SF百科図鑑 George R. R. Martin "Portraits of his Children"


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November 19, 2005

George R. R. Martin "Portraits of his Children"

87年刊行の短編集。70年代のものと80年代のものを手広く収録している。表題作がネビュラ賞受賞。
非常に質の高い短編集で、満足度が高かった。我が国で唯一出ている短編集『サンドキングズ』は、普通のエンタテインメント路線の作品が多かったように思うが、この本はジャンル的にもSFからファンタジー、ホラーまで幅広く収録しているし、<愛と孤独>を描くことを得意とするこの作家らしい叙情的な深みのある作品が多い。しかも、特に80年代の作品にこの傾向が強いことから、「80年代以降娯楽指向が強まり、深みがなくなった」という俺の認識は誤っていたことが分った。むしろ人物描写力がアップしているように思う。後の「氷と炎の歌」での大ブレイクの下地はこの人物描写力の確実な進歩にあったのかも知れない。
以下作品リスト。
"With Morning ComesMistfall"(1972)★★★1/2 邦題は忘れたがSFマガジンに訳されたことがあるはず。ある霧の深い惑星の展望ホテルを経営する男。この星には人を襲う謎の精霊が住んでいるという噂があり、多くの人が失踪していた。この謎に魅かれて、多数の観光客や探検家が訪れてくる。果たして、精霊は実在するのか? 夜になると霧が上がり、朝になると霧が消える情景描写の美しさと、<太陽と霧、昼と夜の戦い><人は生きるために謎が必要>といった哲学的なフレーズや人生論が印象に残る。
"The Second Kind OfLoneliness"(1972)★★1/2 ケルベロス星で遭難し、ひたすら地球からの救援を待ち続ける男の日記。男によれば孤独には2種ある。物理的に他人から切り離される孤独と、人に囲まれていながらも感じる魂の孤独&&。話自体は単純でおもしろみはなく、この極限状況を通じて人間の孤独を語ることに主眼のある作品。
"The Last SuperBowl"(1975)★★1/2 未来のスポーツが次第にコンピュータライズされ、仮想空間の仮想ゲームに人気を奪われた実演スポーツが衰退していく話。話自体は単純だが、観客の誰もいないスタジアムで行われる最後のフットボールの試合は切ない。
"The Lonely Songs of LarenDorr"(1976)★★★★ これはいいね。遠未来の幻想的な宇宙のある惑星が舞台。無理矢理別れさせられた男を捜し求めて、<ザ・セブン>が支配する砦への侵入を試みる娘。門番に襲われるが、ある男に命を救われる。この男は、娘に恋をし、恋の力で侵入を食い止める門番だった&&とネタバレしてしまうと身も蓋もないが、情感あふれる筆致、門番男の哀切なキャラ的魅力、巧妙などんでん返し(この男が<門番>だというのは最後まで伏せられている)と、技巧は完璧に近い。
"The IceDragon"(1980) ★★★★1/2 これはいいッ! やはり超遠未来の幻想的惑星が舞台。氷の地に住む主人公の娘は、兄弟の中でひとりだけ、心の冷たい<氷の娘>として腫れ物を触るように扱われている。娘は、北方から現れる<氷の龍>を好み、いつの間にか乗りこなすようになっていた。この地方は領土争いの戦乱に巻き込まれ、敵国の火龍がついに襲ってくる。家族は避難しようとするが娘は拒む。現れた氷竜が娘を助け、火竜を撃退し、命を落とす。孤独な少女アダラのロリ受けしそうなキャラの魅力と、けなげな氷竜のかわいさ、切ないエンディング。氷のイメージの冷たい美しさ。愛と孤独の作家らしい技巧が光る傑作。
"In the LostLands"(1982)★★★1/2 これは更にファンタジー色が強まっている。ある女の愛を得るため、彼女の求める<狼への変身能力>を授けて欲しいと、<グレイ・アリス>という魔法使いのような存在の女(変身能力あり)を訪れる男。グレイ・アリスはこの願いを聞き入れ、人狼男に接近し、この男と恋仲になったあげく、満月の夜に変身した男を殺し、その変身能力を毛皮に封じ込める。とにかくキャラクター描写がとてもよい。意中の女と結婚したが満月の夜は狼女に変身する妻に悩まされる笑えるオチがついていて、巧い。
"UnsoundVariations"(1981)★★★★1/2 これは大傑作で、実際は満点に近い。ケン・グリムウッド『リプレイ』(古くは『賢者の石』『ある日どこかで』など決して珍しいアイデアではないが&&)でおなじみの「精神だけのタイムトラベル」物のひとつだが、料理の仕方が桁違いに巧い。また、極上のチェス小説でもある(そういえば、題名がゼラズニイのチェス小説"UnicornVariations"と極似だが、何か関係があるのかも。たとえば同じチェス小説のアンソロジー用に書きおろしたとか? 暇があったら調べてみる)。元作家志望だったが不運続きで夢破れ、ジャーナリストとしても失敗して売れない本屋を経営している男が、大学時代のチェス仲間に呼ばれ、妻とともにこの男の邸宅へ向かう。招待されたチェス仲間3人とも、人生に失敗した敗残者だったが、招待主の男だけが大財閥の大金持ちになっていた。だが、大学時代にこの4人で組んでチェスの大会に出たとき、強豪チームをもう少しで負かせそうだったのに、招待主の男の失敗によって結局破れたという過去があった。招待主の男はこの敗北感にとりつかれ、他の3人をうらみ、精神タイムマシンを作って何度も自分の人生をリプレイし、他の3人の人生を妨害しながら、破れたチェスの試合のあらゆる差し手をシミュレーションしていた。そして、3人を自分の館に軟禁し、自分にチェスの試合で勝てば、俺の財産か、精神タイムマシンの使用権をやろう、と告げた。しかも、あの招待主が敗れたチェスの試合の駒の配置で、招待主が相手役をし、他の3人が代わる代わる招待主のポジションで指すというルールだった。他の二人が次々と敗れ、主人公が最後に対戦する。しかし、その駒の配置では招待主の側はどのように指しても(相手が指し手を間違えない限り)必ず負けることが確実な<不公平な配置>であることを、前夜の分析で突き止めていた主人公は、指す前から負けを認め、その事実を指摘する。そして、招待主が<精神タイムマシンの使用権>を提供するというのにこれを辞退する。自分の人生の失敗は招待主の妨害故であり、自分の才能の逆の証明であるということを妻に指摘されたためだ。しかも、招待主が<前の時間線>で知り得なかった自分のアイデアに関しては招待主が<この時間線で>盗用することはできない、妨害されることはないのだ。主人公は第2作の小説執筆に取りかかる。招待主はふたたび<精神タイムトラベル>をし、この時間線においては機械の中で死体で発見される。だが、「何度トリップしてもダメだ、なぜなら彼にとってこの人生の駒の配置自体が<不公平な配置>、絶対勝てない配置になっているのだから」と主人公が考えるという、巧すぎるオチが付いている。備忘用なので全部ネタバレしてしまったが、ご寛恕ください。
"ClosingTime"(1982)★★★1/2 傑作ユーモア短編。人に変身能力を与える装飾品によって世界が滅びる話。鳥に変身できるといわれてその装身具を買った男は、ウサギに変身したといって怒る。だが、その装身具は持ち主の所有する車の銘柄が表す物へと変身させる物だった。現在の持ち主はVWだからカブトムシに変わるはずだ。だが、かれはそれを妻に贈っていた。妻が持っていたのはNOVA。そして世界が超新星で破滅するという話。
"Under Siege"(1982)★★★1/2 精神だけのタイムトラベルによってナポレオン時代のロシアと戦うフィンランド軍の戦士の精神に宿って操り、戦局を変えて歴史を変えようとしている男たちの話。巧く歴史を変えれば米ソの核戦争による放射能被害を歴史から消せるのだ。それによって自分たちの存在は消えるだろうが、自分たちの代わりに健康で幸福な人々が生まれてくるだろう。主人公はそのために徴用された。だが、かれは自分が操っている男に情が移ってしまう、そして&&という話。こういうアイデアストーリーを書いても人間描写に深みのあるところやオチの付け方がいかにもこの作者らしくていい。
"The GlassFlower"(1986)★★★★ これも傑作でしょう。精神の転写、肉体の機械化(脳を含む)などが自由自在に可能となった幻想的遠未来が舞台。ある惑星で、<マインドゲーム>を主催する<生と死の女王>と呼ばれる女(オリジナルの肉体ではなく、魂の死んだ娘の肉体に自らの精神を転写している)のもとへ、軍人として名高い太古のサイボーグの男(戦死しかけた状態で長期間保存されたあげく、精神をサイボーグの肉体と超高性能なコンピュータ脳にコピーされて復活)が<死すなわち生>を求めてやってくる。男は不死=死んでも生きてもいない状態にうんざりしていた。<マインドゲーム>は4人のプレイヤー、4人のプライズと、ひとりのマスターが参加して行うVR上のゲームで、VR空間で最後まで発狂しなければ勝ち。サイボーグ男は勝ち残り、マスター女と肉体を交換する。肉体を交換はするが前の記憶も残っているというのが面白い。要するに両人格の記憶を併有することになる。<永遠の生よりも死と裏腹の生を選ぶ>というところや、精神同士のふれあい、接続を描いているところなど、名作「ライアへの賛歌」(★★★★★。『世界SF大賞傑作選』講談社文庫に収録)との共通点が非常に多いのも好感度高い。
表題作(1985)はだいぶ昔に読んだが、普通のファンタジーだった。印象は、★★★ぐらいだったと思うが、内容は思い出せないので詳細は省略する。確か、主人公の家に帰ると何かの肖像画がおかれているという出だしで始まる話だったと思うが&&ホラーっぽかったような気がする。めんどいので再読はしない。

テーマ性 ★★★★
奇想性  ★★★★
物語性  ★★★★★
一般性  ★★★★
平均   4.25
文体   ★★★★★
意外な結末★★★★
感情移入力★★★★★
主観評価 ★★★★1/2(45/50)
silvering at 11:49 │Comments(1)読書

この記事へのコメント

1. Posted by slg   November 19, 200515:11
投票内容
件数 場名 レース 式別 馬組 金額
(1) 東京(土) 11R 複 勝  09
100円
合計 100円
*****
*****
2005年
12/7
マーティン「子供達の肖像画」★★★★1/2
SFではないけど、うまいです。作家のもとに作中人物の肖像画が届き、夜になると肖像画中の人物が生きて現れる話。ひとり目が男の子、二人目が理想の女、3人目がもう一人の自分(新聞記者)、4人目が実の娘をモデルにしたもう一人の娘。ストーリーの進行につれて、家族との過去が次第に明らかになっていきます。特に、レイプされた娘の話を小説に書いたことが明らかになるくだりはさすがのうまさ。ラストは画中の娘をモデルにした登場人物に殺される?と思わせておいて、実は画家のセールスだったことが分かるというオチがスマートでいい。伝統的なホラーストーリーに乗せておきながら、実は作家の妄想だったというわけですね。書くということについての批評にもなっています。SFではないけどネビュラ賞になったのはうなずける。いかにもネビュラ賞向きの洗練された作品です。