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愚か者と杖と王女 The Fool, the Stick, and the Princess レイチェル・ポラック

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愚か者と杖と王女 The Fool, the Stick, and the Princess レイチェル・ポラック


かつて、遠くの貧しい国に、三人の兄弟が住んでいた。上のふたりの兄弟はとても頭がよく、誰もがきっと出世するだろうと噂していた。そういうチャンスのあまりない国ではあったけれども。だが、末の弟は、馬鹿以外の何物でもなかった。決して文字を読むことができなかったし、最も簡単な仕事すらこなせなかった。木を取って来いと言われれば、絶対に取ってくるぞと決意して出掛けるのだが、家の裏手の薪の山にたどり着く前に、兎の姿を見て、その跳び方を真似し、ついには笑い転げ、薪の山のことなぞとっくに忘れ果てている始末だ。それどころか、もっとひどいときには、虹を見て喜びのあまり両腕を挙げ、せっかくの薪を空中に放り投げてしまう。誰もに<馬鹿>と呼ばれるこの男は、ひたすら虹を愛していた。虹を見ると必ず両腕を頭上高く挙げるのだ、たとえ他に何が起ころうとも。人々は頭を振り、この男の行く末を心配する。

時は過ぎ、この一家はますます貧乏になった。母親と父親と、ふたりの兄が必死で働いたのに。とうとう長男は、一日に二回以上飯を食う話を伝説の夢物語として語り継ぐ貧しい国に、野心ある若者の活躍のチャンスなどないと結論付けた。家を出て、チャンスを探しにいかねば。長男は両親にキスをし、次男に<馬鹿>の面倒を見てくれと頼んで、ある晴れた朝、貧しい農場のひび割れた粘土を踏みしめながら出発した。

半日も歩かないうちに、道端の焼け焦げた茂みの中に半分隠れた物体を見つけた。腰ほどの高さまで突き立ったその物体は、はじめただの棒に見えたが、目ざとい長男は、その物体を取り巻く不思議な輝きに気づいた。「魔法の杖だ!」興奮して叫び、その棒をつかんだ。力が体にみなぎり、長男は棒を空に振りまわした。「もう誰もぼくを止められないぞ!」叫んだ。「ぼくは運をつかみ、家に帰って家族を救うのだ」

その場をちょうど歩み去ろうというとき、長男は恐ろしい叫び声を聞いた。振り返ると、人食い鬼が今にも跳びかかってこようとしていた。鬼の身長は10フィートもあり、肩は岩のよう。肌は分厚いうろこで覆われ、歯は研いだ鉄杭のようだ。恐怖に震えながらも、長男は、恐れることなど何もないと言い聞かせた。鬼に魔法の杖をかざし、叫んだ。「この化け物がぼくを食べるのを止めろ!」杖から閃光がほとばしった──だがそれは、鬼を一撃するのではなく、長男の全身を走りまわった。一瞬のうちに、長男の体は石に変わった。怒り狂って、腹を空かせた鬼は歩み去った。

一年が経った。ふたたび春になったある日、次男は、テーブルの上に弟がこぼしたパン屑を見ながら、首を振った。「どうしようもないな」そして、両親に言った。「兄さんに何か恐ろしいことが起こったんだろう。そうでなければ、もう戻っているはずだよ。この家の生活は前よりも悲惨になっている。ぼくは幸運を見つけに行かないといけない」両親は、行くなと止めた。もしお前が帰ってこず、わたしたちも死んでしまったら、誰が<馬鹿>の面倒を見るんだね、と両親は言った。だが、次男は両親にキスをしただけで、首を振って、悲しげに弟を見た。そして出発した。

三日後、次男は、石化した長男を発見した。その石像の足下に、魔法の杖はまだあった。「ああ、可哀想な、なんて可哀想な兄さん」次男は泣いた。「兄さんはきっと、この魔法の杖を見つけ、使おうとしたけど、杖が言うことを聞かなかったんだろう」次男は杖を拾った。その力が次男の全身を震わせた。「うむ」次男は言った。「幸いぼくは、兄さんよりも頭がいい。それに兄さんは、いつも栄光を求めていた。ぼくはただ、家族を食わせたいだけなんだ。ぼくが間違いを犯さなければ、この杖を使って幸運をつかめる」

一日も行かないうちに、次男はうなり声を聞いた。人食い鬼が跳びかかってきた。濃く黒い粘液が口から垂れていた。次男は杖を挙げた。杖の端から端へと炎が走り、今にも飛び出さんとしていた。「この生き物がぼくを食うのを止めてくれ!」次男は杖に命じた。鬼が次男につかみかかる寸前に、次男は石に変わった。

もう一年が経った。ある日<馬鹿>が言った。「ちょっと前、兄さんたち、出かけていかなかった? 何となく、覚えてる」両親はうなずいた。「まだ帰ってないようだけど。もう帰ってきた?」両親は首を振った。「ああ」<馬鹿>は言った。「ということは、ぼくが幸運を探しに行かないといけない」

「やめて!」両親は叫んだ。この三男が家の出口を探すことすら難しいのを、両親は知っていた。だが、何をいっても、三男を思いとどまらせることはできなかった。きっとすぐに忘れるだろう。両親は、三男の気持ちをそらそうとした。物語を聴かせ、ゲームをさせ、小さな庭園をやっとの思いで作った隣人に、無理を言って分けてもらった花束を与えた。だが、翌朝、<馬鹿>は大きな布で着替えの服を縛って、出発した。

家を出てすぐ、三男は虹を見つけた。「おお、すごいや!」三男は叫んで両手を挙げ、荷物を放り投げた。哀れな父親がそれを拾いに行ってやらなければ、<馬鹿>は完全に忘れたまま出発していただろう。<馬鹿>が道を歩いてゆくと、両親は抱きあい、大きな声で泣いた。

<馬鹿>は数日旅を続けたが、途中で様々な小動物を追いかけて回り道をした。そうしているうちに、石化した長男に出会った。「なんてすばらしい」<馬鹿>は言った。「何か恐ろしいことが起こったとみんな思っていたけど、ほんとうは、誰かが兄さんの石像を造ってくれていたんだ。兄さんは有名人なんだ。なんて素敵。兄さんはいつも、有名になりたがっていた」

更に数日後、次男を発見した。「ぼくの一家は、なんてすごいんだ」<馬鹿>は言った。「上の兄さんも下の兄さんも、石像を造ってもらった。父さんも母さんも、きっと喜ぶぞ。そのうちきっと、誰かがぼくの石像も造ってくれる」そう言った瞬間、それがものすごく滑稽に思えた<馬鹿>は、腹をかかえて笑った。そのため顔が地面に接近したので、兄の足下に杖を見つけた。「おや、これは、荷物を運ぶのに必要なものだ」そう言って<馬鹿>は、服を杖の先端にくくりつけ、肩に乗せた。全身をくすぐられるような感覚が走った。「素敵なそよ風だ」<馬鹿>は思った。

その夜、<馬鹿>はその杖で夕食用の根を掘り出した。驚くべきことに、その根は素晴らしい晩餐並みのおいしさだった。鶉肉のローストから生イチゴのクレームドマント酒に至るまで、様々な味がした。「なんて素晴らしい根だ」<馬鹿>は思った。「兄さんたちに教えてあげないと」<馬鹿>はその杖で地面にベッドの輪郭を描いた。そしてそこに横たわると、ガチョウの雛の羽のような柔らかさだった。<馬鹿>はにっこり微笑んで眠りに落ちた。

翌朝出発しようかというころに、地面が激しいうなり声で揺れた。「雷だ」<馬鹿>は思った。「雨がぼく以外のものの上に降りますように」背後で、とつぜん激しい雨が、ナイフのように人食い鬼の上に降り注いだ。鬼は、ちょうど大口を開けて、<馬鹿>の頭を噛みちぎろうとしていたところだった。とつぜんの雨に打たれて鬼は絶叫した。水には耐えられないのだ。激しく手で払いのけようとしたが、無駄だった。うろこは剥がれ、その下の皮膚がじゅうじゅうと音を立てて焼けた。ついにその生物は、倒れて死んだ。

「うるさいなあ、いったい何の音だろう」<馬鹿>は言った。そして振り返りもせず歩き出した。

数週間、<馬鹿>は歩き続けた。毎日、根の姿をした豪華な晩餐を杖で掘り出した。そして毎晩、輪郭だけのベッドで安穏と眠った。動物にも、嵐にも、湿気にすら、眠りを乱されることなく。

ある日、川にぶつかった。その向こう岸には、家や畑や、都市までが見えた。そして都市のそばに、光の塔のようなものが見えた。どうやったら渡れるのだろう。泳いで渡るには幅が広すぎるし、橋も見当たらない。「ああ、ぼくが兄さんたちみたいに頭がよくて、こんな馬鹿でなかったらなあ」<馬鹿>は思った。「そうしたら、何をすればいいかが分かるのに」困惑に突き動かされて、<馬鹿>は杖で木を叩いた。「舟が欲しい!」<馬鹿>は言った。パリパリという音が聞こえた。振り返って見ると、木はなくなり、そこには素晴らしい手漕ぎ舟があった。「なんとすばらしい」<馬鹿>は言って、舟に乗り、漕ぎ始めた。「誰かが旅人のためにここに残してくれたんだろう。なんて親切な人たちなんだ。ここにきっと、ぼくの幸運がある」

向こう岸に着くと、土手のあちこちに立て札が立っているのが見えた。<馬鹿>は字が読めないため、無視して光の塔へ歩き始めた。その塔は明るい日差しを浴びて、ちらちらと瞬いていた。実際、立て札はどれも塔について書いていたのだが。

この国の王と王妃には娘があった。この王女はとても美人で、中国、ペルシア、英国といった異国の王子たちが、こぞって使者を送り、求婚するほどだった。中には王子自ら訪問し、華々しい仕草(と高価な贈り物)で頭を下げ、自国のアピールを始める者もあった。両親は王女を天からの授かりものと考えていた。この王国により多くの富と力を与えてくれる夫を、自由に選ぶことができるのだから。帝国だよ、とふたりは語りあった。娘の結婚によって、自分たちはただの王と王妃から、皇帝と皇后に変わることができるのだ。

不幸にして、ふたりが王女の夫選びについての皮算用を終えたとき、神が恐るべき罠をしかけてきたのに気づかされた。娘が結婚を拒否したのだ! はじめは、自分たちが娘の夫選びに少しちょっかいを出しすぎたのだろう、ぐらいに考えていた。自分たちの選んだ婿は、必ずしも若くはなかったし、いぼのある低い鼻といい、たるんだ顎といい、およそ美形とは言いがたかった。そこで両親は、ルックスがよく、表通りを歩けば若い女が失神するほどの王子を見つけ出した(新聞の社説は、ヴェールを身につけるか、家にこもるか、どちらかにしてほしいと書いたが、王子は鼻で笑った)。王女はふたたび拒否した。

「おまえは、何が欲しいのだ?」両親は怒鳴った。「正直に言いなさい」

「わたくしは学問がしたいのです」王女は言った。

両親は娘を見つめた。学問? たしかに、娘が読書に膨大な時間をかけているのは知っていた。じっさい、かなり変な本が多い。だが、学問とは? 娘が本ばかり読むのは、結婚を待つ時間が退屈だからだとばかり考えていた。夫よりも学問のほうがよいとは?

両親は、花婿候補を次々と手配した。王女は、候補者に会うことすら拒否した。両親はとうとう本気で怒った。とにかく、自分で夫を選んで、その人と結婚しなさい、さもなくば、王宮使用人を総動員して、お前を大事な書庫から引きずり出してでも、結婚させてやる、と告げた。

はじめて王女は、恐怖を感じた。これまでのところは、王女自身の意志と、いやいやながら結婚した花嫁がいかに不幸であるかという花婿候補者たちの良識のおかげで、結婚を回避してこられたのだ。だが、もし両親が、自分の妻を力ずくで従わせることに快感を覚える粗暴な男を選んだとしたら、どうだろう? その男が、自分の大事な本を取り上げてしまったら?

王女は、概して実用的な事柄については、あまり学んでいなかった。どちらかというと、創造の神秘とか、古代哲学者の秘密の発見について考えるのが好きだった。だが、王女の本の中には、いくつかの魔法の公式を記したものもあった。たとえそういった俗事に対する、著者の軽蔑を示すためではあっても。数日間、王女は本という本を調べ続けた。(これまではきちんと整理したことがなかった。)そして、ついに真に役に立つものを見つけた。

王宮が寝静まってから、王女はこっそり、庭師の手押し車を借用し、手持ちの本を全部乗せて、表の野原に運び出した。その中央に立ち、呪文を唱えた。王女の下から、ガラスの塔がせり上がってきた。とても険しく、表面がつるつるしているため、誰も登ることのできないものだった。その頂上に、上機嫌の王女と、その全部の蔵書が乗っていた。これで安全! 王女は手を叩いて喜んだ。間もなく王女は気に入りの本の一冊を開いた。人間ではなく樹木の観点から、創造について書いた論文だった。

数時間後、雑音が王女の読書を妨げた。塔の縁から見下ろすと、両親が両手を振り、足を踏み鳴らすのが見えた。ふたりは叫び、罵り、ガラスの山を一かけらずつ削って壊してやるぞ、と脅していた。王女は無視した。ついに母親が、あなたは食べ物を持っていないでしょう、と指摘した。もし降りてきて、両親の言いつけに従わないと、あなたは飢え死にするわよ。

そうではないことを、王女は知っていた。数年にわたる研究の一環で、鳥の言葉を学んでいたのだ。王女は美しい声で鳥に歌いかけ、必要なものを全部運ばせた。娘が歌うのを聞き、鳥たちが果物や魚や卵やその他のご馳走を金持ちの食卓から盗んでは運ぶのを見て、とうとう両親は娘に負けたことを悟った。

だが、ふたりは完全には諦めなかった。連絡のつくすべての王子や王に、ガラスの塔に登って娘を連れ降ろした者はその場で娘と結婚できる、というメッセージを送った。立て札に書いて国中に立てすらした。ひそかにふたりは、無骨な田舎男が娘と結婚すればいいのにと願っていた。そうすれば、娘はちょうど釣り合いが取れる。

<馬鹿>はそんなことなど、知るよしもなかった。立て札の文句などさっぱり意味が分からないのだから。だが、音楽が──<馬鹿>が塔に向かい始めたとき、王女が歌い始めたのだ。<馬鹿>は立ち止まり、目を閉じた。まぶたの下から涙が溢れだし、満面の微笑の上を流れ落ちた。これほど素晴らしい音を、いまだかつて、一度も聞いたことはない。歌が終わると、<馬鹿>は目を開け、色も形もとりどりの鳥たちを見た。コンドル、オウム、ハチドリ、あらゆる鳥が、巨大な渦のように、塔の頂上の周りを舞っている。<馬鹿>は急いで、光と鳥たちのもとへ向かった。

近づくにつれて、男たちの姿が見えた。近づけば近づくほど、その人数は増えた。ほとんどの者が何らかの怪我をしており、全員が惨めな顔をしていた。あるいは松葉杖をついてびっこをひき、あるいは包帯を巻いた頭を両手に抱え、少数ながら、壊れた装置の真ん中で、地面に倒れている者もあった。ある男は、背中に巨大な木の枝と布で作った翼をつけて、木の上から跳び、塔の上まで羽ばたいて行こうとした。だが、頭から地面に落ちただけだった。別の男は、針金のばねがついた靴を作り、王女のところまで高く跳びあがろうとした。だが、塔の側面に衝突しただけだった。

<馬鹿>は、男たちの悲愴な姿を見まわした。「いったい全体、どうしたんだい?」<馬鹿>はきいた。

一人の男が長々とうめき声を上げながら立ち止まり、<馬鹿>の陽気な顔を見上げた。「お前はいったい何なんだ?」男は言った。「一種の馬鹿か?」

<馬鹿>は嬉しそうにうなずいた。「そのとおりです」<馬鹿>は言った。そして、とうとう友達を見つけたのかも、と思ったが、その男はもっと大きなうめき声を上げて、そっぽを向いただけだった。

「ようし」<馬鹿>は思った。「もしあの塔に登りたいんなら、すぐ始めないと」そして、杖を塔の足下に置き、支えにした。ガラスの中に一段の階段が現れた。<馬鹿>が杖を少し上にずらすと、二段目が現れた。「こりゃあ簡単だ」<馬鹿>は言った。「あの男たちが、どうしてあんなに大騒ぎしてるのか分からんなあ。ぼくは単なる<馬鹿>だけど、そのぼくでも、この塔の階段を見つけられたのに」

塔の頂上に着くと、王女が立っていた。かんかんに怒っている! 髪をかきむしり、顔を怒りに歪めて、ぴょんぴょん跳び跳ねている。そういう状態でも、この人は、自分が今までに見た最も素晴らしい存在だと、<馬鹿>は思った。

「こんなところで何をしているの?」王女は叫んだ。「どうしてわたくしを放っておいてくださらないの? どうやってこの塔に登ったの?」

王女の怒りがあまりに激しいので、<馬鹿>は驚きのあまりほとんど口がきけなかった。「ぼく──ぼくはただ、階段を登っただけなんだ。あまり、難しくなかった。本当に、全然」

王女は、ガラスの階段を見つめた。それから<馬鹿>を、次いでその杖を見た。杖は柔らかいピンクの光を放っていた。王女はひとりでうなずいた。そしてまた、<馬鹿>を見た。<馬鹿>の体の中に、杖の魔法よりも純粋な光が見えた。

だが、王女はまだ怒りを治めかねていた。そして言った。「なら、あなた、わたくしと結婚したいとおもっていらっしゃるの?」

「あなたと、結婚?」<馬鹿>は言った。「あなたと? 結婚? あなたみたいに頭がよくてすばらしい人と、結婚できるなんて、考えたこともないなあ。ぼくは、単なる<馬鹿>だから。ぼくはただ、歌が聞こえたから、ここに来ただけだよ。あなたが鳥たちと歌うのを、ただ聴きたかっただけなんだ」<馬鹿>は泣きだした。

王女は、心臓が溶けて体から流れ出してしまいそうな気がした。いいえ、こんな罠にはだまされませんわ、と自分に言い聞かせた。「いいわ」王女は言った。「そうすると、あなたは、父が国中に立てた立て札も、見ていらっしゃらないのね」

<馬鹿>は言った。「立て札は見かけたけど、何が書いてあったかは知らない。ぼくは、字が読めないんだ」

王女の口があんぐり開いた。そして、<馬鹿>をしげしげと見た。何と魅力的で、優しく、正直な男だろう。「わたくしと結婚してくださる?」王女は思いきって言った。

「何だって?」<馬鹿>は言った。そして、周囲の本の山を見まわした。中には、家ほどの高さに積み上げられているところもあったし、テーブルやベッドの形にアレンジされているところもあった。「あなたと、結婚? ぼく──ぼくがどうやって、あなたと結婚できるの? 今言っただろ、ぼくは、字が読めないんだよ」

「それはすばらしい」王女は叫んだ。「わたくしが、二人分以上に読んで差し上げるわ。わたくしたち、二人でいれば完璧です」そして、雌の山鶉が理想の夫を見つけたときに歌う歌を、歌い始めた。<馬鹿>は目を閉じ、歓喜に押し流された。王女がしっかりつかんでいなければ、塔の縁から落下していただろう。王女はやがて歌い終わり、<馬鹿>にキスをした。「わたくしたち、幸せになれるわ」王女は言った。

「そのとおり」<馬鹿>は王女に言った。「そうだとも!」

塔を降りる前に、王女は愛する<馬鹿>とそのみすぼらしい服を見た。「うーん」王女は言った。自分にとって、この男はあらゆる点で完璧だが、こういう夫が父親にどう思われるかは察しがついた。塔に登った者が誰であろうと娘と結婚させると、王が言ったのは事実だが、今更になって妨害するおそれがある。「あなた、他に洋服はもってらっしゃらないの?」王女はきいた。

<馬鹿>は杖の端にくくりつけた包みを見た。「そうだなあ、予備のシャツとズボンは持ってきてあるけど、これは、ぼくよりもっと洋服の必要な人がいたときに、分けてあげるためなんだ。でも、今着ているのと同じぐらい、穴だらけになっているんじゃないかなあ」そう言って、両手を足もとの包みに伸ばし、木にくくりつけてから初めて、その包みを開いた。そして驚いて息を飲んだ。ぼろぼろの服は消え、いまだかつて誰も見たことがないほどに、柔らかく優雅な、チューニックとレギンスが入っていた。それはシルクよりも柔らかく、ウールよりも丈夫で、色とりどりの線が生地に縫い込まれていた。<馬鹿>は頭を掻いた。そして言った。「これは、いったいどこから出て来たんだろう?」

<馬鹿>が衣装を着ると、王女は大きな鳥たちを呼び集めた。コンドルに、ロックや禿鷲。そして、本を下へ運んでくれないかと頼んだ。それから、愛しの<馬鹿>の手をとって、塔の階段を下り始めた。

王と王妃は、とうとう娘が結婚したと喜んだ。素晴らしい王子と──少なくとも、王と王妃はそう思っていた。なぜなら、あなたの王国はどこですかときくと、花婿はただ杖を振り、こう答えたから。「あっちの方です」するとふたりには、木の実のようにダイヤモンドがなる野原や、山地のように巨大な城の景色が見えたのだ。ふたりは、王女と<馬鹿>に自分たちとの同居を望んだが、新たな義理の息子はこう言った。「ありがとう。でもぼくは、幸せをつかんだら、国の両親のもとへ帰ると約束したんです」王と王妃がなぜ笑うのか分からなかったが、あまり質問をしすぎるのは失礼だと思ったから(どっちみち、他人の話を理解できることは滅多になかったし)、何も言わなかった。王女と<馬鹿>は七頭の馬とともに出発した。一頭は<馬鹿>、一頭は王女、一頭は王と王妃から<馬鹿>の両親への贈り物、残る四頭は、王女の本を運ぶためだった。

ふたりが川に近づいたとき、地面が揺れ、大地がまっぷたつに割れそうなうなり声が聞こえた。王女は振り返り、人食い鬼の大軍が押し寄せてくるのを見た! 仲間の死の知らせを聞いた鬼たちが、復讐したがっているのだ。<わたくしたち、バラバラに切り刻まれるわ>王女は思った。<何とかしないと>だが、どうすればいいのだろう? 目の前には川があるが、泳いで渡るには幅が広すぎるし、本を水につけたら、取り返しのつかないことになるのでは。空を見上げても、助けに来てくれるほど近くには、鳥の姿はない。数分以内に鬼たちはここへやって来るだろう。王女は必死になって、魔法について書いた本を探し続けた。馬から馬へと跳び移りながら、もっと実用的なことにも興味を持てば、こんなことにならなかったのに、と思った。

<馬鹿>は、これらの出来事には全く興味がなかった。騒音と、地面の揺れを感じたが、動物の群れが走り回って、今日という日を楽しんでいるのだろう、ぐらいにしか思わなかった。なぜ自分の花嫁は、馬から馬へと走り回っているのか? だが、妻を信頼していた。結局、この女性は、自分よりもはるかに賢いのだから。<馬鹿>はあるいは、この川をどうやって渡ろうかと考えていたのかも知れない。なぜなら、誰かが手漕ぎ舟を持ち去っていたから。ただ、ちょうどそのとき、川の向こう岸に、世界一大好きな景色が見えた(もちろん、妻の次に、だが)。虹だ!

<馬鹿>は、虹を見たときいつもする動作をした。両手を頭上に上げて、挨拶をした。だがこのとき、手に杖を持ったままだった。両手を上げた瞬間、目の前の川が二つに割れた。水が両側に持ちあがり、空を覆い尽くすほどに高い水壁を形成した。そう、<馬鹿>の杖はとても古い魔法の杖であり、いくつかの特別な魔法を知っていたのだ。

「急いで」王女は馬たちを駆りながら、せきたて、水壁の間の道を進んだ。<馬鹿>は、妻が馬の訓練をしたがっているのだと思い、笑い声を上げると、妻と並んで馬を全力疾走させた。

王女は肩越しに振り返った。鬼たちは、水壁の間の道を埋め尽くしながら、どんどん近づいてくる。王女と<馬鹿>が向こう岸に着くころには、すべての鬼が、水壁の間の道を我先にと走ってきていた。<どうしましょう?>王女は思った。<わたくしたち、つかまって食べられてしまうわ>

<馬鹿>は振り返り、いったい妻は深刻な顔をして何を見ているのかと、興味しんしんに見た。しかし、<馬鹿>に見えたのは、もうもうと舞う土煙に過ぎなかった。「あれはいけないなあ」<馬鹿>は言った。「人間は、川に頼って生活しているのに。あんなふうに水が盛り上がって止まったままでは、いったいどうなることやら。川が元に戻ればいいのになあ」そう言った瞬間、水壁は、猛り狂う波の渦となって流れ落ちた。鬼たちは全軍が洗い流され、以後その音を聞くことはなかった。

ようやくふたりは、幸福な家路についた。<馬鹿>が道に迷うといつも(日に最低四、五回はあった)、王女が鷹や烏を呼んで偵察に出し、正しい道を見つけさせた。故郷まであと二日のところで、<馬鹿>の次男に出会った。まだ、呪文をかけようとしている最中に石になって凍りついたままの状態だった。「ごらん」<馬鹿>は妻に言った。「ぼくの家族も、馬鹿ばかりじゃないんだよ。ぼくの二番目の兄さんは、有名になって、誰かが石像を造ってくれたんだ」そして、杖で二回肩を叩いた。たちまち、次男は蘇って、地面に倒れ、わけが分からないというように見上げた。「いったい──」次男は言った。「ここはどこだ?」

「兄さん!」<馬鹿>は叫んで、兄を強く抱きしめた。「びっくりしたよ、なんてすばらしい。ほら兄さん、これがぼくの妻だよ。王女なんだよ、想像できるかい? 兄さんの馬鹿な弟が、本物の王女と結婚したんだ。それから、これは、ぼくたちの宝物だ。これ全部がそうだよ。妻の言うには。それからこれが、妻の本だよ」混乱している兄を自分の馬に乗せてやり、<馬鹿>はその脇を歩いた。やがて、楽しい会話が始まった。道が丘の斜面を曲がると、<馬鹿>は後ろを振り返った。そして言った。「あの石像は、どこに行ったのかなあ」

一日後、長男と出会った。<馬鹿>はまた杖で石像の肩を叩き、長男が生き返った。四人全員で家路につき、それを見つけた両親は、泣いて喜んだ。宝物の胸当ての宝石一つを売り、食べ物を買って、宴を催した。全員が食卓に座ると、この冒険のそもそもの始まりが何であったかを、長男が思い出した。「あの杖だ」長男は言った。「あの杖はどうしたんだ?」

「ぼくの杖のことかい?」<馬鹿>は言った。「家が近くなってきたとき、もう要らないから捨てたよ」

「捨てたって?」ふたりの兄が言った。「どこに?」

<馬鹿>は肩をすくめた。妻が笑いながら、愛おしそうに自分を見るのを見て、微笑みを返した。「覚えていないよ」<馬鹿>は言った。「どこかの草叢に投げただけさ」

そして、今日に至るまで、杖はまだそこにある。

~完~

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