SF百科図鑑

ジーン・ウルフ「ケルベロス第五の首」

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July 26, 2004

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ジーン・ウルフ「ケルベロス第五の首」2520円。

現在読んでいる「アステカの世紀」読み終わったら読みます。「アステカの世紀」は読了後に感想を書きます。今第2章に入ったところ。改変歴史小説でアステカ帝国がスペインに滅ぼされず世界の最大勢力となり英国を占領したという設定。リアルで面白い。
なお、「SF雑誌の歴史」は値段が高すぎるため古本屋待ちに決定。あるいは、原書を買ったほうがよいかも。ただし、巻末索引の作品名には邦訳出典が併記されており、これは原書では得られない情報だから、できれば邦訳書が欲しいのだが。
silvering at 00:40 │Comments(20)TrackBack(0)読書

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この記事へのコメント

1. Posted by ひねもす   July 26, 200423:35
出たのね。
ここは金の使いどころ。
通販できるのかね。
忙しいのと早寝早起きで優先順位が下がってしまうのだけど、キミの評価待ちで買うか。
2. Posted by ひねもす   July 26, 200423:37
出たのね。
君の評価待ち。その後、買おう。
現在仕事優先モードなの。
3. Posted by silvering   July 27, 200402:33
通販OK アマゾンコムでも何でも。
今のアステカが、多分今週中くらいには読み終わるので、ちょっと待ってね>ケルベロス
「SF雑誌の歴史」のほうは店頭で見たが、時代を追って丁寧に説き起こしているし、1号1号の内容の紹介にも結構ページを割いていたので、読み物としても情報源としても、なかなかいいのではと思う。特に巻末索引の作品リストは有用。ただ、お値段がね&&
4. Posted by silvering   July 29, 200400:04
アステカの世紀面白すぎ。
もうちょっとで読み終わる、あと100ページ弱。
5. Posted by silvering   July 29, 200407:46
参った。新規記事がアップできなくなっている。5回連続失敗だ。
7. Posted by silvering   July 29, 200417:27
「ケルベロス」読み始めた。平行してメアリ・ジェントルの改変歴史ファンタシイ、アッシュシリーズ第1弾「アッシュ:秘密の歴史」も読んでます。
8. Posted by silvering   July 30, 200401:59
ケルベロス、訳文判りやすいんだが、ちょっと無味乾燥かな。内容的に、もうちょっと格調高い文体のほうが雰囲気出るんだが&&。平井呈一風擬古文体なら言うことないんだけど。まあそこまで望むのは贅沢だろう。翻訳出ただけありがたいと思わねば。
あと、ちょっと誤植多いかも。「味あわせる」は気になった。校正者のレベルが落ちてるのかな。
9. Posted by silvering   July 30, 200422:06
第2話まで読んだが、あんまおもんない。
確かに難しい。
プルーストの「失われた時を求めて」に影響を受けているらしいが、それも読んでないのでよくわからん。
10. Posted by 手下母艦   July 30, 200422:22
> あんまおもんない。

ということは相当つまらんと考えていいよね。
結論を待ちます。
11. Posted by silvering   July 31, 200413:15
ストーリーテリングで読ませる作品でないことは確か。書かれた時期からしても、英国ニューウェーヴの影響顕著なりし作品なのではないかと推測される。難しいです。「難解なものを読み解く」ことにカタルシスを覚える、マニア向けの作品であることは間違いないでしょう。一般性は皆無。SFオタク以外では、一部のへそ曲がりの本格ミステリおたくには向くかもしれないが&&。
この手のタイプの作品はラストのどんでん返しで評価が一変することがあるから、まだ逆転の可能性はあるが、正直、平行して呼んでいる改変歴史ファンタシイ「アッシュ・秘密の歴史」の方が面白くて、ケルベロスの第三部のほうをなかなか読む気にならない状態ですので、最終評価はもうちょっと待って。できれば今日中には読み終わりたい。
12. Posted by silvering   July 31, 200417:27
プルーストに影響どころか、カキダシぱくりやないか。呆れた。
13. Posted by silvering   August 01, 200401:42
ケルベロス読了。結構いいかも。途中を斜め読みしたのを悔やんでいる。今頭を整理するため、部分部分を再読中。最終評価はもうちょっと待って。
14. Posted by silvering   August 01, 200415:47
ケルベロス。
1回目に読み飛ばしてたところにも深い意味があったことがわかり、要所要所を再読する。肝心のところをぼかしてあるので(わざと?)、明確にはわからないが、すりガラス越しに見える世界像は強烈だ。しかしそれも全て嘘かもしれないことは、作中人物(この人物自体架空かもしれない)の言葉が代弁している通りである。
本作は表層的な物語3編と、そのさりげないフレーズの部分に埋め込まれた背後にあるより深くあいまいで巨大な物語の多重構造をなしている。更に厄介なことに、この奥にある物語は不定形で真実がいずれであるのかが判然としない。というよりも真実を特定することなど無意味だというのがこの作品の主張ですらあるようだ。
1回目に読むときは、表層的な物語を普通に楽しむことが自然にメインとなる。その表層的な物語は&&
第1話は、一種のマッドサイエンティスト物で、ディック的な自己認識の崩壊と再構築を、実験材料の視点からその記憶を一人称語りで語る、というスタイルで提示している。ネタをバラすと、ウェールズ出身の生物学者が、舞台となる惑星に殖民し、自己の知識と記憶をアンドロイド(ミリオン氏)に移植して教師役に仕立て、自分のクローンを大量に作成し、失敗作は売ったり改造して奴隷にしたりしながら、自己に似た成功作を自分の跡取りにして同様の実験を続け、自己のアイデンティティを探求するという話。語り手は、何代目かの成功作であり、比較の対象として通常の子として生れたディヴィッドと全く同じ環境、条件で育てられながら、「父」に比較研究される。この館は、売春宿の上がりで成り立っており、館の主はそれをほとんど自己の研究につぎ込んでいる。真相を知った「わたし」は父と対決する&&
第2話は二重惑星のもう一つの星の原住民の民話。同じ母から生れた東風と砂歩きの兄弟のうち、砂歩きの視点から書かれた神話風の物語である。「マーシュ」という第1話で館のヴエール博士を訪れた(自称)地球人学者が採取した民話という位置づけである。表面的にはこの砂歩きの求道の旅をファンタシイ風の筆致でつづったものであるが、そのスタイルを通じてこの姉妹惑星と原住民の驚くべき実質が象徴的に語られている。
第3話は、政府諜報員殺害容疑で逮捕された「マーシュ」から政府が没収した記録を担当者が読むというスタイルのコラージュ作品。この第3話で全体の視点が統合され、第1話、第2話で埋もれていた裏の真相が徐々にかつ曖昧に明らかにされるという最も重要なパートである。表面的には、(ネタバレしてしまいます)現地人と地球人のハーフの少年が地球人学者になりすまし、人類学を学び、大学で政治に手を染め姉妹惑星を訪れ「第1話」の館を訪れた後、事件で逮捕され獄中で日記をつづる、という話。スタイルはまさに叙述トリックの本格ミステリだが、明確な「探偵による解決編」がないという点で、アンチミステリである。それゆえに、視点人物の担当官も結局、「マーシュ」が地球人なのか原住民なのか結論が出せず、永久投獄という結果になってしまう。

とにかくこの第3話が曖昧にして秀逸であり、凡百のミステリにありがちな「せっかくの異常にして過剰な謎が、安易な現実的で明確な解決によって貧相なものに変貌してしまう」という弊害を、結論の意識的な不確定化(話をまとめきれず放置というのではなく、「作者には全てが見えているのにわざと語らずに手がかりだけを提示し、読者の想像に任せる」という形での)によって見事に免れているのだ。それによって、第3話の真相自体が効果的に妄想をかき立てる曖昧なものとなっているし、恐らくマーシュは原住民とのハーフの若者だとしても、作中でおびただしく引用される手記の、どこからどこまでが真実なのかそれとも改竄ないし創作なのか、その判断は読者に委ねられている。普通のミステリならば、「この文章のこの部分は誰それが本人になりすまして書いたもので&&」などと種明かしするところだが、それが(明らかにわざと)ないのだ。

そしてこの第3話はそれ自体一個のアンチミステリとして秀逸であるばかりでなく、一応話として独立して成立しえたかに見えた第1話、第2話の裏に隠れた、SFならではの驚くべき真相を、逆照射する視点を提供しているという点で更に決定的に重要である。第1話で紹介された「模倣能力を持った原住民が地球人類に乗り代わり、自分を人類と信じて生活している」というヴェールの仮説、第二話の「影の子」と「沼人」と「星船」の伝説(最後に落ちた星船に乗っていたたぶん地球人とおもわれる人々が降りてくるシーンがある)、こういったものがつなぎ合わされ、アンフェアにならない程度に明確と不明確の瀬戸際あたりで論理的説明を与えながらフランスの殖民隊がくるはるか以前にも地球から「星船」がきたのではないか、真の原住民といえる影の子は、その段階で、自由を捨て、人類を模倣しアボとなったのでないか。ちなみにフランス殖民隊がそれぞれの星でアボと戦い敗れ、違った形態で共存するようになったという話も語られる。第1話、第2話に関連する形で様々なありうべき真相がこの第3話で語られる。それらは相互に符合するようでいて、矛盾するようでもある。
しかし、それら諸々の「ありうべき真相」は全て、自称地球人学者「マーシュ」の「騙り」である可能性を常にはらんでいる。第2話全体が「マーシュ」の作品であることも同様である。

本書はこういった形で、SFとしては「クローン、脳内情報の転写とアイデンティティ」「完全擬態能力を持ったエイリアンとアイデンティティ」「超古代文明と宇宙殖民」「異星の特異な生態系とそこで構築された宗教や伝承」「音による暗号コミュニケーション」「進化と痕跡器官」といった多彩なネタを詰め込みながら、全体を壮大かつ巧妙な重層構造物に組み上げる離れ業を演じている。

結論?再読すればするほど味わいの深まる、稀有な思弁アンチ&メタミステリ進化人類学生物宇宙SFの大傑作。

テーマ ★★★★★
アイデア★★★★★
物語性 ★★
一般性 ─
平均3点

対象読者?アンチミステリ・メタミステリ好き、エイリアンを材にとった人類学SF好き、マッドサイエンティストおたく向き。
15. Posted by silvering   August 01, 200418:57
追記。
「進化と痕跡器官」について。私の解釈はこうだ。大昔ゴンダワナだかムーだかアトランティスに超高度の文明があり、星間飛行で人類はこの二重星系に到着したが「完全な擬態能力を持った原住民=影の人」に敗れ、取って代わられた。影の人のうち擬態したものは沼人などとなって、人類よろしく定住生活を営むようになったが、自由を徐々に喪失し、擬態能力も退化して「痕跡」となった(だから、マーシュになりすましたハーフの少年は、年齢程度の外見は偽れるが、それ以上の変身能力を有しない。それは進化上の痕跡能力に過ぎない)。擬態しなかった山中の影の人はそのまま自由の民として、これら人類化し枝分かれした種を恐れ、おりてこなくなった。その後、数万年後にフランス人の星船がきたが、戦争の末、共存するに至った(恐らくこの時点でフランス人に擬態した影人もいるかも知れない)。
そして、作者の追求したいテーマは、このようにして人類化した結果、原住民が「自由の民」でなくなるというところに象徴的に現れている。その人類化の善悪評価は、悪魔の町、地獄の館、ケルベロスの像、砂歩きの「死」、第三部「わたし自身が・・・だった。今はもういない」発言に象徴されている。人類化自体が進化の袋小路で、その中であがき続けるのが人類である。それを象徴するのが、第1話の生物学者たちであり、第2話の砂歩きであり、第3話のマーシュ=ハーフの少年である。地獄の中であがきながらも、抜け道を抜け出さねばならないと、努力を続けるのが人間存在である。だからマーシュは、地獄の館の主人に共感し近づいたではないか。
16. Posted by silvering   August 02, 200400:45
2ちゃんでAIやコピー人格の人権享有主体性を論じるスレ発見。
しかし、個人的には、AIやコピー人格に人権が認められるっていう
話よりも、人権とか人格権とかいう概念が、様々な架空のSF的な政治/経済/社会システムにおいて、科学的に普遍的な合理性を持ちうるのか、
持たないとすればどう変容するのか、あるいは上位概念に統合されてしまうのか、といった話の方に興味がある。正直、今の日本の法律学の大半は実学で科学とはいえないし、そもそも法律概念は、政治目的達成のための方便としていくらでもでっち上げられるものだからな&&。

その辺は追々、検討してみたい。まずは、政治/経済/社会システムの歴史上存在したもの及び論理的に将来存在しうるもの(SF上現れたものと自分で論理的に存在を推認できたもの)をリストアップし、それが『機械』として優れているのか否かといった比較分析、評価をした上で、その中での法律概念、規制の態様と効用の相関関係を検討する予定。
17. Posted by silvering   August 07, 200414:20
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/Reading/fhc/mycerberus.html

ケルベロスの解釈例。

後半は違うんじゃないか?手を怪我した云々のくだりは、明らかに嘘でしょう。もし地球人だとしたら何年も治らないわけないじゃん。
あとはVRTが「自己を原住民と信ずる地球人の子」という解釈と、父親が主張するように「母親は原住民でハーフ」という解釈の対立。私は後者が真実と仮定した場合にのみ、本作の全体が最も無理なく説明できると思う(でも結局、士官は聴いてないテープをぶん投げるんだけどさ。そこに違う話が入ってるかも知れないし、全部でたらめの嘘で、部分的に偶然の一致でもっともらしく見えるのかも知れない)。上の解釈では、この点の検討は全然していないようだ。マーシュ博士の手記で「この親子は嘘つき」と紹介されたという部分が冒頭にあるので、鵜呑みにしてしまったのか? しかし、VRTがマーシュに入れ替わったのなら、手記全体に改竄の可能性があるわけだし、マーシュ博士の手記の内容自体、「そのように紹介された」というだけで、事実と確認したわけでもない。
やはり字の乱れの点が決定的だと思うよ。もしマーシュだとしたら、腕の怪我が何年も治らないことも、案内役が死んだというのに平気で一人で山に何年もこもっていたのも、その山にこもっていた何年もの間(字が汚いとか紙ぎれとか理由はつけられるだろうが、だったら山から出ろよ、という話)手記を書いていないことも全て不自然である。またVRTの綴り方帳の文字と似ているというのもおかしいよ。マーシュがわざわざそんな綴り方帳の文字と真似て字が下手な振りをするのも、あるいはVRTの綴り方帳を偽造して自分がVRTと見せかけようとするのも不自然である。ということはその綴り方帳はやはり、VRT自身の本物またはVRT自身が自分が昔綴り方で使ったものをマーシュに渡し自分がマーシュに成り済まし持っているという設定で新作したものであるかのいずれかだろう。というか、普通に前者の解釈でいいだろう。
ここは明らかにVRTの入れ替わりと考えるのがより確からしい。
そう考えることにより初めて、手記の中で「自称マーシュ」が語る原住民の歴史を第2話とつきあわせながら、人類植民と原住民の進化の歴史を類推する楽しみが許されるのだ。何しろ、「母親が大昔地球人に擬態して地球人化した原住民(地球人に擬態したからこそ地球人との交配は可能)で、地球人とのハーフとしてアイデンティティに悩む知的な半原住民」の語る話であればこそ、その内容にリアリティが出て来るのだ。そして、もと擬態種族であるが故に本能的に嘘をついてしまうものの、時々真実も話してしまう不完全さがあるが故に、その語る内容はどの部分も常に真実の可能性を孕んでいる(アボの擬態が完全だったらその能力が失われる、不完全なはずだという第1話の叔母の話、あるいは進化と痕跡器官の関係を「自称マーシュ」自身が指摘している通りである。擬態が完全なら、痕跡など残らないはずだからだ)。
VRT=半アボ、入れ替わり肯定。この前提で読んでこそ、この作品は最も真実らしく読めるのだ。そしてそう解釈しないと、第3話の「自称マーシュ博士」の後半の獄中手記で「看守に取り上げられた」がゆえに士官に読まれてしまう手記部分(それ以後は書いて捨てるようにしたようだから、読めない)における独白が胸に迫らない。そこで語られるアボの歴史、半アボ=VRTの苦悩が真実であると考えることにより、初めて「進化の袋小路に入り、人類化により自由を失った種族の苦悩」「人類化は、進化はただの悪ではないか?不幸ではないか?」という本作を真実と解釈した場合における究極テーマが生きて来るのだ(むろん本作のもう一つのテーマは、「小説とはしょせん騙りである。嘘を楽しむものだ。真実よりも嘘の方が価値が高い。真実なんてクソだ、死んじまえ!」というものである。だが、嘘とはすなわち自由であり、真実とはすなわち画一解釈の押しつけであり束縛であると考えると、結局本作の最終主張は、極めて高次元において「束縛はクソ、自由マンセー!!!」という自由主義の思想書、ということになる)。それは、第1話で、自己クローンによるアイデンティティ探究をする人類を地獄に喩えている(人類=進化の袋小路=悪=オワってる)ことにも表れているし、第2話の「自由の民=影の民」が星船できた人びとによって変容を強いられ圧迫を受けるという物語(作者が「半原住民」のVRTであると考えてこそ、その悲痛さは強く感じられる。また、自称マーシュが獄中手記で書きたいぞといっている「小説」こそがこの第2話なのだとも考えられる)ともよく符合する。
で、結局、第1話で、「最も可能性が薄い」と主人公が切って捨てられた「フランス移民が来るずっと前にも地球人(ゴンドワナとかアトランティスとか)がきていて、その時点でアボが人類に乗り変わった」という仮説が最も確からしいということになってしまう。そう考えないと現地の建物がフランス人植民がきたとき建てられたにしては古すぎること(それ以前に地球人化して地球人同様の種族として生活していたと考えると、無理なく説明できる)と符合しない。
また、「アボは一種類でなく多様なものがいる」という説明が出てくる。アボの表れ方は様々であるが、大半は隠れて暮らしており、人類に混じっているものは人類に似ているが体つきに違いがあるという。目の色が緑とか。これは要するに、太古の地球人に擬態したが故、よりゴリラっぽい姿態になってしまったと考えられる。これが第2話でいう沼人にあたるとも考えられる。
で、表面に出てこないアボは人類化を嫌い出てこないが故に、擬態能力を喪失していないアボで、それは第2話の「影の民」を指すと考えるとよく理解できる(最も厳密に考えると、擬態能力がありながら擬態しない生物などありうるのか、そもそもどんな形なんだ!とも思えるが、結局、アボ=星そのものないしそのガイアであると考え、この星がレムの「惑星ソラリス」のような力を持っていると考えれば無理に説明できなくもない)。

この解釈が3話を通じていちばん矛盾が少ないし、人類化と自由を喪失したアボの悲劇というテーマを悲痛にできるし、超古代文明による植民という「最もあり得ない」と第1話で否定された解釈が「最も確からしい」という皮肉にもなっていて、かつ、最もSF的イマジネーションも広がる。
18. Posted by silvering   August 07, 200414:46
アボの歴史は、帝国主義による原住民の文化破壊、ヴァンダリズム批判としても読める。

*   *

VRT入れ替わりのもう一つの裏付けは年齢で、マーシュとあったときVRTは15歳で、マーシュとは10歳近く年齢が違う、と書かれている。獄中手記の時点での自称マーシュは20を少し過ぎており、「やけに若い」といわれている。実際に経過したと思われる5、6年の時間を考えるとマーシュはおそらく逮捕時点で30歳を超えているはずであり、VRTが入れ替わって老けて見える工作をしたものの能力が不完全なためにその程度しか誤摩化せなかった、と考えると符合する。

*   *

もうひとつ、肩書きが「哲学」でなく「人類学」になっていること。手記によると、VRTはマーシュが哲学の学位をもっていると父から紹介されている(個人的興味で人類学に興味を持ちフィールドワークに訪れた)ことから、哲学者と名乗るべきなのになぜそんなミスをしたのかとも思われるが、結局、VRTがマーシュから見せられ熱中した本は「人類学」の教科書だった。VRTが3年も山にこもっていたのは、この本に熱中し自ら研究を重ねていたのだろう。というか、本気で人類学者になり切ったのに違いない。恐らく実際に「自由の民」から伝承を聴き取っていたのだろう。自分のルーツを知るという意味も込めて。VRTがマーシュを殺し乗り変わったのはアボの血、本能、自らいう「進化の痕跡器官」のなせる業に違いない。動機は、その本能である。そうやって人類学に熱狂し、アボの歴史の真相を見抜き、二つの星の政治状況の相違を知ったVRTは、政治にも目覚め、大学に入り、人類学の研究をする傍ら政治活動に手を染め、敵の星に訪れたということで、乗り代わり説に興味を覚え第1話の叔母を訪問したのも、それが正鵠を射ていたからだろうと思える。
19. Posted by silvering   August 07, 200414:49
で、哲学者と名乗らなかったのは、哲学に興味がないために突っ込まれると答えられないからじゃないか? あるいは能力が不完全であるが故の単純ミスかも知れないが。

でもこういった明らかな矛盾があるのに、士官はどっちとも結論が出ず、嫌疑不十分なまま永久投獄しちゃうんだよなあ。
20. Posted by silvering   August 07, 200414:56
そういえば、フランス人がきて次にイギリス人がくるっての、北アメリカっぽいな。いろんな寓意がありそうだよ。マジで凄すぎるわ、この本。
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