SF百科図鑑 襤褸棘の樹 The Ragthorn ロバート・ホールドストック&ギャリイ・キルワース


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襤褸棘の樹 The Ragthorn ロバート・ホールドストック&ギャリイ・キルワース

Quhen thow art ded and laid in layme
And Raggtre rut thi ribbis ar
Thou art than brocht to thi lang hayme
Than grett agayn warldis dignite

汝が死に、石灰に埋まり、
襤褸棘の根が汝の肋骨を作るとき、
汝は家に帰されるだろう、
再び世界を厳粛に迎えるべく。

詠み人知らず(紀元一三六〇年)

一九七八年九月一一日
わたしは、やがて明らかになるであろう理由のため、みずからの編集になるこの記録の冒頭に、この一文をしたためる。もはやわたしにとって、時間は少ない。手短に説明せねばならない事柄がいくつもある。わたしはスカーフェルのコテージに戻っている。わたしがそこで生まれ、いつもわたしの生活の中心だった、石の家だ。何年もの間ここにいて、わたしは、ついにやるべきことをやる決心をした。エドワード・ポティファーがいっしょにいる──神をおそれる善良な男だ──この日記を完結させるのはこの男だし、その運命を決めるのも、この男以外にはいない。
その瞬間はすぐ先に近づいている。わたしは歯科医用のハサミひとセットを手に入れた。儀式の最後の部分で使うためだ。ポティファーはわたしの口の中を覗いた──ポティファーにとっては、あまりにわたしと近づきすぎるがゆえに、明らかに不快な経験だったろう──そして、どの歯を抜くか、あるいは残すかを確認した。その検査の後、ポティファーは、顎から歯を抜くよりも、指から薔薇の刺を抜くほうが慣れてるんだけど、と言った。ポティファーは、抜いた歯を記念に保存してもいいかときいた。わたしは、いいけども、注意深く保管してくれ、と答えた。
怖くないふりをするわけにはいかない。わたしは生涯に書きためた日記を厳しく編集し直した。わたしの発見にあまり関係のないものはすべて省いた。外国への多くの旅行だの無関係な発見や奇妙な出会いについての説明だの。ポティファーすら、どこがどう変わったかは分からないだろう。後世のために、わたしはポティファーの皺と泥だらけの手にこの簡素な説明だけを残す。
わたしの業績やあるいは正気については、この説明で判断して欲しい。この行為をなしとげれば、わたしにはひとつ確実と思えることがある。わたしがどういう形態の存在となろうと、わたしは審判を乗り越えるということだ。わたしは何も残さず歩み去り、振り返らない。
時は、おそらく予期以上に、スカーフェル・コテージに優しかった。そこは存在を始めてからたいていの期間、捨てられ無視された場所だった。とうとうわたしが帰った時、母の死から長い年月が経っており、材木は朽ちていた。内装も蝕まれていたが、粘土に藁を混ぜた土壁は──下の約六〇センチはヨークシャーの良質な石でできている──北の過酷な冬もものともしない堅固さだということが分かった。家は辛うじて修築されていたが、玄関の上の貴重なリンテル石──わたしの探求のきっかけ──はありがたいことに無傷だった。子供時代に住んでいた家は、わたしが去ってから二〇年を経て、また居住可能になったのだ。
今これを書いている小さな書斎からだと、スカーデール谷の眺めは以前と同じように不気味で魅惑的だ。谷は曲がりくねった静かな場所で、その急な坂は、巨大な黒いいくつもの岩や、緑地から鋭い角度で流形に曲がった発育不全の木々によって破壊されている。人の住居もなければ、田畑もない。動くものといえば、灰色に流れる雲の影と、きらめく日光の細い光線だけだ。はるか遠くの谷の端に、教会の塔がある。わたしには必要ない場所だ。
そしてこれらすべてが──木の枝の向こうに見えるのは言うまでもない。ボロトゲ(襤褸刺)の樹。恐るべき樹。
それは急速に成長する。毎日、必死で地面から伸び、嵐の空に一日あたり三センチから六センチは、命を求めて伸びているように見える。その根はコテージの周りの地面全体に伸び広がり、庭の縁で乾いた石壁をしっかりつかんでいる。まるで谷間の急坂へ今しも飛び込もうとして、この壁にしがみついているようだ。この眺めは恐ろしい。まるでその堅くこぶだらけの根を伸ばし、通りすがりの命をつかもうとしているようだ。
その樹は谷への入口を守っている。サンザシでもクロトゲでもない希少種だ。古代種の樹木で、<グラストンベリーの荊>よりも風変わりな来歴を持っている。根にも刺が生えている。根自体が、野生の薔薇の根のように、地下に伸び、ねじ曲がったその根の周りにぐるりと吸盤を突き出している。幹の周囲には柵のように千もの尖った穂が生え、地上に数センチ突き出している。真冬になる小さな果実を、鳥が食おうとするのを見たことがない。その樹に近づくとめまいがする。その刺が折れると、数分後には小動物のように反り返る。
子供のころわたしはその樹が嫌いだった。わたしの母も嫌っていた。あまりにも大変な作業だからその樹を廃棄しなかっただけだ。前にも何度かやったことはあったが、また生えてこないようにするためには根の一本一本を地面から取り出さねばならないことが判明したのだ。若いころにスカーフェルのコテージを離れてすぐ、わたしはその樹の自衛的な性質を好ましく思うようになった──そして、またその樹を見たいと思うようになった。

*****

だがそもそもの初めにわたしを魅了したのは、あのリンテル石だった。かすかな奇妙なしるしのついた、玄関の上の風変わりな石板。一〇歳のころ、わたしはそのしるしを初めて目で追い、記号の中に文字が見分けられるのではないかと想像した。一七歳のとき、わたしは寄宿舎学校から休暇でコテージに帰った。そして、初めてそれが、シュメールやバビロンの古代言語を表す楔形文字であると悟った。
わたしは翻訳を試みた。だがむろん、失敗した。当然ながら、大英博物館に問い合わせようという考えが浮かんだ──大伯父のアレクサンダーがその高貴な施設に長年勤めていたのだ──だが、それにはべらぼうな日数がかかるだろうし、わたしは短気な若者だった。わたしの研究は注文が多すぎるのだ。家族の伝統に従い、わたしは考古学者になるつもりだったから、将来シュメールの文章の意味を理解する時間はたっぷりあるだろうと思った。
当時、先祖のウィリアム・アレクサンダーについてわたしが知っているのは、父方の大伯父であること、一八八〇年に中東から帰還するとすぐ、谷間地方にコテージを建てたことだけだった。大伯父が聖書の地で何を研究していたかは不明確だったが、そこで何年も費やしたことは知っていたし、アラブの暴動で背中を撃たれたことも知っていた。傷を負いながらも、命は取りとめた。
先祖代々伝わる話として、母から聞いたことがある。そのディテールは伝聞の繰り返しでぼやけているが、それはウィリアム・アレクサンダーがどうやってスカーフェルに来たかに関係している。大きな白黒の荷役馬に、酒屋の荷車を曳かせてきたという。荷車には、石が乗っていた。ウィリアムは、その石を使って、手に入れた土地にスカーフェルのコテージを建て始めた。誰にも一言も話さずに村を素通りし、谷の縁の急な丘を、馬と荷車を連れてゆっくり上がり、鍬で穴を掘り、乾いた木を中に詰めた。そして火をつけ、四日間燃やし続けた。その間じゅうずっと外にいて、谷の向かい側を見ているか、火の守りをするかしていた。何も食べなかった。飲まなかった。当時は樹は生えていなかった。やっと火が消えると、村人全員に数シリングずつ払って、小さな石のコテージの建設を手伝ってもらった。そして、その石のひとつは──ウィリアムが村人に言うには──家族の墓石だった。その表面に消えかけた文字がかすかに判読できた。この石こそ、ドアの上に据えつけられたリンテル石だった。
本物の墓石! 灰色のオベリスクの上の文字は、四〇〇〇年前に記されたもので、計り知れない価値があった。貨物船の甲板に縛りつけられ、地中海を運ばれ、ジブラルタル海峡を通り、ビスケー湾を通り、<クレオパトラの針>がくることが(偶然にも)予定されているのと同時期に、オベリスクは英国に着いた。混乱した税関職員は、もっと大きなエジプトのオベリスクの付属物だと信じて、簡単に通してしまった。
以上を話しておけば十分だろう。あと付け加える必要があるのは、コテージができてから三年後、住民がコテージに見なれない形の樹を見つけたことだけだ。その樹は、あの夜火を燃やした穴のあった位置に生えていた。その樹の生長は、目立って速かった。ひと冬のわずか数ヶ月の間に伸びてきたのだ。
説明の残りの部分は、わたしの日記からの抜粋である。わたしのことはそれで判断して欲しい。わたしが正気かどうかを。答えの見当たらない疑問がたくさんある。いったい誰が、あるいは何が、この数年にわたり、わたしをこれまでは隠されていた情報に導いてきたのか?  わたしの大伯父の幽霊か? それよりもはるかに古い何らかの精霊だろうか? あるいは、動機が分からないとはいえ、樹の精そのものだろうか? あまりにも偶然が多すぎて、何らの神聖な霊的存在も働いていないとはおよそ考えられない。だが、いったい何者が? おそらく答えはこうだ。それは人間ではない。わたしたちの言葉では言い表せない運命の力なのだ。

*****

一九五八年八月七日
テル・エンキッシュに来て四日になる。レグメシュ教授が発掘現場への立ち入りを拒否したので、不満が募っている。だが、驚くべき発見が行われつつあるのは明白である。
テル・エンキッシュの遺跡は、四部から成る神体ないし現人神とギルガメッシュの多くの献上物をまつる初期シュメールの寺院であるようだ。一六〇〇メートル離れたミクターの小さな町からは、ほとんど何も見えない。ただ、低く乾いた丘の連なりの上に、ずっと土ぼこりの雲がかかっている。ゴミの砦と発掘現場の間を、古いトラックや荷車の流れが絶えず往復している。そこから読み取れるのは、ただ何か大きなことが進行しているということだけだ。イラクの役人もたくさんいる。周辺の子供たちは、何キロもの遠くからエンキッシュの周りに集まってきている。子供たちは、今では<大墳墓>として知られる場所で働きたいと、頼み、懇願し、要求してくる。わたしが単なる訪問客で、何の権限もないことは知りもしない。

*****

一九五八年八月九日
わたしはついに遺跡に行った。八〇年前にウィリアム・アレクサンダーが発見した寺院を見た。現在の荒れた廃墟の中に過去の記念碑的存在を見つけて、これほど感動したことはない。
わたしの死にもの狂いのメッセージは、今朝八時にようやく認められた。レグメシュはただ単にわたしとウィリアム・アレクサンダーの関係に気づいただけのようだった。真昼に、埃まみれの英国ウォルスレー車が来た。運転していた中年女は、レグメシュのアメリカ人妻だと分かった。女はきいた。「石を持っていらっしゃったの?」そしてわたしが石を洋服棚か何かに隠していると疑うかのように、小さな部屋をじろじろ見回した。わたしが擦り減った石の文字の書き写ししか持参していないと説明すると、女は怒った。今その石はどこにあるのときくので、わたしは回答を拒否した。
「着いて来なさい」女はつっけんどんに言い、車へ案内した。わたしたちは無言で、混み合う群衆をかき分けて車で進んだ。最寄りの丘を越え、鉄条網のフェンスと検問を通過した。軍隊の駐留地ほどには厳しくなかった。イラクの警備兵が車を覗き込んだが、妻のほうのレグメシュ博士を見るや、手を振って通した。あたりは、ある種のものすごい熱気が漂っている。誰もが緊張し、興奮しているようだ。
遺跡そのものは、<テル>のクレーターの中にあった。その上に寺院が建てられ、何世代にも渡って、その上に泥の建物が建て増しされていた。悪名高い考古学者ウーレイのやり方に従って、<テル>の最上層はダイナマイトで吹き飛ばされ、紀元前三〇〇〇年紀に栄えた文明の遺物をさらしていた。破壊的だったのはレグメシュではなくて、わたしの先祖、アレクサンダーのほうだった。
わたしが見事に保存された建物を観賞する間、女はいらいらしながら待っていた。女が言うには、寺院はギルガメッシュ大王にゆかりの時代のものらしい。洗練された土煉瓦で造られ、アスファルトにはめ込まれた風雨に強い焼き煉瓦の層に覆われている。
妻のほうの態度から見て、夫のほうのレグメシュ博士は最悪だろうと想像していたのだが、嬉しいことに、実際会ってみると、これ以上ないほどに魅力的な人物だった。夫のレグメシュは、テントの中にいた。紙の上に写し取った一連の碑文を見つめながら、大きな石板に寄りかかっている。わたしがもっと近づいて見ると、それはスカーフェルの石板とそっくりだと分かった。
わたしがレグメシュを見つけるのに用いたルートに、レグメシュは感心していた。イラク政府は五年前正式にイギリス政府に<テル・エンキッシュの石>の遺跡への返還を求めていた。大英博物館が所有権を主張した<エルギンの大理石>と異なり、ロンドンの役人の誰一人、そのような石を聞いたことがなかった。
この論争は数年間、似たような<局面>の範囲内で行われていたが、とうとう新聞社に嗅ぎつけられた。もうひとつの<テル・エンキッシュの石>の写真がわたしの注意を引いた。新聞の見出しはこうなっていた。<アレクサンダーの石はいずこに?>一部の目ざとい記者が、アレクサンダーの研究と石を結びつけたのは明らかだった。
そのときまでに博物館は、アレクサンダー教授がその石を取り去ったことを確認していた。博物館の理解するところでは、教授は一八九〇年代後半に中東から帰還後、引退していずこかへ去ったということだった。イラク政府はもろんこれらの説明を信じなかった。そして、大英博物館が石を隠していると信じていた。その後数年間、両国の関係は悪化していた。
わたしは、レグメシュに、その石がある石切り場に置いてあること、英国に戻り次第、博物館に場所を知らせることを伝え、その承諾を得た。
八〇年前に起こったとされるこれらの出来事は、確認することが困難だった。アレクサンダーはレグメシュの曾祖父とともに、遺跡を発掘したのだ。二人は親友で、土煉瓦の寺院の中心部にある巨石群の驚くべき発見を一緒に行った。八つの石が円をなして垂直に立てられていた。四つの石がその上に横向きにかけられていた。小さなストーンヘンジだ。その中央には四つの祭壇。三つはよく知られた神。残るひとつは──説明できないものだった。
「その祭壇は、今や痕跡すら残っていませんよ」紅茶を飲みながら、レグメシュはわたしに言った。「だが、わたしの曾祖父の手記にははっきりと記されている。三つの祭壇は、<狩人の神>の三つの顔をまつっていた。若者、王、そして古代の賢人。だが、四つ目の祭壇は、いったい誰をまつっていたんだろう──?」肩をすくめた。「女性の神かな? あるいは、生き返った王? わたしの先祖は、推測を残しているだけです」
最初の発掘作業で意見の相違があった。喧嘩と、死。ここに書いていること以外は、記録が残っていない。ある冬に生えてきた樹にまつわる、スカーフェルの住人の言い伝える記憶以外には──黒くて邪悪な刺の樹。
レグメシュはスカーフェルの碑文のコピーをわたしから奪い取った。そして記号に目を走らせた。楔形文字の碑文はわたしにとってのアルファベットと同様に、レグメシュにとってはおなじみのもののようだ。「これは全部じゃない」長い間検討して、レグメシュは言った。わたしはしばらく前に、ドアと天井の間の煉瓦に隠された石の第四面にも他の三つの面と同じく文字が書いてあるのに気づいていた。むろん、それはコテージを破壊しなければ読めない。まだそうする気にはなっていなかった。わたしはレグメシュに、四番目の面は長い間北イギリスの工業都市の汚れた空気にさらされて文字がほとんど消えている、と言った。
一瞬、レグメシュは怒りに我を忘れたようだった。「何て破壊的で愚かなことなんだ、そんな場所にあの石を放置するなんて。取り戻さなければ! 救わなければ!」
「もちろん」わたしは言った。「イギリスに帰ったら、そのように手配しますよ。大伯父の手記を何年も研究して、やっとその石の場所が分かったばかりなんです──」
レグメシュはこれによって慰められたようだ。だがわたしは、石のありかを教えるつもりはなかった。何の恥も感じずに嘘をついた。わたしは憑かれたように石を守ろうとしていたし──コテージ、そして大人になってからは、あの樹を守ろうとしていた。ともかく、それらはすべて、わたしの大伯父を通じてつながっており、ひとつでも取り外したり壊したりすることは、ロゼッタ石を大槌で叩き壊すようなものだった。
レグメシュは突然結論に達したように言った。「来てください」そしてわたしを遺跡の中に導いた。わたしたちは、寺院の中央を覆う幅広い防水布にたどり着いた。
そこは不思議なエネルギーの満ちたエリアだった。目に見えない力を感じた。直接的で継続的な効果があった。わたしは震え始めた。今これを書いているときですら──あの経験から数時間経っている──わたしの手は震えている。あそこに立っているとき、わたしははるかな過去にいた。時の指が髪を撫でた。死者の息吹が優しく顔に吹きつけた。音、匂い、感触──そして、圧倒的な、おそれを呼び起こす<存在>──が、静かにわたしを見ている。
レグメシュは、こういったものに全く気づいていないようだった。
レグメシュの声が、わたしを今に引き戻した。レグメシュは、石が立っていた場所を示すコンクリートの標識を指差した。それらは、直径約六メートルの円周上に並んでいた。床の上には、乾いた泥にくっきり縁取られて、根がくねくねと這っていたような圧痕があった。
「ここは空に開かれていた」レグメシュは言った。「石の中央に、樹が立っていたんです。この痕跡から見て、とても大きな樹でしょう。四つの祭壇は東西に向けられていた。樹の幹の下には、土を埋めた穴が掘られていただろうと思います。樹の生長を助けるためにね」
「いったいこの場所の目的は?」わたしはきいた。レグメシュは微笑み、小さな本を渡した。開いて見ると、碑文からレグメシュの読み取った翻訳文が記されていた。アレクサンダーの石のわずかな中身が追加されたばかりだ。そのもったいぶった英文をわたしは検討した。ほとんどすぐに、自分の読んでいるものを認識した。
レグメシュは息を切らして、「失われた叙事詩の原型の大部分が含まれている。それに、その他の部分の初期の形態も。これは画期的発見なんです!」と叫んだが、言われるまでもなかった。わたしは内容に引き込まれた。

*****

そして見よ、<洪水>の水は退いた。泥は大地を息苦しい外套のごとく覆った。ギルガメッシュは丘の上で待ち、<洪水>の<船人>ユトナピシュティムが泥の平野から立ち上がるのを見て、手招いた。「ギルガメッシュ。わたしは、あなたに秘密を明かします、神々の神秘を。わたしの言葉を聴きなさい。水の下、泥の下の炎から生える樹があります。その刺は鋭く刺し、すべての小枝に薔薇の葉がつきます。それはあなたの手を曲げるが、あなたがそれを握れば、男に若さを取り戻すものを手に入れるでしょう。その名は<若くなる老人>です」「泥の深さは?」ギルガメシュ王はきいた。「七日七晩」船人は答えた。ギルガメシュは息を吸いこんで黒い泥に飛び込んだ。
<若くなる老人>を切り取った王は、泥の表面に泳ぎ上がった。ユトナピシュティムは、金色の髪を束ねた女を送り、王の体を洗って、聖油を塗った。ギルガメシュは勝利に猛りつつ、七日七晩女を占有した。一瞬たりとも<若くなる老人>を離さなかった。そして子が生まれると、ユトナピシュティムは、すぐに<若くなる老人>に与えた。枝に最初の実がなるように。「さあ、この樹はきっと育つでしょう」船人は言った。「どのような寺院を建てなければらないか、どのように肉体に油を塗るべきかは申し上げました」
ギルガメシュは高壁のウルクに出発し、<若くなる老人>の刺が親指を刺したとき、力が増す気がした。王は、いかなる老人のこの樹に触れたいという申し出も断り、老人たちに若さを与えまいとした。時が来れば、ギルガメッシュただひとりが、<若くなる老人>を適当な方法で植え、その中で自ら七日七晩横たわるつもりだった。

*****

つまり、ここの石に彫られているのは、ギルガメッシュ叙事詩の不死の物語の一バージョンなのだ。それは粘土板の物語とは全く似ていない。しかも、初期のバージョンだと、レグマシュは確信していた。より原始的形態、そして、後のバージョンでは消えているように見える、魔術的儀式の示唆。
「石はエジプトから来ている」レグメシュは言った。「この地は、二〇〇年ほどの間、極めて重要な儀式の地として機能していた。秘密の植物には刺があったようです。そこの泥についている根の模様も説明がつきますよ。この地は不死の儀式を行っていたとわたしは信じています。第四の祭壇が象徴的です。起き上がる生命。だからこそ、若者、王、占星術師、そして再び、若者なのです」
レグメシュは話したが、声はうわの空だった。<文字どおり>の驚くべき発見よりも、考古学に興味があるようだ。伝説は、人々の伝承物語の一部に過ぎない、新たな道具のひとつ、考古学という機械の一部に過ぎないというように。無傷の石を欲するのと同じように、レグメシュは、無傷の言葉を欲している。だが、言葉の意味には何の感銘も受けていないのが分かった。文字どおりの訳の内容についても、最初期の文明の文化や儀式について、それが示唆するものについても。
わたしの大伯父が大いに感銘を受けたことは明らかだ! 他に理由はないだろう、大伯父が石のひとつを引きずって帰ったのは──キーストーン(基石)を──そして、奇妙で不気味な樹が、伝説の通りに生えてきたのだ。大伯父は、バビロンの時代に<若くなる老人>として知られた、おなじみの茨の樹の種を見つけたのだろうか?
キーストーン! それは、火から生える樹について語っている。生長の樹液に子供をささげることについて語っている。では、リンテル石の隠された第四の面に、いかなるすごい情報が記され、発見を待っているのだろう?

*****

一九五八年八月一〇日
もうここにはいられない。わたしはテル・エンキッシュの遺跡に戻りたいが、わたしに石についての<責任がある>ことにイラク政府が遺憾の意を表明していると知らされた。この国から逃げるべき時期だ。ともかく当分の間は。仕事をほとんどやり残したまま去るのだ。多くの疑問の答えを得られないまま。

*****

一九六五年六月一四日
テル・エンキッシュでの超自然的な遭遇は、ただの妄想だったとほとんどわたしは信じそうになっている。単なる物好き。あれから今までの数年間は、全く不毛で欲求不満の連続だった。(レグメシュはついに石を返せと吠えるのをやめたが、わたしは今でも中近東に行くときは後ろに誰かいないかと注意を怠らない。)いまになって、あるものが発見され、わたしはイェルサレムからカイロへ飛んだ。(キプロス経由で)
それは二ヶ月前に始まった。わたしはイェルサレムにいた。ようやくケンブリッジが資金を出すと同意した研究事業を始めようとしていた。すなわち、キリストの処刑に使われた<茨の冠>の樹の種類についての、真の象徴的及び神話的意味を見出し、特定するというものだ。(茨の輪、編んだアザミの頭巾、茨の小枝の笠? どういった種類の草や樹からとられたのか?)何年もの間、ギルガメッシュの無名の人物がその書物で<復活の荊>に言及していたことがわたしの頭を離れなかった。世界の偉大な復活の中でもキリストの復活こそ最も有名だ。わたしは次第にその復活が実際にどのように起こったのかについて取りつかれつつあった。<茨の冠>は心騒ぐ象徴であり、スカーフェルのコテージの窓から<ボロトゲの樹>を眺めるときに、わたしを挑発し誘う存在だった。
ある日の午後、大学の図書館の食堂、騒々しく混みあった場所で、わたしはある会話を耳にした。
後ろにいる二人の男は、明らかに第二言語のたどたどしい英語で話していた。一人はイスラエルの外交官だと分かった。もう一人はアラブ人だ。第一言語のときどき叫ぶような方言の特徴から、エジプト人と推測された。その会話は声をひそめていたが、実にはっきりと聞こえた。そしてわたしは引き込まれていた。
エジプト人は言った。「何人かのダイバー、背中にタンクしょってた──プロじゃない──旅行客。ファロス島で、泳いでた。船の古い警告灯が沈んだ場所──」
イスラエル人は一瞬、相手の言ったことを吟味していた。
「警告灯? 灯台か。ファロスの灯台?」
エジプト人は興奮して言った。「そう、そう! 古代都市アレキサンドリアで。そう。すごく古い壷、見つけた。すごく古い。何千年前。海、壷に入ってなかった。紙、入ってた。古い紙。ローマの人が来る前の。海にもっと壷あると、わたし、言われた」
声は更に低く落とされたので、わたしには言っている内容が聞き取れなくなった。わたしにはっきり言えるのは、イスラエル政府が自国の文化にかかわりのある文書に興味を持っていることだ。当然、情報提供者には多額の報酬を用意しているのだろうし、このエジプト人もイスラエルの文化大臣に必死で情報提供して、札束をポケットに詰めこんでいるのだろう。
突然わたしにこんな考えが浮かんだ。その壷の中に、茨の樹に関係する文書があるだろうか?
テル・エンキッシュから何年も経っていた。だがふたたびわたしは、運命が開けるのを感じていた。静かな過去に見つめられているのを感じていた。カイロには何かがあると信じていた。

*****

一九六五年六月一九日
カイロで会うべき人物はアブドラ・ラシドだ。この男はイェルサレム大学の学者たちに有名で、何年にも渡って多くの物品や情報を提供していた。
イェルサレムのベレンスタイン教授は、わたしの友人で、壷の中身を調べては写し取る地位にあるこの男との秘密の会合を親切にもセットしてくれた。今朝、<わたしの信任状をチェックした上で>アブドラはわたしのホテルに来た。朝食を取りながら、アブドラは、海中から五つの壷が引き上げられ、うち二つが十分なコントロール下で中身を出された、と語った。アブドラはこの中身が何であったかについては慎重に口をつぐんでいた。だが、謎めいた口調で、最初に取りだして調べるべき書類の中に、刺のある樹についての言及があるに違いないと信じている、と告げた。
わたしが聞き知っていた通り、その発見物はしっかり包装されていたが、わたしが羊皮紙の文書について聞いたことがあるというと、アブドラは驚き、感心した。エジプト人の意向としては、文書を自ら訳して取り扱った上で、発見物を最後に世界に委ねる前に自らの権利を確立しておきたいのだ。それゆえ、アブドラのような人物は、希少価値のある文書のコピーをこっそり横流しして、莫大な金を儲けていた。
アブドラの語った話はこうだった。これまでに見つかったのは、二〇〇〇年前、アレクサンドリアの図書館の火事で焼け残った文書である。アブドラの信ずるところでは、蜂起した群衆が図書館に突入し、棚のものをすべて抜き取り、放火する前に、多くの兵士が、図書館員の選び出した本を片っ端からサドルバッグに詰めこんで、都市から馬で逃げ出し、ガレー船に乗って沖に留まった。そこで、四〇本のガラスの油瓶に文書を詰め込み、蝋、亜麻布、その上からまた蝋で封印し、最後に粘土で栓をした。何らかの理由で、壷は灯台のそばで船から捨てられた。おそらく船員たちは突然身の危険を感じ、これ以上進めなくなったのではあるまいか。それ以上のことは分かっていない。いったん危機が去ると、真っ先に船を修復しようとしたことは間違いないが、壷のありかや、そもそも壷の存在を知る生存者すらいなかったと推測せざるを得ない。海水が壷をつなぎとめていた綱網を腐らせ、海流が壷のいくつかを地中海へ流し、キプロスへと追いやってしまった。

*****

一九六五年六月二〇日
今日、回収作業が進行しているのを見た。アレクサンドリアの浜はいつも小さな船でいっぱいだ。たいていはフェラッカ船で、わたしたちが島に近づくとき乗るものに似ている。わたしは地元民の服装をしていたので、わたしたちはよく環境に溶け込んだ。青い海は静かだが、太陽は容赦ない力で照り付け、そのせいでわたしはひどいめまいがした。わたしたちはファロス島の北側の港に向かった。そして、一隻の大きな錆びた浚渫船が、一群のダイバーたちによる貴重な人工物の引き揚げ作業を手伝っているのを見た。
とうとうわたしたちの努力は報われた。わたしたちは、海の中から油瓶がひとつ巻き揚げられるのを見た。細長く、ササガイとフジツボに覆われ、絹のように際立って滑らかで黒っぽい緑色の海草を垂らし、その海草は、弾丸のように無骨な壷からあごひげのようにぶら下がっている。このハリエニシダから、巨大な蟹が爪ひとつでぶら下がっている。まるで長い間海の財産であった宝物を離したくないといわんばかりだ。
わたしはアブドラに、油瓶はどこへ運ばれるのかときいた。アブドラは言った。「博物館です」そこで、十分な統制の下に中身が開かれるのだ。
「中身を出すときに、わたしが立ちあうことはできませんか?」
アブドラは首を振り、笑った。そして、特定の大臣と学者だけが立ちあえるのだと言った。それと、特に信頼の置ける技術アシスタント。
ふたたび、胸をつきだしながら、アブドラは笑った。
「例えばわたしですよ」アブドラは言った。
アブドラの仕事は、壷を開く様子を写真に撮影することだった。段階を追って、すべての内容物を、全ページ撮影する。その写真を基に、コピーが作成される。
「そのコピーは売ってもらえるのかね?」
「むろん、公には売られませんが」──アブドラは微笑した──「何事も、交渉次第ですよ、ねえ?」

*****

アブドラが来ているが、ニュースはよろしくない。まだコピーが手に入らないと言うのだ。わたしだけでなく、他の人の分も。博物館での自分の地位をあやうくするような行動を見つかってはまずいということだった。今までにアブドラは、原稿のいくつかを写真に撮影していた。
それは明らかにいくつかの文書が混じっており、プラトンの作品二つと、<Servius Pompus>というプラトゥスの劇と、ジュリアス・シーザーの原稿二〇ページを含んでいた。シーザーの原稿は、<魔法と儀式の本質に関するゴールの司祭との秘密の会話>という題名だった。
文書の最後の一片には、より貴重なオリジナル文書が含まれている。ホメーロスの自筆原稿(と信じられている)。<イリアス>の断章で、<ヘクトルの死>の半分と、<ペトロクルスの葬儀>の全部と、<葬式の実施>の三分の一程度。明らかに古代の筆跡だ。エジプト人は、ホメーロスの自筆と信じている。そして、ホメーロスは一人の男であり、作家の集合体ではないという議論を強調する。
このすべては、わたしを我慢できないほど興奮させるに十分なものだった。だが、アブドラは、わたしの探求の性質を知りながら、わたしが不安で息を詰めるようなことを言った。「<イリアス>の断章には<血の荊>への言及がある」と。
それこそわたしの欲しいコピーだ。わたしはとにかくその正体不明のホメーロスの断章だけは絶対手に入れてくれ、他は何でもかまわないからと言った。わたしの熱心さのせいで値段が釣り上がるのは間違いないが、アブドラがわざと巧みに自分を弄んで、そういう状態に追い込んだのだとわたしは確信していた。アブドラはすぐにでもコピーを作れるのに、わざとじらして値段を吊り上げているのだ。当局に近くから見張られているようなふりをして。わたしもお遊びにつきあってやろう。わたしはアブドラの見ている前で、スーツケースをまとめ、心配そうに手記を見た。

*****

一九六五年一〇月一日
わたしはスカーフェルのコテージに戻っている。生まれた土地に。わたしは家に呼ばれているような気がして、ここへ来た。夏のほとんどはケンブリッジにいたが、何か暗いもの、遍在するものの声が、わたしをここへ呼んだ──家へ、コテージへ、野生の谷へ、あの樹へ。
アブドラが売ることのできたものはほとんど翻訳した。そして事実、中身を読むのは魅惑的だった。
タイタス・マキウス・プラウトゥス(紀元前二〇〇年)の<新しい>戯曲はとても面白い。<Servius Pompus>は自らを高貴な生まれと信じて仲間をゴミのように扱うファビウスの軍団兵を扱った、全く典型的な作品だ。この男は、自分が奴隷の生まれであるととうとう認識し、永遠の地位につく。荷車に乗り、ハンニバルの象の糞を集めて回るのだ。
シーザーの断章は、最も異常で、とても変わっている。それは、ヨーロッパのケルト住民に行った伝説的で魔法的なことをこと細かに記し、風景の中の石の並び方に含まれる暗号言語に関する魅惑的な事実を暴露している。
そのすべては別の文書に引き継がれる。しばらくわたしを興奮させたのはホメーロスの詩だった。というのは、小アジアの海岸のギリシア人の叙事詩サイクルの断片の中に、わたしに二つの信念を呼び起こす復活への言及があるのだ。この知識を世界から忘れ去らせようという努力があった事実がひとつ。だれか──あるいはなにか──がわたしの研究に道筋を示し、わたしが徐々に見つけつつある手がかりからあの知識を再び構築しようとしている事実がうひとつ。
今これを書いている秋の日は暗く、西から巨大な雷雲のかたまりがスカーフェルの上を流れてくる。わたしはランプの光で研究している。わたしは骨まで震えあがる。<フェル>の広大なでこぼこした表面がわたしを囲み、孤独な刺──暗闇の中で黒い──が、邪悪な形態を示す小さな鉛の窓を通して、わたしに向かってよりかかるようだ。樹は永遠を知っている。わたしがアキレスとその不確実な古代魔法の利用について研究するのをその樹が見守り続けるのを、わたしは感じる。
<イリアス>中の関連部分の簡単な翻訳を以下に引用する。それは、アキレスの偉大な友<パトロクルスの葬式>からである。トロイに包囲されて、アキレスがテントでぼやいているとき、パトロクルスは男の鎧兜をつけ、自らの立場で頑張った。結局トロヤの英雄ヘクトルに殺されるだけだったが。パトルクルスの体が火葬の火で焼かれたあと──

*****

──その後、仲間の高貴な塵を集め、
火からの灰で金の花瓶を埋めた。
花瓶は脂肪で二重に封印され、
偉大なパトロクルスの小屋に称えるように飾られた。
そしてそれを見た者たちが柔らかいリンネルを敷いた、
金の墓の上に、尊敬のしるしとして。
いま聖なるアキレスが友に墓山を築いた。
浜の土に石の輪を置き、
石の周りには綺麗な泉の水をかけた。
そして野から肥沃な黒い土を石の上に乗せた。
嵐に濡れたヒマラヤ杉より高くなるまで。
王子アキレスはパトロクルスの墓山の周りを歩き、
友を抱く肥沃な土の上で泣いた。
ネリウスの息子ネストルには天から<夢>が贈られた。
<夢>の運び手は<雲を追う者>ゼウスから送られた。
その声は秀でたアキレスの耳に届き、
アキレスはトロイの壁から血の刺を抜き、
涙で濡れた塚に刺の樹を植えた。
その枝にペトロクルスの剣と楯を置きながら、
自らの肉を刺で刺し、
生命の血として自らの生き血を捧げた。

*****

このあと、断章は、わたしたちの知る物語の詳細へと続く。ペトロクルスの葬儀の実施と、アキレスとトロヤのチャンピオン、ヘクトルの最後の審判。わたしの翻訳は多くのものを期待に委ねている。オリジナルのホメーロスの詩の<拍子>は極めて粗野で、わたしたちが慣れ親しんでいるものとは似ても似つかない。おそらくホメーロスの後の世代の者が、いわば先人の作品を<洗練させた>ものであろう。だが、このオリジナルの言葉には力が宿り、<土>への奇妙な執着があった。ホメーロスはこれを書いたとき、ゼウスの魔法、アキレスが呼び起こそうとした魔法に力を吹き込まれていたに違いないと思う。
可哀想なアキレス。その誤りをわたしは理解しているつもりだ。むろんすべての埋葬の儀式は、ペトロクルスをよみがえらせるために行われたのだ!
アキレスの誤りは、友の遺体を薪の山の上で焼くというミュケーナイの通常の慣習に従ったことだ。パトロクルスは二度と生き返らなかった。生き返れなかった。ゼウスがアキレスに警告しようとしたことがわたしにははっきり分かる。慣習には従うな、燃えるウジの上に友の遺体を置くなと。なぜならホメーロスは前の数行に(パトロクルスの遺体が薪の山に置かれるとき)こう書いている。

*****

さて今、パトロクルスを称えて、冷酷に時間が引き伸ばされ、
英雄の下の木に火は放たれなかった。
そして秀でたるアキレスは、薪の周りを歩き、ふたたび悼んだ。
ところが悲しみの目を通して、炎への答えを見、
腕を挙げ、すべての風に祈り、
二人の神に輝かしい生贄を捧げた、
北の神ボレアスと、西風の神ゼファーに。
アキレスは二人の神に金の杯で酒を作り、
点火のときに風を吹かすよう頼んだ、
栄光の火が強く燃え上がり、勇敢なるパトロクルスの栄光の灰を作るように。

*****

火は起こらず、アキレスは神の施しを見るチャンスがなかった。ゼウスは炎から風を遠ざけ、自らの警告が無視されているのを見て、一瞬の怒りにアキレスから目をそらした。
この断章のほかの部分は、刺の樹やこれを用いる意味という課題に何の関係もないようだった。アブドラは他の文書が手に入り次第、わたしに送ると約束したが、もう何ヶ月ものあいだ何も送ってこないので、もはや失われた油瓶とその内容物の情報は公表禁止にされたのではないかとわたしは疑っていた。
ホメーロスから何を学べるか? 死者をよみがえらせる刺の力への正真正銘の信頼があることか? 「肉を刺すこと」の重要性か? アキレスは自分の腕を刺した。生命に捧げる血を。だがこれは、わたしがこれまでに見つけた二つの関係文書の中で、生命への唯一の言及というわけではない。ギルガメッシュの断章によると、子供が樹に捧げられたのだ。
暗闇が近づいてくるのを感じる。

*****

一九七〇年三月一一日
リンテル石は樹に縛りつけるのだ! 接着するのだ。縛るのだ! これは恐るべき考えだった。今朝わたしは、石を取り外そうとしてみた。コテージのざらざらの石にあのリンテル石を貼り付けているセメントをこすってみた。そして、ボロトゲの樹の根が、家自体に食い込んできていることが分かった! 大伯父がわたしの想像以上に樹と石の重要性を理解していることが明らかになった。なぜ、ギルガメッシュの石を英国くんだりまで引っ張ってきたのか? なぜこんな風にはめこんだのか? ドアの一部、家の一部として。象徴としての<入口>なのだろうか? ある世界と別の世界を分かつ境界線? リンテル石の隠れた面に重要な言葉が記されているのは疑いない。同時代人の好奇の目から隠さねばならないほど重要な言葉が。
石は墓標ではなく、墓それ自体なのだ。失われた知識の墓!
こういった考えは最近浮かんだもので、今朝わたしはリンテル石を今ある場所から取り外そうとし始めた。適切な道具と膨大な力を使った。自分が植物の組織を通じてはぎ取ろうとしているのに気づいたときは本当に驚いた! 刺のある根がわたしに向かって飛び出し、震えてゆっくりそりかえりながらぶら下がった。わたしは深く怯えた。リンテル石全体が、覆われ、守られていた──隠されていた面が──庭の端で育っているボロトゲの樹、脅威的で邪悪な存在から伸びた根によって。コテージから根を切り離すことは可能だが、この可能性について考えるたびにわたしは悪寒を感じた。これを書いている今ですら、ひどい暗闇が近づいてくるのを感じる気がする。
樹は家自体に住んでいるのだ。キッチンの壁に這い上がる黒い根の厚い蔓がある。
煙突には樹の根がからまっている。わたしが床板を上げると、突然の光にボロトゲの細い蔓が逃げた。床は小さな触手に覆われていた。
樹の蜘蛛の巣。すべてがリンテル石に、古代の石盤に集中している。
わたしが見られている気がするのも不思議ではない。伯父がしたことか? それとももっと邪悪な力の指示に従っただけか?

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一九七〇年九月二二日
大英博物館からメッセージをもらった。ケンブリッジの研究室から研究助手のデヴィッド・ウィルキンスが転送したものだ。デヴィッドだけがわたしの居場所を知っている。有能な学生で、利発な研究家で、わたしはかなり信頼している。わたしの代わりに、<ボロトゲ>や復活への言及を探すだけのために、ケンブリッジの埃っぽい書庫を探している。そういった言及はたくさんあるとわたしは信じている。それを引き出し、用いるのがわたしの新たな目的の一部だと。
「博物館には、ウィリアム・アレクサンダーか、その書類の所在に関する情報について、何らかの記録があるのか?」一九六七年、わたしは尋ねたが、答えはなかった。
新しい手紙はこういう簡単な文面だった。「ウィリアム・アレクサンダーの資産、記録、書類、手紙に関する古い質問を覚えています。小さな紐で縛られ、蝋で封をされた文書が見つかったことを、お伝えできるので嬉しく思います。しかるべき所有者の個人資産といわれるものの復権手続の中では明らかに見落とされていた、ウィリアムの知られている個人資産の断片です。ファイルの封を開ける機会をあなたに提供できて最高に嬉しい。そして中身を見ることもできますよ。最終処理の相互調整に関する議論に優先して」

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一九七〇年九月二五日
ウィリアム・アレクサンダーが、見つかることを想定してこのファイルを作成したかどうか、わたしには分からない。その加齢を重ねる骨で、背後に忍びよる<魂の友>、ウィリアム自身と同じぐらいその研究に興味を惹かれるであろう追随者の存在を感じて、そうしたのだろうと思いたい。だが、わたしの今信じていることに鑑みると、ウィリアムは、そのファイルをいつか自ら個人的に取り戻すこと、それもたいていの人から死んだと思われた後に取り戻すことを意図した可能性のほうが高いようだ。
今日、わたしは大伯父に話しかけた。というよりも──大伯父がわたしに話しかけたのだ。大伯父は今やわたしのすぐそばにいる。今ここで、ボニントン・ホテルの部屋に座って、手記を書いているわたしのそばに。大伯父自身がまるでここにいるかのように、すぐそばに。大伯父は研究の断片を残した、悩ましい、ぞくぞくするような断片を。
書類の残りはどうしたのだろう? わたしは問いかける。
大伯父が生まれたのは一八三二年だ。死亡の記録はない。今は一九七〇年。秋。そう考えると震えてしまう。でも、わたしは思う。ヴィクトリア朝が始まる前に生まれた男が、今なお自分を生んだ英国の雨や風や太陽、あるいは自分の心をつかんだ聖書の地のそれを吸収しながら、異国を歩いているとしたら?
以下は、一日の出来事と発見の要約である。
今日の朝、わたしは大英博物館の迷路のような中心部に入った。建物の下、傷ついたロンドンの粘土に掘られた深く暗い廊下や部屋の中に。わたしは本の並んだ小部屋に案内された。重い歴史を背負い、羊皮紙と手書き原稿の匂いが強烈だった。醒めた態度の中年男がわたしたちを迎えた。男はデスクにひとつしかない卓上ランプの光に照らされて作業し、質素な僧侶のようにそこに囚われていた。わたしが着くと、男は部屋の電灯をつけて迎え、デスクはもはや卓上ランプの監獄ではなくなった。男は気難しい外見に似合わず、気さくな人柄で、ウィリアム・アレクサンダーの手記の発見を、わたし自身がそれ以外の手記をもし見つけたらそうなるであろうほどに喜んでいた。アレクサンダーは年老いた悪人のようだった。恐ろしい悪名があった。変人として知られ、人並み外れた趣味と、開拓者精神の持ち主だった。一九世紀の考古学者世界の住人たちを荒削りなヨークシャー風演説と、風変わりな態度で驚かせた。もしこの男がほとんどのヨーロッパ人には閉ざされた土地から極めて貴重な歴史的人工物を見つけ出したという事実がなかったなら、初めから社会に排斥されていただろう。
ウィリアムは、一八七八年三月一五日、博物館の奥深くにある私用オフィスで、自らの書類と持ち物を集めたようだ。出発は極めてウィリアムらしいやりかただった。ファイルと本を手押し車に乗せて引きずり、がたがた音をさせて階段を登り、読書している客を妨害しながら読書室を通り、広い玄関の間を通り、太陽の下に出た。怒りに顎を震わせた図書館員は一人だけではなかった。大伯父は、心から笑いながらわたしの母によく語った、ヴィクトリア朝の人に得意なことがひとつあるとすれば、それは怒りを表すことだと。
外の階段で館長とすれ違いざま、大伯父はバッグに手を入れ、すばらしいエジプト風デザインの瓶を出し、渡した。中を見ると、前に封がされていた瓶の首には完璧に保存された赤い薔薇が入っており、その匂いは古代の夏の日の去りゆく瞬間のようで、花が芥に変わり果てるとたちまち消えた。
だがその日、荷車には、二枚の堅いボール紙(大伯父のイニシャル付き)に挟まれて、紐で軽く縛られた三〇枚の文書は乗っていなかった。大伯父は、紙束の円い角に赤い蝋を塗っていた。包みを受け取りながら、わたしは封を切り、ペンナイフで手ごわい紐の結び目を切った。ウィリアムのずっと前に生きていたアレクサンダーの面影。
フォリオ(二つ折り)の紙のほとんどは白紙だった。残りの部分の不可解な内容を抜粋しよう。

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ページ二一。その中身はたった一語。<黙示録(啓示)!>
ページ二二。より丁寧な筆跡だが、明らかにウィリアム・アレクサンダーの字だ。こう書いてある。「また<詩人>だ! この知識はエルブズ一世にまで伝わった。誰が検閲したのか? テキストを改竄したのか? 二つの関連文書が明らかになっているが、もっとあるはずだ。あるに違いない。わたしWASにとって、この神話はあまりに美しく、とても無視できない。P──は失われたフォリオ(二つ折り)文書を見つけた。だが、それを放棄してしまった」(数字と文字に覆われた二枚の紙。ある種の暗号か?)
ページ二五。<十字架のキリストの夢>というタイトルがある。<刺>と<復活>に明らかに関係のある二枚のうちのひとつだ。この紙の余白は、アングロサクソン語の言葉が散りばめられている。だが、アレクサンダーのテキストの本体はこう読める。<Sigebeam(サイジェの梁)>。勝利の樹という意味だろうか? 古代北欧風の<thorn(刺)>の文字は、頭韻風の半行により多く用いられている。同種の詩の同じ場所に通常使われるよりも多いようだ。それから、「夢の」を意味する<swefna>という語。<すばらしい樹>を意味する<syllicre treow>という語。このフレーズは古代北欧文字の<thorn(刺)>で締めくくられている。夢の樹、勝利の樹(死に対する勝利?)が、刺に囲まれ、守られる。
「そうだ」永遠の生命の樹。むろんこの樹はキリストの十字架だ、その象徴だ。だが、<樹>は間違いなく別の意味も持っているのでは? 文字どおりの意味。そして、このことを確認するように、詩の中に「adorned with coverings(被覆によって飾られる)」というフレーズ。きっとこれは字面以上のことを意味しているのでは? 細長い素材の切れ端? <Rags(襤褸)>?
「ここに含まれるメッセージは、<ragthorn(ボロトゲ)の樹>だとわたしは確信する」

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これが、大伯父のファイルの<十字架のキリストの夢>に関する唯一の言及である。だが、それは、いくぶん暗号化されているとはいえ、ボロトゲの樹に対する何らかの言及がいまなお存することの証明である。このテキストは、いかなる詩の教科書でも読めるものだからだ。
<樹の下に埋まった>魂の復活に関するより暗い永続的な神話が、著者(おそらく八世紀に<十字架のキリスト>を書いたのだろう)のキリスト教的信仰心にのしかかったことは明らかだ。だが、当時のボロトゲの樹は、実際にむしったり植えたりできる潅木で、その下に埋められた領主や追うを復活させるために残されていたのだろうか? それとも、その当時の古代イングランドでも既に、神話になり果てていたのだろうか?
最後の一枚は、二つの魅力的な中世英語の詩だった。一三〇〇年代後半に遡ると思われる。というのも、そのひとつは、チョーサーの有名な詩で未完と信じられている<名誉の家>の最終節だからだ。その詩は完結していたことが明らかだ。ただ、最後の数行は、チョーサー自身、あるいは後援者の命令によって削除されたのだ。
問題の文書そのものはファイルに含まれていないのだが、以下のように書かずにいられなかったところをみると、、アレクサンダー自身がこの詩を記した羊皮紙の文書を発見したことは間違いない。

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「これは疑いもなくチョーサーの自筆原稿だ。羊皮紙のページは色あせ、インクが広がっているが、これこそオリジナル版だとわたしは信ずる。他の版はすべて最後の四行を欠落している。よく知られている最後の部分の後に、以下の部分が来るのだ。

Atte laste y saugh a man,
Which that y (nevene) nat ne kan
But he seemed for to be
A man of great auctorite ──(ここで一般に知られているMSは終わる)
Loo! how straungely spak thys wyght
How tagethorn trees sal sithe the night,
How deeth sal fro the body slynke
When doun besyde the rote it synke.


この最後の数行をもっとなじみ深い言語に直すとこうだ。


見よ、この男は奇妙な話をした、闇を切り裂くボロトゲの樹の話を、そして死体をボロトゲの根の下に埋めれば、死がいかに這い失せるかを(Lo, this man spoke of strange things, of ragthorn trees scything away the darkness and how death will creep away from the body if it is buried beneath the ragthorn's roots)」

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最後に、英語の宗教詩からの一節。大伯父が同じ時に発見したものだ。

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Upon thys mount I fand a tree
Wat gif agayne my soule to me!
Wen erthe toc erthe of mortual note
And ssulen wormes feste in thi throte
My nayle-stanged soule will sterte upriss
On ssulen wormes and erthe to piss


On this hill I found a tree
which gave me back my (soul)──
While the world might take note of mortality
And sullen worms feast on your throat,
My thorn-pierced body will rise up
To treat the worms and the world with contempt


この丘の上でわたしは一本の樹を見つけた
その樹によってわたしは(魂を)取り戻した──
世界が不死の存在に気づき
不気味な虫が喉を食うとき、
刺に刺されたわたしの体はよみがえり
虫と世界を軽蔑するだろう

*****

わたしが<アレクサンダーのフォリオ(二つ折り)本>と呼ぶものに縛り付けられたページのリストは、このように結論付けている。大伯父がどれほど遠くまで旅したのかは知りがたいが、わたしよりも多くのことを発見したのは間違いない。大伯父の体の中で燃えていたに違いない炎。何という熱い発見だろう!
<あの根のそばに沈むとき、死はいかにして肉体から逃げ去るのだろう──>
あの樹。恐ろしい樹。死をためらう人間が、地下世界と往復する経路。人間は、ただ願う──不死でありたいと。

*****

一九七一年一〇月一三日
わたしは新しい発見へと導かれた、あるいは引き込まれた。大伯父だろうか? 樹だろうか? もしウィリアム・アレクサンダーなら、もう死んでいるに違いない。生きている人間の魂がこんな風に働くことはありえないから。生者を導くことができるのは、不死から解放された魂だけである。
わたしは、アレクサンダーが不死を得ようと試みたのだろうかと考えずにいられない──そして、失敗したのだろうかと。
もしスカーフェルのコテージの地面を丹念に探し、壁の下を掘り、樹の下を掘れば、アレクサンダーの骨が見つかるに違いないとわたしは疑っている。大伯父はここにいて、自分の失敗したことをわたしに完成させようと、囁きかけているのだろうか、正しくやれ、正しくやれと? あるいは──わたしは、何か他のもの、他の霊的存在に影響されているのだろうか?
わたしに断定できるのは、もし大伯父でなければ、わたしを導くものはボロトゲの樹だということだけだ。そうするとこんな疑問が起こる。なぜ? なぜボロトゲの樹は、生死にかかわる秘密の力、不自然な、否、超自然的な力への手がかりをわたしに見つけさせようと