SF百科図鑑 Walter Jon Williams "The Green Leopard Plague"


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June 26, 2005

Walter Jon Williams "The Green Leopard Plague"

2005年ネビュラ賞ノヴェラ部門受賞作。作者は数年前も「パパの世界」とかいう作品がヒューゴーかネビュラを取っていた、新鋭のようだ。
遠未来のバイオテクノロジーで生み出された人魚の調査員が、過去の地球に理論的大革新をもたらした天才学者の謎の数週間を調査する。その影にはある女が──。というミステリタッチの話。視点人物の人魚が住む遠未来と、調査対象の過去の話がカットバックで進行する。
正直、三分の二あたりまでは、スパイ小説風のくだらないストーリーがだらだらと続き、苦痛を強いられる。遺伝子技術で変容したらしき未来社会描写も陳腐の域を出ない。
本作の売りは終盤で明かされるバイオ技術と経済理論の話にある。それと、ミシェルという視点人魚を追う、昔の恋人の亡霊?の真相。終盤の<認識の変革>で、かなり印象を上げている。
とはいえ、全体としてみれば、凡作に毛が生えた程度。長編、ノヴェレット、短編部門の受賞作のレベルを見ても(長編のビジョルドは悪くは無いけど、年間ナンバー1に選ばれるほど傑出してもいない)、最近のアメリカSFの低迷を象徴しているように思う。今SFを読むなら、イギリス、オーストラリア、カナダなど米国以外のほうが概して面白い作品に当たる率が高いようだ。
テーマ性   ★★
奇想性    ★★★
物語性    ★★
一般性    ★
平均     二点
文体     ★★
意外な結末 ★★★★
感情移入力 ★★
主観評価  ★★1/2(26/50点)

<あらすじ>
緑豹病 ウォルター・ジョン・ウィリアムス

大海に向かって両脚を蹴り出しながら、孤独な人魚は宙に蔽いかぶさるバンヤンの樹の足場から水平線を見つめた。
空気は完全に静まり、夜の花の香りに満ちていた。巨大な大蝙蝠の一団が、日中の安らぎを求めて海を越え、いっさんに飛んでいった。どこかで白いバタンインコが貫くような鳴き声をあげた。椋鳥が海へと少しだけ羽ばたき、戻ってきた。朝日が波頭から赤金色のきらめきを投げ、水平線に広がる多くの島々に生い茂る南海の森を輝かせていた。
人魚は朝食の時間にしようと決めた。ぶら下がったキャンバス・チェアから滑り降り、バンヤンの巨大な枝の一本に沿って歩いた。体重で枝がかすかに揺れるので、人魚は素足をしっかりと粗い樹皮に貼りつけた。そして、暗礁の上の浅瀬の碧青色とははっきり異なる海峡の深い青を見下ろした。
両手をあげて、しばし枝の上でバランスを取り、赤い日光を剥き出しの背中に浴び、ブロンズ色に輝かせながら、フィリピン海に真っ逆さまに飛びこんだ。冷たい衝撃と泡の渦をまき散らしながら、水に入った。
翼をたたんで、人魚は飛ぶように泳ぎ去った。
***
人魚ミシェルは、<黄色い唇の王>を捕って巣に戻り、食った。朝食を終えると、衛星通信を受信する<鉄木>に移動し、メッセージをダウンロードした。「惑星中に広がっている<人魚>を取材したい」という新聞記者の依頼を無視し、デバウト博士のメッセージを読んだ。かれは、ミシェルの一二倍の年だ。ミシェルのようにナノベッドで生まれたのではなく、母胎から生まれたらしい。その兄弟も宇宙飛行士として受賞歴があり、ミシェルは生物学専攻にもかかわらず、<謎の大学>でその講義を聴いたことがあった。
デバウトは髭を剃っていた。かれは、ミシェルが空いているなら任せたい調査プロジェクトがある、大して手間はかからない、と言っていた。
ミシェルはすぐ連絡した。ミシェルの後ろに妻のカトリンもいた。
ミシェルは、デバウトから、「タージャンという男の伝記を書いているが、三週間行方不明になった期間があるので調べて欲しい」といわれ、高額の報酬と引き換えに承諾する。
タージャンの妻は<真の死>を死んだという。六月にパリのアテナイ会議で書類を提出してから、しばらく行方不明だった。クレジットカードの最後の記録が6月17日。ミシェルは写真などの情報を送ってもらう。それから、ソフトを使ってインターネットで調査を始める。
調査の間、ダントンのメッセージを見る。「なぜぼくに話をしないのだ? 愛している! なぜわかってくれない、ぼくは死んでいない」
***
海から戻ってくると、トゥルビヨンの船が巣の近くにいた。かれは食料の籠を持ってきてくれた。もう200歳になる。ダントンと二人でここに来て行った調査に協力してくれ、ダントンの死後は食べ物を分けてくれる。今日は交換に渡す魚は捕れなかった。かれは、ニュースでダントンのメッセージを見た、君は有名人だな、というが、ミシェルは心外だ。
巣に戻り、コンピュータをチェックする。
七月一〇日フロレンスでの後ろ姿の写真、分析の結果95%、タージャンだ。ヨーロッパ一周でもしていたのか。
それから、6月26日、パリのビデオ。ビンゴだ。タージャンが女に手をつかまれながら群集を見ている。地面に倒れている男。と、女が驚いた表情。タージャンが怒る。「妻は死んだ。もうこんなゲームはたくさんだ」とフランス語で言う。
***
タージャンは書類を集めて教室を去る。おれは、何のためにパリくんだりまで来たんだ?
かれは食堂に行く。田舎バンドがオアシスの「ワンダーウォール」を酷いアレンジで演奏、腹をたてる。外に出ていくと、書類を拾い集めている男達。倒れている男。助けないと。カメラで撮影する男がいる。警官が来る。女が「ここから助けだしてくれ」という。
***
タージャンは女を助けてカフェに入る。女はステファニーと名乗る。倒れていた生化学者の男とは同僚で、襲ったのは<トランスリストリア国>の特許警察の連中だ。女は<聖十字>の看護婦だった。地方警察に通報すれば、というが、女は断る。
女たちは<人間ヒイラギ>の薬の特許侵害をしたらしい。ソビエト連邦は崩壊後、遺伝子技術で生き残るしかなかったという。
二人はカフェを出てタージャンのホテルの部屋に移動し、話を続けた。
モルドバはソビエトに併合された。トルコにはトルコ・キリスト教会があるらしい。いわゆる<ガゴーズ>。
ソビエトは、少女奴隷を輸出したり、銃の部品などを作ったりしていたが、やがて西側の特許をすりぬける薬品の開発を始めた。企業は政府のチェックを免れ、自由になったという。
タージャンは、錆びついたソビエトの工場で遺伝子組換えが行われ、何列もの突然変異植物がテストも規制もない遺伝子工学によって開発され、疑いを知らない世界へと出荷される様子を想像した。
テレビのニュースでは二番目に路上の殺人事件が報じられていた。動機も不明、犯人は逮捕されていない。ステファニーは警察に情報提供は出来ないと言った。「友人は、彼らにとっては無価値で、貧乏人にしか価値のないものを盗んだ。はやくここから持ちだして、しかるべき人とコンタクトを取りたい、パスポートが欲しい」
タージャンはパスポートを取りに、ステファニーのホテルへ行く。昼の殺し屋を見かけ怒りを覚えるが、とりあえずホテルに部屋を借り、鍵でステファニーの部屋に入り、パスポートその他をダッフルバッグに入れるが、くだんの酔った殺し屋の気配を廊下に感じ、カバンをそいつに投げつけて倒すと、二人めを殴って拳銃を奪う。しかしその銃は弾が出ないので、タージャンはバッグを置いて逃げ出す。
結局パスポートは取り返せずホテルに戻った。
***
ホテルに戻るとステファニーは彼のことをニュースで見て有名な教授と知っていた。支払にカードを使ったことを責め、殺された男であるウクライナ人のアドリアン・クリスティから受け取ったバイオテクノロジーの情報を運び出したいと言った。
***
ミシェルは、「タージャンが殺人を目撃したらしい」という情報をデバウトに報告するのはまだ早い、確認してからだと思う。
死ぬのを見たはずのダントンの手を感じる気がする。
警察のファイル入手。クリスティはルーマニア人の末裔で、ソ連に生まれ、崩壊後、ウクライナ国籍取得。トランスニストリアから出国税を取られ、個人保険と環境保険をかけ(ウクライナは個人情報を全く保管していない)、ブカレスト、プラハ、パリと移動し、すぐ殺された。肝炎のワクチンを持っていた。当局は麻薬売人と判断し、興味を失ったようだ。
タージャンについて更に調査。別の写真、マキアベリ像の前で顔をそむけた女に話しかけている。<プレイス・ドーフィン>の写真と同じ女である確率は41%だった。南仏まつりの教会前の写真、グラスを差しだした相手は写っていない。
一休みしながら、考える。女とパリで会い、行動をともにしていた! ロマンスだろうか。
***
タージャンはステファニーの部屋代も払ってやった。「下で朝食の準備が出来てる」と促す。一人になりたいという気持ちと、警察に通報しようかという気持ちがあったからだ。ステファニーもそれを察して逃げても不思議はない、と思いながら。
ステファニーは、タージャンがクレジットカードを使ったことを詰り、無効になる前に現金をできるだけ引きだせと言った。タージャンは言われた通りにする。ステファニーに携帯電話を偽名で買い、ニースへの列車に乗る。タージャンはハイデガーの「生命への投棄」の話をする。そして、<信頼のおける計画>が大事だ、君の計画は何だ、ときく。あのバッグは何なんだ。
ステファニーは答える。飢餓への答えよ。彼女の父はアンゴラ、母は東チムールのポルトガル人で、ローマでUNESCO勤務中に知りあった。ステファニーはヴァージニア大学で学んだ。アフリカに看護婦として従軍し、その後モルドバ休暇中に「文明世界でこんな悲惨があるのか!」と驚き、遺伝子工学の道へ進んだ。彼らの技術は<遺伝子操作された消費者>、ひらたくいうと、食料を消費しなくていい、自ら光合成により栄養分を作る技術だった。<緑の豚>に始まり、<人間に光合成をさせる技術>を開発していた。<緑のいぼ>を人体に生やすウイルス。タージャンは、植物と違い、動物は動くから必要なカロリー量が違うのではという疑問を呈するが、ステファニーは意に介しない。これで、戦争における兵糧攻めは不可能になった、と語る。
***
ミシェルはコンソールを閉じて巣に戻る。ダートンの声が聞こえる。
***
ミシェルはダートンと<くらげの湖>と大海を分ける尾根沿いの坂道を上っていたが、ダートンは息切れしアレルギー反応を示した。そして死んだのだった。そのようなアレルギーは何万人に一人だと、トゥルビヨンは言っていた。
***
ダートンの船が動き出す。ミシェルは<行って>とサインを送る。見つかったらどうしよう。
***
ステファニーはタージャンに緑化ウイルスの苗を見せる。猿にはテスト済みで、接触感染するらしい。タージャンは自分のおいたちを話す。妻を脳腫瘍でなくしたこと。両親も自動車事故で失った。親戚のジェスの妻ルイスはエイズで死んだ。そして、最近スパイ小説を読んでいるが、切符通りニースに行くのは危険だと告げる。彼らはルート変更する。
タージャンはアメリカで哲学の学位を得ており、フランスで<思想家>として食っていくつもりだが、無理ならバーガーキングで働くつもりだ。自分は自由主義者というよりはエコノミスト気質だ。
ステファニーはアフリカの深刻な食料事情を多くの事例をあげて述べる。
タージャンは、この緑化菌を試してみるといい、これで資本主義市場が崩壊するかもしれない、とステファニーに言う。
***
ミシェルはまたダートンの角笛を聴きながら、分析を終えた。コロルに行ってデータを発送したいが、彼女は伝説的人魚のため人前で目立ちすぎるのがネックだった。
ダントンが生きているころはよく、ボルネオなどに調査旅行に行ったものだった。彼の死で生活が変わった。
タージャンと一緒に写っている女について調査をした。ローラ・フロー、氏名不詳の旅行家などが浮かぶが決め手はない。「ステファニー」という名を入れるとすぐにヒットした。彼女はタージャン失踪の前、3夜連続でホテルに泊まった記録があった。
スクリーン上で光を放つデータを見て、ミシェルの血がたぎった。更に<蜘蛛>をネットに送りこむと、いいニュースが転がりこんできた。
ステファニー・ペイはポルトガルとアンゴラの二重国籍者だった。一時アメリカで教育を受けていた。クイックチェックで、大学にいた時期はタージャンと重ならないことが分かった。卒業後、<サンタ・クロース>という援助団体に勤務。
更に別のニュース、もっとセンセーショナル。7月19日夜、ヴェニスで派手に殺されている。タージャンが<豊穣の角>理論の第一弾を発表する六日前。
二つの殺し&&
一つはパリ、一つはヴェニス。しかも、うち一人はタージャンの恋人だったらしい。ミシェルの体が突然、息づまる戦慄に引きつる。そして、緊張のあまり息を止めていたことに気付く。頭がぐらぐら。気分が回復すると、デバウトがいるメリーランドの現地時間を調べ、すぐに呼びだすようデッキに指示する。
はじめデバウトはつかまらなかった。折り返し連絡をもらうまでの間に、更にステファニーについての情報をゲットした。デッキのキーボードを叩いて証拠のデータを送信しながら、これまでにつかんだストーリーを説明した。
デバウトの驚愕のまなこはデータとミシェルの顔を行ったり来たりした。「このうちどの程度の情報が&&」いいだしてやめた。「どうやって死んだんだ?」辛うじて言った。
「記事によると刺されたと書いてあるわ。警察の記録を調べ中よ」
「タージャンのことも書いてあるか?」
<いいえ>とサインを送った。「警察の記録にはもっと詳しく書いてあるでしょ」
「一体なんだと思うかい? 歴史上、タージャンが暴力沙汰に関係した記録はないんだが」
「明日までに、答を出せると思う」とミシェル。「ただ、この情報を早めに伝えておけば、あたしの知らないタージャンに関する情報と結び付けられると思ったから」
デバウトは指で<マドラ>のサインをした、古いサインではないだろうとミシェルは思った。デバウトは頭を振る。「ここで何が起こっているのか、わしにはサパーリ分からん。ただいえるのは、こいつは何かのとんでもない偶然のめぐり合わせに違いないということぐらいだ」
「偶然の一致なんて信じられない」ミシェルは言う。
デバウト笑う。「調査者としては理想的な態度だ。だが、もっと経験を積め」手を振る。
でもタージャンは、この女を愛していたのよ、ミシェルは心の中で言う。それはすごくよくわかるのだ。クレアの死後、この女こそがタージャンの愛した女だった。そして、彼女は殺され、タージャンは、今この世界が拠って立つ基盤ともいうべき理論への一歩を踏みだしたのだ。現代世界全体が、ステファニーへの記念碑なのだ。
そのころは誰もが若かった。70歳の老人ですら今の人々よりも若い。世界は愛と情熱で燃え上がっていただろう。だが、デバウトは年をとって愛を何もかも忘れ去っているから、理解できない。
「ミシェル&&」ダートンの声が水上を漂ってくる。
邪魔者ね。かれに台無しにされるわけにいかない。
ミシェルの指が<行きなさい>のサインを作る。「全部の情報が入ったらまとめて送るわ。間違いなく、驚くべき事実をつかみつつあると思う」
デッキをつかんでぐるりと向きを変え、海からスクリーンのあかりが見えないようにする。裸の背中をアイアンウッドの壁につけたまま、入ってくるデータを次々と表示させる。
警察の記録はない。ベネチアの当時以後のすべての警察記録は<光速戦争>のさいに抹消されている。マスメディアの情報しかなかった。
「どこにいるの? 愛してるよ!」はるか遠くからダントンの声。ダントンは探索の範囲を狭めつつあるが、ミシェルの巣の正確な位置を特定するには至っていないようだ。
にやりと笑って、端末を閉じ、パウチに戻す。寝ている間に<蜘蛛>が必要な情報を集めてくれるだろう。ハンモックに戻って、遠くにダントンの声を聴きながら眠ろう。
***
二人は数日おきにねぐらを変えた。タージャンはいつも寝室を別々にとった。ある日二人はバルコニーに座っていた。オリーブ畑に落ちる夕日。ラベンダーの香り。タージャンは自分の視線をステファニーに気付かれ、目をそらす。
「わたしと寝ようとしないのね」
「ああ」
「でも、わたしを見ている。男性の機能がないわけでもない」
「ぼくたちはいつもけんかしている」タージャンが言う。「時々、同じ部屋にいるのがつらくなるほどだ」
「今までに知っている男の人は、そういう理由で止めることはなかったわ。女の人もね」
「まだ妻を愛している」
「いいことね」
そして、妻に怒ってもいる、とタージャンは思う。おれを捨てたクレア。妻を殺した世界への怒り。おれだけを生かしやがって。神なんぞ信じちゃいないが、神のばかやろう。トラッシュカン人のほうがはるかにましだったぞ、自分の怒りと憎しみをぶつける具体的な対象が常にいたから。それを受けてしかるべき連中が。
あの哀れな飲んだくれの馬鹿どもめが。まさかあんなホテルの廊下で、悲しみにくれた凶暴なアメリカ人に出しぬけに素手で喉笛を切られるなんて、想像もしなかっただろ。
問題は、また同じことができるのか? あれは考えてやったことじゃねえ。無意識に昔の反射運動で殺っちまっただけだ。また同じことが起こるとは思えん。昔習った<拳法>、特に武器に対する護身術のノウハウをよく思いだしておこう。自信はないけどさ。やるしかねえんだよ。
ピストルは常に持ち歩いてるから、トラッシュカンの連中が部屋を調べてもばれねえ。外を歩きながら時々撃つ練習もしてる。だんだん慣れてうまくなってきた。
弾も買っといたほうがいいかな? でもフランスでは、どこで売ってるんだろう。特に、おれみたいな外人がそんな世界に足を突っ込んだら、やばいことにならないだろうか。
「わたしたち、二人とも怒ってるのね。死に対して。でも愛は、もっとことを複雑にする。まさか、死に恋しているわけじゃないでしょ?」
タージャンはくそむかついた。なんちゅうことをいうんだ、この女は。二人は黙って庭を部屋まで戻った。
戻って財布をチェックしたが、ユーロは盗まれていなかった。ステファニーが金を奪って逃げる気かもと思ったのだが。あのアマのいない間に、サンプルを盗んでパスツール研究所にでも提出したろうか。だが、思いとどまった。
翌朝、朝食をとっていると、ステファニーの携帯が鳴って、話しながら、ステファニーの顔が恐怖に歪んだ。タージャンの血がたぎった。電話を切るとステファニーがいった。「やつらよ。わたしたちの居場所を知っている、取引がしたいといってるわ」
「もし知っているなら、何でここに来ないんだ?」
「行かないと」
二人は出発した。フランスからタスカンヒルズに逃げ、携帯を捨てて買い換えた。タージャンはイタリア語を話せないが、ステファニーはイタリア育ちだったのでローマっ子並みにペラペラだった。
数時間のところにフローレンスがあったので、訪問した。雨が降ったので教会に雨宿りした。ガリレオや多くの著名人がまつられている。ステファニーの働いていた教会とは別派らしかった。賽銭箱もない。
旅行客のカメラのストロボがピカピカ光っている。
タージャンはマキアベリについて、人間の<情熱>について語る。あんたのその人間を植物にする菌を使っても、人間から情熱は奪えないんだぜ。
「植物じゃないわ」ステファニーは声をきしらせ、周囲を見る。そして歩きだす。
タージャンはいう。「あんたは食物市場がクラッシュするという。だが大事なことはそんなんじゃなーい♪ 労働市場はどーなるんだよっ?」
広場に移動。
「つっ立っておひさま浴びてればおなかいっぱいになるっちゅうに、何で働かなきゃなんねえんだ? そんな気分になるかね? 安い労働力が流入するのは、国の家族に仕送りをして食わせるためだろうが。必要があるから人は働くんだよ」
「そんなこと、わたしが知らないとでもいうの?」
「きみはわかってない、労働市場が崩壊して、国の維持に必要な看守だの工夫だのといった人材が得られなくなれば、国は強制力を使うしかなくなる。あんたの国のソビエトシステムと同じ、人呼んで奴隷制ジャン」
ステファニーは露骨に怒った顔をしていた。そして、「あたしは、人助けをしたいだけ。ほかのことは、あんたが助けられるなら、助ければいいジャン。最後に一言だけいわせて。この、クソバカ!」そういって、ステファニーは歩みさった。
「奴隷制か、無政府状態か、二つに一つなんだぞ、ステファニー! お前が人類に迫っているのは、その選択なんだぞっ!」
これでもう会うことはあるまいと思ったが、その日バスを降りたところで、偶然にもステファニーが携帯に怒鳴っていた。翌朝、ステファニーは言った。「明日ローマに行く。あいつらがそこであたしを探している、家族がいるから。でもあたしは実家には近づかない。空港でオディルに菌を渡す」
「おれも行く。ピストルはローマのホテルで捨てるよ」
ところが、オディルはヴェニスにいた。ステファニーは、こっちから行くから動くな、と携帯に怒鳴っていた。結局、ローマ行きをヴェニス行きのチケットに変更することになり、旅行業者に基地外を見る目で見られた。
列車で移動した。
タージャンは考える。民衆を労働に利益誘導できなくなれば、ポルポトのように罰を使うしかなくなる。だが、労働にどんな価値が残っているだろうか。教育? うまく教育すれば、報酬なしで仕事をしたがる人も育つかもしれない。労働が交換価値の基準になり、労働で税を払うというのはどうだ。
その独り言をきいていたステファニーが突っ込む。「はあ? それと奴隷制とどう違うって言うの?」
「税金を払うのと奴隷制の違いと同じだよ。ノジックの本を読んだことがあるか? 労働価値理論の復権だよ!」大笑いする。「マルクスもアダム・スミスも糞くらえだ。植物人の世界では、価値イコール労働なのさ! イコール、カロリーさ! 政府予算をカロリーで決める。道路や下水を維持するために、人々はお金を払う代わりに、自分や他人の労働をカロリー計算で一定額支払うんだ」
目的地に着いて地図を見ながら、オディルのいるホテルに向かい、うろついている最中、タージャンは背後から襲われ、倒れた。二人組の男。ステファニーの悲鳴。追っ手の二人がステファニーを襲っている。タージャンは3人を射殺したが、四人目はナイフでステファニーを人質に取り、結局殺してしまう。タージャンはそいつを射殺し、ステファニーのバッグを回収し、ホテルのオディルにとどけた。そして、言った。「君は逃げろ。ステファニーはこいつのために殺された。君は飢餓を救え。残りの世界は、おれが救う」
***
ミシェルは3600カロリー相当の調査業務を終え、<蜂の巣ハタ>を一匹捕まえ、トゥルビヨンの船近くの海から浮かびあがった。そしてトゥルビヨンの持ってきた食料と交換した。「もうブルーベリーはないの?」
「今回はないよ。きみんとこのあの若者は、亀を眠らせないわ、魚を脅かしてにがすわ、大迷惑だ」
「島で捨ててくれば」
「わしの権力はそこまで及ばん。かれは聞き込みをしまくっている。君が見た場所を全部訪ねてる。すぐに君を見つけるぞ」
「わたしがその気にならなければ見つからないわ。かれが叫んでもわたしが答えなければいい」
「まあな。魚をありがとう」
ミシェルはアイアンツリーに戻り、調査を再開した。
ステファニーは外人の喧嘩の巻き添えで死んだ、と報道されていた。
タージャンへの言及はなし。
撃たれた四人中、一人だけが生き残り、無実を主張したが有罪となり入獄。長生きし、<光速戦争>で死んだ。
四人はベラルーシ、ウクライナ、モルドバ出身。追っていたのはステファニーだろう。だが、ステファニーの<サンタクロス>での記録は抹消されている。
だが、サンタクロスのモルドバ難民キャンプにステファニーがいたに違いないとミシェルは思った。
更に、エチオピアのシダモ地方にも難民キャンプがあった。そこはかの有名な<緑ヒョウ病>が大発生した場所だ。そこから爆発的に広まり、人々の遺伝子は光合成をするように改変され後戻りできなくなった。
その数週前に、タージャンがタイミングよくあの理論を発表していたのだ。前もって、緑ヒョウ病を知っていたとしか思えない。
そうだ、旧ソ連で開発されていた遺伝子工学の秘密情報を、タージャンはステファニーからつかんだのだ! これは歴史上の大発見だ!!!!!
そこへダートンが現れる。デリーの連中が昔のデータから、ダートンを作りなおしたのだろう。
「今仕事だから」とミシェルは答える。
そして、ダートンをおいて、端末を持って陸上に向かう。
「ぼくは行かないぞ! 何が起こったか君が話すまでは」
バラウ島でのダートンとの日々は幸福だった。プラハで200歳になる猿好きのリサ・リー・バクスターがダートンにちょっかいを出すまでは。ダートンがリサに捨てられてミシェルの元へ戻ったとき、既にミシェルの気持ちが冷めていた。
ダートンは、蘇った今もミシェルを愛しているようだが、ミシェルの怒りは癒えない。ウザイ。
ミシェルはダートンを騙して、海中の水路に誘いこみ、溺死させる。実は、前回もミシェルが殺したのだった。ダートンのアレルギーを知っていたミシェルが、あの旅を強いたのだ。これで殺すのは、二回目だ。
とはいえ、データから簡単に人体再生できるから、殺人はせいぜい第四級の罪に過ぎない。もっとも、許されるのは二回まで。三回やるとさすがに刑務所に入り、<真の死>を待つことになるだろう。
ミシェルには<真の死>が抽象概念としては分かっても、どういうことなのかさっぱり想像が出来ない。ある人間と永遠に別れるとはどういうことなのか。その想像を絶する熱情の中で、タージャンはステファニーを失い、あの理論を生みだしたのだろう。
デバウトには全てを言うつもりはない。旧ソ連の研究の話や、<緑ヒョウ病>との関連などは伏せておこう。大パニックになるから。もっとも、デバウトには両者を結びつけて考えるなど想像も及ばないとは思うのだけれど。
そしてミシェルは、今度ダートンが帰ってきたら、どうやっていじめてやろうか、と考えていた。

~完~




















silvering at 12:50 │Comments(1)読書

この記事へのコメント

1. Posted by slg   June 26, 2005 13:01
ヒューゴー、ネビュラがふたたびコンプリート状態。あとは英国協会賞。