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最初の木曜日First Thursday ロバート・リード

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最初の木曜日FirstThursday ロバート・リード


さんざん小言をいって聞かせたあと、ママがステファンに言った。「さあ、もういいわよ。好きな景色を選びなさい」ただ、それはそんなに楽な作業ではなかった。ステファンは、予想した以上に、その作業を楽しんだ。泡のように岩が敷き詰められたテラスに立って、ステファンは、ハウス・コンピュータに命じた。グランド・キャニオン! ハワイの浜辺! デナリ! それぞれの場所を、様々な角度から見てみたが、決して満足はしなかったし、これで決まりだ、とも思わなかった。つづいて、ラシュモア山をためしに見てみた。いままでのよりもよかった。だが、ヤンシーが6つの石像の頭を見て、首を長く突き出し、「だめだめ。変えて」と言った。議論の余地はない。妥協の余地もない。ステファンはグランド・キャニオンに決めた。ノース・リムからの眺めに。そして、この景色こそ美しいし、ふさわしいのだ、と自分に言い聞かせ、客も賛同してくれるといいのだが、と思った。あとどれぐらいで来るのだろう? その数秒後に、ステファンは客が来たのに気付く。とうとう来たか!

小さな芝生に人影が現れる。高級なスーツを着た、背の高い男の、あの有名な顔が、ステファンに向かってにっこりと微笑みかけた。少年は有頂天で家に駆けこみ、叫ぶ。

「大統領が来た!」

義父が何かもごもごと言ったが、よく聞こえない。

ママが困ったような声で言う、「あら、ママはまだお化粧もしてないのに」

ステファンは準備万端だ。テラスを駆け抜け、端から跳び降りた。いつもなら、草が乱れ放題になった坂を、ごろごろと転がり降りるところだ。だが、きょうは一張羅を着ているし、この夕べには<市民の義務>というやつをたくさん果たさなくてはならないのだ。しっかり着地して地面を踏みしめると、できるだけ模範市民に見えるよう、一生懸命努力した。

大統領は、実体があるように見えた。本物ではないはずだが、ほとんど本物っぽい。

その顔は、ラテン系とアフリカ系の血が混じっているように見える。ドレッドロックの長い髪は、ほとんど肩に触れそうだ。二期目の半ばにさしかかったペレス大統領は、ステファンが覚えているただひとりの大統領だ。これはただの<投射体>、機械によって作りだされた、双方向性のホログラフにすぎない──とはいえ、天下の大統領を自宅に迎えるというのは、名誉には違いないのだ。ステファンは特別な気分だったし、自分でも数え上げられないほど多くの理由から、神経質になってもいた。いいことと悪いことの両面から。

「こんにちは」11歳の少年が、かわいい声で言う。「大統領さんですか?」

投射体は動かない。ハウス・コンピュータは、コマンドを受け、自らの限られたスペックの範囲内で、大統領の人格を再現しようと格闘する。「ススススス」家を取り巻くイカ皮のフェンスと、空のあいだのどこかに隠されたスピーカーから、音が聞こえる。投射体は、口を開いた。親しげだが、か細い声が、やっとのことで言う。「スススステファン」それから、大統領は動き出した。両手を差し出しながら、言った。「こんにちは、若者よ。きみに会えて、とても嬉しい」

もちろん、大統領はステファンの名前を知っている。少年の公式データファイルを読むことができるのだ。だが、この簡単なしかけが、少年をひどく感動させた。思わず、少年はこう叫んでいた。「ぼくも、お会いできてとても嬉しいです、大統領さん」

褐色の手に実体はなかったが、これ以上ないというほどリアルに見えた。ステファンの青白い手を握る動きはひとつひとつが完璧だった。大統領の輝くまなざしと、言葉のぬくもりも。「これは歴史的な瞬間なのだよ、ステファン。だが、きっときみも、もう知っているんだろう」

知っているとも。初めての全国規模の記者会見なのだ。民主主義と科学技術が、ついに完璧に結びついた。ペレス大統領は、いまここで、記念晩餐会に招待されている。しかも、ここだけではない。同時にこの国の、あらゆる家庭に招待されているのだ。何とすばらしい夕べよ──まるで魔法のようだ!

「すてきな庭だね」大統領は言った。その目はもちろん見えないはずだが、この家のセキュリティ・カメラにアクセスし、適切な顔の動きを再現している。遠くを見ながら、大統領は言う。「きみの景色選びのセンスは、すばらしいよ」

「ありがとうございます、大統領さん」

「ほんとうにすばらしい!」

ホロ・プロジェクターとイカ皮の布とが、青い空と、グランド・キャニオンの荒涼とした地形を再現している。もちろん、実際の外側の景色は、そんなにすばらしくはない。それに、イカ皮のスクリーンに映し出された岩や、ときどき飛んでくる鳥の映像はぼやけていて、夢のように不正確だ。これは、設備の性能が必ずしもよくないことを示している。ときには今のように、消音器がきちんと作動せず、不適切な音を消しもらすこともある。大統領の向こう側のどこかで、隣の家族が拍手喝采するのが聞こえたのだ。そのせいで、大統領の姿が一瞬、まぼろしの谷間に住む幽霊のように見えた。

だが、ペレス大統領は、景色の不完全さには無頓着なようだった。庭を指差して、こう言った。「きみは、見事に自分の務めを果たしたんだね。自分でも満足しているだろう? どうだい?」

はっきりいって、全然。

「美しいへちまだ」ステファンの答を待たずに、客は言った。「池もすばらしいじゃないか! 魚がいるんだよね」

魚はいない。フィルターに問題があるのだ。だが、少年は何も言わず、どうか気づきませんようにと祈った。

大統領はぐるりと体を回して、他に褒めるものはないかと探した。どういうわけか、ふだんプロジェクターによって投射されている家の外装のペンキや、立派な構造は見る影もない。きょうの客の存在があまりに複雑すぎて、ハウス・コンピュータが対応しきれなかったのに違いない。多くの計算を要する上に、同時にグランド・キャニオンを投射しなければならないのだ──その結果として、実物通りの家が、味気ない単調さをむきだしにしている。泡のようなガラスやボール紙は灰色で単調、そして、かえって実体がないように見える。三方の壁は庭の中にあるが、四番目の壁は、庭の外側に面している。空に浮かぶ茶色いしみは、イカ皮のスクリーンが雨水によって傷んだ場所を示している。

沈黙を破るため、ステファンは思いきって質問をした。「大統領さん、あなたはいま、アメリカ経済のどこに立っていますか?」

記者はよくそうやって質問する。

だが、大統領は予期した通りの返答をしなかった。表情が微妙に変わった。微笑んでいるのは変わりないが、何か今までと違った、微妙な色をたたえている。「わたしはアメリカ経済の先頭に立つつもりだ」と大統領は答えた。「両脚を広げて立ち、あらゆる事態に対処できるようにする」

それは本物の大統領の回答だろうか?

ステファンは確信が持てない。

大統領は、とつぜん膝を折り、ステファンの目線より下の高さまで頭を下げた。そして、明るく自信に満ちた声で言った。「ご質問をいただき、ありがとう。それから、忘れないでくれ、今夜の出来事には、二重の意味があるのだ。きみは、わたしの考えを学ぶことができる。わたしは、違った形で、きみの心を知ることができるのだ」

ステファンはうなずいた。その原理については、よく了解している。

大統領の端正な褐色の顔が言った。「明日の朝めざめると、わたしは多くの国民が経済についてたずねた事実や、その内容について知ることができるのだ。あるいは、わたしたちに何をして欲しいと思っているのかを。むろん、簡潔な要約の形でだけどね。残念ながら、わたしのような立場になると、何ごとも要約にせざるを得ないのだよ」

「はい、わかってます」ステファンは少し待ってから、言った。「あなたは経済政策を立派にこなしていますよ。本当に、そう思います」

「そうかね」客人は言った。「それを聞いて、とても、非常に嬉しい。本当だよ」

***

その瞬間、本物のペレス大統領は、胎児のような姿勢で、国立病院のゼラチン槽の中に浮かんでいた。大量のぴかぴか光る真新しい光ケーブルが、脳や指や口や肛門に差し込まれ、大統領をネットに直結している。その知識と信念にかかわる全データ、肉体としての大統領のデータが一体となって、あらゆる要素が、いったん一連の数値データに還元されたあと、全国ネットの仮想的な存在に拡張されるのだ。適切なプロジェクターとメモリ装置を備えたすべての家庭が、その仮想存在の訪問を受けている。役所の建物、国公立の公園、スタジアム、VA施設と同じように。もし今回のイベントが成功すれば、月に一回、同様の公式会見が実施されることになる。政治上のライバルたちは驚き慌て、こんなもの、ペレスの大掛かりなコマーシャルではないか、けしからん!と文句を言った。だが、ペレスの任期は今期が最後だった。この公式会見は、一つの実験である。この種の技術は、日々安価になり、しかも、より広い範囲で実施できるようになっていることを、ステファンは理解している。

将来、おそらく次の選挙のときまでには、各政党が、全有権者の家に、それぞれの候補者のホログラムを送り込むことができるようになっているだろう。

これ以上に公平なことがあるだろうか? と、ステファンは思った。

ステファンの義父が、くたびれた外観の家の中から現れた。ピンクの生肉のバーガーを皿いっぱいに乗せている。

一瞬、空気がむっと生温かくなったように感じた。

「サッチャーさん、お招きいただき、ありがとう」投射体が言った。「楽しい夕べにしましょう!」

「肉がお好きだといいんですがね!」ヤンシーが大声で言った。「我が家は肉好きなもんで!」

ステファンはとつぜん、まぎれもない恐怖を感じた。

だが、大統領はためらいなく山盛りのバッファローの醤油味パテを指差した。そして言った。「それを一ついただけると、嬉しいのですが」

「けっこうです、大統領さん。いいですとも」

ステファンの覚えている範囲ではいつも、義父はペレス大統領の悪口を言うチャンスを逃したことがなかった。だが、ママが絶対に粗相のないようにと、義父に約束させたのだ。一度ならず何度も。「いざというときに困り果てて立ち往生なんて、絶対いやだわ」ステファンにしつけをするときと同じ口調で、ママは義父に言い聞かせた。「せめて今度ばかりは、大統領に気分よく過ごして欲しいのよ。お願いだから、邪魔しないでね。助けて頂戴」

ヤンシー・サッチャーは、義理の息子よりも色が白かった。短く男っぽいポニーテールに束ねた金髪はくたびれ、その丸顔は、いつも苦虫を噛み潰したような表情をしている。体は大きくないが、態度はでかい。低くてよく響く声で話す。まるで危険な力を備えているといわんばかりの態度だ。ちょうど今がそう。坂道を下りながら、ヤンシーは客人のもとへまっすぐ歩いてくる。大統領はいつもおなじみの仕草で両手を差しだす。だが、相手が手を差しださないので、投射体は一歩下がり、急いで道を空けながら、「これは失礼、お許しください」と言う。

「許します」ヤンシーは答えて、面白くなさそうに低い声で笑った。歩調をまったく乱さずに。

ママは見ていなかった。だから義父はこんな態度なのだ。

ヤンシーが肩越しに降り返ってこう告げると、更に事態が悪化した。「正直、わたしはあなたに来て欲しくなかったんですよ。だが、息子が学校の宿題だというし、わたし自身の考えを告げる機会でもあると思ったんです。おわかりいただけるとよいが──」

ペレス大統領は、ドレッドロックを揺らしながらうなずいた。「フィードバックというのが、今回の眼目です。ステファンにも言いましたが──」

「わたしゃ、頭の古い白人なんですよ、大統領さん」

少年はくたびれた外観の家を振り返り、早くママが来ればいいのに、と思った。

だが、母親は来ず、ヤンシーは屋外グリルの蓋を外し、火をつけるまでの間、必要以上に長くバイオガスを出しっぱなしにした。とつぜん、柔らかく青い炎が爆発するように上がり、ステファンは後じさった。誰も口をきかなかった。しだいに熱くなる鉄板に肉のパテが乗り、小さくしかし怒ったようにじゅうじゅうと音を立てる様子に、全員の視線が注がれている、実際に見えているかどうかは別として。ヤンシーは、去年のクリスマス用に買った、汚れたままのヘラで、肉を平らにつぶしている。

それから、最後に言ったこととは全く無関係に、大統領が話しだした。

「せっかくのこの技術が、助けにならないのは残念ですな」正直そのものの口調で、そう断言した。

ヤンシーは顔をしかめた。

パテのじゅうじゅういう音はやかましくなり、炎は黄色くなった。

高まる緊張感を断固として無視しながら、大統領は両手を見つめた。「この肉体的欠陥に関して」そう告げて、ひとりで笑った。

それがきっかけだった。何かがぱちんと弾けて、ヤンシーは怒鳴った。「おれが何をしたいか、わかるかい、大統領さんよ? つまり、今夜だよ!」

「何をしたいのですかな?」

「本物のあんたが、べとべとの液体の中に沈められ、ぶっといガラスのひもをケツの穴に突っ込まれてる様を想像していたいんだよ」

ステファンは、システムがぶっ壊れればいいのに、いやむしろ、戦争でも起こった方がましだと思った。このイベントが終わるようなことなら、何でもいい。少年がいちばん恐れているのは、大統領が目覚めたときに、インディアナ州フォート・ウェインのヤンシー・サッチャーという男に侮辱されたと、知ることだ。なにしろ、アメリカ国内で、これほどの暴言を吐けるくだらない勇気を備えた人間が、他にいるとはとうてい思えない。

だが、客人はあからさまに怒ったりはしなかった。じっさい、大統領は、静かに、そして穏やかに笑った。そして、ただこれだけ言った。「正直に話していただいて、ありがとう」

ヤンシーは肉を裏返し、ステファンを見た。「あと二、三分で焼けると、ママに言っておいで。その人も連れて行きなさい」

それは奇妙で、驚くべき瞬間だった。

少年は、大統領を、その微笑む顔を見た。合成された声がこう言うのが聞こえた。「よかろう。それは名案だ」光と思考のみでできた客人は、どんな些細な冷たい言葉にも動じないように見えた。

生涯でこのときほど、誰かをうらやましいと思ったことはなかった。

***

ママは料理の準備で大わらわだった。手の動きが速すぎてよく見えないほどに、庭で取れた野菜を集めて、洗ってはカットし、繊細で芸術的な形のファンシー・サラダに盛りつけていた。ママはサラダが大好きで、芸術家の感性をもって計画を立てる。つまり、ママにとって、料理の時間が全く予想できないということであり、最終的にいつも、何かを急いでやりすぎてしまったということになる。ステファンが中にいるのを見ると、ママは泣くような声で言った。「まだ準備ができてないのよ」その瞬間、ペレス大統領の映像が、戸外からキッチン内のプロジェクターに切り替わりながら点滅するのを見て、ママは小さな叫び声を上げ、持っていたほうれん草をそこら中にまき散らした。それから、適切な言葉を考える暇もないように話し出した。「お痩せになったんですね」ずけずけと言った。「選挙のころに比べると、だいぶ」

また困惑して、ステファンは言った。「アメリカ合衆国の大統領ですよ」威厳のこもった口調で。警告するように。ママは大統領に対する口のきき方を、忘れてしまったのだろうか。

だが、むしろ大統領は面白がっているようだ。「確かに、何キロか痩せました。仕事のプレッシャーでしょうね。それと、夫人の反赤道キャンペーンのせいもあります」

そのジョークの意味について、ステファンは考えたあげく、理解するのを諦めた。

「何かお飲みになります? わたしも少々」

「では、ワインを。もしお手間でなければ」

ふたりの大人は、笑った。ママはコントロールパネルに触れ、カウンターの上に、きれいなワイングラスを出した。既に白のスパークリング・ワインが入っている。客人は、一通りそれを飲むような仕草をし、いかにもアルコールを一杯飲んだような様子になった。「おいしい」客人は告げた。「どうもありがとう」

「奥さまはお元気ですか?」

つまらない質問だ。ステファンは、当然の権利だというように、不満のうめき声を上げた。

ママは叱りつけるようにステファンを睨んだ。「キャンデースでも探してきたらどう?」それから客に向き直り、夫人についての質問を続けた。

「とても元気ですよ、ありがとう。ただ、ワシントンには飽きているようです」

ママのドリンクは、大きなグラスに入ったカラフルなもので、赤と緑の渦が絡まりながら、いつまでも混じりあわなかった。「奥さまもお越しになればよかったのに。とても憧れていますのよ。それから、ああそう、お家のデザインがすばらしいですわ」

大統領は周囲の景色を見た。「妻も、あなたのセンスを絶賛するに違いありません、ミセス・サッチャー」

「ヘレンとお呼びになって」

「では、ヘレン」

キッチンの壁と天井には、室内用のイカ皮が敷き詰められ、天井の高い部屋の映像を映しだしていた──ただし、人の話し声や甲高い音は、より近いところにある平らな天井によってはね返される。弓なりの樫の横梁が、すぐ頭上にむきだしになっているのだ。

ママは大統領のお世辞と、自分の名前の響きにうっとりしていたが、やがてステファンがまだ近くに立っているのに気づいた。「キャンデースはどこなの? お姉ちゃんを探していらっしゃい、お願いだから」

キャンデースの部屋は、地下にある。本当は大統領のそばにいたいと思っている少年にとって、その道のりは余計に遠く思えたが、更に悪いことに、キャンデースの部屋には鍵がかかっていた。ステファンはドアノブをがちゃがちゃ動かし、防音壁越しに漏れてくる音楽の響きを感じた。「あの人が来たよ! おいで!」ドアの下部を蹴ったが、前につけた六つのくぼみにまた一つを追加しただけだった。「会いにこないの?」

「開けて」姉が叫んだ。

ドアノブが自動的に回った。キャンデースは、イカ皮の鏡の部分に向かって立ち、身なりをチェックしていた。それ以外の部分は、一面が森で、生い茂った赤い木々のはざまに、千人ものキャンデースが、あるいはユニコーンと戯れ、あるいはサックスを演奏し、あるいは鞍もなしで跳びはねる黒い虎の背中にまたがっていた。その光景は、わざと神経をいらだたせ、目を疲れさせるようにデザインされていた。だが、ステファンが気づいたのは、姉の衣装だった。姉の服は、小さくてぴっちりし過ぎている。おっぱいはふだんの二倍の大きさだ。デートの準備をしているのだ。ステファンは警告した。「きょうは行かせてもらえないよ。まだ木曜日だもん」

キャンデースは弟に、鋭い世慣れた視線を送った。「あんたはお呼びでないわ。とっとと消えろ」

ステファンは、喜んで戻り始めた。

「待ちなさい。ねえ、この靴どうかな」

「いかしてるよ」

姉は黙ったまま靴を脱ぎ捨て、鏡の後ろの扉を開けると、もっといい靴はないかと、クローゼットの中を探し始めた。

ステファンは一階に駆け上がった。

名誉ある客人とママは、まだキッチンにいた。ママはドリンクをお代わりして、話しつづけていた。

「わたし、本当はどちらでもいいと思っていますの」ママは大統領に言っている。「自分が昇進に値する人間だということは、わかっています。それが大事なことですから」ママはステファンに素早く、困ったような一瞥を投げ、「でも、ヤンキーが言うんですの、もし昇進させてくれないのなら、すぐ辞めちまえって──」

「ヤンキー?」

「あら、ヤンシーの言い間違えですわ。ごめんなさい、夫のニックネームですの」

大統領は投射体のスツールに腰かけ、ママが渦を立てるドリンクを一口、また一口飲むのを見ている。

「わたしはどうしたらいいんでしょう。辞めたほうかいいのかしら、それとも残ったほうが」

「もうしばらく待って、様子を見ることですよ」大統領のアドバイス。「きっとそのうち、ふさわしい地位を得るでしょう」

ママは、不満そうに薄い微笑みを浮かべた。

ステファンは、コンピュータ・パッドに重要な質問リストが入っていたのを思いだした。あれはどこに置いたっけ? きびすを返し、自分の部屋へ走った。コムパッドは、乱れたままのベッドの上に見つかった。コムパッドは、同じ数学の問題を、辛抱強い声で何度も何度も繰り返していた。機能を切り換えると、ステファンはキッチンに戻った。ママのサラダの飾りつけや水仕事の音が、またうるさくなっていると感じた。「大統領さん。宇宙計画はうまくいっていますか?」

「全然だね」というのが答えだった。「もっとうまくやれたらいいのにと、思っているよ」

パッドは録音設定になっていたっけ? コントロール盤をいじりながら、とつぜんかすかな不安に駆られる。

「在任中に、何とか火星探査の予算を倍増できた」大統領の声が続けた。「宇宙輸送業は一二%増加した。月面に新たに二つの研究基地を建設中だ。さらに、トリトンには、生命体を発見した──」

「タイタンですね」少年が反射的に訂正する。

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