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『レッド・マーズ』Red Mars キム・スタンリー・ロビンスン(Kim Stanley Robinson) 済7点

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『レッド・マーズ』RedMarsキム・スタンリー・ロビンスン(Kim Stanley Robinson)済7点
90年代SFの一つのブームであった「火星地球化SF」を良くも悪くも代表するのがロビンスンの「火星三部作」である。かなり癖の強い作品で好き嫌いは激しく分かれるが、その緻密なディテールの練り込みと執拗な「変容する火星の生態系」の視覚的描写、エキセントリックな登場人物の心理描写は強烈なインパクトがある。本作はその第1巻。プロットのバランスはやや悪いが、作品としての強烈な個性は否定できない。但し日本誤訳はかなりひどいので印象半減。


2000年

2/1

「レッドマーズ」もリアルに書き込み過ぎて、話として全然面白くない。火星のテラフォーミングの話を綿密に書き込むはいいけど、だから何なの、という感じ。そんなことだったら科学論文読んだ方がましだって。科学者同士の恋愛の話なんかにも全然興味がないし。どんなに描写がリアルで科学考証が正確でも、話が面白くなかったらクズだ。この後面白くなるのかな? 前半でかなり疑わしくなっているよ。植村直己の探検記読んでるんじゃねーんだぞこの野郎!!! この調子で最後までいくんだったら、「くだらねえっ!」て叫んでやる。訳文にやたら「・・・っ」てのが多いのもいらいらするし。まあこれは原作者のせいではないが。
ほんとに、80年代以後のSFってクズばかりのような気がしてきた。


2001年

5/6
NHKマイルはクロフネ。

「万年筆のなぞ」はセイヤーズ「死体をどうぞ」の作中作。

「死体をどうぞ」「毒を食らわば」購入。

「レッドマーズ」に入る。
第3部を読み終わりました。描写が写実的/具体的で、ドキュメンタリーを読んでいるような感じです。それでありながら、複数の登場人物の視点から交互に語るスタイルで、個人的視点が前面に出ています。前半に関する限り、好き嫌いが分かれそうな作品です。しかも第一次植民のメンバー同士の痴話がかなりの部分を占めます。SF読みからすると、最初は「何これ?」という印象ですが、ロビンスンがわざと確信犯的にやっていることは明らかなので、ここで安易に投げ出さず粘り強く読み続けるべきでしょう。痴話の観点からすると、フランク&ジョン対マヤの組み合わせと、ナディア対アルカディイの組み合わせの2つの話が並行してます。第3部ではナディアが指をなくし、その後、太陽熱発電機を火星中に設置する作業でアルカディイとペアになり、くっつきます。その最中、何者かが発電機にコケを仕込んでいたことがわかり、アルカディイが笑い出します。このアルカディイのニヒルなキャラが、今のところ作中人物で一番好きです(笑)。
このコケ騒動にもかかわらず(というかばれていない)、UNOMAが新たな3つの植民地を承認し、1500人の追加植民を決定します。また緑化推進論者と環境温存派の対立も緑化推進論者が勝ち、UNOMAも緑化計画の一本化を決定します。その計画の中に微生物の散布も含まれていたため、またもやアルカディイが爆笑します。
火星の砂嵐の中でのサヴァイバルのエピソードも入っており、何だか植村直巳の探検記のような感じもします(笑)。このあたりはキャンベル「月は地獄だ!」クラーク「メルシュトレーム2」ランディス「日の下を歩いて」と続く一連の宇宙サヴァイバル小説の系譜を意識しており、本作で、近未来宇宙探検/植民SFの見本市を半ば意図したものかも知れません。
さて、次は第4部「懐かしき故郷」です。いよいよ本格的な地球化と植民の段階に入るのですね。
ところで大島氏の訳、基本的にうまい部類なのですが、ところどころやり過ぎと思えるところ(例、会話文の「っ」の多様、筒井的な笑い声「わははははははははははははははははははははは」、「チンする」といったいくら何でもやり過ぎの訳語)があり、読みながら首をかしげることが多く、今まで障害になっていたのですが、やっと慣れてきました。しかし、できれば「グリーン」「ブルー」は訳者を変えてほしいですね(笑)。まあどうせ原書で読むと思うけど。

また、セイヤーズの「毒」少し読みましたが、ウィリスと似てますね。というか、ウィリスのダンワーシイものはいずれもウィリスのセイヤーズおたくぶりが全開になった作品といえます。ウィリス自身がインターネットのサイトのインタビューでそう認めていますし。「ドゥームズデイ」だって、明らかにセイヤーズの「ナインテイラーズ」にインスパイアされた作品と思われますし(鳴鐘法へのこだわりぶりといい)。
ウィリスは「犬」のおかげで、自分の中で全作必読の作家に格上げになりましたが、これをきっかけにセイヤーズの方にもはまってしまいそうです。いかんな、欧米ミステリにだけは手を出すまいと思っていたのに(笑)。ただでさえ読みたい本が多くて時間が足りないのに、これでますます時間不足で悩まなければならなくなってしまいました。当分、日本作家には時間を割けそうにないな(涙)。奥泉の新作のサイン本だって買いたいのに。
90年代SFの現段階での長編ベストファイブを選んでみると
・ヴィンジ「遠き神々の炎」
・ウィリス「犬についてはいうまでもなく、または、こうしてぼくたちは司教の鳥の切り株を見つけた」
・シモンズ「ハイペリオン」
・ホールドマン「終わりなき平和」
・ウィリス「ドゥームズデイ・ブック」
今後読む予定の長編は、「レッドマーズ」「グリーンマーズ」「ブルーマーズ」(ロビンスン)、「スノウクラッシュ」「ダイヤモンドエイジ」(スティーヴンスン)、「親愛なるクローン」「ミラーダンス」(ビジョルド)、「死路」(ウィリス)、「ハイペリオンの崩壊」(シモンズ)、「天空の深淵」(ヴィンジ)といったところです。期待度が高いのはウィリスとヴィンジ、スティーヴンスンです。
また第2巡目ではネビュラ、英国協会賞等も入ってきますので、バトラー「寓話」連作、「火星転移」、「無眠人」連作、「タイムシップ」、等も入ってきます。他ではバラード「スーパー・カンヌ」、ルグィン「語り」など。この中でいちばん楽しみなのはバトラーですね。


5/7
「レッドマーズ」体調不良のため進まず。上巻があと30ページというところで眠くなってしまい、進みません。前のウィリスが面白すぎただけに、ちょっと分が悪いのは仕方がありませんね。体調のせいもありますが、書き込みが綿密すぎて話が進まないのと、登場人物が根暗揃いで文体がねちねちとdepressingなせいもあるでしょう。根本的にユーモアが欠けていますからね。印象に残る登場人物といえばアルカディイぐらいで、特に、マヤ、フランク、ジョンという主役格の3人は嫌いなタイプの人間で、魅力がなく、ほとんど感情移入ができません。この3人の三角関係や冗長な性描写にはほんとうにいらいらさせられます。どうでもいいっちゅうの。恐らく、ロビンスンは確信犯的にわざと、魅力の乏しい人物を中心に配して、リアリティを高めようとしているのではないでしょうか? 確かに、現実がいつも、中心に来る人物が愛すべき好人物とは限らないというか、そんなはずはないんですよね。逆にいやなやつに限って有名になったり偉くなったりするというか、そもそも、偉くなっているという人の大半は偉くなりたくて偉くなろうと努力してなった人で、偉くなりたくないと願っていたのに、「偉くならないと妻子の命はないぞ」と脅迫されて無理やり泣く泣く偉くならされたという人はほんと、ひとにぎりの人なわけです。つまり偉くなっているという事実それ自体が、通常、偉くなりたいという願望の現れであり、畢竟、その人間の利己性、人格的品性下劣性の証拠なわけです。そしてこのような人間をこそ描くことによって人間性の本質に迫ろうというわけなのです。なぜなら少数派である善人よりも、多数派である俗物をこそ描くことが、平均的な人間性の本質により近づくことができることは論理的に明白ですからね(少数派こそ人間性の極致、限界事例を示すもので、よりよく人間の本質を示すという見方も逆にあり得ますが。まあ写実主義とロマン主義、純文学とSFの対立のようなもんですかね)。
このロビンスンの確信犯的な屈折した意図の証明が第4章でしょう。ここで語り手となるミシェルという精神科医は、精神科医のくせに自分が一番精神的に鬱で不安定であることを自認し、他人のカウンセリングをしながら常に「おれはどうなんだ?」と問いかけているような究極の根暗です(笑)。しかも呆れたことに、この医者、論理学の正/逆/裏/対偶という4項図式に人間の性格をあてはめる図表をわざわざ作成し、古くからの気質のタイプ分けと一致するなどと分析して喜んでいるような、あまり友達になりたくないタイプの人物です(人のこと言えないか)。何で火星SFでまでこんなねちねちした暗い話を読まされなければならないのか、とぶつくさ言いたくもなりますが、そうなってしまってはロビンスンの思うつぼで悔しいので、あえて「こんなんもありよ」と挑発には乗らずに平気な顔をして読み続けるのが正しいスタンスなのでしょう。
しかし、正直言って、このマヤ、フランク、ジョンの3人組、とにかく不愉快なので、いったいいつ死んでくれるのかと待ち続けているのだが、いつまでたっても死ぬ気配はなく、また自分のつまらない性格を治そうという殊勝な考えを持つ気配もなく、相変わらず低レベルの痴話げんかを蜿蜒と続けていること自体が全くうんざりさせられ、さすがロビンスン、一筋縄では行かないなと舌を巻いています。SFで、ここまで不愉快な人物をメインに据えたこと自体、すごすぎるというか、画期的なことだと思います。エンターテインメントであることを完全に放棄していますから(笑)。ただ、読まされるほうが余計に体力を要求されるということは間違いありませんね。火星SFという一見とっつきやすい外観ではありますが、あまり一般の人に薦められる内容の作品ではなく、普通のSFに読み飽きた擦れっ枯らしのマニアこそ屈折した喜びを得られるというタイプの、かなりひねくれた異色作であるということを認めるべきでしょう。それに、前半のストーリーの単調さ、抑揚のなさ、面白くなさの徹底ぶりは、わざとやっているとしか思えず、ほとんどジョイスばりのアンチノヴェルを目指しているのではないかとすら皮肉りたくもなります(笑)。

5/8
「レッドマーズ」やっと下巻に入ったけど、相変わらずストーリーの進みが遅いですねえ。ついつい、「グリーンマーズ」と「ヒューゴー集」のほうに目移りがしてしまい、「クルミ割りクーデター」を4ページほど訳してしまいました(笑)。エリスンの「失われし時間の守護者」も訳してみたし。一回目であまりわからなかった作品ほど、訳す実益があるといえますね。
今週中に終わって「グリーン」に入らねば、待ち遠しいです。

5/9
「レッドマーズ」やっと200ページ(下巻)。今週中にはいけそうです。急に展開が早くなり、軌道エレベータが作られ、植民地がたくさんでき、人口が増え、ヒロコが出現し、ブーンが暗殺されてしまいました。しかもブーンを殺したのはフランクらしいのです。主役級がこんなやつらばっかりでいいのかよ、まったく。いやはやロビンスンはひねくれものです。しかも、ブーンの死ぬ場面とか、犯人探しとかをメインに持ってくればエンターテインメントとしては面白くなるはずなのに、あえてそういう場面を章頭の要約に簡単に入れたり、本文であっさり触れる程度にとどめたりしており、これがアンチノベルでなくて何だといいたくなります。
とにかく癖があり過ぎて疲れますが、力作であることは認めざるを得ません。ただ初心者にはお勧めできませんね、すれっからしのマニア向きでしょう。ストーリーよりディテール重視の作品ですからね、とにかく重厚。
でもSFとしては不老技術、植民基地の建築技術、軌道エレベータなど面白いアイデアも入っているので、ただのネチネチした政治と恋愛の話だけにとどまっていないのが、少しほっとします。
さあ、明日は400ぐらいまでいきたいです。

5/10
今日は本を持っていくのを忘れてしまい、仕方なくセイヤーズ「顔のない男」購入。ピーター卿ものの短編集です。
「顔のない男」★★★1/2
のっけからアンチミステリですか(笑)。はっきりいって、トリック、犯人、動機といった点では下手というか、つまらないです。ミステリとしてはひどいとウィリスがいうのもわかります。しかし、セイヤーズの長所は、キャラクターの魅力と、しゃれた上品なユーモアとペーソスとペダントリイにあり、この表題作などその特徴がよく現れています。犯人と動機は3分の2ぐらいで分かった、と思わせ、現にその予想に沿った推理をピーター卿が展開し、「凡作だな」と思わせておいて、結局、ピーター卿の推理は間違っています(笑)。というか、どっちが真実なのか未解決のままで終わってしまいます。この軽妙にひねたラストのアンチミステリぶりが、セイヤーズの面目躍如といえましょう。
「因業じじいの遺言」★★★
おいおい、クロスワードパズルそのまんまやんけ、こんなもの小説といっていいのかよ、といいたくなるような作品です。しかし、この強引な構成がユーモラスなキャラクター描写や上品なペダントリイとマッチしていて、このあたりも少しひねたセイヤーズのセンスの現れかも知れません。また、この作品も金のために謎解きに走るキャラクターたちのおかしさを滲み出させている点で、やはり一種のアンチミステリと言えるでしょう。

5/11
最低の日でした。(略)。

上のネタ、結構いいと思わない? 他にも痴漢防止のための「男女別車両制」(喫煙車/禁煙車みたいなもの)とか、結構笑えるアイデアはあるのよ。そのうちSF化するつもりである。こういうのは筒井が書きそうなネタと思われがちなので、ちゃんとしたまともな小説として書いてみたいな。

「レッドマーズ」下巻も終盤に差しかかったのに相変わらず面白くない。クソなんじゃねえの? とにかく話が面白くない。こんなのが面白いと思うやつはどんなやつだ? ゴミ! ゴミ! ゴミ! こんな本を読むのは地獄の苦しみだ。ありていにいって、くっだらねえ。もう我慢できない、早く読み捨てたい。解説を読むと終盤は息をつかせぬ面白さと書いてあるが、ますます面白くなくなってページを繰るのが苦しくてしょうがない。そもそも、SFを読んでいる感じがしない。これは褒め言葉ではない、貶し言葉である(このフレーズを褒め言葉のつもりで使うやつはSFが好きなふりをして実は嫌いな人かまたは今どき流行らない古臭いコンプレックスを持った人でしょう)。
何で面白くないかつらつら考えてみるに、その興味の焦点がストーリーではなく、人間の心理にあわせられており、かつ、その人間がみなネチネチと粘着的で根暗なせいであろう。特に不愉快なのが恋愛描写。しかもいやらしいことにどいつもこいつも70代80代とかで延命措置で若返っているような連中だというところである。
多分かなり低い点数にならざるを得ないかなと思う。しかも訳文も好きじゃない。原文は全部過去形なのに、「~する」という現在形で訳しがちであるところが特に気に食わない。妙な違和感がある。まあこれは原作者のせいではないけど。
はぁー、これの続編が2冊もありしかも分厚いと考えると、うんざりする。チェリイ以下かも知れない。ユーモアの欠如という点では通ずるものがあるからな。
訳文のせいがかなりあると思う。
好みの訳文に直してみよう。

((略)訳)
「さあ」イェーリがいった。「ニリ地溝に流すんだ。水はそこからまっすぐ北のユートピア平原に流れて、砂丘の間で凍り付くはずだぜ」
「サックスはこの革命が楽しくてたまらなくなってることでしょうね」ナディアがまたいった。「絶対に手に入れてはならないはずのものが、手に入ったんだから」
「でも、やつのプロジェクトの施設もだいぶ破壊されているだろう?」イェーリがいった。
「たとえそうでも、サックス流にいうと、「最終的には純利益が出る」ってことでしょう。地表にこれだけ水が溢れてるんだから」
「それは本人にきいてみないと」
「もう一度会えればの話だけどね」
イェーリは一瞬黙った後、きいた。
「ほんとうにそんなにたくさんの水が出ているのか?」
「ラスヴィッツだけじゃないんですよ」サムが答えた。「先ほどニュースで見たんですけど、ローウェル帯水層が破られているんです。溢出水路を作ったような大きな破砕ですよ。あの水で下流の何10億トンという表層土が押し流されることになるし、水の量も測り知れません。とにかく信じられないぐらいの量ですよ」
「どうしてそんなことになったの?」ナディアがきいた。
「最も有効な武器だったんでしょう」
「武器とはいえないわよ。狙いをつけられないし、止めることもできないじゃない」
「でも、それをいうなら他の連中にもできません。考えてもみてください、ローウェル下流の都市は全部消えるんですよ。フランクリン、ドレクスラー、大阪、ガリレオ、たぶんシルヴァートンあたりまでいきます。すべて超国籍企業体の都市ですよ。水路上の鉱山街で、無防備なものはたくさんあるはずです」
「双方ともに相手の社会基盤を攻撃しているということね」茫然とつぶやいた。
「そのとおりです」
やるしかない。他に選択の余地はないのだ。全員に指示して、ナディアは再びロボットのプログラミングにとりかかった。その日の残りと翌日の間、ロボットのチームをいくつか現場に派遣し、作業がスムーズに開始できるように手配した。掘削自体は大したことはない。帯水層の圧力で水が噴き出さないように気をつけていさえすればよいのだ。水を北に移すためのパイプラインはもっと簡単だった。何年も前から完全に自動化されていた。それでも一同は念のため機材を倍に増やした。峡谷の北に路盤を敷設し、北方へ延長した。ポンプを挟む必要はなかった。地下水圧があるから、流れはうまく調節されるはずだった。圧力が下がって、峡谷から水が押し出されるのが止まれば、下流の端で帯水層が破れる危険はなくなると判断できるからだ。こうして、移動式マグネシウム精錬機がごろごろ音をたてて走りながら砂塵をすくいあげてパイプ部品を作り、フォークリフトやフロントローダーが部品を組立機に運んだ。すると巨大な動くビルが、ゆっくり道路を転がりながら、部品を飲み込んで、後ろからパイプを吐き出した。別の移動式の巨大な怪物が、完成したパイプをとりあげて、廃石から作った極薄のエアロゲル格子の断熱材でくるんだ。そしてパイプラインの先端が熱せられ、水が流れ出したので、システムが動き始めたことがわかった。あとは300キロ先まで延びることを祈るだけだった。パイプラインは1時間に約1キロ延び、作業は1日24時間半行われるので、うまくいけば、ニリ地溝まで約12日で達するだろう。そうすると、パイプラインはちょうど井戸が掘り抜かれて準備が完了した直後に完成することになる。地滑り防止用のダムがもってくれれば、安全弁になるだろう。
そうなればバロウズは安全だ。というか、自力ではこれ以上安全にすることはできない。つまり、もう出発してもいいのだが、どこに向かうかが問題だった。ナディアはレンジで温めた夕食を前に、ぐったり腰を降ろして、地球のニュース番組を見ながら、周囲でそれについて議論している連中の声に耳を傾けていた。地球では、火星の革命はまともな目で見られていなかった。いわく、過激派、コミュニスト、野蛮人、破壊工作屋、アカ、テロリスト。「反体制派」とか「革命家」のような、地球の(少なくとも)半分の人は支持してくれそうな言葉は全く使われなかった。そう、われわれは頭のおかしな、何でも破壊せずにはいられない孤立したテロリスト集団に過ぎないのだ。自分でもそうだと思わないでもないが、だからといって、慰めになるわけでもなかった。逆に、なおさら腹が立った。
「誰でもいいから、一緒に戦いましょうよ」アンジェラがいった。
「あたしは誰とも戦う気はないわよ」ナディアが強情にいった。「くっだらない。そんなことをして何になるのよ。チャンスさえあれば壊れたものを元に戻したいとは思うけど、でも戦おうとは思わないわ」
そのとき、無線からメッセージが入った。860キロほど離れたフルニエ・クレーターのドームにひびが入ったという連絡だった。住民は封鎖された建物に閉じ込められ、空気が少なくなっているという。
「あたし、行きたいわ。確かあそこには建設用ロボットの大集積所があったでしょう、あれがあればドームを修理できるし、イシディスの他の部分も直せる」ナディアがいった。
「どうやって行くんですか?」サムがきいた。
少し考えてから大きく息を吸い込んで、ナディアはいった。
「ウルトラライトを使うわ。南側の縁のエアストリップに新型16Dが何機かあるの。あれがいちばん速いのは間違いないし、いちばん安全かも知れない。まあ、保証はないけど」ナディアはイェーリとサーシャを見た。「一緒に乗っていく?」
「ああ」イェーリが答え、サーシャもうなずいた。
「わたしも一緒に行っていい?」アンジェラがいった。「1機より2機の方が、どっちみち安全でしょう」

おや、普通の文体に変えたら、だいぶ面白くなったじゃないか。やっぱり訳文のせいで面白くなかったんじゃないか? 日本語の意味がよくわからないところもあるし。この大島豊の責任だな、この本が面白くないのは。原書で読もうかな。全く腹が立つ。しかもなまじ「俺は訳が上手」ぶっているだけに、余計に。
一言でいうと、「内容と文体が合っていない」。加えて、「省略が激しく、行為の主体が不明確」。「だから、すでにそちらに向かっているわけだ」(341ページ)。誰が? アンとサイモンが? それとも自分たちが? 前後を読んでもどちらの意味なのかわからない。「そちら」というのはどこ? 北方という意味、それとも「アンとサイモンがいるクレーター」という意味? さっぱりわからない。原文では明確なはずなのに。多分、(略)ではいちばんいやがられるタイプの(略)である。(略)が顔をしかめ、呆れた(略)が「そちらとかそことかではなく、ちゃんと明確な言葉で(略)」と言いそうな(笑)。

5/12
ロビンスン「レッド・マーズ」★★★
面白くなかった。何より訳文がよくない。「チンする」「・・・だっ」うー、センス悪ぅ。寒気がする。
ただ、原文で読んでいたらもっと好印象だったであろう。ほんとうに翻訳って大事ですね。
訳文の悪さを頭の中で引き算して、原文の印象を類推してみる。バラードに似てますよね。意外かも知れないけど。火星の環境の変化や革命を描きながら、興味の中心は人間精神の変容にあり、心象風景の描写にこだわる内容は、バラードの内宇宙理論そのもの。技術的ディテールと視覚的描写が異常に執拗で明晰であるにもかかわらず、世界像がどういうわけかぼやけて幻想的な感じがするのは、客観的な社会経済構造の説明がほとんどなされていないせいでしょう。地球や火星の政治構造や歴史といった客観的側面の説明なしに、唐突に植民が始まったり、革命が始まったりしており、植民決定、革命勃発に至るまでの経過、必然性が全く説得力を持たないのです。というか、作者は意図的にそのような概観的説明を省略して、極力超主観的な内面描写と視覚的叙述に徹し、バラードの内宇宙理論を火星植民小説に持ち込んだのだといえそうです。内宇宙描写に客観的説明はかえって邪魔ですからね。だから何だか、ヴァ-ミリオンサンズのような、「夢幻会社」のような、妙な読後感です。
一言で言うと、「バラードが火星植民小説を書くとしたらこうなるのではないかというような小説」ですね。

というわけでさっそく続編「緑の火星」に入りました。
第1章「火星化」に入りました。全部で10章あるので、2章ずつ1週間で読み終わる予定です。
さて、「赤」ではラスト、革命の首謀者と疑われ国連軍から終われて南極のヒロコのクローンコミューン(避難所)に辿り着きましたが、「緑」は、ここ、ヒロコのコミューンである「ジゴート」が舞台で幕を開けます。ヒロコのクローンや人工受精の子供や孫が地下ドームに住んでいます。ヒロコも延命措置で生きています。伝説の人物コヨーテも教師役で登場します。
「緑」は「赤」で崩壊した後の火星社会の再生の物語であり、「ポストホロコースト」小説ということになるので、「赤」よりは好みです。「赤」は後半、いちばん嫌いなタイプの「革命小説」になってしまいましたからね、この手の作品はハインライン「月は無慈悲」のようにとにかく相性が悪いのです。それに比べると「緑」はのっけから幻想的な火星の南極の氷の中のドーム都市、その中で生活しながら再生の時を待つ人たち、人工子宮で生まれた子供たちなどが出てきて、好みのタイプです。しかも雌伏の時を耐えて復興の時機を窺い、抑えられながらも高まる希望の力が伏流水のように感じられるのもいいですね。先が楽しみです。

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