SF百科図鑑

ジェフ・ライマン『子供の庭』

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June 08, 2004

ジェフ・ライマン『子供の庭』

child garden
その要約版「愛の病」が英国SF協会短編賞を受賞している、『子供の庭』のスレッドです。
ここで買えます。

ジェフ・ライマン Geoff Ryman 1951- Canada 邦訳作品
Novel
『夢の終わりに&』 'Was...' (1992) 早川書房 夢の文学館3
Short Fiction
「征(う)たれざる国」 The Unconquered Country 河出文庫 20世紀SF5 1980年代 冬のマーケット
「オムニセクシュアル」 Omnisexual S-Fマガジン1991/11 No.419
「不測の場合には&」 Dead Space for the Unexpected (Interzone 1994/10) S-Fマガジン1995/11 No.472

少ねえ&&
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1. 英国SF協会賞 [ 馬とSFの日々 ]  June 11, 2004 15:40
ここらでまとめておく。

この記事へのコメント

1. Posted by silvering   August 26, 2004 23:10
ジェフリー・フォードの「白い果実」が面白い。これを読み終わったあとに、本作を読みます。
実は本作も、ちょっとプロローグだけ読んだ。人間を有能にするウイルスが蔓延し、ほとんどの人間がこのウイルスのキャリアとなった未来社会の話のようだ。アイデアはデヴィッド・ブリンの「益病」と似ているが、結構面白そう。
2. Posted by silvering   August 28, 2004 02:14
今月はほかにも読みたい・買いたい新刊やその積み残しが多く目移りがする。
オーツ「生ける屍」
ハミルトン「キャプテンフューチャー1」
ソモサ「イデアの洞窟」
他にもキングのスタンド3~5、復活の儀式上下など&&
そうこうするうちに国書のエンベディングやレムが出ておっつかなくなりそう。早川Jコレクションも1冊も読まないうちに第1期が完結しそうだし&&
まあ、それだけ久々に、SF・ファンタシー・ホラーが元気ということで、喜ばしいことではあるが。

というわけで、誘惑を振り切って、本書に入りました。
今50ページまできた。
知識を伝達し人間の行動を制御できるウイルスによって、人間の知力・知識・倫理などが強化され秩序を形成しているという未来社会が舞台。その代わり癌細胞の活動が抑えられることにより老化防止の物質が分泌されなくなるため、平均寿命は半分の30~40歳ぐらいに下がっている。人々は10歳で成人とみなされ、〈党〉によって、全員に上記ウイルスの種痘が行われ、身体・精神の情報が読み取られて、この情報から作成された仮想人格から成る〈コンセンサス〉という直接民主制的機構によって、政治的意思決定が行われる。また各人はこの年をもって、それぞれの職業に〈配置〉される。体表には光合成を行う特殊な色素があるため、大半の人の肌の色は紫であるが、〈革命〉以前の古い時代の演劇などを演ずる役者はリアリティを出すために日焼けをなるべくしないようにするため、夜行性である。また、逆に癌細胞が強化されて前身が癌細胞だけになった長命の人種も生れている。更に、遺伝子改造で人間並みの知性を備えたホッキョクグマなども出てくる。
──とまあ、ばりばりの本格SFという感じの奇抜なアイデアの出しまくりなんだが、文体はSFというより途中から結構メルヘンチックな感じがしているのは、熊少女の天才歌手が家族から音楽をやることを反対されて悩むといったエピソードのせいか。ただ、主人公の女はこの熊少女に恋愛感情を抱いているレズ&獣姦の二重の変態だったりするし、一筋縄でいかないのも確か。
「すずめ」と違って、筋立てはうまく、SFアイデアも多彩で、文章も味があり、無駄も少なく。エンタテインメントの基本はおさえているので、読むのが楽しい。

果たしてこの熊少女は歌手になれるのか? 主人公の変態レズ女の想いは別に通じなくてもよいと思うが、能力強化のウイルスに感染して光合成する人間が当たり前になっていて、正常と異常が逆転している未来社会という反転した視点から、何もかも見ることになるから、さりげない一つ一つの言及が全て新鮮に感じられて興味が色あせないというのが本作の強みだ。
今のところ、アンチユートピアものなのかな? 「ウイルスの力で回っている人間社会なんて本当のユートピアじゃない、自由じゃない! ウイルスに支配されないホッキョクグマの方こそ人間だ」という主人公の女の主張が本作のテーマだとすれば、結構ありがちな定石的パターンかもしれない、まあでもそういうの結構好きだけど。

今日100まで行く予定。
3. Posted by SILVERING   August 30, 2004 07:10
オリンピックのせいで大幅に遅れてやっと126ページ。ひでえ。
今日から気合い入れて読む。時間は限られているから。

ここまでの流れは、熊少女がズーに入り接種を受けコンセンサスに入ることとなりミレナと別れるが(最後にミレナと寝る)、ミレナがしばらくしてズーにといあわせると行方不明なことが分かり探しまわる。結局、ロルファは自宅に衰弱した姿で戻り、自宅におくことになる。ミレナは劇団の団長が死んだので自らが監督となり精力的に公演を行う。
4. Posted by silvering   August 31, 2004 01:57
本日150ページまで
ミレナはロルファがダンテの本に書き込んだ曲をオーケストラで演奏すべくマックスという男に依頼するが、創造性を忌み嫌うこの男は借りた本を図書館に渡してしまう。ミレナの劇団のメンバーの男が妊娠し出産して死ぬ(腸に人工子宮を作って妊娠)。ミレナは結局、リーディングを受ける。
ミレナのリーディング最中の記憶の断片が交互して読みづらいパート。
5. Posted by silvering   August 31, 2004 03:49
あ、一言言わせてもらう。
レズやら異種間性交やら妊夫やら出てきて、キモイ。
6. Posted by silvering   September 01, 2004 04:24
やっと200ページ。字が細かいので意外に時間がかかる。あと半分。

やっと主人公の女の接種で記憶がなくなる前の生い立ちが出てきた。もともと記憶を司るウイルスがなくて超記憶力の悪い少女だった主人公は孤児院では無能扱いされていたが、6歳ぐらいから本を読み始めると優れた思考力で頭角を現す。ここに新任のナースとして現れた少し年上の娘と仲良くなるが、ハリケーンで町がめちゃめちゃに壊れた夜、この娘と同室で寝ているときレスビアン行為を働いたのがバレて、治療のために接種をほどこされる。しかし身体がこのウイルスに抵抗し意識を失ったまま数日後にはついに子供時代の記憶を消されて医療地区に移される。このためリーディングを受けないまま、<ズー>の演劇職に配置されてしまう。ロルファと会って自分を取り戻すまですっかり自我を喪失した状態であった。

本作はこの主人公の過去と現在が交錯しており、必ずしも読みやすくはない。またディテールの描写がけっこう細かいため、ストーリーの進みが跛行的である。

アイデアは本格SF的なのだが、文体はグロテスクでもあり童話的でもあるため、非常に異色の感触である。好き嫌いの分かれるところだろう。

一つだけいえるのは、あまり好みではないものの、少なくとも「すずめ」よりは面白く、ストーリーの進みが遅くても冗長という感じはしないことである。
7. Posted by silvering   September 02, 2004 00:58
250までいった。
このあとできるだけ300に近づけ、明日最後まで行きたい(願望)
ストーリーよりもディテールにウェイトをかけた作品のようだ。
8. Posted by silvering   September 02, 2004 03:27
明日の作業をできるだけ楽にするため、今日第14章をできるだけ読み込んでおこうと思い、いまぼちぼち読み進めている。

ミレナは結局、ロルファがダンテの神曲の本に書き込んだ曲を「コンセンサス」の力を借りてオペラ化することに成功し、宇宙からのホログラムまでも駆使して興行を成功させ、<ズー>から新進芸術家として一目置かれる存在となる。しかし、その過程で、ホログラム技術者の女スローンと諍いを起こしたことから(スローンもレスビアンであったが、ミレナに拒否されたこと、また、スローンの開発したホログラム機材をミレナがうまく使いこなしたことへの嫉妬)スローンのストーキングを受け、ロンドン南方の海岸沿い<スランプ>地区に逃避する。(なお、ミレナは、ロルファと異種間レスビアンの関係にあったことがスキャンダルになるのをカモフラージュするため、宇宙からのホログラム設定作業に協力した宇宙飛行士マイクとの偽装結婚をも女優仲間のシッタに宣言したりする。)

というおおよそのストーリーだが、本作においては上記ストーリーは執拗なまでの畳み掛けてくるディテール描写に完全に埋め込まれており、あまり重要性を持っていない。そのディテールの洪水は、ともすると上記ストーリーをすらつかみづらくするほどに強烈だ。

例えば、第14章で、<スランプ>地区に逃げたミレナが現地の少年に小舟で新居に案内される場面を例にとろう。クーンツが推奨する、スピーディにストーリーを追わせるタイプの典型的ベストセラー小説との相違は、あまりに明白だ。
この場面、クーンツ流に書くとすれば、次の程度に簡潔に書けば足りると思われる。なぜならストーリー進行上あまり重要性のないことだからである。
「ミレナは、スローンの手を逃れるため、ロンドンと海岸の中間にある<スランプ>地区に身を隠すこととした。二月の少し暖かくなった日を選んで、ミレナは案内役の少年を雇い、小舟でテムズ川を下って新居に入った。ここにいれば、一月ほどはスローンの目を誤摩化せるだろう。」

しかし、ディテール詰め込みが命の作者ジェフ・ライマンは、この新居の様子を、次のように執拗に描写する。
「ミレナの部屋は漆塗りの竹で編んだ箱が連なっているように見えた。冬の風除けはたたまれ、窓は開き、穏やかな風が吹き込んでいる。厚い葦張りの床の上にセーターのように柔らかい葦の絨毯。丹頂鶴やカササギや水をわたる農夫の絵をあしらった夏のすだれ。床の上に豆俵、椅子と机、石炭ストーブの台所、和風の火鉢。全ての部屋に石炭ストーブがある。間仕切りの向こうには浴室がある、ミレナ自身の浴室が。巨大な樹脂のバスタブ、湯桶、そのお湯を汲んで豪快に身体にかけるための洗面器。竹箱の形をした便所もある。
ミレナは部屋から部屋と見て歩き、さけんだ。「まあ、見てよこれ! 見てよこれ!」新たな発見をするたびに感動で圧倒された。ボートの少年は無言であとをついてきた。
「こんな家、想像したこともないよ」畏怖して彼は言った。」
このあとミレナは窓から外の牧歌的景色を見て、またも感動する。

万事がこの調子である。ストーリー上全く重要でないディテールへのこだわりと、他方で、相対的なストーリーの軽視。
時に、重要なストーリー上の動きが1、2行ですまされたりすることすらある。
例えば、ウイルスの変異で動物化して自殺するようになってしまった<薬屋>族のホスピスを作るようにミレナが芸術大臣に懇願する場面があるが、その場面が5、6ページ描写されるのに対し、その結果は次のようにあっさり記されるだけで終わる。

「それにはもう少し余分な努力と、退屈な委員会への長時間の座り込みを要した。モイラ・アルマシの助力も必要だった。その細部に、あまりおもしろい話はない。だが、ミレナは何とか<蜜蜂>族を救い、病人を助けることができた。
「魔法だわ」シラがいった。」

私を含む読者は、この超未来社会の政治組織のディテールに興味があり、「退屈な委員会への長時間の座り込み」が具体的にどのようなものだったのか、<薬屋>族のホスピス設立をどういう手続で認めさせたのかを詳細に知ることで、この世界の政治システムを窺い知ることができるのではないかと期待する。ところが、このジェフ・ライマンという作者は、無慈悲にも、「その細部に、あまりおもしろい話はない」の一文であっさり省略してしまうのである。
本作もまた、作者の特異な嗜好を一般読者の「陳腐な」興味嗜好に優先させることで、作品の陳腐な流行小説化を忌避した、「すずめ」とは違う意味での「アンチベストセラー」なのではないか、という気がする。
ただ、それでも本作が「すずめ」のような退屈さ、苛立ちを感じさせないのは、ディテールの描写がかなりユニークなお陰である。ストーリーを軽視しともするとぼやけさせてしまうほどディテールに淫する(しかもその淫し方が極めて作者の一方的な思い込み故に偏っている)場合でも、そのディテールが個性的で魅力的であれば、十分に娯楽性を保ちうることの一つの例証になるかも知れないと思っている。

9. Posted by silvering   September 03, 2004 01:45
本日激読、読了。

すげえ。

子供の庭 または 下卑た笑劇 ジェフ・ライマン

未来は消えゆく歌、王宮の薔薇、ラベンダーの花吹雪
今ここで後悔することを知らぬ者たちへの悲壮な後悔の&&
T・S・エリオット「四組のカルテット」

ジョン・ホスキング、ジョアンナ・ファーバンク、両親にささぐ

イントロダクション
医学の進歩(ウイルスの培養/文化(culture))

ミレナは何でも煮沸した。病気が恐ろしかった。他人のナイフやフォークを使う前にも必ず煮沸した。これを侮辱されたと受け取る者もいた。食器は樹脂を固めたものだったから、熱で解けて使用に耐えないほどに変形してしまうことが多かった。フォークの先は案山子の指のように広がり、乾いた古手袋のように固まってしまった。
ミレナは必ず手袋をして外出した。そして戻ると手袋を煮た。素手で耳掃除や鼻ほじりをすることは絶対なかった。汗臭く混みあったバスでは、めまいがするまで息を止めつづけた。誰かが咳やくしゃみをすると手で顔を覆った。夏冬かまわず人はくしゃみをしつづける。常に病人がいて、ウイルスがいる。
信念も病気だった。医学の進歩ゆえ、許容できる行動パターンは把握ないし統制できた。
ウイルスは人々を陽気で、親切で、正直に変えた。行動は非の打ち所がなく、会話は情報に溢れ、仕事は素早く正確だった。彼らは同じことを信じていた。
ウイルスの一部は、ヘルペスと神経細胞に直接植えつけたDNAに由来していた。他のウイルスはレトロウイルスで、脳のDNAを乗っ取り、情報やイメージを送りこんだ。キャンディ、と人は呼んだ。遺伝子の核酸が糖と燐酸塩に包まれているからだ。それは遺伝子のダメージや変化に耐性を備えていた。キャンディは完全に安全だと言われていた。
しかしミレナは信じられなかった。キャンディのせいで死にかけたのだ。ミレナの体は子供のころずっとキャンディに抵抗しつづけた。体の中に何らかの抗体があったのだ。そして十歳のとき、極めつけの強力な薬を投与され、高熱に見まわれて生死の境をさまよった。ミレナはやがて百科事典の知識と有用な計測器をいくつか手に入れた。あのウイルスは他にどんなダメージをもたらしたのか?
ミレナは自分をテストした。あるとき、スーパーの棚からリンゴを一個万引きしようとした。そのころの行動はたいていそうだったが、子供っぽい衝動からだった。まだら模様の皮に手を触れた瞬間、リンゴを育てて店に売った少年が費用をいくらかけたのか、どうやって余暇時間を利用してそれを行ったのかに思い至った。ミレナは万引きを断念した。ウイルスのせい? それとも自分の意志? はっきり分からなかった。
免疫があると分かっているウイルスが一つあった。自分の一部だと確信を持てることが一つあった。愛に恋い焦がれる気持ち、女性に対する愛情は無視できない。
後期資本主義の記号論的産物だ。そう党は言った。明らかにミレナは、〈悪き文法〉を病んでいる。重篤な〈悪き文法〉、いちおう文法ではあるが。ミレナは怒った。後期資本主義って何? ここはどこ? 〈革命〉から100年経っているのに!
ミレナは怒りながらも、その怒りを恐れた。怒りは危険だ。怒りは父を殺した。治療のため大量のウイルスを投与され、高熱で死んだ。いつかもうすぐ、党はミレナをも治療しようとするに違いない。怒りを。ミレナ自身であることを。ミレナは恐怖の中で生きていた。

(抄)
この社会では、全ての国民が十歳で人格を読み取られ(リード)、作成された仮想人格による統治が行われる。政府は「コンセンサス」と呼ばれる。もっとも、ミレナはたまたま病気だったので「リード」されないまま、成人として「プレース」された。そのおかげで〈悪き文法〉は発見されず、治療のための種痘を免れたのだ。
父は病で死に、ミレナは母とともに、東欧から英国へ逃げた。そして母も死に、ミレナは孤児として育った。演劇に憧れた。ステージのスポットライトに。そして十歳で、女優の職を得た。だが、頑固なミレナに、他人の動作を真似るという職は向いていなかった。
ロンドンは〈ピット=穴蔵〉と呼ばれる。ミレナはバスで通勤する。人々の肌はロドプシンの紫色で、光合成をして栄養を得る。ピットの人口は、二千三百万人だ。通りで死ぬ人も多い。しかし、バスの誰も関心を払わない。
癌細胞の撲滅で、老化を防止するプロテインの分泌が止まり、平均寿命は半減した。その後〈革命〉が起こった。人々は十歳で成人となり、就職するようになった。

第一の書 愛の病 または穴蔵の生活
人生の道半ば
暗い森のただなかに私はいた
まっすぐの道を見失ったから

第一章 未来の日常生活(船橋の窓)
観客は子供だった。
〈子供の庭〉の照明を落とした部屋の床に敷かれたマットの上に座っていた。みな同じキルト地のグレイのダンガリーを着ていたが、色とりどりの模様の刺繍をしてもよかった。また、好きなときに出入りできた。外側からしつけを押しつけるまでもなかった。仮設ステージで、俳優たちが複雑な機知に富んだシェイクスピアの台詞を応酬していた。

汝は、小さいが故にうつくしい!
小さいが故にさほどうつくしくない。なにゆえにかしこいのか?
ならば、素早いが故にかしこい!

『愛の営みは消えたり』の公演だった。子供たちは退屈した。たやすく理解できるからだ。

(抄)
子供庭は孤児院であるが、子供はウイルスの故に頭が鋭い。シェイクスピア劇を笑い物にする。ミレナも出演しみっともないブーツをはき、少ない台詞を話す。孤児院から抜け出したいという一心で女優になったが、正直、こんな劇に何の意味があるかも分からない。
劇が終わり、夕食を食い、うんざりした。愛すべき女性が欲しいと思った。これもまた彼らに言わせれば〈悪しき文法〉の病なのだろうか?
ある日ミレナは橋の近くの倉庫?に靴を換えに行き、音楽を聴き、中に入り、ホッキョクグマ、遺伝子改良された種、GEに会う。彼女は既に廃れた電動のラジオ?を持っていた。GEの名はロルファで、歌がうまく、マーラーなどの楽譜を読んでいた。ミレナはブーツを交換し、ロルファは楽譜も持ってけばというが遠慮する。

第2章 歌の犬(シェルから抜け出る)
ミレナはロルファにのみに誘われる。そこで、ウイルスの影響で癌細胞が増殖し、長寿を獲得した人種、〈チューマー〉と会う。彼らは「歌の犬」の歌を歌う。酒場を後にしたミレナは、パラソルを忘れたことに気づく。
なお、この時代は職業別のコミュニティで人々は暮らしており、例えば石油会社の跡地にできたミレナらのコミュニティは「シェル石油」からとって「シェル」と呼ばれている。

第三章 愛という病(幽霊を抱いて)
ミレナは密かに思いを抱く熊少女ロルファの歌の才能に驚嘆し、シラに自慢し、ロルファに同性愛的欲望(しかも熊だぜオイ)を抱く。ミレナは完全記憶能力を持つ伝令者ジェイコブに助力を頼み、伝令の仕事を手つだう。そしてロルファの歌を聴かせる(ロルファを歌手として売りだしたいと思って)。ミレナはロルファと逢瀬を重ねるが、自分の気持ちを告白できない。ある日ロルファの好きなオペラに誘われ、その夜独りベッドで悶々とする。ロルファとミレナは幼時を語りあう。ミレナは十歳時に種痘で幼時の記憶を失っているが、ロルファは冬眠のこと、カナダ時代のこと、昔から音楽が好きだったことなどを語る。ミレナは気持ちを告白できない。ある日演劇の稽古である男が役になりきれず素の自分を演じてしまったのを見て共感する。ある夜飲みに行き病気の男たちに絡まれ、ロルファが暴れそうになるのを止める。その後ロルファの住処に行くと本などが破られて散乱している。ミレナは楽譜や本を自宅に移動保管する。ロルファが手紙でミレナを自宅に招待する。

第四章 南極(みすぼらしい手袋)
ミレナはロンドンのロルファの家族を訪ねる。家の中は強烈な冷房で寒い。姉妹のゾーとアンジェラ、父親に紹介され、二階でアザラシやマグロの料理を振舞われる。が、家族の態度は冷たい。ロルファは終始おとなしい。父親がミレナの女優をしていることを知っており、ロルファは歌手に使ってもらえるかときき、ロルファ本人がその気にならなければと思っているミレナがそれをあえて否定すると、父親は「お前は毎日ぶらぶらしているだけだ」と罵り、南極に働きに出すと宣言する。ミレナはロルファの奮起を期待するもその従順さや家族の無理解さに失望し、怒って席を立つ。絶望したミレナはぐるぐる走りまわった後、ロルファの家にもどり呼ぶ。ロルファは出てきて慰める。ミレナは芝生に横になって寝てしまう。

第五章 下等な喜劇(われらはヴァンパイア)
ミレナが自室で目覚めると全身を剃ったロルファがいて、熊のプーサンの本を見せ、自分をプーと呼んでほしいという。ミレナのウイルスの中にその本の情報はなかった。ロルファは食事を作ったりする。ミレナはロルファへの恋情がすっかり冷めているのに気づく。

朝、ミレナは起床すると破れた本の一冊を読んでいるロルファをおいて家を出た。階段をおり、低い朝日を照り返す道路を歩きながら、帰宅すると家にロルファがいると思うと、カイロのように温かい気持ちになった。

ところが練習場に行ってみると、演目が変わっていた。『新しいものの誕生』。ダルのシーンの練習。そこでミレナは記憶がよみがえるような感覚にとらわれる。廊下の向こう端に誰かがいる&&。しかし幼時の記憶は戻ってこない。
劇の練習は上出来だった。戻ってみると、スナイドがロルファを探しに来たらしい。スナイドとは読心能力を持つウイルスを持った種で、ロルファの父が雇ったようだ。しかし、ミレナは様々な人の記憶を持つウイルスを持っているから、特に演劇をしてそれらが活性化されている間は大丈夫だろう、とジェイコブは言った。
ミレナらはシラと部屋を交換するが、シラの部屋にスナイドがいすわり、そのうちこちらにくるというので今度はシラの彼氏の部屋と交換する。その夜はあまり眠れなかった。翌朝、ロルファはペンギン肉でサラダを作る。
劇団の練習に行くとスナイドが現れ、ミレナに過去の話をして追及する。ミレナの記憶に車椅子の記憶、文字を見た記憶などが蘇り、ミレナは自分がヘザーで、ミレナという人は知らないと答える。ミレナは苦心の果て、『ミレナはボーンマウス』に言ったという思考をスナイドに読み取らせ、危機を乗りきる。
スナイドはロルファの留守中に自宅を訪れるが、シラが火事騒ぎを偽装し、何とか追いだす。しばらくして姉のズーがくるが、何とか説得し、一年の猶予をもらう。ミレナはズーの大臣に書き取ったロルファの曲を見せ、検討してもらう。ミレナの劇団の座長が死ぬ。ミレナは大臣と面会し、『今日中にロルファをコンセンサスに参加させ市民権を与えて欲しい』と説得する。

第6章 チャーリーと会う、チャーリー・スライド(調和して生存する)
ロルファはリードを受け、コンセンサスの一員としてズーに採用される。リードの最中にミレナへの愛情が見つかり、ミレナもロルファへの愛を告白する。
なおコンセンサスを構成する人格は思考=重力という全宇宙的情報伝達ネットワークを構成し、光速で移動する。この移動経路を〈チャーリースライド〉と呼ぶ。

第7章 究極的なまでに致命的状況(愛の仕事)
リード終了後、ミレナとロルファは愛をかわし、ロルファは荷物をまとめて出ていく。書物類は置いていく。ミレナはロルファがダンテの本に書きこんだ楽譜に感動し、これを作品化して発表したいと思う。

第二の書 花作りミレナに、あるいは気候の変化

第8章 ロルファはどこ?(気候の変化)
ロンドンに革命後97年ぶりに電気が通る。ミレナは劇団の団長となり、リードを受けコンセンサスの端末になった。バルジを飛ばして宇宙にも出たことがある。ミレナはロルファが出た後、ズーに行ったが、ロルファはズーにおらずコンセンサスに参加していないし、飲食店に立ち寄った形跡もなく行方不明になった。
ミレナは自宅を訪ね、ロルファの母や姉と会うがロルファはおらず、ロルファに種痘したことを詰られ、一緒に心当たりを探し回り、ロルファの歌声を聴いたように思い追いかけるが見つからず、諦めて寝てしまう。翌朝、ロルファが帰ってきたが衰弱しているというメッセージを母親からもらう。このことをズーのキーパーに報告し、大臣はロルファの音楽を惜しみ、ミレナに更なる協力を求める。

第9章 ロルファはどこ?(無重量の状況)
ミレナは宇宙ステーションとドッキングし、回想する。〈愛のレイバーズロスト〉の公演を売りにデプトフォードのエステいとに行ったときのこと。〈薬屋〉のベイブスと名乗る連中に会った。そして以後18月にわたり142公演を行った。
ミレナはズーの楽団指揮者マックスにロルファの本を渡して仕事を依頼し、二週間の時間を与えるが、マックスは仕上げない。

一月初旬のころ、ミレナはマックスの職場を訪ねた。冬の寒さがぶり返していた。窓から冷たい灰色の光がさしこんでいたが、部屋の中は蒸し暑かった。ミレナが部屋に入ると、マックスは驚いて面を上げた。彼はデスクに座り、腕組みをして、両手の動きを止めているかのように、脇にはさんでいた。この男は何もしないでここに座っているだけだ、とミレナは思った。「こんにちは、マックス」静かに言った。「もう決心はついた?」
マックスの顔が凍りついた。口があんぐりと開き、だらしなくかすかに引きつった。微笑しようとして失敗したのだと分かった。ミレナは思った、私を恐れているのだ、私が来るのを。私は、彼にとって最も会いたくない人物なのかも。マックス、じゃあ言いなさい、イエスかノーか。そうしたら解放してあげるわ。
「マックス」繰り返した。「決心はついた?」
「ああ」自信なさげに自信を装った声で、マックスが言った。「もう決めた。この作品は非常によく出来ている。演奏するには極めて多大な労力を要するだろう。だが、僕がやってみせるよ」
「よかった。ありがとう、マックス」
「少し時間がかかるが」
「もちろんよ、マックス。でも完璧なオーケストラにする必要はないのよ。大臣にやりたいことを分かってもらうには、第一篇だけで十分。だから、第一篇のヴォーカル部分を全部持ってきたのよ」ミレナは自分の記憶からそれを再構成した。それぐらい彼女の生活の一部になっていたのだ。全てきちんと五線譜の上に並べて、マックスに渡した。「ところで、本を返してもらってもいいかしら?」
「ここにはないんだ、ミレナ」
「分かってるわ、マックス。大きな本だし。ここにあるならすぐにわかるもの。いつ戻してもらえる?」
「明日、送るよ」
「よろしく。これは重要なプロジェクトよ、マックス。時間の観点から考えることが必要。大臣はスケジュールを見たがっている」
マックスはまた真っ白の罫線紙をたたいた。「彼には渡すよ」
「私にも頂戴」とミレナ。
マックスはまた肩をすくめる。
ミレナはしびれを切らし、笑った。「マックス!」彼の良いほうの分身に語りかけるように言った。「スケジュールのコピーをもらえる?」
マックスはただうなずく。
「私、明日本を取りに来るわ。あなたの都合がつけば。マックス? ねえマックス、返事をして」
「わかった」マックスはそれしか言わなかった。
ミレナは出しなに首を振った。本を取り返したら、あなたを解放するわ、マックス。このプロジェクトに関してはあなたに口出しする権利はないわ。
ミレナは翌日、マックスのオフィスを再訪したが、彼が不在でも別に驚かなかった。石炭バーナーは冷たい灰で一杯だった。ミレナは部屋の中を探した。黒いデスクの引出も、長く白い戸棚も空だった。部屋は紙と同じぐらい真っ白だった。
ミレナは紙を一枚失敬し、怒って漢字を書き殴った。
「私の本は何処」
それから〈三つ目〉館に行った。
廊下は別の階の遠い靴音と音楽の音が──ピアノやヴァイオリンが──こだましている。ビルが自ら囁いているかのよう。
ミレナはドアをノックした。ドアは緑塗りで汚れを隠しているが、ノブの周りは指紋で汚れていた。階下の窓の外からは、誰かがバルトークをヴァイオリンで練習する音が流れてくる。
かすかにドアが開いて、熱風が吹きだした。靴下とすえたベッドシーツの匂い。ドアの向こうの室内は暗い。マックスの顔の一部が見える。片目がミレナの顔を覗いている。
「入ってもいい、マックス?」
「ちょっと散らかってるから」
「おかまいなく。本を返してくれれば、入る必要はないわ」
「ちょっと服を着てくるから」
服を着る? もうまっ昼間じゃない。これ以上待てないわよ、マックス。閉まったドアを見ながら、この寒い廊下につっ立って待たされるなんてまっぴら。ミレナがドアの間に入ろうとすると、マックスはドアを閉じて、彼女を閉め出そうとした。ドアの縁が肩と爪先の柔らかい肉にぶつかるのを感じた。
「頼むよ、ミレナ!」マックスは本気で怒って叫んだ。ミレナは横ざまに体をねじ込んで室内に入った。
マックスはリネンのシャツとパンツと靴下という姿で、呆然とミレナを見ていた。部屋は暗く、ブラインドがおりている。服やベッドカバーが床に落ちて山になっているような感じだった。
「申し訳ないけど、マックス、今日、会う約束をしていたでしょ。一箇月以上の間、メッセージを残したし、話そうとしてきたわ。もうあなたを追うのに飽き飽きしたの。とにかく、本を返して!」
「オフィスにあるんだ」
「嘘。なかったわ。あなたのオフィスを探したもの。どこにあるの、マックス?」
裸同然の姿以上に、全てを見られてしまったという様子で、マックスはミレナを見た。「全く腹に据えかねることだ」床に向かっていう。「僕は楽団の指揮者なんだよ。勝手に僕のオフィスを探したなんて!」
「マックス。本はどこ?」
「後で渡すよ」
「この部屋にあるの? マックス」
部屋は狭い。流し台と、ベッドと、食器棚と、引出し式の戸棚。〈党〉のメンバーなので、小さなウォータークローゼットもある。〈党員〉であり、特権を持っているのだ。だが、あのばかでかいグレイの本を隠せるような空間はない。衣服は床に積もり、拷問されたような奇妙な形にねじくれている。
「なくしたのね、マックス?」
「見つけるっていってるじゃないか!」マックスは言い張った。怒りきれず、いらいらしている口調だった。震える手で、だぶだぶでしわくちゃのズボンを履いた。
「曲をつけるために、誰かに渡したのね?」
答はない。震えながら、傷ついた面持ちで、靴下をつける。
「誰かに渡したのなら、名前をいえばいいわ。私が自分で取ってくる」
答なし。「マックス。答えて。誰かに渡したの?」
「違うよ、もちろん。そうじゃないと思う」
「どっち、マックス? イエスかノーで答えなさい」
「覚えてないんだよ!」突然叫ぶ。
「覚えてないって?」戸惑うのはミレナの番だった。彼女の声は困惑して子供のようになった。
「そうだ! 独りにしてくれ、考えてみる」
「マックス、どういう意味よ、覚えてないって」
「わからないんだ。毎日コンサートのスケジュールで一杯で、忙しいんだよ。君のしょうもない本よりも、自分の食いぶちのことで頭が一杯だったんだろう」
「マックス。マックス。あれはすごい作品なのよ。あなたの私物じゃなくて、ズーの財産、みんなの財産なの。忙しいってどういう意味? 答えてよ、マックス」
マックスは答えなかった。答えられなかった。言うべきことはなかった。ミレナは部屋を探し始めた。洋服、ズボン、シャツ、靴下を一つ一つ拾い上げ、床の中央に山のように積み上げた。ベッドのシーツと敷き毛布を引きはがし、壁のマットレスもはがし、裏側を見た。マックスは腰に手をあてて横につっ立っていた。
「いくらでも散らかすがいいさ」マックスは言った。「ベッドの裏なんかにはないから」
「多分、あなたの肛門の中にあるわね」ミレナが言う。マックスは顔面蒼白になる。
ミレナは立ちあがり、食器棚の中身を怒りの許す限り丁寧に調べ始めた。上の棚から紙の山を降ろした。全部楽譜用紙だった。大量の紙があったが、全部無駄になっていた。でたらめな音符が記されては消され、時には怒って落書きをしたようなものまであった。時に音符は無意味なパターンに上下していたし、人の顔や女性器が描かれているものもあった。
「こんな落書きを手に入れるために、あの本を渡したなんてね」ミレナは唇を薄く引き結んで言った。
「わかったよ」マックスは言って、ミレナに親切にするかのごとく手伝い始めた。ミレナの前に足を踏みだし、彼女の視界を妨げるようにして、紙を一枚一枚調べ始めた。
最初の一枚を調べるとき、マックスは言った。「ここにはない!」それから紙の束を調べるごとに「ここにもない! ここにも!」と、まるで前にも言っただろうと言い聞かせるかのように繰り返した。まるで、わかったか? なくなっちゃったんだよ、と言わんばかりに。
「この部屋にはないよ」マックスは締めくくりのように言った。
「なら、思い出しなさい、マックス。大きな灰色の本を。いったいどうしたの、マックス?」答なし。「最後に見たのはいつなの、マックス?」
「わからない。ずっと昔だ」
「何で知らせなかったの?」
「いつか見つかると思っていたんだ」
「マックス!」自分が泣き出しそうなのに気づく。「マックス、よくもそんなことができたわね。そんなことをして、おまけに自尊心まで保とうなんて」
また、うつろな顔。あなたに自尊心なんてないわ。本当の意味では。あなたの人生は仮面。何を隠そうとしているの?
この手の男は、動機を自分に対してすら秘密にする。マックス、あなたは自分でも気づかないうちに、このコメディをめちゃめちゃにしようと望んでいたのよ。ミレナは無駄になった五線譜の山を、怒りの落書きを思いだし、理由はよくわからないが、マックスの一部があの本を故意になくしたのだと悟った。
ミレナはマックスを見る。醜く救いがたいこの男に同情の余地はない。怒りと軽蔑以外感じない。あなたの脂ぎった頭のどこかには答があるのよ、自分でも気づかないぐらい深い深層心理の奥に。見つけるには読心者を連れてくるしかないわね。スナイドが必要。そしてミレナは自分のやろうとしていることを知った。
「一週間のあいだは、大臣に言わずにおくわ」ミレナは言う。「あなたが非常に価値の高いプロジェクトをまるごと、本一冊のためにだめにしたなんてことはね。考えなさい、マックス。本さえ戻ってくれば、大臣には何も言わないわ。でも私は何度も、何度も、何度も、見つかるまで戻ってくるから」
ミレナはマックスの部屋を去り、〈薬屋〉の女に直行した。
ピエロのメーキャップなしだと、女の顔は美人だがとげがあった。鼻の穴は大きすぎ、目は欲深すぎ、正確に塗った口は完璧すぎる。犯罪者の顔だ。ミレナは犯罪者が必要だ。
「スナイドが必要なの」ミレナは言った。「一人雇えるかしら?」

もし無重力の中で酔ったら、としゃ物は空気抵抗で徐々に広がりながら、何かにぶつかるまで動きつづける。そして、摩擦力だけによって、その場所に不安定にとどまりつづける。布切れで液体を吸収することも、ふき取ることもできない。ただ押しのけて自由な状態に戻すだけだ。結局、嘔吐は、船内の全表面を、かなり粗いその表面が許す限り広く均等に覆い尽くすだけだ。
ミレナの吐いた物の大部分は、空調の穴に向かっていった。それは突然後ろ向きに風船を膨らまし、まるで頭を生やして意識を持ったかのようだった。ふるえながら戻ってくるそれは蛸に似ていた。
何かがミレナの足首をつかむ。彼女は蹴る。
「やめろ!」声が言う。「静かにしろ!」
「ああ~っ!」自分の半分消化された朝食に包まれそうになりながら、ミレナは叫ぶ。ミレナは自分の体が後方に投げ出されるのを感じる。嘔吐物は従順に追って来る。嫌われているのを自覚していないように。それがミレナに歓迎されざる口づけをしようとする瀬戸際に、名案がひらめいた。口をすぼめて息を吹く。蛸は波打ちながら後退する。後方が上がり、覆い被さってくる。ミレナは首を曲げて空気を切らす。あえぎながら息を吸い、それを近くに引き寄せる。
ミレナは足を蹴ってその進路から外れる。視野の隅に男が抱きとめようとするのが写る。嘔吐物が近づく。ミレナは息を吹きかけてそれを散らばらす。
どこかで果物の皮を剥くような音。「なんてこった」男が穏やかといっていい声で言う。「肩が外れちゃったぞ」
ミレナは逃れた。嘔吐物の小さな赤子を弾き飛ばし、永久に落下させた。

ミレナは冬の公園を見まわす。〈ハンプステッドの荒野〉という名だったと思いだした。眼下に下りながら広がる土地は、一面の雪。自分の足跡が見える。木の枝は氷で覆われ、ガラスに浸したかのよう。
ミレナは薬屋が追いつくのを待った。女はあえぎあえぎ、両手を膝におき、体を押し上げるようにして丘を登って来る。女の足が雪を踏みしめ、心地よいほどのさくさくという音をたてるのが聞こえる。
「着いた!」ミレナに追いついて、丘の頂上まで来ると、薬屋はため息をついた。口から蒸気の輪が飛びだす。「あ~っ! あれよ」薬屋はワゴンを指差した。二個の巨大な車輪のついた黒い箱。ストーブ用煙突から黒煙が上がっている。冬のポニーが二人の女を見ている。ポニーは小さく毛深い生き物で、毛が雪の上に跡を引きずっている。冬のポニーは非常に忠実だ。誰かが主人のところへ来ると、飛びかかっていく。あの目は人間の目だ、とミレナは思う。
「シャロム」と薬屋がポニーに言う。一種の合言葉のようだ。動物はひづめで雪をかきながら戻り、草を食い始める。雪の中にワゴンに向かってくる別の足音。ワゴンはスナイドとエンパスのための動く秘密クラブだ。〈ボイト〉と呼ばれている。ボイトは常に移動を続ける。スナイドとエンパスはここに集まって、やるべきことをやる。違法なウイルスに関することだという以外、ミレナに正確なことは分からない。彼らはお互いのために行動する。〈精神舞踏〉と呼ばれる。
薬屋はジプシー・ステップを登り、ワゴンのドアをノックした。
「アリ、アリ、私よ」呼びかける。
ドアは押し開いた。男女がワゴンの下段の床に脚を組んで座っている。ドアから熱気が上がってくるのをミレナは感じる。薬屋はミレナを先に車内に押しこんでドアを閉める。
「ごめんね、みんな」薬屋は言う。「いいかしら?」

スナイドのアル登場。マックスの心を読むには直接ノイズのない状態であう必要があった。

アルはマックスの心を読む。記憶はマックスの心の迷宮の奥底にあって出られなくなるところだった。マックスは既成のパターンを繰り返す能力しかないため、創造的な作品に恐怖しているのだ。例の本は他の本と一緒に図書館に返したらしい。そこは〈再生者〉のエステイトでミレナの心の壁の向こう、幼時に育った場所。ミレナは今夜行くつもりだ。

再生で使えるようになったホログラムを作品に取りいれるため、ミレナはホログラム技術者を訪ねる。この女はレズでミレナに迫るが拒否され、仕事の話に戻る。劇団の男は出産して死んだ。以上は全部リーディングで見た事。ロルファが記憶の多くを占めていると言われる。

第一〇章 子供の観衆(天国の木)
胎児のころ胎内で母の音楽を聴いたのを覚えている。出産の場面、生まれて這っていた場面も。
その後、ミレナの幼時の追憶のパートが続くが、興味がないので斜め読みし、要旨は省く。
父の葬儀の記憶のパートがその次。母に質問する子供だったが、母が人目を気にしいやがる。要するに答の情報を持ったウイルスを受け継いでいないのを恥じた、ということだろう。
次は母の家を白い服のナースが訪れ争っていた記憶、母にたたかれた記憶。

アシスタントのミルトンが漆塗りテーブルの小さなカップに紅茶を注いだ。カップがかたこと音をたて、ミルトンは意味ありげに微笑んだ。隅に大臣が座っている。質素だがフォーマルな服装だ。両目を閉じ、全く身動きをせず、両手を組んだ膝に置いている。
勇気よ、とミレナ監督は自分に言い聞かせた。「このオペラのテーマは&&」そういって躊躇した。「宇宙からのエイリアンによる侵略。蟹のような外見だけれど、言葉がしゃべれるの。というか、歌えるの。これはスローン・マッカートニーが見た昔のビデオが元ネタよ」
ペアたちの表情が恐怖に凍りついた。
「人間はジャンクを好む」とミレナ。「実際、彼らはジャンクが必要だった。ジャンクは面白く、無害で、観客への要求度が低い。人々はジャンクに飢えていた。何もかもやたらと高尚過ぎたから。もしコンセンサスに尋ねれば同じ答が返って来ると思うわ」
ミレナ監督は大臣を見た。大臣は身動きもせず座っている。
「コンセンサスに代弁してもらうのが最適だと思うわ」モイラ・アルマシが警告した。
「こんな要求をする社会的メリットは他に何があるんだ?」取り巻く群集の中の男がきいた。「あんたのいう、その、ジャンクということ以外には?」開けっぴろげで好ましい顔立ち、率直な微笑み、額ではねる前髪。チャールズ・シアーだ。
あんたは悪くなかったわ、チャーリー、と思いだしながらミレナは考えた。ただ他に進めたいプロジェクトがあったというだけ。お金を使いたい先が他にあっただけ。私に特別な才能があると思ってたわけでもないし。多分あんたは正しかった。
「まず」ミレナ監督は言う。「出演者は誰もウイルスを使わないこと。このことははっきりさせておく必要がある。人々はウイルスを恐れ始めている」
ここは易しい部分だった。
「第二に、それによって人々の感情に&&」監督はうまくいきますようにと、微妙な言い回しを用いた。「中国人への不信を与える」
ミレナは室内が静まり返るのを感じた。チャールス・シアーが激しく咳払いをした。でも事実でしょ、チャーリー? 「英国系の市民の大半が中国人を嫌っていることが分かると思うわ。中国人に抑圧されていると思ってるから。ジャンクは人々をいい気持ちにさせる。だから、このジャンクは&&」ミレナは言葉を切って、息と気持ちを整えた。「この作品は、中国の古い京劇のスタイルで上演する。音楽と踊りも中国の古典歌劇ね」
「蟹もかね?」チャールズ・シーアが促す。
モイラ・アルマシは微笑みを浮かべる。
「もちろん」ミレナは言う。「歌う巨大生物の古い伝統に前例はたくさんあるわ──例えば龍。じっさい、宇宙船は中国の昔の龍にそっくり。それは〈禁じられた都市〉の中央広場に降りるのよ。すべてスローン・マッカートニーの作ったホログラムがあるわ。うう。今までは誰も、こんなに大きく、こんなに遠くからのホログラムを作ったことがないわよ。メイン・ステージにはハイド・パークを提案します。それによって、新しい想像力テクノロジーを極限まで利用するチャンスが手に入るわ」ミレナは咳払いをした。「この興行は」期待するように言う。「興味を引くだけの価値があるわ」
「ミズ・シバシュ」チャールズが言う。「感服いたした。君は実力以上のものを発揮した。君のダンテをステージ化しようという試みが実現可能に見えてきたよ」
これが一般的な見解ね、とミレナは心の中で思った。私たちはお互いを理解している、チャーリー。敵同士の間にも絆はあるのね。
大臣は静かに身動きもせず、周囲の宇宙がひっくり返ったというように座っている。麻の屏風に緑色の漫画用の葦が貼りつけられ、目立たないメッセージを伝えている。屏風は一面、埃の黒点で覆われている。
ズーの守り手にとっては、全てに価値があり、高い目的があるに違いない。全てが社会計画の推進の一環なのに違いない。
私にとっては、全てロルファのためだ。コンセンサスは──何を求めるのだろうか?
「それは前に議論したことと深い関係があるわね」モイラ・アルマシが低く静かな声で言った。
彼らの周りで、漫画用の葦がゆっくりと枯れた。

スローン、新しい機材作る。それをミレナがうまく使ったことでスローンが怒る。ミレナは追いだされ、激怒し、スローンを首にしてもらおうと思う。また自分は花を想像できる力があると思い、リーディングを受けようと思う。
宇宙飛行士マイク(無重力で肩を外した)との取りとめない会話。ストーリー上重要性がないので内容は省く。
孤児院時代の回想。朝風呂に入らず、臭くて無能なので仕事がもらえなかった。ウイルスがないので知識と記憶が劣っている。10歳で接種とリーディングを受けて職業を配分されるが、どうせゴミ拾いにしかなれないだろう。ミレナは本好きでロンドン図書館の本を何度も読みに行った。
新しいナースが来て、知恵遅れのランプを集め、プラトンとデリダと書くことについて議論し、ミレナが本から得た思考をもとに「プラトンは書くことを毒に見たてて嫌いながら仕方なく書いた」と指摘した。
ミレナは新しいナースと話す。ミレナは思考力が優れているが記憶力が劣っている。
会話の内容は興味が持てないので省く。

ここまでの正直な感想を書く。面白くない。設定やガジェットは奇抜なのに、どうして印象がこんなに陳腐なのかが不思議だ。多分、テクノロジーの変化によって失われた人間性の再生というテーマの一般性が悪いほうに引きずられているために、陳腐化しているのであろう。性に関するグロテスクな転倒や、不必要に執拗な情景描写も、気持ち悪さを引きたてるだけに終わっている。
キャラやネタがキモいのだから徹底してキモく突き放して書けばよいものを、変に童話っぽく演出して主人公に共感させようとしているのが余計に拒否反応を喚起する。また、冗長さも類書に優るとも劣らないものがある。もしかして愚作ではないだろうか。

ミレナは新ナースの母のガラス吹きを見、家を訪問し、仲よくなる。やがて台風が来る。目覚めると再生部の築いた全てがめちゃくちゃになっていた。ある夜ミレナはローズ・エラの乳にキスをしたのがバレ、種痘を受けるが体が抵抗して意識を失い、リーディングを受けないまま〈医学〉地区に送られる。何度かの種痘で子供の庭の記憶を消され、ズーにプレイスされる。プレイスの証人にはローズが立った。かくしてミレナは自我を喪失した。新たな自我形成にはロルファを必要とした。

ミレナは蟹のエイリアンの公演を成功させる。

第11章 アトラクションの力(混乱の花束)
コンセンサスがダンテにつけた曲の全体の構成を作って渡した。モイラからそれを見せられたミレナはその素晴らしさに驚嘆する。
ミレナは宇宙でコンセンサスの〈天使〉らと交信する。翌朝。

ミレナは一瞬言葉を切って考えた。それから冷却卵の袋の口を閉じた。「頭を使わないと」そういってトイレに向かった。
ドアの中には雑然とした花束が、更に多くの薔薇が、メモつきで置かれていた。「花作りのミレナに」と書いてある。
ミレナは体を安定させるため、ブーツのファスナーと肩紐を締めた。最後にいちばん重要なシートベルトを締める。トイレは真空式クリーナーの機能を果たすので、密閉シールを維持することが必要だ。ミレナは座りながら考える、自分はどれぐらいここにいるだろう。他にどうやればあの男を避けられるのか。
気分の悪いふりをすればいい。そうすると、心配して、すぐだめになるティーバッグを持ってくるマイク・ストーンの顔が思い浮かぶ。その後、シャワーを浴びる。一時間ぐらいか。それから仕事するふり。でもその後は? 私は彼とここに閉じ込められてしまった。

ミレナはいかれたコンセンサスによって作られるホログラム(マイクの母等)、亀、兎、花束の中、マイクと宇宙船に閉じ込められる。マイクは結婚する気があるかときき、ミレナは断る。

「こいつは気違いじみてるな」ペアの一人が笑った、彼は嬉しそうだった。ミレナの記憶では男の名を思いだせない。もう死んだ。友人だとは知らなかった。

ミレナは公演について話しあい、リーディングを受けることにする。

第12章 野性のユーモア(今年は何年?)
ミレナが部屋に戻るとスローンがいた。スローンはロルファや自分との関係、リーディングを受けずバッドグラマーに毒されていることをバラすと脅すが、ミレナはみんなもう知っているから勝手にしろ、劇はスローン抜きで進めると言い放つ。スローンは自分の予言通りあんたは自分を嫌った、勝ったと言い、ミレナもそれを認め、殺意を抱くものの、こらえる。
ミレナは偶然ルーシーとあい、昼食をともにしながら、ロルファの歌劇の進み具合を話す。ルーシーは年のせいかぼけており、電気が戻ったせいもあって過去と今を混同している。

第13章 大地への下降(魔法)
ダンテの公演が始めるが、ミレナのイメージとはやや食い違っている。が、宇宙からの花のホログラムなどが放送され好評で迎えられる。
地上の雪の中。ミレナはビリーらといる。〈ミツバチ〉の連中を連れて〈墓場〉に行く。薬屋たちはウイルスの突然変異で自分を動物と思いこみ死んでいく。コンセンサスはそれを放置。ミレナはシラに自分のロルファとの関係を打ち明け、カモフラージュのためマイクと結婚することを打ち明ける。シラはコンセンサスがミレナを芸術の大家に祭り上げるだろうと予測する。ミレナはミルトン大臣などを通じてコンセンサスに働きかけ、ビーと薬屋を助ける。
ミレナはかつて自分を支配した自我だった読書家ヘザーの夢を見、自分がロルファ/ダンテのコメディを地に引き降ろしたのだと悟る。

第14章 ホップ、スキップ、ジャンプ(心理劇)
ミレナはスロートから逃げ、ロンドンの海側のスランプ地区でボートを雇い、〈記憶〉
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