SF百科図鑑

本格ミステリにはまったときの日記

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1999年

1/28
ここ3週間、本格ミステリにずっぽり浸かっていた。世の中にこんな面白い小説群がまだあったなんて、全くうかつであった。
皮切りになったのは何気なく買って読み始めた島田「眩まい」(字を探すのがめんどくさいので平仮名で失礼)。おっと、その前に綾辻の「緋色の囁き」も読んでいたがこれは小手調べ程度で、真にハマったのは島田のやつからだ。
引き続いて島田「占星術」「異邦の騎士」「アトポス」「水晶のピラミッド」と一気読みの傍ら、古典の「ドグラマグラ」、綾辻館もの、我孫子「殺りくにいたる病」(字を探すのがめんどくさいので平仮名で失礼)などを併読。島田は「奇想、天を動かす」「殺人ダイヤル」等の別系統も読み散らす。全部死ぬほど面白い。なんで今まで気付かなかったんだ、と自分を責める。これらの作品群にもっと早く出会っていたら多分おれの人生は変わっていただろう。社会派以後のミステリは中間小説化して面白くない、と思い込んでいたのと、新本格の存在自体は認知していたもののろくに読みもせず「若い奴が書いてるからどうせ陳腐な焼き直しで文章もひどいんだろう」ぐらいにしかみていなかった。愚かだった。
今のところいろんな意味でいちばんフィーリングが合うのは島田だが、未読の作家も多数おり、今からどんな出会いがあるのかわくわくして仕方がない。中学のころSFにハマったのに近いものがある。
今後読む予定の作家が笠井潔に京極夏彦、山口雅也、麻耶雄嵩(埴谷雄高のもじり? 中身も人を食っているらしい)、折原一、竹本健治等々。レビュウを読むとどれもむちゃくちゃ面白そうで目移りがする。もちろん綾辻、歌野、我孫子、有栖川といった新本格第一世代の代表作もきっちり押さえる。この中で個人的にいちばん読みたいのが麻耶雄嵩。「このミス」座談会で「金返せといいたくなった」「わけがわからなかった」とけなされており、この座談会でけなされるものは大体傑作が多い(この参加者は多読指向の者が多いために、大部な作品や従来の手法を逸脱した作品は-------自分がその作品にのめり込める余裕度をその作品の密度が上回っているために--------大抵けなされている)ので、早く読みたくてしようがない。
で、目下笠井「バイバイ、エンジェル」をメインに、島田「火刑都市」「御手洗潔のダンス」を併読、次に京極「ウブメの夏」折原「沈黙の教室」が控えている。笠井は矢吹駆もの第一作で、最初はとっつきにくかったが、カケルが登場するや、畏友(略)を彷彿とさせるそのキャラに魅了され、この本をより楽しむために現象学の本でも読んで予習しようかしらんぐらいの気になっている。
(略)ミステリ三昧の日々になりそうな予感がする。FF8も出るが、それどころではないな。

(略)

1/31
(略)

さて、昨日、今日と更にミステリを購入。中毒寸前である。しかし、島田作品以外はどういうわけかほとんど積読である。わずかに京極は読みやすいが、それ以外は------文章が硬かったり、中身がかったるかったりして------読みにくい。
いちおう、ここ10年の代表作にはひととおり目を通そうと思うものの、島田ほどのぐいぐい引き込まれてやめられなくなるパワーを持っている作家は他に誰もいない------ということはわかった。綾辻ですら、300ページ程度の長編を読むのに、島田なら900ページの本を読み終われるぐらいの時間をかけてやっと読み終えたという感じだった。やはり、作家とのフィーリングが合うかどうかが、読みやすさ等に影響するようである。
今日は、臥龍亭事件を購入し、着手。いきなり面白く、やめられなくなる。しばらく、京極と並行して読むつもりだ。

(略)見ようと思っていた「リング2」、結局まだ見に行っていない。近いうちに見に行こうと思う。鈴木、「バースデイ」という短編集に3部作の解決編を書いているようだが、とにかく「ループ」がひどかったからな。こちらは読む必要もあるまい。

2/1
本日のお題「競馬、裏ビデオ、本格ミステリ」
(略)

帰りに、梅原克文「ソリトンの悪魔」上下と島田「本格ミステリー宣言」、「若妻生肉悶え」12巻を購入する。(略)
帰ってから、「本格ミステリー」を斜め読みしていたら、あまりの面白さに半分ぐらい一気に読んでしまう。
島田のいう本格ミステリーは、私がSFに求めてきたものと重なる。冒頭の謎と、その論理的な解明! SFもミステリーもポオが始祖であるから、島田がポオを本格ミステリーに取り込もうとして定義づけに関する提唱を行えば、それがSFにも通ずるのは至極当然である。いわゆる「認識の変革」テーマといわれるSF(宇宙の孤児、ノンストップ、都市と星、逆転世界等々......)はすべて、島田のいう本格ミステリーにあたることになる。そして、これらの作品こそまさに、私がSFに求めるものの全てなのである(私が読んだ全てのSF作品中で、「これぞSF!」として私の記憶に残っている作品は、そういえば全てこのタイプの作品なのである)。
私がSFに求めるのと同じものを島田がミステリーにおいて目指していたのだから、私が島田作品に何の違和感もなく魅かれていったのは当然だったのだ!
そして、呆れたことに、島田は本格ミステリーの本質的要素として、「センスオブワンダー」を挙げているが、これはまさにSFの魅力を評して50年代以後使われていた言葉ではないか。
このように考えると、SFとミステリーは何の共通点もないように見えながら、実は極めて相似した発展経過をたどっていることに気付くのだ。その発祥についてはもちろん、謎と論理の結び付き(SFの場合には、謎の時間的または空間的な現代社会との離隔が大きいという点と、論理が多く疑似科学的説明によるという点と、冒頭の謎を後半で疑似科学的に説明するという形式ではなく、謎そのものが疑似科学的説明を伴って最初から提示され、それを前提とした上での仮想空間における物語を楽しむという形式をとることが多い点に特徴があるが)という本質部分も共通する上、文学コンプレックスに侵されて本来的なセンスオブワンダーが失われ、中間小説化するとともに、浸透?拡散?解体というジャンルの危機を迎えた点もそっくりである。
ただ、唯一違うのは、SFには島田にあたる人物がいなかった、ということであろう。確かに、ミステリーに島田がいなければ、綾辻も以後の本格派作家も今ほどの隆盛があったかは疑わしく、ミステリーもまたSFと同じように衰退していたかも知れない。パルプ小説時代の娯楽SFの復活を提唱する梅原も、島田ほどの的確な理論による提唱ではない分力はないし、そもそも梅原にはもはやSFに対する愛はない。つくづく、今のSFは末期症状であると思う。
ところで、島田のいう「冒頭の謎」は何であってもよいというのであれば、例えば(略)こんな馬鹿馬鹿しい「謎」ですら、書きようによっては十分「本格ミステリー」的な謎に仕立て上げられるだろう。すなわち、本格ミステリーのネタは至る所に転がっているのである。私もこんなことしちゃいられない。(略)早く作家稼業にいそしめるような身分にならなければ(笑)。
考えてみれば、競馬だって「本格ミステリ」である。必ず勝つ馬が1頭はいるのだが、発走前はどの馬だか分からない。それを、与えられた手がかりを十分に使って推理するのだ。私が競馬に魅かれるのは、それが「本格ミステリ」だからであり、パチンコに興味がないのは、ミステリ的要素が希薄だからなのだ。
(略)そう、つまり私の好きなものは全て「本格ミステリ」なのだ。「本格ミステリ」がこれだけ普遍的なものだというなら、これはもう文学以上に高級なものだというほかない。私はやはり、「本格ミステリ」に淫するべくして生まれてきた人間なのだ。ここはおとなしく呑まれることにしよう。

2/3
(略)午前中、「斜め屋敷の犯罪」読み終える。かっちりまとまった佳作だった。
(略)夕方、「十角館の殺人」「不夜城」「連鎖」「天に昇った男」をブックオフで、「秋吉事件」を青山堂で購入。秋吉はついに文庫化(どういうわけか徳間文庫)だ。1000ページを超える大作だが、半分近く裁判記録であるため、創作部分は正味500ページ程度だ。新本格派の支柱がゴリゴリの社会派に? といわれる作品だが、社会派的作品は最初のころからあった(例えば「殺人ダイヤル......」は森村誠一調だし、今読んでいる「火刑都市」はもろ清張入ってる)。だからいつなんどき佐木隆三に走ってもおかしくなかったのだ(笑)。いや、佐木どころではない、この凝りようは。ほとんど島田事件(違ったかな)の野間宏(だったっけ?)入ってる(世界に連載されてたやつ)。佐木の場合は思想がなく、ただ単に事件記録から犯罪者の心理を小説化するだけだったが、この島田は死刑批判、えん罪批判を前面に押し出し、弁護人側が描くストーリーに従って秋吉の半生を小説化するとともに、裁判記録をそのまま収録した上で十分審理され尽くしていない事実上の争点を挙げて怒り狂っている(笑)。仮に共同正犯が認められても、2人のどちらかが4人を殺したのは間違いないから、下手をすると2人とも死刑に終わるだけの可能性もあるが、自分が主犯でなかったという立証がされれば死刑を免れる可能性もあったかも知れない。ただ、量刑に影響を与えるかどうかはともかくとして、事実認定が実際と違う可能性はあるので、その辺は記録を読みながら検討してみたいと思う。
2/4
「リング2」「死国」見る。
リング2★★、死国★★★。
死国はまあまあだったが(一応、原作を読みたいという気にはさせる)、リング2はかなりひどかった。娯楽作品としての恐怖の演出面はともかく、ストーリーはひどい。スキャナーズのパクりのような部分もあるし、後半死者の国への井戸に落ちるくだりは「死国」とそっくり。
原作のポテンシャルがあるので最低点はつけなかったが......。これよりはTVの連ドラの方が断然よい。

2/5
(略)夜、「火刑都市」やっと読み終える。★★。全然面白くなかった。最後まで社会派推理の王道でいつもの奇想は微塵もなく、犯人も予想通りでトリックも馬鹿馬鹿しく、ストーリー進行も平板。駄作とまで言い切るのは躊躇するが、少なくともエンターテインメントとして3級品であることは間違いない。松本清張の出来の悪い作品といったところ。

(略)

2/10-11
(略)
島田「龍臥亭事件」上下★★★★1/2
一気に読み終える。200ページ超えるころまで難航したが、その後はジェットコースターで、あっという間に結末を迎えた。暗闇坂以後の御手洗もの大作(もっともこれは石岡主演の番外編だが)では「眩暈」に並ぶ出来だ。特に都井睦夫に関する書き込みぶりは「秋吉事件」で開花したファクトノヴェルの書き手としての才能を遺憾なく発揮しており、圧巻。石岡主演は「異邦の騎士」以来であるが、20年を経ても相も変わらぬ純情ぶりがとても素敵(笑)。そして何といっても、里美ちゃんが可愛い。レオナなんかより100倍いいぜ! 是非ぜひ、次作では主役級で登場してほしいものである。
この作品の難点を挙げるとすれば、都井の書き込みに比べると、肝心の「龍臥亭事件」のほうの犯人たちの動機の描写が薄すぎる点だろうが(このへんが、「本格ミステリ」に「社会派」の要素を無理に結び付けようとして、ちぐはぐな印象を与えるなどと批判されるところなのだろう)、恐らくそれは技術的な問題というよりも、作者自身が後書きで述べているとおり、筆が進むにつれて主要な関心が「歪んだ都井睦夫像を改める」ことに移っていったためであろう。しかし、ノンフィクション部分と本格ミステリ部分を切り離せば、この結末の収め方自体は十分「本格ミステリ」の水準をクリアしているのであって、そこに濃密な「実録/都井睦夫」が挿入されたがために、反射的に結末の犯行動機の描写が物足りないとの印象を与えてしまうに過ぎない。それに、作者としては、「龍臥亭事件」の犯人たちの動機にも、都井に匹敵するほどの濃密な描写をしようと思えばできたのであろうが、そもそも作者の「本格ミステリ」像とは必ずしもそのような描写を必須とするものではないのであり、作者の中で「コード多様の館ミステリ」と「実録/都井」は本書の執筆動機として明確に分化していたのであるから、「館ミステリ」部分に関して不必要な人間描写は意図的に避けたと考えることもできる(本格ミステリにおいて不用意に人間を描くことは、トリックの面白さというミステリのセンスオブワンダーを殺ぐことにもなりかねない)。
というわけで祭日は結局読書に明け暮れ、「暗闇坂」に再挑戦(といいつつ「網走発」「御手洗ダンス」に浮気しながらだが)、今250ページ目であるがどうも展開がかったるいのでこちらはもうしばらくかかりそうである。

(略)

2/14
暗闇坂読み終わる。
共同通信11万馬券。
「翼ある闇」読み始める。

2/15
(略)
「翼ある闇」の無闇に技巧的な癖のある文体が今の気分にマッチしないため、折原一「沈黙の教室」に替える。クラス内の粛正。酒酔い運転の女の車に接触して記憶喪失になった、殺人計画の手帳を持った男。これこそ、今の私にぴったりである。
あまりに今の気分に合い過ぎるため、100ページ近く読んでしまう。
(略)

2/16
(略)読書。折原「盗作のロンド」読む。むちゃくちゃ面白く一気に読み終えた。おれもこういう小説、書いてみたいなあ。それも、裁判所の事件記録とかを使った叙述トリック(笑)。それと、昆虫や無生物(岩とか)の意識を描いたストーリーと絡み合わせたメタフィクションとか(笑)。犯人は裏庭のキリギリスだった、とか(笑)。それで内容は社会派なの、環境問題とか取り込んで。文体はめちゃめちゃリアリズム系で。とにかくだれも書いたことないようなやつ書きたいわ。そのうち書くぞ。
(略)


2/19
(略)こんなとき無理をしても仕方がないのでバファリンを飲み、「沈黙の教室」を読み始める。
これが無闇に面白く、結局半日で残る500ページ近くを一気に読み終えてしまう。うーん、名作だった。
(略)

3/2
(略)「翼ある闇」読み、今、「夏と冬のソナタ」を読んでいる。人物造形力に格段の進歩がみえる。1作目では生硬に見えた文体も、落ち着いた重厚な筆致に成熟しつつある。
笠井の「機械じかけの夢」文庫に入ったので読み始める。最近、ディック以外、SFは読めなくなっていたのだが、この評論集で再び読みたくなってきた。ヴォークトなどの古い作品も、今読んでみると案外新鮮かも知れない。
(略)

3/10
(略)
麻邪雄嵩2、3作目読む。衝撃的な内容でハマる。ああ、続編早くでないかしら。
奥泉光「我が輩は猫である殺人事件」文庫購入。今、「葦と百合」さがしているが見つからない。
(略)

3/27
竹本「ウロボロスの偽書」読む。大がかりな冗談小説。したがって謎は解かれず、犯人/トリックを見破ろうという全ての試みは徒労に終わることが予定されているのだが、全体の実験的構成だけではなく、サブストーリーであるトリック芸者の話がむちゃくちゃ面白いので、少しも退屈しない。確かに、もう少しシリアスな悪夢小説のスタイルをとれば鬼気迫る破壊力を獲得できたのでは、という気もするが、こういう奇抜なアイデアをユーモラスな筆致で書くのが竹本のスタイルなのであろう。ただ、ラストはもう少し論理を鮮明なまま残しつつ循環地獄へと落ちていく構成をとったほうが印象は良かっただろう。この終わり方ではいかにも予想された安易な結末のような気がする(筒井の「虚人たち」ともかぶるのでは)。
しかし、この作品はミステリ作家の実名小説の部分、トリック芸者の連作短編的な部分、そして連続殺人鬼の犯行記録の部分という3重構造をとり、かつ、そのそれぞれが単独でも十分面白いため、3つのストーリーが相互浸食を始め、しまいには渾然一体化して「大文字の作者」の意識の中に解消されていくというメタストーリー部分にひねりがなくても、全体として十分楽しめるものになっている。特に私はトリック芸者が気に入った。こんな芸者がほんとにいたら、あたしゃ毎日通ってしまいますぜ(金があればだが)。特に毎日高度な数学のことばかり考えているまり数ちゃんと、格闘技の練習ばかりしているプロレス芸者の2人には参った。
続編らしき「基礎論」にとりかかったが、そこではますます悪のりし、冗談に拍車がかかっている。同時平行して「失楽」も読んでいるが、こちらのほうは同じメタミステリでも文体が格調高いのにねぇ。もうあのころの初々しさは戻らないのかね。まあ、面白いからいいけど。

(略)

3/29
鯨統一郎「邪馬台国はどこですか?」読み終える。面白い! 小説としては何のひねりもないのに、アイデアだけでここまで読ませるとは。しかも、単なるほら話にしては考証がわりかししっかりしているように見え、門外漢が読むとすっかり信じ込んでしまう。「小気味よい」という言葉がぴったりだ。読んでいて、自分も原典にあたってみたくなるほどだ。
不安なのは、これだけ惜しげもなくアイデアを出してしまうとすぐにネタ切れになってしまうのではということだが、まあ、歴史に関しては何誌も専門誌が出ているほどだし、意外にネタは豊富なのかもしれない。とにかく、「日本書紀」解釈もやったからには、「古事記」解釈も読みたいし、ほかにもとりあげてほしいネタはいっぱい......旧約聖書のネタとか。それにしても、歴史ってやっぱり面白いね。

ヤマタイで息抜きをした上で再度「失楽」にチャレンジ。作中作の合わせ鏡というとんでもない展開になってきて、わくわく。中井英夫がかった文体もたまらん。多分、もう1、2日で読み終わる。
また、FFの影響か、最近ファンタジーが読みたくてしようがなく、手始めにとアンソニイのザンスシリーズ第1巻を入手。幻獣図鑑でも入手して座右に置きつつ読もうかと目論んでいる。

3/30
「匣の中の失楽」読み終える。
結局、作中作の一方のみ解決され、他はそのまま。ラストは、2つのストーリーが渾然となり、冒頭の不連続線の話が出てきて、冒頭と同じ一文で結ばれる。登場人物は「人形」のまま、「不連続線」を超えることができず、作中(匣)に封じ込められ、永遠に「失楽」のストーリーを繰り返すことが確定する。
2つの合わせ鏡的な作中現実は、作中において、いずれもが「作中現実」=メタレベルにおいては「虚構」であることが作中人物によりほのめかされることにより、この結末は既に暗示されている。
文体・用語、ストーリー、人物造形は明らかに中井英夫の強い影響が認められるが、ペダンチックな推理比べには「黒死館」の要素が認められる。そして、この作品の新しいところは、中井的なアンチミステリ=探偵の不可能・無意味性の証明に、ペダンチックな本格ミステリの色彩を加味したばかりでなく、独創的なメタフィクションの構成を絶妙に重ね合せた点にあるといえる。
人物造形が無個性的であることから、この作品の前半は読みにくく、ストーリー把握が困難で難解な印象を与える。しかし、それもまた、作中人物は匣の中で踊らされる「人形」に過ぎないという作者の意図に沿うものであって、むしろ右の様な難解な印象が読者を煙に巻き、真相を永遠に霧の中に封じ込めるというこの作品の構成の効果をかえって強めている。
まさしく、2読、3読を要求する、奇蹟に近い傑作である。

さて、次に読みさしの「バイバイ、エンジェル」を読み終えたら、しばらくファンタジー読みに力を入れようと考えている。
これだけオカルティズムに関する科学的考察のミステリにおける絶大な効果を見せつけられては、やはりファンタジーという一大ジャンルを未知のまますますわけにはいかないだろう。とりわけ、魔術、神秘思想、幻獣に関する一般的な知識は必須教養といっても過言でない。というわけで、幻獣に関する知識を広め、ファンタジーの世界設定の方法を読み解くために、手始めにアンソニイを読もうというわけだ。ファンタジーには、ヒロイックファンタジーや妖精物語のごとく、初めから現実と何の接点もない世界設定を行い、その中での出来事を記していくものと、例えばジャック・フィニイやプリーストの作品のごとく、現実の延長としての幻想的な出来事を記しつつ、論理的・疑似科学的説明を行わない(これを行えばミステリまたはSFとなる。また、幻想的出来事によって、主として読者の恐怖心に訴えかけるものが、ホラーであるから、それ以外のものがファンタジーに分類されることになる)ものとがある。SFやミステリ、ホラーがある種特定された作品スタイルを想定する(もちろん、その内部においては様々なヴァリエーションがあり、定義論争を引き起こしているとしても、その振幅は巨視的には大きくない)ことと比較すると、ファンタジーは、右3ジャンルを除いたリアリズム小説でないもの一般の総称であり、その意味では最も裾野の広いジャンルであるのだ。発生史的にみても、文学史的に最も古い、文学のルーツとも言えるジャンルであることから、このジャンルを全く無視してはSFやミステリの正確な把握すらおぼつかないであろう。
現実延長型作品の典型としてプリーストの近作をあげることができる(この分野がいわゆる「純文学」とのボーダーラインに最も近いことは、安部公房や日野啓三の諸作を挙げれば容易に理解できるであろう。「幻想」というものが人間の認識の作用である以上、幻想を描くことは、人間の認識を描くことと繋がるからだ)。幸い、プリーストの「PRESTIGE」が読みかけであるので、これも平行して、訳しながら読み進めようと考えている。

3/30
笠井「バイバイ、エンジェル」読み終える。
本格ミステリと思想小説の奇蹟的な融合を、笠井はこのデビュー長編において既に達成している。しかも、その思想性は単なるペダントリイではなく、この作品のテーマそのものとして必然的に結合している。そして、その思想性は極めて切実で重い深刻なものであるがゆえに、強烈な説得力をもって読者の胸に迫ってくる。その意味で、笠井の作品はこれ以上ないほどの究極的な社会派ミステリとなっている。ただ、その思想性の媒体として本格ミステリの形式を必然に要求するところに、笠井の独創性があり、社会派と敵対するとみなされてきた本格の器を通じて初めて究極の「社会派」たりうることを示したというパラドックスにある種の小気味良さを感じずにはいられない。
人物造形は類型的で魅力に乏しく、ストーリーも抑揚に乏しいことから、小説としての魅力は今一つかもしれないが、謎解きについては、手堅くミステリとしての及第点に達しているし、何といっても犯人の犯行動機と、これに対する主人公の思想的糾弾の場面の迫力において、この作品はじゅうぶん傑作たりえているといえよう。
次はいよいよ、「哲学者の密室」である。

3/31
「カメレオンの呪文」読み進む。面白い。
北村薫「空飛ぶ馬」と笠井「サマアポ」「薔薇女」購入。北村1編読む。奇麗すぎて僕には物足りない。それにしてもこの作者が中年男とはねえ(それも昭和20年代生まれ、うちの親とそう変わらん)。
笠井は「哲学」我慢して「サマアポ」から順に読むつもり。
(略)

「カメレオン」徹夜で読み終える。いやぁ~面白かった。楽しませてもらいました。いろんな動物が出てきて。「地球の長い午後」以来やな、これだけ異世界にはまったの。しかもこっちは続編が10冊もあるというから心強い。2巻も即、買いやな。いいねぇ最近のファンタジーは。当分抜けられなくなりそう。あ、ミステリも読むよもちろん。

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