような感じである。
また、本書には物語的事象は全くといっていいほど起こらない。せいぜい、最後にジェイルによってホワイルアウェイ誕生の原因が示唆される部分の謎の解明がそれらしい物としてあげられる程度だ。
では本書はいったいなんなのか。一言でいってしまうと、「男性に社会進出を妨げられている優秀な女の自意識過剰な葛藤と不平の叫びの垂れ流し」ということになる。本書は、田島陽子や上野千鶴子御大といった恐るべき怪獣たちのための書である。本書の根幹に流れるのは極めてストレートなフェミニズム主張である。男性は女性に対し男女の肉体差から生ずる必然的差異を超えてその差異を誇張の上、固定化して制度化することにより、女性を奴隷化し家庭に縛り付け束縛して不幸にしている、今こそ男たちと闘い、そのくびきを排除し、自由と真の多様な幸福をつかむのだ、自己実現するのだ!!!という典型的な主張に基づく戦闘宣言の書である。
人一倍社会的欲求が乏しく、主婦が羨ましくてしょうがない私のような男にとっては、社会進出したい女性というのは神に近い存在であって、「どんどん進出してよ、そしたら俺も主夫になれるじゃん」と思ってやまないのである。だから、女性は家庭に収まるべきだと主張する男性とか、家庭にとどまるのがいやで社会進出したいという女性の心理は、いずれも全く理解が出来ない。何を好き好んで楽しいこと(家事)を女性に押し付けるのか、あるいは、何を好き好んで苦しいこと(外での仕事)を男性から奪いたがるのか、いずれも到底理解できないのである。だから、フェミニズムの主張を聞くと、ご苦労様でございます、どうぞご自由に、といった感想しか起こらないのが辛いところだ。それをむきになってつぶそうとする男、むきになって社会進出をしたがる女、どっちも私の価値観とあまりに距離が大き過ぎて、全然実感がわかない。社会進出するより、社会をなくした方が楽しいじゃんウザイから、とか思ってしまう。部屋にこもって趣味に没頭する方がいいではないか。金は死なない程度、趣味を維持する程度に入ればいいし、地位や名誉は金や生活の安寧を確保するための単なる手段、保険でしかなく、それ自体が欲望の対象になることは想像すらできない。
したがって私は本書の理想的読者ではないことをまず断っておきたい。
で、そういったフェミニズムのストレートな思想をのっぺりと並べ立てるだけでは何となくかっこ悪い。作者ラスはそういった羞恥心のようなものがあるためか、わざとわかりにくいごちゃごちゃした文体やプロットを採用することによって上記のストレートな主張を謎めいた韜晦の中に押し込めて多義性、曖昧性を付与している。
文体、スタイルにおいて、例えば以下のような奇抜な手法をとっている。
1)一人称の混乱。本書は三人称と一人称の語りがめまぐるしく入れ替わり、一人称の語り手が一定しない(中には判別不能な段落すらある)。これは、要するに、4人の人物を設定はしているものの、全て作者ラスの持っている何らかの側面の投影であり実質的に同一人物であることの婉曲的表現であるのかも知れぬ。が、いずれにせよ、これによって視点が混乱し、どれが誰の体験や主張であるのかが錯乱し、強烈なインパクトを与える作用がある。
2)エピソードの断片化。本書はもともとストーリーらしいストーリーがない(各人の世界と生い立ちと思想の紹介や議論が蜿蜒と続く)のだが、しかも、各章が短い段落に細分化され、一つ一つの語り手や話題が異なり、かつ個々の段落の内容も、コンパクトに単純化されている。小説を読んでいるというよりも、着想メモに近いような内容である。
3)文体そのものが難解である。意味ありげだが一読しただけでは何がいいたいのかさっぱり分からない文が頻繁に挿入される。説明なしに唐突な結論だけが提示されたり、愚痴やら叫びやらとりとめない思いのようなものが突然入ったりする。
で、要するに、作者がここでやっていることは、作中でさりげなく言及されているように、作者自身の妄念を、異なる社会状況における全て作者自身の分身といえる4人の登場人物にそれぞれ代弁させる形で提示し、互いに議論させ、最終的なフェミニズム戦闘宣言へと結びつけて行く文学上の思考実験、ということになるだろう。最後に提示される戦闘宣言こそ決然たるものであるが、そこに至るまでの細かい議論には一貫性がなく、むしろ書きながら考え悩んでいることや、断片的思いつきを計画性なくメモっているだけ的な印象が強い。大学生時代、半引きこもり状態で似たような思いつき垂れ流しメモ的小説まがいの文章を大量に書いていた前科のある私としては、何だい俺と似たようなもんじゃん、とちょっと安心したりもすると同時に、関係ない他人から見るとこうもわけが分からなく見えるのか、と愕然としたりもして、結構複雑な気分だ。今流行りの言葉でいえば一種のセカイ系もいえる(笑)。
最後に、実はジェイルの宇宙における戦闘の一環としてホワイルアウェイの宇宙が作られたことが明かされ、「ホワイルアウェイ」のフェミニズム的理想郷としての位置づけが明確化される。
物語性が全くなく、ただの主観垂れ流しであるにもかかわらず、しかもほとんどわけが分からない内容にもかかわらず最後まで読まされてしまうのは、やはりその断定的で強烈な文体と、中にちりばめられた毒性の強い主張のインパクト故であろう。
ジャネット、ジョアナ、ジェイルの本書における存在意義は比較的明確なのだが、ジーニインに関しては果たして必要だったのかの疑問も残る。ジーニインは4人の中で最も保守的で弱いタイプの女として造型されている。が、必ずしも女性は家庭にとどまるべきと考えているわけでもなさそうで、どういう立場の代弁者としてキャラクター設定したのかが今ひとつ不明である。再読してみれば明確化するのかも知れないが少なくとも分かりやすくはない。

で、本書の内容紹介については大体以上のような感じだが、面白いかどうかといえば、お世辞にも面白くはなかった。
少なくともフェミニズムに関心のある人にしか面白くない小説(?)であることは間違いない。

テーマ性  ★★★★★
奇想性   ★★★★
物語性   ─
一般性   ★
平均    2.5点
文体    ★★★★
意外な結末 ★★
感情移入力 ★
主観評価  ★★1/2 (27/50点)