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フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキー『罪と罰』上下 新潮文庫

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September 01, 2005

フョードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキー『罪と罰』上下 新潮文庫

悪霊を読みたかったが見つからないのでこれから。
前半が結構冗長だったが、第六部からエピローグにかけての展開が神で、普通に感動した。ただ、登場人物の台詞がやたらと長く、一人で10ページもぶっ続けでしゃべり倒す人物が続出するのにはあきれ返るが、慣れれば何とかなる。
大学中退の貧乏インテリ学生、ニート状態に陥り、頭がおかしくなって、英雄願望を満たすため「人類は凡人と非凡人に分類され、凡人は犯罪をしてもいい」というイカれた思想をでっち上げ、質屋のばあさんとその妹を殺害。官憲の追及をびびりながらかわすが、家族を養うため娼婦をしている無垢のソーニャと知り合い、秘密を打ち明ける。ソーニャに自首を勧められながらもためらうが、飲んだくれで女好きのニヒリスト・スヴィドリガイロフ(主人公の妹にマジ惚れし妻を毒殺するようなインモラルな人物)に立ち聞きされ、「お前は俺と同じだ、死ぬか自首か2つにひとつだ」と言われ懊悩の挙句、自首。スヴィドリガイロフは主人公の妹に振られて拳銃自殺を遂げる。主人公はシベリアの監獄に送られ、ソーニャはついていく。監獄の中でも自分の狂った思想からなかなか抜けられなかった主人公だったが、ソーニャの献身、他の囚人の姿などを見るうちに、自分の冒されていた思想が世界に蔓延するウイルスのような邪悪なものであることを夢の中で悟り、人間としてソーニャとともに生きなおそうという希望を見出すエンディング。
いわゆる倒叙ミステリ的なプロットの中に、多彩な登場人物をぶち込み、長大な会話や討論、詳細な心理の動きなどを詰め込んだ饒舌文体で、圧倒的な迫力がある。主人公は、典型的な、インテリぶったいけ好かない、感情移入困難な<最低人間>として登場し、嫌悪感を催させるが、さまざまな人物(ヒロイン的人物であるソーニャはもちろん、予審判事とスヴィドリガイロフの二人も個性的なキャラとして造形されているし、主人公を慕い信じ続ける母親と妹も泣かせるキャラ)と交渉を重ねるうちに、表面的な動機(出世のための資金を得る)の奥に隠れた真の動機(英雄には慣れない卑小な自分の器を薄々自覚しつつも認めたくない懊悩を取り去るため、自己から逃走する手段として凡人・非凡人理論をでっち上げ殺人による逸脱を目指した)を自覚し、自殺ではなく自首を選び、獄中で時間をかけてようやく狂った悪魔的思想から脱却し、ようやく感情移入可能なまともな人間になっていく。彼の心理を緻密に追ううちに、われわれの誰しも心の中に多かれ少なかれラスコーリニコフ的部分があることに気づかされ愕然とする。エピローグの獄中で主人公が、世界中の人々が<凡人・非凡人理論>というウイルスに冒され人類が破滅的未来に向かう夢を見る場面は、20世紀の2度にわたる世界戦争の悪夢を予見する内容でSF的センスオブワンダーを感じる。
血の通わない人間性を欠いた生硬な論理やイデオロギーは、一見どんなに論理的に見えようとも、また、右も左も関係なく、その実態は狂気や邪悪な殺人、圧制や戦争をもたらす悪魔である。そのことは20世紀の共産主義国やナチズム国家の狂気の独裁体制や、民族殲滅、核兵器や生物化学兵器などの大量破壊兵器使用といった歴史上の事実が証明しているが、その本質をドストエフスキーは1860年代に既に予見していた(このテーマをより掘り下げた『悪霊』が禿げしく読みたい)。テーマ設定は我国で言うと、三島由紀夫作品に近いものがあるが、やはり破壊力ではドストエフスキーの足元にも及ばない。
巻末解説を見ると、ドストエフスキー赤貧時代の作品で、シベリア抑留経験後の作品でもあり、かなり自伝的要素を盛り込んでいるのではないかと思われる。
テーマ性   ★★★★★
奇想性    ★
物語性    ★★★★★
一般性    ★★★★★
平均     4
文体     ★★★
意外な結末  ★★
感情移入力  ★★★★
主観評価   ★★★(30/50)

silvering at 00:08 │Comments(0)読書
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