SF百科図鑑 物語作成技術の進歩に関する議論(『長い明日』コメントより)


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16. Posted by slg   March 01, 2005 23:18
>「物語作成技術」の「レベルアップ」とはなんぞやという事です。
物語は「いかに対立概念が解消されたか」であると思いますのでその技術のレベルアップの具体例を享受頂けると幸い。
ちょっとリクエスト。

私が上のところでイメージした、「物語作成技術」のレベルアップというのは、「対立概念の提示とその解消過程」という文脈であえて分析的に説明すると、
1)いかなる対立概念を何種類設定するか
2)(複数の対立図式を組み合わせる場合)それらをいかに組み合わせるか
3)それをいかなる方法で解消させていくか
のそれぞれのレベルにおいて、いかに読者を退屈させず快楽に導くかの技術の向上、という感じです。
で、私の場合は物語性をもっと広くとらえていて、上記対立概念をいくつ設定しどのように組み合わせるかといった抽象的なプロットのパターンだけでなく、対立概念として具体的に何を選びどのように造型するかという、ある意味流行に左右されかねない部分も、必然的に面白さに影響を与えると考えております。具体的に言うと、「正義対悪」という最も典型的な対立概念の設定を考えた場合、対立概念がただありさえすれば面白いかというと必ずしもそうではなく、「正義」「悪」として設定されたキャラクターなり組織の具体的属性、性格描写などの巧拙が必然的に面白さに影響を与えると考えております(自分が読む際の実感として)。
私が、「最近のSFのほうが古いSFよりも物語作成技術が(平均的に)向上している」と感ずる、という場合の向上している技術とは、対立概念の組み合わせ方、小さな波を少しずつ反復しながら次第に大団円へと盛り上げていく盛り上げ方、といった、抽象的なプロット構築技術の側面もさることながら、上記の意味でキャラクターや組織等の具体的な設定、ディテール造型、描写の技術的巧拙の側面も含んでおります。
そして、プロット構築技術に関していえば、古いSFは単純かつ単調なものが多く、新しくなるにつれ「読者をいかに惹きつけて読み続けさせるか」という細かい技術が、明らかに平均的にうまくなってきていると思います(ニューウェーブ云々のアンチ物語小説は別として。アレは技術云々以前にそれを目指してすらいないから)。またキャラクター設定も古い作品は、類型的で記号でしかなく感情移入しがたいものが大半でしたが、感情移入しやすい血の通ったキャラクターを肉付けする技術も向上しているように思います。後者に関しては貴兄の見解だと物語性とは無関係の要素なのかもしれませんが、私は物語とキャラクター等の設定は完全に分離はできないと思っておりますので(実感として)、やはり重要なポイントなんです。
で、私は自分が読んできたものしかサンプルにはできませんから、各年代の代表的な各賞の受賞作を例にとると、
50年代 ダブルスター、分解された男など
60年代 デューン、異星の客、放浪惑星、ザンジバーに立つなど
70年代 逆転世界、所有せざる人々、ブロントメクなど
80年代 ミサゴの森、ヘリコニア三部作など
90年代 ハイペリオン、遠き神々の炎、アッシュなど
2000年代 Sky Road、セパレーション、Casm Cityなど
一目瞭然だと思いますが、50年代のSFはプロットのうねりなどはほとんど意識せず、ただアイデアと一本調子のストーリーで押すだけの作品が多い。60年代には多少性格描写やリアリティなどにも顧慮をするようになる。70年代で人物描写に飛躍的なレベルアップがあった(プリーストやコーニイなどの人物描写力は高い一般性があり、天才に近いと思う)。80~90年代以後は、ジャンル間のハイブリッド化が一気に進行したことに伴ってか、全般にプロットが複雑化(設定される対立概念の数が増えるとともに組み合わせ方や進行の仕方も複雑化)するとともに、それを分りにくくも退屈にもさせないだけの緻密なうねりの畳み掛けを生み出す能力を持つ作家が飛躍的に増えている。
最近の作家の中で、「物語作成技術レベルアップ」の具体例として私がイメージしているのは、例えば「アッシュ」のメアリ・ジェントル、「スカイロード」の作者(名前度忘れ)、「ケイズムシティ」のアレステア・レナルズ辺り。このへんは新奇性だけではなく、人物造型もうまいし、複雑な数次元の対立概念の設定とその解消に向ってのプロット展開も複雑でありながら難解にも退屈にもならない高解像度の天才的技術を持っていると思うし、リアリティも申し分ない。50年代のハインラインやアシモフなどと比べても、差は歴然という気がする(そのあたりを読んで育って、それを下敷きにしながら「もっと面白いものを」と、新しいものを付け加える立場にあるんだから、勝つのは当たり前という気がするが)。ハイペリオンのシモンズもうまい。これらの作家、確かに物語性だけの作家じゃないんだけど、逆に物語性の部分の天才がなければ、あれだけ面白かったかは非常に疑問。

&&と文章でいくら述べても、納得はしてもらえないと思うので、疑問に思うのなら試しに読んでみてください、としか言いようがないのが辛いところなんですが。
17. Posted by 手下X22   March 02, 2005 02:03
再乱入。勘弁。

> 疑問に思うのなら試しに読んでみてください
そういわれると困るのだが、知りたかったのは作品名ではなく例証なんじゃという話。

1.プロット構築技術に関していえば、古いSFは単純かつ単調なものが多く、新しくなるにつれ「読者をいかに惹きつけて読み続けさせるか」という細かい技術
?具体的にどういう所か興味深い。

2.キャラクター設定も古い作品は、類型的で記号でしかなく感情移入しがたいものが大半でしたが、感情移入しやすい血の通ったキャラクターを肉付けする技術も向上
?具体例があれば知りたい。


で、2003年に書いた物語に関する妄言を再度投稿します。2年前に出した仮説ですが、貴兄の例示で正しさが見えると嬉しいのでご勘弁。

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毎日鉄板掲載「心の垣根~ネバーランドでビートイット」の抄録改訂版[マイケル寂村著]

[1]物語性を高める三つの要素
 物語の構成要素をばらしていくと、設定、人物、変化の三つになる。
 いろいろな意見もあろうが結局はこの三つがいかに巧みに描けるかで作品の出来が決まるような気がする。
 読み手の嗜好により三つのどれに重きを置いた読み方になるかは分かれるが、万事この三つがないと欠陥小説にしかならない。

[2]人物設定と三要素のバランスの大切さ
 物語の構成要素について[1]でちょこっとだけふれたが、いずれが主であり従であるかという論点では語る気はない。
 むしろ、設定偏重、キャラ重視、ストーリー至上等という考え方自体が素人なのであって本来この三つは何かのバランスの上に成り立っているはずのものだろうと推定している。
 技術論としての物語作成を語るなら漫画原作者の小池一夫の「キャラクター第一」という考え方は出発地点としてオーソドックスかも知れない。
 女と見まごうばかりの美形の将軍の隠し子は毒に対する耐性が強く、剣の使い手でもある。その心根は亡き母への愛慕で占められているが、母の愛を独占していた父吉宗の事を思うと心が乾く。 多少の誤読もあろうが、これでキャラはパーフェクトに立っている。さすが小池一夫。小松政夫とひと味違う。
 快傑ズバットもキャラ立ちは充分している。
 私立探偵の快男児早川健は悪を見過ごすことの出来ないキザな男。親友の飛鳥五郎を目の前で銃殺され、その犯人を捕らえ制裁を加えるためにアスカの残した強化スーツの研究を完成させ、無敵のヒーローズバットとなって悪のあるところをさすらい歩く。決めぜりふは「日本じゃ二番目」。無敵の強化スーツにも弱点はあり、五分以上着用していると体がバラバラになってしまう。
 ざっとまとめるとこのようなキャラクターだ。後世、いろいろなところで引用したくなるキャラの立ち方をしている早川氏だが、ドラマ[※ 物語]としてみるとズバットは愚作だろう。
 飛鳥殺害の動機並びに悪の組織の活動動機が不明であり、悪の組織のある所ごとに早川が出没する必然性が希薄である。飛鳥の敵を討つために調査をした結果であると強弁できなくもないが、視聴者の態度[※ 肯定的に見るか、否定的に見るか]によってねつ造される設定でしかない。当然そこから生まれるストーリーは単純そのものであり、面白さはない。
 キャラクターは悪酔いするくらい見事に成立しているのだが、三要素をパラメータかした場合のグラフが三角形が極端な鋭角三角形になってしまっている訳だ。

[3]人物の魅力
 人物の設定で肝心なのは行動目的である。キャラクターの行動目的は物語の変化と連動する。行動目的に添って行動する人物をいかに生き生きと描けるか。その点が変化の面白さを際だたせる。
 ファンジンレベルの物語没入はここでキャラのみを物語から抽出し、二次創作といわれる「ごっこ遊び」(という極めて高度な楽しみ方の変形)へ進む。
 その是非は他人が云々することではない。アニメキャラであれ、物語内の人物であれ、及川奈央であれ、消費者が楽しんでいるのだからそれは自由だ。
 が、批評並びに創作する立場の場合はそれではまずい。設定、人物、変化の三つを形作る人物の行動目的の設定は大切なんだね。

[4]設定と物語上の必要から来る設定の説明量
 X-MEN 2に魅せられてしまった。物語的要素が魅惑的だったというのが最大の要因に挙げられる。
 その一、舞台設定はくだくだしく説明せず、一気に語る。また、既知の物として無駄な根拠立てはしない。
 例) なぜミュータントが存在するのか。
 ?X-MEN関連タイトルの根幹に一見思えるが説明しない。そもそも、アメコミのXタイトルの中でシリーズ展開上の要素として(あるキャラクター登場の説明として)語られたことはあったが、物語の面白さの構成要素としては延々描くことでもないのでミュータントが発生した理由は説明されない。存在は[作品世界においても、現実においても]既知の物であり、存在の是非を問う必要性を認めない潔い態度といえる。
 これは火星シリーズ、レンズマン、キャプテンフューチャー等の既読のSFシリーズ物にも共通した特長であり、たとえば、E・E・スミス。レンズマン組織の成立の過程が面白い物語になるのであればそれで一本話を作っただろうが、主人公がレンズマンになってからの活躍を物語として楽しませたいから、そこのところに無駄な紙数を使うことはなかった。
[※ 例が古いが、最近の作品においても最小限で済ませれば済ませるほど物語の見せ場は増える]
 [アメコミの場合は]全てにおいて、この手法は徹底している。見せ場には紙数を割くが、見せ場を作るための状況はあっさり描く。
 今はもう出版されていないが、小学館プロダクションのマーヴルクロスというアメコミ翻訳誌(ムック)に掲載されたタイトルに「INFINITY GAUNTLET」(インフィニティガントレット)がある。
 死の女神デスが生命を減らすために邪神サノスを復活させる。サノスは時間・空間・現実・力・精神・魂の6つを制する宇宙最強の力インフィニティガントレットを手に入れ、デスに求愛するが拒まれ苛立つ。その度に銀河系で大消滅がおこり、地球も深刻なダメージを受ける。で、日本は沈んでしまう。この日本沈没シーンに費やされたこの数は1ページのわずか1/3程度。小松左京は新書2冊も費やしたのに描きたいことが変わると偉い違いだ。しかも、偵察中のヒーローの報告「日本は沈みました」の一言だ。一方、敵の本拠に乗り込むヒーローたちの描写は6ページに渡って続けられる。
 更に、ヒーローたちが敵の本拠に到着し、まさに戦闘開始というシーンは見開きを使って目一杯の躍動感を出し、読者の高揚を誘っている。(「次号へ続く」、いわゆるヒキでもある。)
 アメリカ人は左右のオッパイがアサッテの方向を互いに向いているほど大雑把だから誰が読んでも分かるようにしているのではない。生まれも育ちもホンジュラスの私が読んでも面白いんだから、これは明らかにいかに面白くするかを考え緻密に作った成果だろう。
 この手の作品は娯楽に徹するから面白いと思っていたが、その徹し方が並々の物ではないということがだんだん見えてきた気がする。

[5]変化、対立概念の解消
 物語の三つ目の要素のポイントは変化である。
 変化とは何か、物語の魅力を生み出す為には何が必要なのか。結論を述べると、変化は対立概念の発生と融和の過程であり、物語の魅力はその反復のさせ方だといえよう。
 例から入ろう。
 97年に制作されたTVドラマ「踊る大捜査線」は率直に言って面白い。
 初めて見たのは確か2000年頃だったと思う。この作品はよくできた物語である。また、面白かった。
 このドラマの面白さについて、変化のセオリー「変化は対立概念の発生と融和の反復が物語を面白くする」という点で披いてみよう。
 本庁と所轄署、キャリアとノンキャリア、キャリア内の学閥、所轄署同士の対立、管理側と非管理側のセオリーの相違自体は過去いくつも描かれており、単純な視聴後の雑談を目的とするのなら「新鮮」で済むが、物語のつくりを披いていく場合、それでは披いた事にならない。
 「新しいドラマだった」「今までにない題材でドラマを作ったところが面白さの秘密」というバカがいるが、このドラマの場合は題材自体の新鮮味や設定の新規さで物語的魅力を出そうとはしていない。
 むしろ、従来とは違ったドラマツルギーで制作しても大丈夫なように煩雑な説明を割愛でき視聴者にとって分かりやすいなじみのある題材「警察」を舞台にすることで、描写の焦点を絞り込んで[従来とずらして]新味を出しているといえる。
 従来型の刑事ドラマでは、加害者と被害者、探偵と犯人という対立概念に限定した形での変化を主軸に物語を構成している。
 一方このドラマの場合、従来の対立概念のドラマツルギーを使用せずに前述の複数の対立概念をちりばめる形での変化の面白さを追求している訳だ。
 ドラマ内に出てくる対立概念が主軸と主軸以外で多数設定されており、その対立概念の解消・融和の過程と結果も数通り作られている。
 この複数の対立概念の変化のプロセスと結果がまた新しい対照[対立]を発生させ、話にふくらみを持たせる事を実現するように工夫している。
 このドラマの場合、警察の本来的な対立対象である犯罪者はどちらかというと付け足しの要素になっている。
 事実、登場してくる事件の犯人は無個性(行動目的に対しての共感を持ちにくい存在、もしくは憎悪というベクトルでの感情移入すらさせない異質な存在)であり、物語の面白さにはほとんど関係する事がない。また、犯罪自体も大して力を入れて描いておらずドラマ的な盛り上がりもほとんどの話でウエイトを外され、探偵[警察]対犯人という対立を描く気が制作者側に全くないというのが明確である。
 前述の警察の描き方が従来のドラマと違うというのはこの点では間違っていない。だが、このドラマの「警察の描き方が変わっている」のは、刑事ドラマであるにもかかわらず描こうとした対立概念を犯罪と別の所に設定し、それを描く事に徹した点にある。
 いいかえると感情移入先が犯罪ではないという事だ。(ここでいう感情移入とは「人・物に対し正負いずれかの方向で感情を抱くこと」という意味合いで用いている。)
 このドラマの中の「捜査」は「犯罪者と警察の対立解消」プロセスなのではなく、警察組織内での「捜査を廻る対立概念の解消」プロセスである。[目的は同じだが対立する本庁と所轄署がドラマの開始地点で、終着点はヒーロー所轄の青島が本庁をギャフンと言わせるお話]
 このウエイトのかけ方が新しい訳だ。かつてのドラマのウエイトは「犯罪者と警察の対立解消」におかれ、これはそれを意図的に避け、その代わり「複数のポリシー」の対立によって物語を展開させるという手法でドラマ的な面白さを創り出したのだと私は思っている。
 本題に戻すと、「踊る大捜査線」において「新しい」と賞賛される表層的な対立概念の設定は確かに存在するが、基本原理である物語の面白さの公式「変化は対立概念の発生と融和の過程であり、物語の魅力はその反復のさせ方によって生まれる」はまったく変えていないのだ。面白いのはこの公式を外さなかったからで、大向こうに受けたのは「新しい対立概念のウェイトの置き方」の為だと言えよう。
 物語としての出来は三要素がベーシックだが、実は受ける為にはその手の技術が必要になるのでは無かろうか。

[6]要素だけではなく技術も必要な物語作成
 日本版小説X-MEN(1)ブラックローゼスのお話。
 パラパラめくったのとプロローグの一部を読んだだけだが、非常に稚拙である。まんだらけで100円だったから被害は少ないが、定価で買った人がいたらお気の毒としかいいようのないつまらなさだ。
 面倒だが文庫紹介文を引用。

 アメリカではおそるべきパワーを持った新人類"ミュータント"が出現し、人類との対立が深刻化していた。そうした中、ミュータント人類の平和的共存を目指して戦うミュータントチームがあった。その名は「X-MEN」
 一方日本では、新宿を拠点にあばれまわる少年グループ「ブラックローゼス」が急激にその勢力を伸ばしはじめた。背後には、ミュータントの影かちらつく&。
 情報をキャッチした「X-MEN」たちは調査のために日本へ乗り込むことになるが&。果たして日本にもミュータントは出現しているのか!?

 以上がカバーに印刷された内容の梗概だ。正直ちっとも面白くなさそうだ。もう一つ引用しよう。素材は同じX-MENだがマーヴルのだした純正X-MENの日本語訳の梗概から

 幻と消えた『アポカリプスの時代』。Xメンはそれぞれ、終わりなき日常へと戻っていった。ある者には享楽の日々。ある者には試練の日々に。だが、その日を境に全ては試練の日々となった&&。
 Xメン一のテレパシーの使い手フェニックス。Xメンの師プロフェッサーXの右腕として長い時を過ごした彼女の前に謎の男オンスロートが立ちはだかる。彼女を精神世界アストラルの旅へと誘ったオンスロートは、己の無限の力を見せつけ協力を迫る。想像を絶するオンスロートの力を目の当たりにしたフェニックスは、解放されてもなお恐怖におののいていた。
 一方、同じくオンスロートの襲撃を受けた怪力の巨人ジャガーノートは、助けを求めてフェニックスの元を訪れる。ジャガーノートの記憶の底に封印されたオンスロートの正体を解き明かすために。
 意を決してジャガーノートの心の扉を開いたフェニックスは、あまりの衝撃に言葉を失った。Xメン最大最強の敵の正体は&&。次の瞬間、彼女は仲間の元へ走り出していた。だが彼女の警告は一足遅かったのである。

 同じキャラクターを用いながら、「ブラックローゼス」と「オンスロート」で斯くも面白さに差が出るのは何故か。
 ちなみに、上記二つの話の図式はほぼ同じだ。謎の強敵と対峙する正義のヒーロー。それだけである。また、両者ともここまでの引用では謎の強敵の目的と正体が謎のままである点も同じだ。
 何が違うのか。

  ブラックローゼスの場合
 現時点での謎が謎になっていない?ミュータントはX-MEN世界の成立要件だからミュータント無しの話はあり得ない。仮に敵がミュータントでない場合はアメリカからX-MENがわざわざ来る筈がない。
 またブラックローゼス団を紹介するなら「強力なミュータントパワーで日本の首都東京を制圧した少年グループブラックローゼス団はその手を日本全土に広げようとしていた。驚異的な力で全土を蹂躙し尽くすミュータント軍団、日本の制圧をほぼ完了した彼らはその魔手を海外に広げようとしていた。」位にすべきだ。こうすればブラックローゼス団のキャラもたつし、行動目的も明確でインパクトを持つ。
 更に、「日本でのミュータント軍団ブラックローゼスの動きをキャッチしたX-MENは、その野望をくじくべくメンバーの不死身の野獣ウルヴァリンと若きX-MENジュビリーを日本へ派遣する。慣れない日本でブラックローゼス団の本拠を探し苦労する二人の前についにブラックローゼス団首魁ティーチャーが姿を現す」とでもすれば話をふくらませることができた上にひきも作れる。
 上記のこうしたらいいというサンプルは私のでっち上げで実際とは違うかも知れない。何せ未読なので、こうなれば面白いのにというステレオタイプで書いてみた。

  オンスロートの場合
 初めにオンスロートのキャラ立てに成功
 同時に謎(オンスロートの正体)も示し興味を持たせる。
 さらに(興味を持たせるためだけ)の謎は役割が終わるとさっさと片づけ次のイベントを発生させる。
 ちなみに正体は全読者驚嘆間違い無しという位サービスしている。
 また、終わりが話の中心はミュータントの活躍であることを踏み外さないひきになっている。

 ブラックローゼスは後書きによると「リレー形式」の小説だそうだ。二巻は別の作家が書くらしいが、ここまでボロボロだと続きが二巻で終わったという噂[全三巻でした]もあながち出鱈目ではあるまい。
 何せ、肝心のX-MENは一巻が終わるまでにようやくアメリカを出発し成田に到着しておしまい、活躍はゼロ、しかも生ぬるい日常描写をダラダラ描くだけでこの話の中でのキャラ立て、行動目的の明確化は全くしていない。既存のキャラクターだから何もしなくていいというのは大きな間違いで、これでは魅力を感じるどころか読む気も失せる。
 では、ほぼ200ページを何に費やしたかというと、ブラックローゼス団が新宿で暴力団や他の少年グループ(何だ少年グループって)と抗争していく様子の描写である。
 好意的に解釈すれば、黒船に乗ってフルカラーのキャラ立ち軍団がやってくるから悪役その他もキャラ立ちさせようと考えた末の大失敗と言えなくはないが、全然なっちゃいない。
 キャラが立つ、すなわち、その人物の魅力が描かれていない訳だ。パラパラと斜め読みしてみても行動目的が曖昧、且つ説得力のない登場人物が、どこかで聞いたような言い回しでどこかで見たようなシーンをデッドコピーし演じているに過ぎないので、展開が予想でき退屈極まりない。平たくいうと興味がわかない訳だ。
 たとえ愚作とはいえ、何かの役に立てないとお金がもったいないので、無理矢理まとめると
1 読者の興味を引く仕掛けはきちんと考えて作らないとつまらない。
2 人物の行動目的はインパクトと説得力が両立する必要がある。
例1) 差別を受けたミュータントが人類を征服したい?両方OK
例2) 突然出現したミュータントが人類を殺しまくる?インパクトのみ。説明がないとただの殺人鬼で終わる。

こんな所だろうか。あ、そうそう、ブラックローゼスの巻頭にある人物紹介だが少しおかしいんじゃないのと思ったので引用。
『クルス 本名 十文字正貴。弱冠二十歳の自称青年実業家。実はブラックローゼスのリーダー。男気があり女によくモテる。新宿に少年たちの王国を作るのが夢だったが&。』
 まずリアリティに欠ける。「二十歳の自称青年実業家」ではなく「二十歳だが辣腕実業家」とかしないとただのインチキ小僧だ。「実は」というのは意外性あってこそのタームだが「ブラックローゼスの背後でミュータントが暗躍」している以上「リーダー」という役割も偽であることが見え見えで魅力と強大さに欠ける。
 その上、「女にもて」たから何だというのだ。
 魅力的なキャラクターとほぼ同質のストーリーを展開させても駄目な奴が書いたら実にくだらない物になる一例である。
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以上、貴兄の見識に近づけていたら幸甚の極み、サイコーですかー、サイコーです。
18. Posted by slg   March 02, 2005 02:38
心の垣根、リアルタイムで拝読していたのですが、論旨のディテールは結構忘れていたので、要旨アップ感謝。
設定、人物、変化の三つの要素に分けていたことはすっかり忘れていましたが、その点含め、改めて読んでみると私の論旨とあまり違わないようで少し驚きました(あるいは、だいぶ前に読んで影響を受けたことを忘れているだけかも知れないが)。

例証の具体例は、ちょっと待って。その本を引っ張り出してきて、そのときの感想や要約を見ながら内容を思い出さないとできないので。
特定の作品を選んで具体的に分析し、それでその時代の平均的な作品のレベルを代表させることにはちょっと抵抗もあるのだが、少なくとも、私が物語性という場合に重視する要素というか思考回路のディテールを示せれば、相互の差異あるいは類似性を明確化できて有意義でしょうか。
19. Posted by slg   March 02, 2005 02:42
個人的にはスカイロードが一番好きなんだが、要旨作成を始める前に読んだためメモがなく、細かい粗筋を忘れている。また「アッシュ」も長過ぎる。なんで、「ケイズムシティ」あたりを使ってやってみる予定。
20. Posted by slg   March 02, 2005 05:00
SFの物語作成技術の向上について

最初にいっておくべきことは、SFと称される作品も次第に多様化しているため、物語的面白さを対象にしない作品も増えていることだ。が、ここではそういった作品は別論とし、あくまでも物語的面白さを要素に含み持った一般的なエンターテインメント作品としてのSFを念頭に置いている。
50年代以前のSFから現在までの物語作成技術の進歩を証明するために何を言えばいいのかをいろいろ考えたが、平均レベルが上がっていることを証明するためにはある程度多数のサンプルをまんべんなく拾って例証せねばならず現実問題として不可能であるため、結局、「最もよくできていると思われる作品」を取り上げた上で、「このような作品は50年代以前には存在しなかった」と主張することでこれに代えようと思う。

で、アレステア・レナルズの「ケイズムシティ」を採り上げる。
これは、読んでいる最中の日記ではあまりよく書いていないが、読了後の余韻が長く、時間が経つにつれ「続編や他のシリーズ作品が読みたい」という気持ちが強まってきている作品である。物語性★★★にしているが、今考えるとこれは不当に低いと思う。
この作品について、「心の垣根」の論旨に沿いつつ、私見を付け加えた評価をしてみよう。
(1)キャラクター設定
まず主人公。考える前に行動する、倫理観の乏しい人物で、行動にも合理性がなく、共感するのは難しいが、その一方で、ピカレスクな行動力を持った人物であり、良くも悪くも読者の興味を惹く印象的な人である。しかも、不死身っぽいキャラであり、倒壊する軌道エレベーターから落ちながらも生還するなど、超人的なタフさがある。更に、物語の進行につれて、その素性に様々な謎が持ち上がってくる&&。
本作は最近のSFの中ではキャラ設定は類型的な方であり、特にキャラクター描写が優れているといったタイプの作品とはいえないが、それでも主人公のピカレスクなハードボイルドキャラに、物語上の様々な謎の陰影を次第につけて行き、次第に、自分が何者であるかのアイデンティティに悩むという展開に持ち込んで行く。50年代以前のSFの平均的なキャラクターは、私の読んだ範囲ではもっと類型的で平板な描写しかされていないことが多いのと比べると、本作のレベルのキャラクター描写ですら、50年代以前のキャラ設定に比べはるかにリアリティやキャラの魅力はあると思う。例えば50年代の似たような悪漢もの、ハードボイルドものとしてはアルフレッド・ベスターをみるとよい。『虎よ、虎よ!』の主人公フォイルは、 遭難中に通りすがりの宇宙船に気づかれず助けてもらえなかったことを根に持ち、宇宙を股にかけた復讐を行う。話自体は波瀾万丈でそこそこ面白いものの、主人公の動機がしょせん不合理な逆恨みでしかないために最後まで絶えず嫌な不信感がつきまとう。またフォイルがそのような不合理な復讐を行うことを納得させるようなフォイルの幼時体験その他のトラウマの原因が描写されるわけでもないし、そもそもフォイルの心理描写らしきものすらほとんどない。ベスターのこの作品などは、まさに50年代以前のパルプSF的キャラを代表するように思われる。それに比べると、キャラ設定に関しては最近の作品の中でむしろ劣等生といえる本作ですら50年代の平均的キャラ描写レベルを上回っているわけだから、やはりキャラクター描写技術の平均レベルは確実に上がっているといっていいだろう。
しかも、後で述べるように本作は、主人公の現在の行動と、過去の世代宇宙船の話が交互に進行するという構成をとっているわけだが、そのそれぞれにおいて多数のサブキャラクターが投入され、物語全体に小気味いい複雑なうねりをもたらしている。
そもそも本書のような長大な作品自体、50年代以前にはまれなわけだが、これだけ多数のキャラクターを投入しながらも不要と感じられるキャラクターがほとんどいないこと自体、キャラクター設定及び描写力の向上の例証となると考える(繰り返すが本書はキャラクター描写はむしろ弱い方である)。停滞したケイズム市の空間と、そこに住む住人の殺伐とした生活描写も、かなり具体的な心理描写があるためにリアリティを持って理解できる。50年代以前のSFでは、ここまで具体的な「異質な環境が住人の心理に与える影響」の描写をした作品は全く思い当たらない。それは物語のリアリティ、信憑性に影響を与える要素であり、明らかに物語の面白さに資する要素だ。この点にも物語作成技術の進化の証拠がある。
また主人公の行動に関して。本書の主人公は、カフーラという男の護衛をし、その妻に横恋慕していたが、ライビッチという男にカフーラ夫妻を殺されたことで、ライビッチに復讐を誓い、はるばる「ケイズム市」まで追いかけて行く。その過程で、世代宇宙船の謎等が絡み合ってきて、次第に自分の素性にも疑問を抱くようになる、という基本的なストーリーである。行動動機として復讐を誓うほどのものかどうかはともかく、好きな女を殺されたという動機は、少なくともベスターの小説の逆恨みに比べれば合理的であろう。

(2)舞台、状況設定
これは非常に魅力的である。人類が銀河中に世代宇宙船を送り植民しているが、それぞれの場所の環境に応じて様々な異なった形態の文明と化しており、これに様々な謎のエイリアンの文明が絡みあっている、といったシリーズ全体の基本設定がまずある。その上で、主人公が住んでいた惑星は地球からの世代宇宙船が降り立って植民した星であるが、そこで聖人に祭り上げられた人物がおり、その人物に関する様々な謎や伝説がある。で、元軍人の主人公は、カフーラという人物の護衛をし、その美貌の妻に恋をするが、取引関係でライヴィッチという男の恨みを買ったカフーラ夫妻は主人公の努力虚しく暗殺されてしまう。そこで、主人公はライヴィッチを追いかけるわけだ。その過程で超越的文明を持つエイリアンの船が関与してくる。主人公は軌道エレベーター破壊で死にかけるが蘇生され宇宙船でライヴィッチの向かった星へ追って行くこととなる。そこでは火口の周囲に地下のエネルギーを利用して建造されたドーム都市や土星の輪状の衛生群に建造された都市などに人々が住んでいるのだが、奇病(人体が機械と融合してしまう)によって文明が破綻し停滞状態にある。この奇妙な都市を主人公は歴訪しながら、様々な仲間を作り、自分の素性と世代宇宙船の謎、聖人の謎を含む様々な巨大な謎を解き明かしていく&&そして、遂にライヴィッチを追いつめる&&というストーリーである。
舞台設定、状況設定ともに非常に複雑であるのだが、その説明の仕方はそつがない。物語の進行に応じて、必要な箇所で自然な形で登場人物の会話や見聞きする事柄の形で説明がされるので、理解に困難を来すことがない。またそのディテールは非常に緻密に構築され、リアリティと輻輳する謎への興味をかきたててくれる。
個々の舞台設定やガジェット、ギミック類は、50年代以前のSFにあったものの変奏に過ぎないかも知れないが、ここまで見事に緻密でリアルに組み立てた作品は50年代以前には見当たらない(それどころか20世紀には存在しないとすらいっていい)。それをうるさくならずに、必要に応じて読者に分からせる技術がこの作者にはある。

(3)変化=対立概念の設定と組み合わせと解消
本作の物語は、まず中心に、主人公対ライヴィッチという、追いつ追われつの復讐物語の根幹/主軸となる対立概念がある。
これに加わるサブ要素として、主人公と雇主カフーラ、その妻をめぐる三角関係、主人公対ケイズム市で死のゲームにふける市民とのサバイバルゲーム、ケイズム市周辺を襲った疫病で沈滞した文明をいかに復興するかという主人公らに課せられた課題の克服、世代宇宙船パートのストーリーにおいては、船団内部の「どの船が早く着くか」の競争の要素、スカイが乗る船の内部での船長の地位の争奪戦、更には主人公やスカイが直面する様々な謎の要素(船団を追う謎の宇宙船の謎、そこに住むエイリアンの謎、目的地で非業の死を遂げ教祖に祭り上げられたスカイの謎、その血液感染する疫病の謎、カフーラとライヴィッチと主人公の正体に関する謎、ケイズム市の動力源となっているエネルギーの謎と奇病の謎とエイリアンの関係、等々書き切れないぐらい謎がてんこもり)など数え上げたらきりがないぐらい多数の対立概念が系統的に次々と発生してくる。
それらの対立概念が相互にうまく整合しながら共鳴しあって読者の興味を惹きつけ続ける。主人公の復讐行のパートと、世代宇宙船のパートがカットバックで進行し、それぞれを構成する様々な対立概念が徐々に無駄なく少しずつ解消されながら、やがてその両者が一つに止揚されて、「主人公の素性と世代宇宙船と教祖の謎」という巨大な謎の解決と、主人公の復讐行の末路(ライヴィッチとの対決)という最大の山場へとなだれ込んで行く構成は見事に計算され尽くしていて、巧い。完璧である。
50年代以前に、これだけ多数のかつ多種多様な対立概念を投入し、かつそれをここまでくまなく巧妙に処理してみせた作品など存在しないことは、ほとんど断言できる。むろん、『虎よ、虎よ!』など陳腐な復讐譚一辺倒であり、比較にならないぐらいのレベルの違いがある。
また対立概念として選択されている諸々の要素を見ても、主軸にあるのは復讐という古来からの典型的パターンでありつつ、それに付随する諸々のサブ対立概念に斬新なアイデアと結合したものを用意することで陳腐化をうまく避けている。人同士の対立だけでなく、船内部や船同士の対立、船団と謎のエイリアン船の対立など対立概念の複層化をしているし、復讐に恋愛など他の要素を絡めて流動感を高めているし、様々なレベルの謎解きや特殊な災厄、疫病、都市問題といった多種多様な要素を投入しバラエティにも気を配っている。
こういった対立概念の複雑かつ巧妙な設定とその巧妙な解消という部分のすばらしさが、何といっても本書最大の美点だ。この点に関していえば、同時代のSF中でもダントツのトップクラスだろう。が、本書ほどではないにしろ、特に90年代以後のSFはジャンルミックスの傾向が強いために対立概念の設定は複雑化し、かつ、その設定の仕方や解消の仕方の技術水準も洗練されている傾向にあると思う。

私が推薦する他の作品、例えばケン・マクラウトの「スカイロード」、メアリ・ジェントルの「アッシュ」なども、いちいち分析はしないが、同様に、キャラクター、設定、変化(対立概念解消)の全てにおいて質が高い。こういったハイレベルなSF作品は50年代以前はもちろんのこと、20世紀全体で見てもほとんど存在しないように思う。
21. Posted by 手下X22   March 02, 2005 14:21
作品「ケイズムシティ」は全く知らなかった作品だが、虎虎との比較によって何となく進歩のイメージがつかめた。
褒めを前提とした例証のリクエストなのでかなり苦しかろうと思うが実に明晰。
同時に心の垣根方式のひらき方の問題点になるかもしれないことにちょっと思い至った。

ことは特定小説ジャンルの話から小説創作方法の累年的技術進化に移行した気がする。
この方面へのアプローチを行う場合、テクスト上の表象の抽象化は「累年的技術進化」の背後にある作者の交替を無視できず、書き手と作品の両面を顧慮する必要が出てくる。その場合の顧慮は描き手のアイデンティティに対しての物ではなく、時代的、風俗・民俗学的タブーの支配・影響力に対して行う必要がある。
時間がないので簡単にイメージだけ示す。

大昔の恋愛の成就?A男はB子の左手の甲に己の右手をそっと重ねた。
(多分に暗示的)
ちょい昔の恋愛の成就?二人の入った部屋の灯りが消えた。
(暗示内容がより踏み込んでいる)
現代の恋愛の成就?直接描写の連続
(読んでいて作家の性行為を見せられているようで気持ち悪くなるほどタブーがない)
エロが分かりやすいので捏造したが、実の所、時代別の社会を支配する思想はその作品の根本だけでなく細部のディテールにまで実は影響を与えている。
桃太郎侍はセックスしないが、松永誠一郎はセックスする。
お互いさわやか時代小説ヒーローである。
書かれた年代は半世紀の開きがある。性愛に関するモラルは地球と火星位の距離感がある。
その上、虎虎とケイズム比較と同じ位の技術進化があるのは間違いない。
より面白い物が目に見えない時代の感覚によって形成されているとしたら、風俗・民俗学的な側面も知っておいて読まねば理解度が浅くなり、楽しくない。

再度、流行不易論を考え直さないといかんね。

> 「最もよくできていると思われる作品」を取り上げた上で、「このような作品は50年代以前には存在しなかった」と主張することでこれに代えようと思う。

余談ですが、シルバの兄貴らしくてニコニコしてしまった。
本格的でサイコー
22. Posted by slg   March 03, 2005 01:22
なるほど。確かに。全く同じプロットの小説があるとする。違いは、主人公がセックスに羞恥心があるかないかだけ。セックスに羞恥心のある読者とない読者とで、読む印象が同じとは思えない。
結局、時代風俗=流行から完全に切り離され、抽象的なプロット構築だけで、その対立概念に何を選ぼうとも、またどのようなキャラクター設定や描写をしようとも、絶対的・必然的に面白くなる作品というのは、存在しないのかも知れませんね。あくまでも、風俗・文化といった、作品及び読者のそれぞれの時代背景を固定した上で、面白いプロットと面白くないプロットとの相対比較にしかなりえないのかも知れない。