SF百科図鑑 ケリー・リンク『スペシャリストの帽子』ハヤカワ文庫FT


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

■2004/03/08 (月) 21:43:26 ケリー・リンク「スペシャリストの帽子」

読了。
あまり面白くなかった。
好みでない。
特に褒めるべき点が見つからない。
エンタテインメントとしてはどうかなあ?という感じ。
作者が目指してるのは純文学のようなので、批判になってないっちゃあなってないが。
作者がモチーフに知れる童話、おとぎ話の類いが全く興味が持てないし、とにかく作者と感覚的に合わないせいか、その幻想空間を楽しめない。これは読解云々以前に相性の問題だろう。作者の感覚があまりに女性的主観に入り込み過ぎているがゆえか。
とにかく、気持ち悪いというか、生理的に受け付けない感じ。

いつも思ってるんだけど、早川ってもっと先に訳すもんがあるんじゃねえの?

昨日夜更かししたんで今日は早く寝よう。

■2004/03/06 (土) 10:43:26 スペシャリストの帽子途中まで2

私のごときSF、本格ミステリ好きは、物事を論理的に説明することに快感を覚える。むろん、論理からの逸脱や不可解のまま残される謎も楽しむことは出来るが、それはあくまでも論理の戦いを前提に、そこから滑る感覚や、反転させられる感覚を楽しむものであって、論理というものが作中に存在することが快楽の前提である。ジェットコースターに喩えると、レールに沿って平坦なコースを進んでいるからこそ、その後の上がったり落ちたりのスリルを楽しめるのであるが、このリンクの作品には、レールも平坦コースもなく、ただデタラメに迷路を進んでいるような印象を受ける。
私はファンタジーは苦手であるが、ファンタジーと言っても千差万別で、ヒロイックファンタジーやエピックファンタジーのごとく、設定は架空であっても物語は非常に論理的に展開するものもあれば、文体自体の論理が崩壊し、論理の存在しない幻想小説もある。これらをひとくくりにファンタジーと称するのはやはり誤りであろう。

で、問題は、私がこの本を楽しめるのかどうかということだ。過去の私の嗜好に合致しないのは間違いないが、新しい分野が開拓されるのかどうか。まあ、そのために「受賞作読み」なんてことをやってるわけだけど。何か拾えるものがあるのかどうか。今のところよく解らないというのが正直なところだ。


■2004/03/06 (土) 10:43:08 スペシャリストの帽子途中まで1

「カーネーション、リリー、リリー、ローズ」
「黒犬の背に水」
「スペシャリストの帽子」
「飛行訓練」
「雪の女王と旅して」
「人間消滅」
「生存者の舞踏会、あるいはドナー・パーティー」
ここまで読んだ。
まず一言、難解な前衛文学である。であるにかかわらず、一見、平易な文体のファンタジーの体裁をとっていることとの違和感が、読む者に混乱した印象をもたらす。
上記の中で、比較的ストーリーが解りやすいのは「黒犬の背に犬」(ある娘を手に入れるためにその家族のしきたりに従い指を食われる図書館員)「雪の女王と旅して」(童話になぞらえて、去った男を追い雪の女王にたどり着く女、しかし、最後に女は男を捨てる)「人間消滅」(両親に邪魔にされ親戚に預けられている娘、いたずらで「会いたい」という両親からの手紙を渡したところ、この娘は「向こう」に消滅、次々と送り主の家族が消え、立場が逆転する)あたりか。どれも皮肉のきいた、ひねりのある強烈な作品だ。死に切れずアイデンティティの不確かな男の独り語り「カーネーション&&」は一見解りやすいが、一ひねりあるのかもしれない。「スペシャリストの帽子」は表面的には解りやすいのだが、「結局スペシャリストって誰? ベビーシッターは何者? 何を意味しているの?」といった肝心の謎は今ひとつ解らない。「飛行訓練」も飛行訓練士の恋人の男の飛行機が墜落し、地獄に行く決意をするというのだが、地獄ってどこよ?「生存者の舞踏会&&」旅する男女が「ドナー氏」のパーティーに参加し食われると言う話は、何を言いたいのかよく解らない。
そして、この「解らなさ」がリンクの売りらしいのである。