SF百科図鑑 『ビッグ・タイム』 The Big Timeフリッツ・ライバー(Fritz Leiber) 済


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『ビッグ・タイム』 The Big Timeフリッツ・ライバー(FritzLeiber) 済
(03/06/05)暗いユーモアに満ちた形而上学的な時間SF、極め付けの個性的な作品。ただし、サンリオから出ている訳文がかなりひどいために、我が国では過小評価されている。ライバーはもう1作「放浪惑星」も受賞しているが、私は訳の悪さをさっ引いてもこちらの方が断然好き。是非原書で読んでみたいと思う。
ちなみに個人的にはライバーは、長編よりも短編がお薦め。サンリオの「バケツ一杯の空気」は私の短編集ベストの一つ。【サンリオSF文庫/8点】

1999年

6/13
(略)にてSF買い入れる。
ライバー「ビッグタイム」購入し、読み始める。
ディレーニ「ノヴァ」あたりに似た雰囲気で、「妻魔女」とはうって変わり饒舌な文体、駄洒落も多い(訳するのはさぞや大変だっただろう)。メインアイデア自体は哲学的だが、内容の理知性/科学性は後退し、言語遊戯や虚構性が強まっている。
内容とは関係ないが、70年代の初版本(というか、この本自体売れていないので、多分初版本しか存在しないのではないか?)のため、紙が古く、読んでいるうちに体中が痒くなってくるのが困ったところだ。あまり痒いようだと、いったんコピーして、コピーのほうを読むことになるかも知れない(笑)。
しかし、この本が日本で売れないのはしようがないかも知れない。訳文から推測するに、原文は言語遊戯色が強く、英語が読める人間にしか理解できない文体になっていると思われる。その手のやつって、ディレーニにしろバロウズにしろ、どんなに工夫して訳してもしょせん翻案にすぎないからね。(ちょうど、筒井を英語に訳したとしたら、絶対面白くないだろうのと同じことだ。)
わたしとしても、とりあえず青木氏の「翻案」で原作の雰囲気を推し量りつつ、物語を楽しむというスタンスで読むことにしたい。

6/15
「ビッグ・タイム」難航しとりますわ。
そういえばこの青木氏の訳、悪訳で評判でしたな。しかし、青木氏の訳のせいばかりでなく、やはり原文が難解なんだろうと思う。まあ確かに、青木氏の訳も何もこんなふうにわざわざわかりにくく訳さんでもよかろうに、という箇所は多々あるが。
とにかく一癖も二癖もあるんですわ。まず登場人物が皆戯画化され、変人かエイリアンばかりであるうえ、人数もやたら多いので感情移入ができない(そもそも、名前が覚えられず、名前とキャラや見た目がなかなか一致しない)。次に登場人物の台詞が酔っ払いの戯言のようなものばかりで、理解困難。おまけにストーリー展開も脈絡がなく、いったい何が起こっているのかすら何度も読み直さないと分からない。大体、「ビッグタイム」「リトルタイム」だの「改良戦争」だの「スネーク軍とスパイダー軍」だの「ゴースト」「ゾンビー」「デーモン」だの「プレイス」だの「メインテナー」だの「ヴォイド」だの、小説空間が作者の虚構概念だけで構築されていることからこれらの虚構概念の理解がストーリーの把握上不可欠なのにもかかわらず、それらについてのきちんとした説明がないか、あるいは上述した登場人物のドタバタや饒舌に覆い隠されてわからなくなっており、リアリティも故意に失わせるような書き方がされている。「メインテナー」なんて、結構重要なガジェットなのに、小説の後半になるまで意味が分からなかったぞ。英語だったらmaintainerという綴りである程度の意味は類推できるんだし、「維持装置」とか何とか、適当な訳語をつけたほうがよかったんじゃないのか>青木氏。「原文の分かりにくさを伝える」とかいう意図があってわざとしてんなら、文句は言わないが。
しかし、一番の原因は、やはり語り手である看護婦/パーティーガール/エンターテイナー(一言で訳するなら「慰安婦」がぴったりなんではないか?)のグレタ自体が強烈にエキセントリックなキャラであり、しかも、困ったほどに魅力がなく、その語りに読者が感情移入するのが困難だということだろう。
ではこれらは本作の欠点かというと、恐らく逆で、まさにライバーは意図してこういったスタイルをとり、わざと分かりにくい小説世界を作り上げようとしたのではないかとすら思われるのが厄介なところだ。そうすることで、「ビッグタイム」「終わりなき、目的なき改良戦争」といったメインアイデア部分の虚無感が引き立てられるという按配だ。要するに、喜劇俳優のような登場人物たちがめちゃくちゃなドタバタを演じれば演じるほど、作品空間に漂う空しさがより強調されるという次第である。
何にせよ、「妻魔女」の読み易さからは想像もつかないようなとっつきにくさであり、よくこれでヒューゴー賞が取れたもんだと感心するが、当時のアメリカのファンは目が肥えていたようで、結構マニア受けしそうな作品が受賞してるんだ、これがまた。この作品もそういう「玄人好み」作品の1つであり、どう見てもアシモフやクラークの作品のように、SFに汚されていないノンケのパンピーが読んでもすんなり入っていける分かりやすい作品とは言えないが、ある種の読者にとってはモルヒネのように脳髄の奥底まで入り込んで再起不能にしてしまう強烈な毒気を持った作品なのである(と思う、多分)。
と、いちおう書いてはみたが、残り30ページ、意味をたどりながらきちんと読み終われるか、結構疑問......。やはり、2、3回は読み直さないとこの作品はわからないんだろうなあ。ふう。早く読み終わって「放浪惑星」に移りたいよ。
そうそう、もし原書(確かまだ、絶版ではなかった)が手に入ったら、もうちょっと読み易く改訳してみたいな。......後味悪いし、このままじゃあ。

読み終わった。結局、哲学小説のようなオチ......だった。「一兆年の宴」でオールディスも絶賛しており、やはり原文自体かなりクセモノのようだ。ただ、その本で本書の一部が引用され、浅倉久志が訳しておるのだが、これが意外と読み易く訳されておるのよ。やはり、青木氏の訳は問題ありか......しかし、まあいい、一応読了したから。
にしても、この弁証法的闘争というメインアイデア、ディック神学にそっくり。ディックにもこの本の影響があるのかも知れん。
で、次、「放浪...」と思ったのだが、連チャンはきついので、とっつき易いディックを1冊はさみ、「高い城」を読むことにする......。ボブ・ショウとかも買っちゃったし。