SF百科図鑑 バラード『殺す』


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1998年

11/10
パー。ピキピキ。ウッポッピュー。パッカー。ナン。
ウッポッピュー。ビッキャー。プー。
ウッポッピュー。
ナン.......

ピュ?
パッカー。
ナン。ナンナンナン、ウッポッピュー。ピッキンピャッタ、ピュッポッポー。

 *    *

ウッポッピュー、バラード「殺す」ピックキャーン。ピッピ、ウッポッポ。
★★★★★ウッポッピュー。

ピュッポッポ「RUNNINGWILD」ピュッピュッピュッ、ピュッコッコ買ってしまっていたのだ。
コッコッコ子供たち、ピュッポップただの文明批評ではない。
ピュッポッポ、ウッキャー、乾いた理知的な文体でウッポッピュー。
つまり、ウッポッピュッピュッ、ウッキャ、ヒョウタンツギ。
ピュッ、ピュッ、ピュッ、プスプス......
ドッカーーーン!!!!

(日本語訳)
バラード「殺す」、あまりの面白さに一気によみ終える。
文句なしの★★★★★だ。

実を言うと原書である「RUNNINGWILD」を既に買ってしまっていたのだ。しかし、読まずにいるうちに訳書が出(どうせ訳されないと諦めていたからこれは嬉しい)、しかも映画化決定というからこれは買わずにいられなかった。
緻密に構築された上流階級の閉鎖的な住宅地で手厚く保護され、愛情と賞賛で包まれた子供たちが自由を求めて反乱を起こすという物語(ああ、ネタバレ)は、もちろん一筋縄ではいかないバラードの手になるものであるから、決して「大人たちが押し付ける管理された幸福が子供たちを息苦しくさせ、狂暴にさせる」などという陳腐な命題の実証を試みるただの文明批評ではない。
むしろ、その背後にあるもっと大きな人類全体の20世紀的狂気、文明のパラドックスを独自の乾いた理知的な文体で客観的に描出したもので、60年代の破滅3部作から70年代のテクノロジー3部作へと連なる一連の思弁小説の流れをそのまま汲んだ筋金入りのSFとみるべきである。
バラードのすごさは、一般に「現代文学」の主流とされる、静的な所与の社会を前提として、切り離された個人の実存や苦悩をミクロに描くだけの陳腐な小説群をはじめから軽蔑しつつ、テクノロジーや文明と集団としての人間との軋轢こそ真に文学が対象とすべきモチーフであることを40年も昔から看破し、実践していたことにある。しかも、その手法が単に社会心理学的な分析にとどまらず、社会精神分析学的とでもいうべきメタファーを多用した、にもかかわらずリアリスティックな描述手法によって行われ、他の作家の作品ではまずお目にかかることのできない極めて独創的な作品に仕上がっているのが驚嘆すべき点だ。作品の中に解釈はなく、ひたすら冷徹に連続する悪夢の客観的描述が延々と続けられるため、一読すると難解に感ぜられるものの、それによってかえって描き出される悪夢が自分の体験であるかのようにリアルに感じられる。読んでいて息苦しくなり、このまま心臓が止まってしまうんではないか、あるいは発狂してしまうんではないかと思うことがしばしばだ。
この「殺す」が訳された1つの理由は、この作品の内容が、最近のわが国の異常犯罪多発傾向の先取り的内容になっているせいもあると思われるが、それは逆に言うと、時代がやっとバラードに追い付いたということでもあろう。解説者が指摘するとおり、「クラッシュ」は単に交通戦争を先取りしていたという陳腐な次元にとどまらず、パパラッチとカーチェイスの末クラッシュして死んだダイアナ妃を先取りしており、これが象徴するもののことを考えると、自動車とセックスと死の結合というメタファーはその背後にもっといろいろなものを含意していたといえる。そういういろいろなものが、世紀末の今になって現実のものとなり、バラードが分析/外挿のうえ描出したものが真実であったことが証明されつつあるということだ。
バラードの「内宇宙」論がSFをだめにしたの何のと長い間批判され続けてきたが、今にして思えばその方法論はあまりにも正しかった。この方法論こそが20世紀の文学の役目を果たすための唯一の選択であったのに、誰もそのことが理解できないまま取り残されたために、20世紀の主流文学は衰退し、バラードだけが残ったというわけだ。
この本の好きなところは、何といっても最後に子供たちが首相を襲撃するなどのテロ行為に走るというおなじみのSF的展開になったところで幕を閉じてくれることだ。この人を食ったような確信犯的SF展開は、まぎれもなく陳腐な主流文学への潜在意識的皮肉に裏付けられているとともに、バラードがまぎれもない筋金入りのSF作家であることを自ら証明するものでもあるだろう。
それにしてもこの本はよかった。急遽「クラッシュ」「ハイライズ」「コカインナイト」を引っぱり出して読み始めたところで、当分中毒状態になりそうだ。「この作家を理解できるのは俺だけ」と思わせるところが、バラードが絶えず少数の熱狂的マニアを製造し続けているゆえんなのであろう。

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2005.12.4のコメント

感想の文体が凄く恥ずかしい──。