SF百科図鑑 通訳者


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■通訳者 InTranslation リサ・タトル 2005.11.25
英国SF協会賞

エイリアンがやってきたとき、ジェイク・バーンは二十二歳、幸せな結婚生活を送り、テキサス公共安全局の職員として働いていた。ひと晩ですべてが変わった。ジェイクはまだ結婚しており、勤め先も変わらず、生活は続き、払わなければならない請求書はあったが、どれ一つとして重要には思えなかった。人生ではじめて、ジェイクは純粋かつ不動の欲望にとらわれた。エイリアンを見たい。エイリアンと会いたい。エイリアンを知りたい。
だが、エイリアンはテキサス州オースティンからとても遠いところ、ゴビ砂漠のプラウプラウバンガイにあるセヴェルナヤ・ゼムリャにいた。ほかの惑星に行った方がましだったろうに、とジェイクは思った。エイリアンに関係するプロジェクトのためなら、力の及ぶ限りどんなことでもいたします、とワシントンに手紙を書いた。貯金をした。エイリアン研究の地域サークルに参加した。時は過ぎ、より多くのエイリアンがより多くの場所にやってきた。マナグア、カートゥム、ヴァンクーバー、ヘルシンキ、マイアミ──だがある日突然、オースティンにくるかもしれないではないか、ジェイクはそう願った。やがてエイリアンは入植を始めたが、決まって遠隔の不毛の地だった──シベリア、バフィン島、グレートサンディ砂漠──だがどの入植地にもはじめから地球人用の居住スペースが設けられていた。〈客人〉が受け入れられることもあった。ジェイクは熟慮のすえ、オーストラリアへの渡航を計画した。ある日の夕方、ニュースでエイリアンの一団がニューメキシコに来たことを知った。エイリアンの通訳者によると、付近の砂漠の中に新しい入植地を作りたいとのこと。
ニューメキシコ! まる一日かければ、車で行ける場所。ジェイクはテレビに映ったエイリアンの姿がちらちらゆらめきながら、ごたまぜの色と識別不能の影からなるもやもやした形に分解していくのを見つめていた。今すぐにでも、エイリアンの姿をこの目で確かめに行くことができるのだ。もうフィルムやテープを通して歪曲された映像や、他人の説明に頼る気はない。ニュースが終わった後もずっと、ジェイクはディナーが横で冷めていくのも気づかぬまま、テレビの画面に映った自分の姿を見つめていた。
やがてジェイクは、興奮を分かちあうために妻の姿を探したが、出かけたか、もしくはまだ戻っていないようだった。どちらか思い出せない。夜更け近くに妻が戻ったとき、ジェイクはスーツケースに荷物を詰めてドアのそばで待ちながら、せわしなく床を踏みならしていた。文句を言ってやろうと思った矢先、妻から出た言葉はジェイクを驚かせた。
「もう出かけてたのかと思ったのに」妻はいった。「ラジオで『ニューメキシコ』っていうのが聞こえた瞬間そう思ったわ。待ってたなんて予想外」
「どこにいたんだ? 君にいわないで出かけるはずがないじゃないか」ジェイクはいった。「来週にはもどる。あすの朝、職場に電話しといてくれない?」
「どうして来週もどるの? ずっといれば? そこで仕事が見つかるかもよ。どんな仕事でもいいじゃない。そばにいつもエイリアンがいて、エイリアンのために働けるのよ。ずっと求めていたものじゃない? 本気で欲しいと思うんでしょ? 戻ってくる必要はないわ」
「戻ってこなきゃならない一つの理由は」ジェイクはいった。「きみがここにいるからだよ」妻を抱きしめたが、妻は壁のごとくがんこだった。「ねえ。ぼくは別にきみを捨てるっていってるわけじゃない。ぼくのエイリアンに対する気持ちは知っているだろう──だがそれとこれとは別だ。どうして一緒にきてくれない? きみにもいい休暇になるよ。お願いだ」すでに出かける気持ちになっていたからつらいことだったが、ジェイクは妥協案を出した。「週末まで待ってもいい」
「ニューメキシコに行きたくないの。どこがいい休暇? 砂漠なんか興味ないし、エイリアンを見るためにうろつき回るのなってまっぴら。わたしエイリアンが嫌いだし。キモくて。これ以上アイツらのことを知りたいとも思わない。あなたは知りたいんでしょ、結構、行きなさい。金輪際もどろうなんて思わないで、あなたを待つ気なんてさらさらないから」
「なんてこという、いったい何の話だ? まるでおれが別の女と会いにいくっていってるみたいだな」
「違うわ。別の女だったらまだ我慢できる。これはもっとひどい。あんたは別の生き物にとりつかれてるんだから。アイツらはあんたにとって、何物よりも大事なんでしょ──アイツらの異常さが目に入らないぐらい──アイツらに比べたら、ほかの女にでも入れあげてくれた方がよっぽどマシ」
ジェイクは妻をじっと見た。「きみは狂ってる。これは人類史上、最も重要な大事件なんだぞ。別の種族とのコンタクトなんだ! そうとも、おれは興味があるよ──夢中だよ! ──多少なりとも知性のある人間なら、だれだってそうさ! でもきみは違うんだろ。とても信じられないね。きみは何かと比べようとしているようだが──おれたち以上に重要なことが、この世界にはあるのさ。おれたちの関係以上に大事なことがね」
「知ったことじゃないわ。もし今すぐ行くのなら、二度ともどってこないで。以上」妻はジェイクの横を通ってキッチンに入った。冷蔵庫から何か出す音が聞こえた。
つかのまジェイクは、もっと自己弁護すべきだという思い、二、三時間もあればジェイクが正しく妻が誤っていると説得できる、という確信にとらわれた。だがよく考えてみると、今さらどうでもいいこと。二人の価値観も興味も全く合わないのだ。それほど長いあいだ夫婦だったわけでもない。エイリアンが魅力的でなく、気持ち悪い、と思っているような女と、何の因果で一緒に暮らさなきゃならない? 無理だ。妻は二人の関係と、ジェイクのエイリアンに対する興味を天秤にかけようとするが、そういう比較自体が間違っている。結局、エイリアンがジェイクの人生の中で最も重要な存在だということは、歴然たる真実なのだ──妻などよりもはるかに重要な存在だということが。


ほかにも多くの人々がニューメキシコの砂漠に群をなして向かっていた。あまりに数が多いので、エイリアンの入植地を見つけるのに苦労はいらなかった。交通渋滞がたえず正しい方向へ運んでくれるから。そしてこれ以上進めない地点までくると、ほかの車やトラック、キャンピングカー、トレーラーやテントの合間に車を駐めなければならなかった。その巨大な仮設キャンプ場は、何となく音楽祭のことを思い出させた──ウィリー・ネルソンの野外コンサートだったっけ?──宗教がらみの復活祭だったかもしれない。聖書的ってこのことだな、と思った。あらゆる部外者たちが、法の銘板を手に入れるために、燃えさかる草やぶの中の神を見るために、この砂漠に集まっているのだ。
ところで、肝心のエイリアンだが、ここがエイリアンの入植地であって、単なる地球人の集落ではないという確たる証拠や痕跡は見いだせない。だが、群衆のあいだを波のように駆けめぐる噂によって、人々は高まる興奮をかろうじて抑え、ハッピーな気分を保っている。その噂とは、エイリアンが目撃された!とか、だれかが触った、あるいは触られた!というもの。一部の人間が、突如、支離滅裂だが時にとても美しい〈音〉を発する。それは〈発声〉と呼ばれ、通訳者のしるしである。人々の中には生まれつきエイリアンと意思疎通する能力を備えた者もいるようだ。それは、教わるとか理解するといった類いのものではない。今のところだれも──いかなる団体、個人、コンピュータも──それ以外に、エイリアンを理解し意思疎通する方法を思いつかずにいる。ジェイクは、それが望むべき宿命なのか、恐れるべき宿命なのかはっきりとはわからないが、通訳者になりたいと夢見ていた。
エイリアンはどこにいるのか? ジェイクは、目がかすみ、眼精疲労で頭が痛くなるまで周囲を見つめつづけた。せわしなく歩き回った。他人を避け、言葉を聞かないように努めた。「割れながら動き続ける鏡を見てるみたいらしい」「ほんとに、普通の人間みたいに見えるってよ──ただそれだけ」「ちょっとした雰囲気だけ、空気中にただよう匂いとか、そういった類の。嵐の前の気配に似ているね」「人に似ている──そう、人間にね。だが、はるかに大きく、角度が全然違う──色もね──ちょっと説明できない」
自分の経験を他人の使い古しにしたくなかった。はじめてエイリアンを目撃するときには、ジェイク自身が自分の目で、他人の想像や期待や経験にゆがめられない状態で目撃したいと思った。
だれかがいる──ものすごく体の大きな男──ジェイクのちょうど目の前だ──ジェイクはそのまわりを歩き、すれ違いざまに横目で見た──ほんとうにでかい! 巨人だ──ジェイクは立ち止まった。空気が揺らめいている、この──巨人? のまわりで。人に似ているが、人ではない。空気が光を放ち、色渦巻く炎のかけらへと分解する。ときどきテレビで見たのと同じように。それから色は、完全な固体ではなく、人間よりも大きいが、人間そっくりの姿へと変形する。ジェイクはじっと見つめた。あるとき見えたと思えば、あるときは見えず、はっきりとした形や、輪郭や、大きさまでは特定できない。だが存在していた。疑う余地なくそこにあった。
そしてやがて消えた。小さな舌打ちが聞こえた。自分だろうかと思いながらふり向くと、イースター島の小娘のように黄色く滑らかな髪と、日焼けして痩せこけた体の、裸同然の娘が見えた。この娘もエイリアンを見たのだ。二人とも。本物のエイリアンを。目が合った瞬間、ジェイクは、久しく感じたことのなかった幸福感を覚えた。
三週間後、ダフネとジェイクは、アルブクエークのワンルームマンションで同棲生活を始めた。二人ともエイリアン交流協会で働きたかったが、面接にすらこぎつけることができなかった。通訳者のテストを受けたが──もう一度、エイリアンと接近できたことを意味する──二人とも、その能力のないことがわかった。ダフネは、不動産会社で受付兼タイピストの職を得た。ジェイクは年齢と経験にもかかわらず、バーガーキングぐらいしか就職口がなかった。エイリアンの入植地から車で三時間以内のところにあるアルブクエークは、仕事と住む場所を探す人であふれかえっていたのだ。
ダフネは陽気で寛容な性格で、ジェイクよりもたやすく満足した。自分たちの恵まれている点を数え上げるのに夢中だった。「仕事はあるから、お金はある、住むのに十分な場所もある。お互いがいる。あなたの車で毎週週末に砂漠へ出かけて、エイリアンを見ることもできるわ!」
ジェイクは、オースティンにいる妻や、そこでの仕事や生活に何らの未練もなかったが、自分の求めているものと現状がいかにほど遠いかを苦々しく認識していた。エイリアンとコンタクトできるような仕事に就くこともできなかった。通訳者になる才能もなかった。そこではっきりと提案した。
「とにかく、中に入れるよう申し込んでみようよ。客人として」
ダフネはジェイクを見た。その目線は妻を思い出させた。
「どうした? ほかのことは全部やってみたんだ。なぜだめなんだ」
「わかってるでしょ」
「わかってたらきかない」
「ジェイク、あなた、まともにものが考えられないの」
「おれはエイリアンのために女房も捨てた。仕事も捨てて、ここへきたんだ──なぜ今、止める? おれと同じぐらい、きみにも、エイリアンは大事なんだと思ってた」
「もちろんよ! わたしにとっても大事よ! でも自尊心があるわ。自分から出かけていって、体を売るなんてできない」
怒りがジェイクの中で燃え上がった。ダフネはほかの連中と同じぐらい浅はかで間違ってる。「なぜそんなことを言うんだ? 体を売るってどういうことだよ? きみはわかってない」
「みんなそう言うわ──」ダフネは目を合わせない。
「みんなだって! みんなが何を知っているっていうんだ? 中に入ったこともないやつに、何がわかるっていうんだ! 誰が娼婦になるなんていうんだ? あそこでやってることが性的なことだなんて、誰がいうんだよ! くだらねえ」同じような噂をジェイクも聞いたことがあった。いずれにせよ、中に入ってとどまる人々は二つのタイプに分かれることを、だれもが「知って」いた。通訳者と、娼婦。
「ばかばかしい」ジェイクは強くいった。「人間でないものとセックスなんかできるもんか──男女の区別すらないようなものと? そんなことをいうやつは、ただ怖いだけだ、中に入ることを恐れない人間に嫉妬しているだけだ。だから無理やりに軽蔑しようとしているんだ。〈娼婦〉というがね、そうじゃない。エイリアンの〈客人〉なんだよ」
「でもどうしてエイリアンに『客人』が必要なの? その人たちと何をしたいっていうのよ?」
「知らないよ。誰も知らない。やってみないことには、知りようがない──」
「で、知ったときには、中にいて手遅れ」
ジェイクはダフネの目に恐怖の色を見てとった。ジェイク自身も感じている恐怖だった。エイリアンをその奇妙さゆえに愛し、その奇妙さゆえに恐れていた。ジェイクはエイリアンを理解したかったが、恐らく理解不可能な存在であろうとも思った。飛び込みたいけれども、飛び込むのは恐ろしい瀬戸際でふらついている状態だった。
ジェイクはダフネの体に腕を回した。「わかった」ジェイクはいった。「行くのはやめる。そのうち何か起こるだろうよ」
「週末には毎週、砂漠に行けるわ。何が起こるかはあなたにもわからない。事態が変わるかもしれないわ」
だが何も変わらなかった。ジェイクが運と宿命に賭ければ賭けるほど、人生に対する満足はよけいに得られなくなった。ジェイクはエイリアンのそばに行かなければならないのだ。もっとエイリアンについて知らねばならない。それがダフネを捨てることを意味しようとも、売春夫になることを意味しようとも──
ジェイクのエイリアンに対する感情は性的なものだろうか? ジェイクの人生で最も圧倒的な存在に対する定義としては、あまりに卑小で狭隘に思われる。ジェイクのエイリアンに対する感情は、他の人間に対して未だかつて感じたことのないものだ。愛にも、宗教にも、好奇心にも、必要にも、忘我にも似ており──恐らくその中にセックスも含まれるだろうが、セックスがエイリアンにとって何を意味するかは誰も知らない。
ある日、ダフネに告げずにジェイクはバスに乗ってエイリアンの入植地へ行き、入場許可を求めた。もし断られたら、ダフネには言わないでおくつもりだ。許可されたら、中に入る前にハガキを出すつもりだ。たくさん書く必要はない。この最後の自暴自棄の手段に関して、ダフネがどう思うかはわかっている。
砂漠までのバスの道のりは、長く静かな旅だった。バスには他にも乗客がいたが、だれも話さなかった。客の中には、短期休暇からもどる途中の通訳者もいるだろう。だが大半の客はジェイクと同じように、自分の申し出が受け入れられるか否かもわからぬまま、まだ見ぬ運命に向かって自分を捧げようという衝動に駆られた人たちだ。ガタゴト揺れる冷房のきいた車内で聞こえる音といえば、六人ほどの客が聴いているヘッドホンステレオから漏れてくる、微かなドラムや管楽器の音だけ。
ジェイクは、未知のものから身を守る音楽もないまま、外の土埃と日の光を見つめていた。遠くには「地球人滞留所」にあたる巨大なコンクリートの塊が蜃気楼のように淡く輝いていた。〈娼館〉というよりは、監獄に似ている。自分が住みたいと思っている場所には見えない。
そこに自分の自由意思で入るのだ、と思った。体が震えている。
制服の男たちが道案内をした。視線は合わせなかった。検査はすべて遠隔操作の機械によって行われた。ジェイクはコンピュータを通じて面接を受け、スクリーンに質問が表示されると回答のボタンを押した。非実体的な音声が指示を与えた。「服を脱ぎなさい。部屋を歩いて横切りなさい。テーブルの上に横になりなさい。頭をヘルメットに入れ、三〇秒間、できるだけ静かにしていなさい。はかり皿の上に乗りなさい。スクリーンを見なさい。目に見える色の名前を言いなさい」エイリアンが見ているのか? それとも地球人や機械によって審査されるのか?
検査は数時間続いた。やがてジェイクは服を着て受付に行くように言われた。
「入っていいのですか?」ジェイクはきいた。「ぼくは受け入れられたのですか?」
部屋は静かだった。声はそれ以上何も言わなかった。


予期に反して、受付でジェイクを待っていたのは制服を着た男ではなく、女だった。白くそばかすの出た肌と、赤銅色の髪を持った魅力的な若い女で、その肉体は長くゆったりしたグレイのローブの中で、謎めいた魅力をもっていた。その切れ長で薄い色の目が、ジェイクの目と合った。女はいった。「ようこそ、ジェイク・バーン。わたしはナディア・ペセク。あなたの訪問中、専属の通訳者を務めます」
なんてこった、とジェイクは思った。
「それがここのやりかたなのよ」ナディアは優しくいった。「エイリアンと直接話せると思ったわけではないでしょう?」
「話すなんて、考えもしないよ」ジェイクはいった。「意思疎通には他の方法もあるし」
「もちろん。でも、あなた自身がエイリアンと意思疎通ができるなら、通訳者になれるはずね。こんな風にやってくる必要はない」
ジェイクは、ナディアがジェイクの失敗した地点で成功しただけでなく、ジェイクがそこで失敗したと知っているのに憎悪を覚えた。
「いっておきますが」ナディアはいった。「通訳者は競争してなるものではないの。訓練や、意志や、知性の問題ではない。どうやるのかは、わたし自身も実はよくわからない。ただエイリアンたちの近くにいて、頭の中に浮かぶことを口に出すだけ。わたしは〈発声〉する、あるいは話すのね。わたしが〈発声〉するとき、その意味はわたしにはわからない。わたしが話すとき、その言葉がどこから来るのかはわからない。わたしがほんとうに翻訳しているのか、何を訳しているのかすら、わたしにはわからないわ。おそらくそれは、意思疎通や理解といったものとは何の関係もないかもしれない。たぶんそれは芸術様式なのかも。あるいはゲームなのかも。無意味な物理反応なのかも。最悪な事態は──幸い、あまり頻繁には起こらないけれど──二人の通訳者が同時に一人のエイリアンにつき、お互いに『違うこと』を言ったり答えたりした場合ね。そしてわたしたち通訳者にはわからない、どちらの言ったことが正しいのか、そもそもどちらかが正しいのか、エイリアンは知っているのか、興味を持っているのかも」ナディアは話すのをやめた。小さく喘ぎ、白い顔をかすかに汗で光らせながら、懇願するように、ジェイクの目をのぞき込んできた。ナディアはジェイクに対して、不必要かつ赤裸々なまでに率直に振る舞い、ジェイクの望まない種類の親密さを強要している。
ジェイクは苦労して視線をそらした。
しばしの沈黙の後、ナディアは言った。「わたしにどんな質問をしてもかまわないわ。あなたには個室も与えられるの──後で案内します──それに、好きなときに出入りしてかまいません。ただし、一度この施設を出てしまったら──すでにお聞きでしょうけど──もう一度許可をもらい、面接を受け、あらゆる検査をやり直さない限り、もう一度入ってくることはできません。そして、一度エイリアンがあなたを中に入れたというだけで、もう一度入れてもらえるという保証もありません。囚人ではないから──いつでも出ることができる。あなたは『客人』ですから──エイリアンがあなたを連れ戻すということはありません。どの部屋にも食料供給スロットがあるし、コンピュータの端末もあります。必要なものは何でも言ってください──本、テープ、衣服、化粧用品。たいていの要望はきいてもらえるけど、制限があるわ。その中には──理不尽に思われるものもあるけど。ちょっと『美女と野獣』にも似ているわね、あの、テーブルの上の〈目に見えない手〉に──」ナディアは言葉を止めた。
ジェイクは黙ったままだった。ナディアはため息をついた。「わたしたちは仲良くなった方がいいの。もし後で気が変わっても、わたしは今日のことでうらまないわ。こういったことはよく心得ているから」
「きみはわかっていないね」
「わかっています。だからあなたはわたしを嫌っている」ナディアは肩をすくめた。「こちらへどうぞ。あなたの部屋まで案内するわ。好きなことをしてください。質問があれば何でもどうぞ──そのためにわたしはここにいるのよ──でも、お望みでなければ、強制はしません」
ナディアはジェイクを部屋の入り口に残して去った。部屋の外がいかにも施設という感じで殺風景なのに比べると、室内は驚くほど快適だった。ジェイクが想像していたのは寮の部屋とか刑務所の独房のような場所だったが、実際にはジェイクの部屋は、シンプルで家具こそほとんどないものの、予想外に広く、色とりどりで均整がとれ、照明が部屋全体を美しく見せていた。ドアに入るとき、ジェイクは胸が高鳴るのを感じ、ここにいることによる興奮に加え、新しい家を手に入れたという極めて単純な喜びをも感じていることに気づいた。
だが、ようやく一人になれたという喜びにもかかわらず、ジェイクは神経質になっていた。エイリアンと会えるまであとどれぐらいかかるのか、ナディアにきいておけばよかったと思いそうになったが、最初からナディアと距離をおくのが重要だと感じていた。その日の午後と、夜と、翌日の午前中は、自分の部屋で、食料端末からコーヒーやジュースやサンドウイッチをもらい、コンピュータをいじり、うたた寝をし、そわそわするあまり、気持ちを一定時間集中することも、静かにしていることもできず、呼ばれたときにたまたま自分が部屋を空けてしまっていたらどうしよう、という不安にとらわれていた。
午後遅く、ナディアとエイリアンがやってきた。
ナディアと影だ、とジェイクは思った。背の高い人影、暗闇より暗く、ときどき見覚えのある姿が見えるほどに明るくなる。むき出しの肩の曲線、ひざにあたる突き出した部分──女性の姿のように思えた、そしてかすかな饐えた草葉のような、柑橘類のような匂いがした。目が見えた──黒く優しい目がジェイクを見ているのが。エイリアンのいるところでは、ナディアは非常に小さく、グレイのローブの中では目に見えないほどに思われた。ナディアは絶えず伏し目がちだった。
ジェイクはじっと見つめた。期待のあまりめまいがするほどだった。ついに、ついに今からそれが起こるのだ。待った。その稲妻のような短い閃光よりも長く続く何物かを見定めようと努力するあまり、目や頭が痛むほどだった。相手の目線をとらえようと努力したが、うまくいったという確信は得られなかった。あの偉大な円い瞳は、ジェイクを見ているのか、それともジェイクの向こうを見ているのか──好奇心、欲望、それとも嫌悪のまなざしだろうか──? もだえ苦しんだ。もはや一刻も待てない。知らなければならない。ジェイクは通訳者に訴えた。
「ぼくは何をすればいいんだ?」
ナディアは目を閉じた。長い時間のあと、ナディアは頭を後ろにのけぞらせて、〈発声〉し始めた。歌っているというわけではなかったが、それ以外のものと認識することもできなかった──少なくとも会話ではない。このような現象はテレビで、また個人的にも、何度も目にしていたが、ジェイク自身の言葉が訳されるのを聴くのはこれが初めてだった。そしてその奇妙さと重要さが──とうとうおれは、エイリアンに話しかけているんだぞ!──ジェイクを震えさせた。
そしてそれは終わった。ナディアは目を開いた。エイリアンは、身動きせず、ジェイクに聞こえるような音も立てなかったが、ナディアがいった。「彼女は、あなたに服を脱ぐようにといっているわ」
恐怖と欲望がジェイクを貫いた。二つの感情が密接に絡み合って見分けがつかなかった。「彼女が?」
ナディアは答えず、ジェイクは突然、ある意味でナディアはほんとうはここにいないことを悟った。ナディアはここにナディア自身のためにいるのでも、ジェイクのためにいるのでもない。ナディアはつかの間、エイリアンの窓口としてのみ存在しているのだ。意思疎通の生ける道具として。
ジェイクは手探りで服を脱ぎ、ジーンズを脱ぐときには転びそうになった。今までの人生で経験したことのないほどに素っ裸で、さらし者にされ、もろい存在になったような気がした。恐怖を感じているにもかかわらず、ジェイクは勃起していた。で、エイリアンはいったいどんなふうにあれをやるんだ? どんなふうにやるつもりなのか? エイリアンの性器について考えてみる。ナディアは彼女といったよな。ジェイクはにやけた。
ジェイクは待った。ひたすら待ちつづけた。だれも動かない。室内の暖かい気温は変わらないのに、寒さを感じ始めた。性器は萎えてしまった。「何を──彼女は何をぼくにさせたいんだ? きいてもらえるかな? ぼくは今度は、何をしたらいいのかと」
ナディアは目を閉じて、小さな破裂音を立てた。それから、目を開いていった。「好きなようになさい。彼女はあなたを見ているだけで嬉しい。あなたがここで幸せでいることが、彼女の望みです」
「それだけ?」
「彼女はもう行きます。あなたと一緒の時間を彼女は楽しみました。その楽しみがお互いのものであったことを望んでいます」
「待ってくれ──話せないかな、それとも──」
だが、エイリアンは行ってしまった。部屋が鐘のようにうつろに鳴り響いた。振り返りもせずナディアは出て行った。ジェイクはドアが閉まるのを見つめ、服を身につけた。欲求不満で震えていた。どんなものに対しても心の準備ができていたのに、何も起こらなかった、とジェイクは思った。


翌日のジェイクは部屋に引きこもり、翌翌日にはうんざりしていた。コンピュータのゲームにも、読書や音楽にも飽き飽きしていた。生春巻とポテトチップとビールで満腹だった。ジェイクの孤独を破るものは何もなかった。「やりたいようにやればいい」一人つぶやき、次の朝には、探検に出かけた。
もっとほかのエイリアンを見たかった。だが、もし今この地球人居住区にきているエイリアンがいるとしても、個室のドアの向こうであり、近づくどころか見ることもかなわなかった。公共エリアにはエイリアンは見当たらない──図書館、スポーツジム、レストラン、バー、美術館、会議室、どこもかしこも、人数は少ないが、いるのは地球人ばかりだった。ジェイクはかれらを無視した。今や面倒な友達づきあいなどまっぴらご免だった。だが、共有室のひとつで大きな椅子にくつろぎながら、光沢紙を使ったはでな雑誌を眺めているナディアを見たとき、ジェイクの胸は高鳴った。ジェイクはまるで最初からジェイクを捜していたのはナディアの方だといわんばかりに、ナディアの方へ直進した。
「やあ」
「あら、こんにちは」ナディアは上体を起こして、雑誌を開いたまま膝の上に伏せた。「ごきげんいかが? もう住み慣れたかしら」
「初めて部屋の外に出てみたよ。ずっと待っていたんだ──ぼくは何をしたらいいのかわからない。何をすべきなのかわからないんだよ。エイリアンがいつもどってきそうか──何を期待すればいいのか──がわかれば、簡単なのに。きみなら、次に何が起こりそうか、教えてくれるのではないかと思って」
「何を期待すればいいのかがわかっても、簡単ではないわよ。ここでは物事はそんなふうには進まないの。ねえ、お酒でもご一緒しません? バーでお話ができるわ。わたしの知っていることを教えてあげる」
「まだ一〇時にもなってないしな──」ナディアのにこっと笑うのが見えた。「ああ、わかったよ。どうでもいいことだったね──ここでは時間の進み方も違うんだから」
ナディアはうなずいた。「人は自分の体に合ったリズムに順応するもの。ここでは、外部からの絶え間ない要求などないわ。順応するのがいちばんよ、来るものを拒まないことが。エイリアンにとって、時間の進み方は違うの。それは間違いない。でもどんなふうに違うのか、わたしにはまだわからないけど。何らかのパターンがあるのだとしても、わたしには見えない。でも信じて、わたしは見たの」
ナディアはジェイクを、バーと小さないくつかのテーブルとあまり快適といえない椅子の備えられた薄暗い小部屋に連れて行った。誰も他にはいなかった。ナディアはバーカウンターの向こうに入り、赤ワインの瓶をあけ、何をのむかとききもせずにグラス二つにワインを注いだ。朝っぱらからワインというのはあまり気が進まなかったが、つきあって飲むことにした。
「通訳者になってからどれぐらい?」
「二年ぐらい。ここに来る前は、バフィン島にいたの」
「いつも、同じ──」
「いえ。いろんなエイリアンに配属され、期間もまちまちだったわ。前についたのと同じエイリアンにつけられることも何度か。あるときは、立て続けに別々の知らないエイリアンにつけられることもあった──配置の変更や、そのパターンに何らかの理由があったのかもしれないけど、わたしにはわからない。理解するのが無理なほど、巨大な時間のスケールに基づいているのかも。それの起こり方も──普通とは違っているわ。エイリアンの一人が突然わたしの部屋に来ることもある。わたしは、かれ──もしくは彼女に着いていくのよ」
「男と女をどうやって見分けるの?」
ナディアは強く息を吐き、いらだった。「わからないわ。誰にも見分けられない」
「でも、こないだの、わたしの部屋に来たエイリアンは──きみは『彼女』と言ったよ」
「わたしの言うことは、すべてエイリアンがそう言わせているの。わたしは考えることすらない。わたし自身が話しているのではないの。話しているのですらない。ただ、訳しているだけ。それぐらいは分かってると思ってたのに」
「ごめん。続けて」
「そうね」ナディアはワインをつぎ直し、物思いしながらそれをすすった。「何の話だったっけ」
「ときどき、エイリアンがきみのところに来ると」
「そうね、時には、わたしのほうから行くこともあるけど」ナディアは首にみごとな金のネックレスをしていたが、それを外すと、上についているものを差し出して見せた。卵形で、指の爪ほども大きくなく、滑らかな曇りガラスのようなもの。「これが暖かくなって、軽く振動するの──それが起こると、わたしは歩き出す。それがわたしを導いているようなんだけど、わからない──向かっていた場所に着くと、振動を止める。ときには、エイリアンを見たとたんに止まることもあるわ。あるときは特定の場所に着いたときに止まる。そこでエイリアンの一人がくるまで待ち続ける。二分のこともあれば、一時間のこともある。ひどいときは八時間も待たされた。なぜなのか、どうしてもわからない。エイリアンにとっては意味のある理由があったのかも知れないし、単なるトラブルだったのかもしれない」
「尋ねてはみなかったの?」
「エイリアンにものを尋ねることはできないわ。わたし自身は。他の人のためにしか質問ができないのよ。わたしは通訳者だから。エイリアンはわたしに話しかけるのでなく、わたしを通じて話すの。このワインはお嫌い?」
「いいワインだよ」
「いいどころではないわ、ほんとうに上質のワインよ。ワインについてはちょっとうるさいんだから。ニュー・ウェスト・マガジンのレストラン・レビュアーをしていたこともあるし。カリフォルニアの果樹園について徹底的な調査を行ったことも。本にまとめて出すつもりだったんだけど。そんなときたまたま──」ナディアは憂鬱な表情になった。小さな卵形の物体を親指と人差し指ではさみ、鎖の上を前後に動かした。「わたし、婚約していたの。まあ、一種のね。最近では婚約なんて流行らないみたいだけど、大人の間では。わたしたち、主に両親向けに〈婚約〉という言葉を使ってた気がする。彼は指輪とかそういうものは何ももくれなかったけど、本気だったわ。わたしと結婚したいと思っていた。わたしも本気で彼を愛してた」ナディアはネックレスを放すと、グラスを手に取り、飲み干した。
何が起こったかをきくまでもない、とジェイクは思った。ナディアは通訳者になったのだ。「かれ──つまり、きみのフィアンセは──エイリアンに興味はあったの?」
「とりつかれているというほどではなかったわ。わたしも同じ。面白がってはいたけれど。彼とはいろいろ話し合ったし、本を読んだし、ビデオも買って見た──他の多くの人と同じだと思う。そう、まったく興味を持たなかったなんてことはありえない。でも少なくとも人生の中心を占めるものではなかった。入植地の近くに行くだけのために、荷物をまとめて引っ越し、生活から何から全部変えるというタイプではぜんぜんなかった」
「どうやって起こったの?」
「たまたま。外で買い物をしていたの。ショッピングモールで。メイク用品とスキンケア用品を買って、レコードショップに行こうとしたとき、見てしまったの──気違いじみていたわ。おばあちゃんを見たように思ったの。世界中の誰よりも大好きだったけど、五年前に死んでしまったはず。でも、そこ、泉のそばでわたしを見て、少し微笑んでいたの、いつもの笑い方で──わたしはおばあちゃんの名前を呼ぼうとした。口を開いて──何かがのどの中を流れ落ちるような気がした、何か濃くて、温かくて、甘いものが──撫でられているような感じがして──手に持っているものを落としてしまった。顔に日光が当たるのを感じた。同時に、それがおばあちゃんじゃないことがわかった。人間ですらないことが。でもどうでもよかった。自分が〈発声〉しているのが聞こえた──」ナディアは唇をきつく結び、長いため息を吐き出した。何も見ていなかった。「次に起こったことは覚えてない。ショッピングモールからエイリアンに着いていったに違いないことを除いては。次に気がついたとき、大使館のひとつにいて、大勢の専門家がわたしに何がやりたいかと尋ね、何くれと世話を焼いているところだった──そう、まるで、わたしが何かの発作に襲われて失神し、やっと目を覚ましたというような感じ──わたしは怯えていた。いえ、もちろんわたしは通訳者訓練所に行く気もなければ、エイリアンと働く訓練をする気もなかった。家に帰って、ほんとうの自分の生活にもどりたかったの。それをきくとみんな驚き、失望した──たぶん、普通の人の回答と違っていたんでしょうね!──でも仕方がないので、あの人たちは、わたしのフィアンセを呼びつけ、連れ帰らせた。彼は──というより、わたしたち二人ともが──わたしが病気で寝込んでしまって、やっと快方に向かいつつあるようなふりをしたの──その間にわたしが、ちょっとした土産物を持ち帰っただけだ、みたいな。わたしたちは、それについては話さないことにしたわ。話したくもなかった。できるだけ早く忘れたかった」
ナディアはワインの最後の残りをグラスに注ぎ、赤い液体を魅せられたように見つめた。「でも忘れられなかった。すべてが変わってしまった、前と同じにもどることはなかった。ついに、わたしのしたいことではなかったけど、わたしのしなければならないことだと悟ったの。わたしの存在意義だと」
「きみはエイリアンを嫌っているね」
驚いて、ナディアはジェイクの目を見た。「いいえ、嫌いではないわ。どうでもいいこと。ばかげてる。世界を憎むようなものだもの。自分を憎むのと同じ。現実を憎むのと同じ」
「多くの人がそうする」
「わたしは違うわ」ナディアは微笑んだ。「わたしは変わらなければならない。この人生を受け入れたのだから。それを最大限に利用しなければ。ここにも楽しみはあるわ」ナディアは空のボトルを見たあと、ジェイクの顔を見た。「ねえ、部屋にもどりたくない?」
ジェイクは立ち上がった。あわてて動いたので、小さなテーブルが揺れた。「一人でもどるよ」そういって、ナディアが引き止めようとするのを待たずに、立ち去った。


ジェイクが自分の部屋でナディアと別のエイリアンに会ったのは二日後だった。少なくともジェイクには別のエイリアンに思えたが、はっきりはわからなかった。ナディアにはわかるのだろうか、個体の見分けがつくのだろうかと、ジェイクは腹立たしく思った。
前と同様、かれらは部屋に入っても何も言わなかった。エイリアンにとっては時間の流れが違うのだとナディアにいわれたのをジェイクは思い出した。このことをナディアを通じてきかなければならないのは気が引けたが、人間的な質問を押し付け、無理に訳して、よりジェイクらしく見えるように、すなわち事実を嘘に変えてしまうよりも、むしろこの思いつきを利用して、エイリアンの視点に順応し、エイリアンの視点から物事を経験する努力をしてみようと決意した。
そこでジェイクは、エイリアンが何も言わないのを真似して、じっと立ったまま何も言わず、エイリアンがジェイクを見るときには、ジェイクも真似をしてエイリアンを見た。ジェイクは何らの努力も期待もしていないように見せようと努力した。ときどき、その目を、肌を、鋭く骨張った鼻梁や彫刻の仮面のような顔を見ながら。ジェイクは、自分が実際に見ているものと想像しているにすぎないものとの区別については考えないようした。部屋の空気のかすかなうなりが聞こえるほど精神を静寂に保とうと努めた。するとまるで、頭上六インチの高さから見下ろしているかのように自分の体が後退していく感じがした。すると突然、自分の体がまだ立ってるのが不思議に思え、体がぐらぐらするのを感じ、倒れる前に体を支えて、ベッドにどしんと腰を下ろさなければならなかった。
空気がかすかにちらついて、エイリアンは去った。ナディアも振り向いて行こうとしていた。
「待ってくれ! 行かないで! きいてくれ──きいてほしいんだ──」
だが、もちろん遅過ぎた。ジェイクはふたたび閉ざされたドアの内側に一人残され、欲求不満の涙が目の中で流れぬまま燃えるように熱かった。

*     *     *

その次──何日後だろうか? ジェイクは考えないように努めた。もし数えることを止められるものなら止めたかったが、もはや習慣に取り憑かれていた。他に考えることは何もなく、気晴らしになることも何もなかった。ジェイクにできるのはエイリアンを違った思考方法で考えようとすることだけだった。
次にナディアとエイリアンが入ってきたとき、ジェイクは再び饐えた草葉と柑橘の香りを嗅いだ。そして心臓の鼓動が早まった。最初のエイリアンが還ってきたのだと確信した。この帰還も、ジェイクがそれを認識した事実も、いずれも重要に思えた。軽いめまいがして、興奮で酔ったような気分だった。
「あなたを知りたいんだ」ジェイクは言った。「あなたに触りたい──どうか、ぼくを触ってほしい。あなたを知りたいんだ。どんな方法でもいい。あなたのいうことなら何でもするから。チャンスをください」
ナディアは、冷たく美しく、不気味な音を立て、そしていった。「かれは言っている、好きなようにしなさいと」
「かれだって! こないだも思ったんだよ──どうしてきみは、前に『彼女』といったものに対して、『かれ』なんていうんだ? どういう意味なんだ? ナディア」
だが、ナディアはそこにいないようだ。ジェイクの言葉が聞こえないように静かに前方を見つめていた。これは八百長に違いない、とジェイクは思った。ナディアは演技している。一生懸命、ジェイクを無視しようとしている。きっとジェイクに激怒しているのだ。「かれに質問をしてもよいか?」
そして、我慢できなくなった。「わかった、じゃ、かれにきいてくれ。質問をしてよいのかどうかと。くそったれが!」
「質問をしてもかまいません」
「話しているのはきみか? きみがかれに話すのは聞こえなかったぞ」
「望むとおりのことをしてください」
ジェイクは、望むことをしてよいらしい。そしてここで、自分の希望を浪費しているというわけだ。おとぎ話に出てくる馬鹿者のごとく。「あなたは──ぼくと前に会ったことがありますか? 前にぼくに会いにきたのと、あなたは同じ方ですか?」
今度は、ナディアが〈発声〉した。それから答えた。「かれは言っています、これが最初の訪問だと。前に訪れた自分に似たものは、自分ではないと」
ジェイクはじっと見て、現実と記憶を照合しようと努めた。今や、似ているかどうかでなく、どこがどう違うかを見定めようとした。だが何も見つからなかった。鏡のようにちらちらしている。暗闇からの閃光。エイリアンのものかもしれない、ナディアのものかもしれない、ただの記憶か空想かもしれない、二つの目。でも暗闇の中に確かにそれはある。何か固体のもの、現実のものが。それに手を伸ばすことができさえすれば。
「触ってもいいですか」ナディアがそれを通訳する間、ジェイクは目を閉じた。そんな言葉が自分の中から、この自制心の中から出てくるなんて、いったい俺はどんな気持ちなんだろうと思った。
「手を出してください」ナディアがいった。
炎に手を出すような気分だな、とジェイクは思った。目を開き、手をエイリアンに向かって伸ばした。指の下に何か滑らかで、無毛で温かいものを感じた。優しく、息を興奮に抑えながら、それを撫でた。恐らく人間の皮膚でも同じような感触だろう。確信が持てなかった。
「あなたもぼくに触りたいですか?」ジェイクはきいた。「今、ぼくに触りたいですか? 服を脱ぎましょうか?」
ナディアは何も言わなかった。ジェイクは同じ質問を繰り返そうとして、その必要はないことを悟った。ジェイクはすでに許可を得たのだ。
今やジェイクは、エイリアンの前で裸だった。ジェイクはナディアを、ナディアとの間に横たわる溝を見た。ナディアの体は、いつもナディアが着ている形のないグレイのローブに隠れて見えない。それは制服ではなかった。他の通訳者は違う服装をしている。ナディアは何らかの理由で、尼僧のように見えることを望んだのだ。
「通訳者にも服を脱いでほしい」ジェイクはいった。
ナディアのグレイの瞳がジェイクの目と合った。さきほどは注意深く目をそらしたのに、不可解だ。ナディアは手を伸ばし、肩のラインにあるボタンを外し始めた。
「待ってくれ──かれにわたしの言ったことを伝えないのかい?」
ナディアは答えもせず、首を縦にも横にも振らなかった。できないのか? 答えが明らかだと思っているのか? きっとエイリアンがナディアに望みを伝えたのだろう。ジェイクの言ったことをナディアがしなければならない規則なのかもしれない──あるいはジェイクとエイリアンの両方の言ったことを。あるいはただナディア自身が服を脱ぎたいだけなのかも。前にバーでナディアを置き去りにしたときのナディアの目つきを、ジェイクは覚えていた。
ナディアはいい体をしていた。ウエストはやや太いが、魅力的な曲線だ。これ以上ないほどに勃起しているつもりだったが、ナディアのおっぱいや、生白い裸のヒップラインを見るや、ジェイクのギアは最高潮に達した。ジェイクのエイリアンへの切望は、固く、熱く、直接的な性的欲望によって、何かもっと複雑で説明し難いものに変貌していた。そのはやる気持ちに任せて、欲望のままにナディアを抱きしめ、犯した、ナディアとエイリアンが何か同じものででもあるかのように、一線を越えた。ジェイクはその両方ともを、何か違ったやり方で欲していたのだろうか? どうしてその両方を同時に手に入れることができたのか? だがジェイクの欲望は分離不可能に思えた。エイリアンがナディアの頭の中で、あるいはナディアを通して話すとき、おそらくナディアは、少なくともある意味で、人間の形をしたエイリアンであるのだ。ナディアの人間の肉体を通じてすら、ジェイクはエイリアンを知ることはできないのか?
ナディアの顔は、遠く耳を傾けるような表情を浮かべ、次にナディアが口を開いたときナディアはそれを通訳していた。「交尾してもよろしい」
予期したにもかかわらず、そのショックはジェイクを直撃した。ジェイクは軽視し、嘲笑しようとした。「交尾っていったのか? ぼくは生まれてこのかた、交尾なんてしたことがない。九ヶ月後に子孫でも生むつもりなのか、かれは?」ジェイクは答えを望みもしないし、じっさい答えはなかった。
ジェイクはナディアを見た。ナディアは次の指示に耳を澄ましているかのようにじっと待っていた。「かれはここにいるつもりなのか?」ジェイクはきいた。「きいてくれ、かれはここにいるのか──ここで見ているつもりなのかと」
ナディアはジェイクを見た。今やナディアはここに、ジェイクとともにいた。もはやエイリアンに耳を傾けてはいない──もしほんとうにそうしていたのなら、ただの芝居でないのだったなら、とジェイクは思った。「エイリアンはいつだって見ているわ」ナディアは言った。「そうしてほしいのならね。そしてもちろん、それがあなたの望み。そうでなければ何も大事なことなんてないわ。あなたが欲しいのはエイリアンであって、わたしではない。あなたはわたしに何の興味もないんでしょう? あなたは自分をごまかしているわ」
「たのむ、感情的にならないでくれ。でもぼくは、そんなつもりでここにきたんじゃないんだ。ぼくには恋人がいる。ほかの相手を探しにきたわけではないんだよ。なにかほかのものを探してきたんだ」
「わたしもそうよ。あなたが思うほど、わたしたちは違わないわ。わたしたちは同じものを求めている。なにか不可能なものを。だから、どうして──」両手でどうしようもないというように、小さなジェスチャーをして、「お互いを慰めあわないの? わたしたちは欲しいもの自体を手に入れることはできないかもしれない。でも──」
ナディアには非常に魅力的な、何かがあった。ジェイクは、ナディアに性的に惹かれていたから、寛大に振る舞いたい、ナディアの求めているものを与えてやりたいと思った。たとえ後になったら否定するであろう「言葉」だけであっても。だがジェイクは、ナディアがこういうのを聞いた。「かれらはいつもそうするわ」ジェイクは何か優しい言葉をかける代わりに、冷たく言った。「しょっちゅうこんなことをやってるんだな。いったい何人の男と?」
「そんなことどうでもいい。そうよ、たくさんよ! いつもこんなふうになるのよ。わたしとのセックスは二の次で、わたしを通じて、エイリアンの一人とコンタクトするための最後の手段。でもうまくいかないわよ、ジェイク、あなたに言いたいのはこのこと。うまくいかないわ。これまでも、これからも。あなたは利口だから、わたしが嘘をついていないことがわかるはず。ほかの多くの連中のようになる必要はないわ。あなたとわたしなら、違うふうにやれるはず。あなたを見た瞬間、そう思ったの。かれに行くように言って、そしてわたしは、あなたと一緒にいるわ」
ジェイクは、まるで太陽を見ているように、エイリアンを直視することができなかった。目を焼いてしまいそうだ。「かれに去ってほしくない。それはぼくの最も望まないことだ。そのネックレスを首にかけている限り、きみは大丈夫だよ。エイリアンがきみを呼び戻し、きみを見つけてくれる──エイリアンはきみを役に立つと思っているんだ。だが、ぼくはそうじゃない。エイリアンがぼくに求めているものは全く見当たらない。ぼくはただ、エイリアンと接触する方法が何かないものかとひたすら願っているだけなんだ。悪いが、きみに興味はないんだ。ぼくにとってはエイリアンがすべてなんだよ」
ジェイクは、ナディアの目から希望の火が消えるのを見た。「わかった、いいわ。でもあなたに言いたいことがあるの、あなたはわたしを通してエイリアンにたどり着くことはできないわ。わたしとセックスをしても同じ。エイリアンについてもっと知ることもできないし、近づくこともできない。それに、あなたがわたしと交尾しようが、わたしに服を着ろといおうが、かれにとってもどうでもいいこと。だから、もっと何かかれに質問した方がいいんじゃない?」
「きみはぼくに指図するためにここにいるわけじゃないだろう」ジェイクはいった。「きみは通訳者なんだから」もしナディアに冷たく振る舞えば、ナディアはジェイクといたいとは思わないだろう、という考えが浮かんだ。ナディアの精神は、エイリアンと接触できる場所へもどって行くだろう、それから、何とかナディアを通じて──「ベッドがいいかい、それとも床の上?」
ナディアは不承不承、ベッドに向かった。ジェイクはナディアを仰向けに押し倒し、股間をまさぐって、笑った。ナディアもジェイクと同じぐらいその気になっていたからだ。ジェイクは荒々しくナディアの中に入った。
ナディアは息を詰めて、両手をジェイクの体に回し、両脚を高く揚げた。「ああ、ジェイク」
「やめろ! おれに話しかけるな、『かれ』に話すんだ。かれにこうきくんだ──かれの仲間はどうやってセックスするんだとな。『なぜ』それをするのかのきいてくれ。きくんだ、かれに、ただ繁殖するだけのためなのか、それともそれに何かファンタジーを求めるのか、もっといいもので、人生における偉大な経験の一つででもあるかのように考えているのかと──きくんだ、かれにきくんだ!」ジェイクは喘ぎ、頭がぐるぐる回るような気分だったが、その言葉がジェイクにある種の自制をもたらした。
「できないわ」
「嘘をつけ」
「できない」ナディアの目の隅に涙がたまっていた。
「なぜだ? 信じられない。それがエイリアンの望みなんだろう? 続けるんだ、きくんだ! かれに話すんだよ、このくそ女、それがおまえの存在意義だろうが!」
「できない」ナディアはもう一度、しかし弱々しくささやいた。そして目を閉じた。ナディアが屈したことをジェイクは知った。ナディアが〈発声〉を始める前から、その変化に気づいた。そしてナディアの〈発声〉が次第に荒々しくわけのわからないものになるにつれ、ジェイクは激しく、絶望的にナディアの中に入り、もはや肉体の欲求を抑えられない限界まで達した。
終わったあと、ジェイクは自己嫌悪に陥った。ともかく、失敗したことがわかった、そして最も恐るべき恐怖を感じた。
「かれは何と言ったんだ? 答えは何だったんだ?」ジェイクはナディアに尋ねた。ナディアは〈音〉を発した。一瞬、ジェイクには理解できなかった。そして理解した。立ち上がって見回した。エイリアンは去っていた。ふたりは部屋に取り残され、ジェイクの下で女が泣いていた。ジェイクの悲しみを音にしていた。