SF百科図鑑 Connie Willis "The Last of the Winnebagos"


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2001年

2/11

そして、ウィリス「ウィネバゴ族の最後」再読に入る。作中では「ウィネバゴ」とはRV車の名で、動物のペット化/保護過剰のため動物殺しは重罪となり、他方、RV車が法的に禁止される。ウィネバゴは他方、インディアンの部族名でもあることから、古典「モヒカン族の最後」とひっかけた題名になっている。一回目では内容が今一つ分からなかったので、今回は多少丁寧に読みたい。

アシモフ「ゴールド」購入。

「パラサイトイヴ2」少し進めるが、中盤のボスキャラが強すぎて倒せない。一回休んで明日やろう。

きさらぎ賞、ダンツフレーム惜しかった。瞬発力の差でアグネスゴールドに負けたが、よく食い下がっていた。他方シャワーパーティーは、休み明けとはいえ止り過ぎ。ビッグゴールドやタイムトゥチェンジにまで差されるようでは、早熟だったのかという気もする。
残るは、関東組のトレジャーと、今日勝ち上がったマンハッタンカフェ、中京デビュー組のナリタスターホープあたり。今年は3歳クラシックが例年になく面白い。

2/12
ウィリス「ウィネバゴ族の最後」は面白い。
動物愛護運動が極端に進行し、RV車の運行が米国内のほとんどの州で禁じられている。動物を殺すことは重罪で、死体を見た者が通報しないのも厳罰に処せられる。動物を狭い檻に入れる動物園は廃止され、サファリパークのような大きな放し飼いの動物園が1つあるだけ。主人公は新聞社のカメラマン兼記者で、女上司ラミレスから、アンブラ-夫妻のウィネバゴ車と、閉園する動物園と、政府の記者会見の取材を命じられて、日本語の「独り」という名の一人用自動車で多車線道路を走っている。その途中でジャッカルの轢死体をみた主人公は通報をし、以前、恋人とおぼしきケイティという女性が犬(「彼」という代名詞で呼ばれている)を轢いたときのことを思い出す。その後主人公はアンブラ-夫妻のウィネバゴ車を取材する。動物園の前に停まっており、夫妻はウィネバゴの手入れをしており、インディアンが書いたような書体で「これがウィネバゴの最後」とかいた看板が掲げてある。夫妻は1992年にウィネバゴを購入し、以来20年間ほど所有しているという(しかし、このウィネバゴも実は別の車をペンキで塗って似せたまがいものらしいことが近くで見ると分かる)。夫と話している途中、日本人の家族連れがフォルクスワーゲンでやってきたので、主人公は公園に入って動物のいない檻を見て回る。家族連れは夫婦とフェレットを連れた子供たちであったが、10分やそこらRV車を見ると金も払わず行ってしまう。主人公はロングショットのニコン製カメラで外観を何枚か撮影したあと車に戻し、今度は(自称)ウィネバゴの中に入って夫人を取材する。ラミレスが買った、机の上に置けば自動的に100枚カートリッジで撮影をするアイゼンシュタットという最新式カメラ(はじめは記者会見の「殺到する記者」を後ろから撮るつもりであった)を使うことにし、車内のテーブル(収納式の椅子を出すと6人座れる)の上に置く(主人公は、こんなものがあるんなら誰でも使えるから、カメラマンに持たせる必要すらなく、郵送して誰かにセットしてもらえばいいんじゃないの、と思っている)。と同時にビデオカメラも使用する。夫人はコーヒーを入れながら、車とペットの思い出を語り出す。はじめはこの車を買うのに反対だったが、今はこの車から離れられないこと。流しにおいてある写真のタコという名のチワワの思い出。その犬は信号の赤が青に変わると吠えて知らせてくれたという。主人公は動物の顔が、人間のように「顔面筋肉」を持たず笑ったりといった表情を持たないにも関わらず、写真で見るといろんな表情の混じりあった印象が抜け出してくるかのように見えることについて考える。また「タコ」という名も写真で伝えられないいろんなことを語っているように思える。そして自分の飼っていた「アバーファン」という名の犬(オーストラリア・シェパード)のことを思い出す。ペット登録しようとして、係員が「エイブラム」と入力してしまい、年齢データが出てこないと一悶着あったこと。取材中、ラミレスから連絡があり、記者会見は午後1時に延期になったので午前中はウィネバゴの取材をしてよいことになる。そして、夫人が夫に「コーヒーがさめるよ」と声をかける、という場面まで読んだ。
作者の弁によれば、これは「災難、破局」を伴わない静かな破滅の物語なのだそうだ。作者はほとんどの破滅小説が災厄と冒険を描くことに終始する(わずかな例外は、シュート「渚にて」とバラードの「沈んだ世界」だという)のに対し、この作品は、気づかないうちに世界が変わって行く様を描こうとしたという。カミュの引用、「最後の審判を待つ必要はない。それは毎日起こっている」。そのとおり、バトラー「ことばのひびき」などと同じように、破滅と荒廃を女性らしい静かで繊細なパーソナルな視点から描写し、リアリティを高めている。テーマの選び方もよく、アプローチの仕方も単純でない両義性を持っており、極端なSF的設定の持つ虚構性(ばかばかしさ)を緩和し、深く考えさせる内容になっていると思う。何より、人間にリアリティがあるのがいい。

さて、読み方だが、まず一回通読し、次に単語を整理し、車の名前などの関連知識をインターネット検索で調べるとしよう。「永久凍土」なども同様のアプローチで臨みたい。

THE BLUE HERBの「ONLY FOR THE MINDSTRONG」★★★★★! HMVでシングル曲(「時代は変わる」)がかかってるのを聴いて、即買い。日本のヒップホップも捨てたものではなかった。格好だけ「ハードコア」で中身のない(要はおつむが足りないんだろう)連中の多い中で、珍しく中身のある連中が現れた。とにかく、詩といい曲といいセンスが段違いだ。早くも今年のベストワンの有力候補。アメリカの猿真似でない、真の日本的ハードコアの誕生だ。ちなみに、このアルバムと一緒に試聴したDJクラッシュの新作、この作品と比べると随分貧相に聴こえました。相手が悪かったか。
ところでこのアルバム、BLUE HERBの単独作品というわけではなく、他のアーチストのインスト作品と一緒にコンパイルされた作品のようだ。しかしコンパイルされた他の作品群も傑作揃いで、センスの良さが窺える。これは、BLUE HERB単独名義の作品を全部揃えるのはもちろんのこと、このレーベルの作品には今後も注意を配っていかねばなるまい。とんでもない大物が現れたという印象である。

さて、「ウィネバゴ」、協会員が語り手宅にジャッカルひき逃げの捜査に来るあたりから話が動き出した。このあたりは読んだ覚えが全くない。だが、覚えていない方が逆に楽しめる。全然予想もつかない展開になるかも。

2/13
ウィリス「ウィネバゴの最後」★★★★★
同「リアルト・ホテルで」★★★★★
一回目読んだときどこを読んでいたのか。字面を追うだけで中身を理解していなかったに違いない。いずれも表面的なストーリーに流されて、頸動脈を狙われているのに全く気づいていなかった。
「ウィネバゴ」は中盤から「ジャッカル殺し」の犯人探しと、無実の罪で追われる語り手の逃避行の話でサスペンスが盛り上がり、と同時に、ケイティが主人公の飼い犬を轢いた事件の真相が次第に明らかになる。SFアイデアとしては、「オゾン層破壊でペットに起こる奇病」「犬猫が死滅したためその他の野生動物の保護運動が高まり動物殺しが重罪となる」「道路が一本の多車線道路にまとめられ、RV車の運行が制限される」「自動撮影の書類鞄型カメラが開発されカメラマンが失業する(?)」「個人情報データベースと権力を振るう<協会>」などであるが、ウィリスの書き方が複雑で巧妙なため、この一見極端な設定が全く気にならず、気がつけば語り手と一緒に死に絶えた犬への哀惜の念に浸り切っている。
ジャッカルひき逃げ犯は記憶通り、ウィネバゴ所有者夫妻で、語り手がウィネバゴ撮影時に撮ったウィネバゴ全景写真に血のりが写っていたため発覚する。通ってはならないタンカーレーンをウィネバゴで通行していたため、監視カメラに写らないようスピードを出し過ぎていてジャッカルを撥ねてしまった、と言うのが語り手の推理。この発覚までのストーリー運びの巧さはさすがで、下手なミステリより遥かによくできており、SFミステリと捉えてもかなりの上位にランクされる作品といえる。
しかしこの作品の読みどころは、何と言っても「死に行く動物たちへの哀歌」という側面。ジャッカル殺しの犯人探しと並行して、回想シーンを挟みながら徐々に明らかになる「アバーファン」の死の真相、語り手の「ケイティ」に対する複雑な感情の動きが、アンブラ-夫妻との会話と絡みながら繊細に描き出されて行く様はうまいとしかいいようがない。しかも、何が善で何が悪と割り切るのではなく、語り手の諸々の複雑でアンビヴァレントな感情が自然でリアルに描出されている分、読む側が余計に積極的な思索を誘発されずにいられない。もし中学生ぐらいの頃読んでいたら、語り手が「アバーファン」の雪の中で駆け回る写真を撮りたくて外に出したら、隣人の車に轢かれた、という真相が暴露されるところでは泣いてたとしてもおかしくはないほどに、うまく書けていると思う。
SFミステリとしても、動物小説/SF(文春文庫「幻想の犬たち」のトリを飾ってもおかしくはない作品である)としても、破滅SFとしても一級品であり、ヒューゴー/ネビュラ賞独占は当然の名作と言えるが、それ以前に、一つの「小説」として素晴らしい。安易にジャンル分けすることをためらわせるに足る輝きが、この作品にはある。ペットを亡くして泣いたことのある人であれば、誰しもこの作品の真価が理解できると思う。
「リアルト」は、「ウィネバゴ」以上に、1回目読んだときは全く理解していなかった。なぜわからなかったかというと、当時は「量子力学」も「シュレディンガーの猫」も全く知らず、それゆえこの作品が量子力学のパスティーシュであるということが全く分かっていなかったからだ。表面だけを見ると、この作品は、単なるハリウッドを舞台に行われる科学者の研究会のドタバタコメディに過ぎないが、その表面的なドタバタ喜劇だけでも十分に楽しめるとしても、後半で、ハリウッドのデタラメさ自体が量子力学理論の具体的なモデルになっていることを語り手が徐々に理解するくだりになって、ウィリスの筆は抜群の切れ味を発揮する。ゲダンケン教授なる量子力学の権威者が、「量子力学者たるものこうでなくちゃいかん」といわんばかりに、ハリウッドの映画館で前の椅子に足をのっけて、ポップコーンを頬張りながら映画を見るシーンなど爆笑ものである。舞台設定には全くSF的な要素はないにもかかわらず、ある意味、この作品ほど「科学」小説/「思弁」小説と呼ぶにふさわしいものもないだろう。
また、後に「リメイク」で全面開花するウィリスのハリウッド好き、映画おたくぶりが発揮された作品という点でも注目に値する。具体的な役者や映画の名前がもういいというぐらいに次々と出てくるもんね。どうせなら「リメイク」の後ろにくっつけて、一緒に詳細な注釈を施したらもっと楽しめるんじゃないの?

というわけで、ウィリスのメロウ路線とコメディ路線の各代表的名作が頭とトリを飾るこの短編集(「不可能なるもの」)、おまけに、あの強烈な生理SF「女王様でも」までが入っており、この3編だけでも「名著」であることが保証されている。他にも受賞作ではないものの、結構評判のいい作品が入っており、小説としての練度の平均値も第一短編集より格段に増していると思う。日本での受けが今一よくないウィリスだが、その良さは長篇(ジェローム「ボートの3人男」のパスティーシュのダンワーシイもの新作も未だに訳されないし)よりもむしろ短編で味わう方が分かりやすいのではと思うので、この短編集が日本語で読めるようになれば、少しは人気も上がるのではないだろうか。

さて、80年代受賞短編もだいぶ読み、後は以下のみとなった。
ディクスン「マントと杖」(巡礼者の道)レ
ウィリス「見張り」
エリスン「失われた時の勇士」レ
ポール「フェルミと冬」レ
カード「目には目を」
シルヴァーバーグ「兵士が入って、また一人入って」
チャーナス「オッパイ」レ
このうち、未入手作品はシルヴァーバーグとチャーナス。チャーナスは「世界の果てまで歩こう」「ユニコーンつづれ織り」も必読。ネビュラ賞まで入れると、ブライアント、ドゾア、タトル、ウィルヘルム、ロビンスンな必読作家多数。収録書を調査/購入せねば。

アマゾンジャパンで未入手受賞作収録書2冊注文。
チャーナス「オッパイ」