SF百科図鑑

Micael Moorcock "The Dancers At The End Of Time"

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May 20, 2005

Micael Moorcock "The Dancers At The End Of Time"

時の果ての踊り子プリングル100冊も残り5作ほどになってきた。この際、毒を食らわば皿まで(意味不明)。えーい長いほうから行っちゃえ。ロデリックみたいに途中ギブアップの可能性承知で。ムアコックの永遠のチャンピオンサイクルに属するとされるSFシリーズ(番外編も数冊あるらしいが)三部作合本。収録作品は順に『異星の熱』"An Alien Heat" 『空虚の地』"The Hollow Lands" 『すべての歌の終り』"The End Of All Songs"。感想粗筋追記2005.5.29
やっとこさ読了。
第三部の「すべての謎が解き明かされる」ところまでは抜群に面白かった(すべての黒幕は、やはり「あの人」だった!)。
だが、その後が蛇足で冗長すぎる。<時の果て>による破滅が間近に迫り、ジャギドが打ち出した解決策は、7日サイクルの永遠自動輪廻小宇宙の製造であった。ここまではいいのだが、その後の描写長すぎ。住民たちの環境再生の延々たる描写、雑婚に近いめちゃくちゃな集団結婚式の描写、アメリアとジェレクの心理的葛藤の描写など、ここまで執拗にやる必要はさらさらない。
もう一つどんでん返しがあるのかと思わせつつ、<アメリアとジェレクが次のサイクルの宇宙のアダムとイブになる>という予想通りのベタなエンディングだし。このオチにするのなら、こんなに長々と引っ張る必要はなかったでしょ。
とにかく、せっかくスケールが大きくてキャラも多彩で面白く、会話も滑稽で笑えて、ミステリ的謎解きも興味深いというのに、最後の最後で作者自ら汚してしまったという感じだ。残念。
でもシリーズ全体としてはよかったよ。
第一部、第二部の評価はコメント欄に書いているから、第三部と全体の評価を載せる。
(第三部)
テーマ性  ★★★
奇想性   ★★★★
物語性   ★★★
一般性   ★
平均    2.75
文体    ★★
意外な結末★★
感情移入力★★
主観評価 ★★1/2(26/50点)
(シリーズ全体)
テーマ性  ★★★
奇想性   ★★★★
物語性   ★★★★
一般性   ★
平均    3点
文体    ★★★
意外な結末★★★
感情移入力★★★
主観評価  ★★★(33/50点)

<粗筋要旨>
時の果てを舞うもの マイクル・ムアコック

第一話(開幕) 異星の熱
プロローグ
地球のサイクル(あらかじめ真実を述べるならば、間違いなくわれわれの宇宙)は終わりに近づき、人類はついに真剣に考えることを止めていた。百万年に及ぶ科学及びテクノロジーの知識を受け継いだ彼らは、その知恵を、最高の幻想に酔いしれ、大規模な想像力あふれる遊戯をおこない、美しい怪物を解放し創造することに利用した。
これは、時の果てを迎え、退廃と不道徳に瀕していた人類のある人々に起こった物語である。道徳の意味を知らないジェレク・カーネリアンと、その全てを知っているアメリア・アンダーウッドが、本篇の主人公だ。

第一章 鉄の蘭との会話
海辺で、ジェレク・カーネリアンは、母の<鉄の蘭>と食事をしていた。かれらは、古代人類の書物などから、古代人類が感覚を細かいカテゴリーに分けていたこと、<美徳>、<道徳的廉潔>といった概念を持っていたことを知り、不可解だと話した。
***
かれらは一二階建ての<女王公爵>の仏塔を見る。公爵からは夜のパーティに招待されていた。彼らは食事を終え、エアカーに乗る。母は、ジェレクが古い音楽のアーカイブから見つけた歌に感嘆していた。ジェレクは黒ダイヤをショベルで積みこむと、歌を口ずさみながら、蒸気機関式のエアカーに乗り、農場に向かった。農場は巨大な木製インディアン像がバルコニーを支える高層ビル<ハイライズ>の一角にある。車から降りると、「ジェロニモ!」と叫ぶ母と共にジェレクは家へ向かった。農場では、ロボット騎士が操る遺伝子操作の水牛が歩きまわっている。
母親が来るのは、<ハイライズ>をたてて以来初めてだ。
バルコニーを越えて、中に入った。宇宙船のホログラフが写しだされていた。人類が宇宙へでていくのをやめてから、もう数世紀経っている。以前には多くのものが宇宙を目指したが、大した成果は持ち帰らなかった。時間旅行者も多くいたが、ジェレクは興味がなかった。19世紀的なものには興味はあったが、現実にその時代に行って見てもしらけるだけだろう。
給仕ロボットの<サーボ>がきた。
母親は、何百人という子供を作っていた、という。大半は<天子(シェラブ)>だ。今は顕微鏡を作っている。小動物も作っているらしい。
母は、ジェレクが教えた<ルナの人食い><泳ぎ><旗>の話をする。レイディ・シャーロティナの作った旗だ。もう300年前になる。<マングローヴの地獄>が、ジェレクの動物園を滅ぼした。ただ一匹の動物を除いて。
母の動物園はとても小さいが、三人のナポレオンがいた。だがそのうち本物がどれだかは分からない。<永遠の愛妾>の動物園はもっと大きい上に、本物のフン王アッティラがいるという。
ジェレクは生まれてしばらくは孵化器で育った。自然に生まれた赤ん坊であったことが過去への愛着の理由かもしれない。三十世紀の世界を支配したペレグ・トラロは、子宮から生まれた最後の赤ん坊だったからそうしたというではないか。500世紀の歌手クレア・キラロも赤ん坊として生まれた。
ジェレクはマングローヴと自然生者のヴェルテル・ド・ゲーテ以外の全ての人にうらやまれ、愛されていたし、エンターティナーとしての才覚を認められていた。彼は夢をほとんど見たことがなかった。
彼らは<女王伯爵>のパーティに招待されていた。服装の準備を始めよう。

第二章 女王伯爵の夜会
二人はかつて地球を支配したニューヨークの地に本拠を定めた<女王伯爵>ことリャム・タイ・パム・12・51ドル・カエサル・ロイド・ジョージ・ザトペク・フィンスベリー・ロニー・ミケランジェロ・ユリオ・イオプ・4578・リュー・ユナイテッド邸を訪れた。<赤き草原の女王>の像が目印だった。
人々の中には見知らぬ人もいたが、おそらく<動物園>から連れてきた時間旅行者だろう。
かれらは、リハクに近づいた。ジェレクは27世紀からきたリハクと少し話した。母は、<甘き球のメイス>と話している<涙の馬ガフ>に呼ばれて、離れていった。ジェレクは次にマングローブと話した。彼はみんなに好かれている。次いで、<カナリアのギザギザ王>と話した。ジェレクの親友だ。ジェレクは、リハクが自発的時間旅行者ではないと思うと話した。伯爵は姿が見えなかった。ギザギザ王と、いつか愛を交わしたいなと言った。彼は母を探しにいった。この男も時間旅行者なのだろうか、だとしても隠しそうだ。
ジェレクは、<永遠の愛妾>ミストレス・クリスティア、ゴリラの<肉食いオカラ>と会った。この二人は性別や姿をよく変えている。
彼らは、今日のメインイベントが行われる都市、ウォルバーハンプトン(会場は様々な<都市>に分かれている)に移動した。とつぜん全部の火が消え、暗闇になった。
ジェレクは目を閉じた。

第三章 面白いとはお世辞にもいえない客
公爵が紹介したのは数日前最も遠いところから地球に到着した宇宙船のエイリアンだった。エイリアンはユシャリスプと名乗り、ピウィーリからきたこと、メッセージを携えてきたこと、それはわれわれが<時の果て>にいること、そのときがくれば全ての原子が変化し、全員が死ぬこと、などを通訳器を通じて語った。
だが、エイリアンといい<時の果て>といい、聴き慣れた陳腐な話で、だれも興味を引かれず、客は次々と帰って行った。
シャーロディナは公爵に、「このエイリアンをわたしの動物園に頂戴」といい、公爵は承諾した。そこへ、古代人の女が現れ、「エイリアンを放しなさい」と古代語でいった。新入りの時間旅行者で、<通訳ピル>を飲んでいないのだろうか? 彼女は、シャーロディナの肩に手をかけた。
ジェレクはクリスティアと共にこの女に近づき、古代語で話しかけようとしたが、通じなかった。女は怒った様子で立ち去った。
公爵は催しが失敗したことを謝った。
ジェレクは、古代人の女について、動物園にいるのかときいたが、公爵は否定した。ただの異端者だろうという。
シャーロディナはエイリアンを捕獲し、自分の動物園に送った。

第四章 カーネリアンの新たな擬態
会場を探したが、古代人の女はいなかった。だれかの動物園に帰ったのか、それとも一人立ち去ったのか。どうしても農場に連れかえりたかった。ジェレクはエアカーに戻って、待った。マングローヴとヴェルテル・ド・ゲーテが来るのが見えたので、立って挨拶したが、無視された。クリスティアも公爵やシャーロティナと、母は<声なき婦人>や<てのひらのウリアノフ>とどこかに行っていた。
そこへギザギザ王がきて、横に座った。かれは、エイリアンのことや彼の(時の果て)の話を信じるか、気にならないかときいた。ジェレクは、真実だと思うが、だから何だ、なぜ気にするんだ? ときき返した。
ジェレクは、ギザギザ王に古代女の所在を尋ね、マングローヴが彼女をエアカーに乗せて動物園に向かったと答える。ジェレクは彼女への愛を語り、同時代人のアンビローズ・ビアスを通じてメッセージを伝えたいと語る。ギザギザ王は愛という言葉をきいて感激する。久しく忘れ去られた概念なのだ。二人は「愛! 愛!」と口々に叫び、夜の闇に車を走らせる。
***
夜明けを見ながら、部屋の中でジェレクとジャギド(ギザギザ王)は、古代女について話していた。マングローヴを訪問し、動物園(見世物小屋)であの女に会おうか。なんという名前だろう? ジェレクはジャギドに、「おれと入れ替わらないか?」ときくが、ジャギドは「その愛は君に生じたものだから、それは無理だ」と断る。
ジャギドは部屋の片隅にあるマンモスの着ぐるみを見て、これを着てもいいかときく。ジェレクはOKする。ジャギドは服を脱ぎ、何を着ようかと思案する。
どんなことでも可能、何にでもなれ、何をしていてもよい時代。幸福な時代。
ジェレクは叫ぶ。「そうだ、おれは昨日彼女がしていたのとそっくり同じ格好をしよう! 彼女に対する明確な賛辞になるぞ!」
「ジェレク、君は最高だ!」

第五章 時間と空間の見世物小屋
彼らはマングローヴ邸に向かった。マングローヴの「惨め」趣味に合わせ、天候は<曇り>。マングローヴの邸に着く。はじめ、マングローヴはジェレクのみを拒んだが、ジェレクに「マングローヴをからかわない」ことを誓わせた上で、二人を中に入れた。マングローヴは、かつて<人間の条件>と呼ばれたものを探して、様々な時代の人間を<動物園>に集めており、とりわけ、能力に乏しく、<泣くこと、嘆くこと>しか能力がない人間をみれば人間の条件をつかめるのではないかと考えていた。
マングローヴはかれらを宴会場に案内した。彼によるとゆうべ、ヴェルテルはここに来たが、既に去ったらしい。かれは、エイリアンの「宿命」という言葉を気にしていた。エイリアンを手にいれたかったが、エイリアンがシャーロティナのところにいるときいて、「自分は嫌われているから、もらえないだろう」と肩を落とした。
マングローヴは彼らに食事を振舞った後、かれらを<動物園>に案内した。
***
雨の中、彼らはまずバクテリアやウイルスを見、植物を見、擬態動物を見、そして<人間館>=最大の建物に入った。ネアンデルタール人に始まり、ピルトダウン人、宗教人、科学人、様々な時代の人間のサンプルが収容されていた。そして、昨夜の19世紀の女をマングローヴが自慢げに紹介した。女は怒っていた。<通訳ピル>は飲んでいたが、ジェレクに向かって罵った。「わかるわ! わかるわ! あんたは最低にむかつく、腐りきった、反吐のでる存在だわ! なんていう地獄なのここは! 英国領事に話をさせて!」と怒鳴っている。女はアメリア・アンダーウッドと名乗った。
ジェレクは彼女を譲り受けたいとマングローヴにもうし向けるが、断られた。当分観察の対象にしたいらしい。

第六章 愉快な会合:鉄の蘭、計略を仕掛ける
彼らは帰ることになり、マングローブはエアカーの前まで見送りに来た。ジャギドは、マングローブに、エイリアンを手にいれて渡すから、代わりに19世紀女をくれ、と申し入れ、マングローブは承諾する。マングローブは、二人に「初めからそのつもりだったのか?」ときき、ジェレクは「ショックだ、心外だ」と答える。ジャギドは「だから何だか警戒していると思った。おれよりもっとひどいやつがそのうちくるよ、君を騙そうとしてね。それぐらい君の動物園は妬みの的だ」と答える。マングローブは、すまなかったと謝る。ジャギドは、おれとマングローブの確執をはじめからとりなすつもりだったのか?とジェレクは思いながら、ジャギドを乗せて、エアカーで飛び立つ。
***
エアカーの中でジャギドは、「シャーロティナがエイリアンを譲りそうにないならば、盗めばいい。それこそ<愛>にふさわしい。赤子として生まれ育った君だけに許される、きわめて創造的で文学的な行為じゃないか!」と煽る。ジェイクもその気になり、「そうだな! そうしよう! 君はお世辞が過ぎるぜ!」と照れながらはしゃぐ。
***
飛んでいると、母の声が聞こえた。下にいるらしい。エアカーを下ろすと、母がリハクといちゃついていた。
母がジャギドと挨拶の儀式をしている間、ジェレクはリハクに自分の古代女への愛を語り、リハクは、「君のは愛ではない。君にはそんな感情はないよ」という。リハクは「ぼくは君のデカダン趣味を矯正するのが使命だと思っている」という。そして歩み去った。母は、あなたリハクに嫉妬しているんじゃないの?とジェレクにいう。
周囲の景色が砂漠に変わった。ジェレクは、古代女を愛し、結婚したいと思うことを母に告げた。母は感動し、「あなたは天才だわ!」と叫ぶ。
リハクは水の向こうで顔をしかめ、口を開かなかった。
ジャギドは、泥棒計画を話した。母は賛同し、三人で極秘裡に進めよう、シャーロティナは三人で行けば歓待してくれるだろう、チャンスが来るまで盗みの目的をおくびにも出さなければいい、という。
ジャギドは「若返ったような気分だ」という。
「あなた、一度でも若かったことがあるの、ジャギド?」と母。
「ぼくのいいたいことはわかるでしょ」とジャギド。

第七章 宇宙飛行士を盗む
シャーロティナは、地下環境好きで、<ビリイ・ザ・キッド湖>の<湖の下>に水面下環境を作り、そこにはりめぐらされた洞穴に動物園を作っていた。ジェレクはすぐにエイリアンのユシャリスプを見つけた。ベテルギウス人の近くだった。彼は塔に住んでいた。塔は宇宙船に似ていた。
ジェレクは、昨日の演説をきいて「嬉しかった」と語り、ユシャリスプが驚く。多くの人に話したがたいてい驚いた、ここのように黙殺されたのは初めてだという。
塔に戻ろうとするユシャリスプに、ジェレクは、昨日のメッセージをもう一度きかせろという。その話によると、宇宙は拡張と収縮を交互に繰り返しており、既に収縮に向かっている、そうなると気体は固体となり、全ての物質が宇宙の核へと落ちこんでいく、生物は生き長らえられない、ユシャリスプの故郷は既にそうなって滅んだ、という。
ジェレクは、内心、だから何なんだ、陳腐なきき飽きた話だと呆れつつもそれを隠して興味のあるふりをしつつ、脱出を呼びかける。ここは一種の動物園だ。フィールドはあるが、<再構築>してシャロティナの目を欺き、出してもらってからもとの姿に戻し、マングローブのところへ行こう。
ユシャリスプがうなずく。
***
猿人に変身したユシャリスプを連れたジェレクを見て、股間にブラナート・モーフェイルをはさんでお楽しみ中のシャーロティナは呼びかけた。周囲で気をそらそうとしている母とジャギドも手を振った。地球最後の科学者で時間操作研究者のモーフィルは不機嫌そうにした。
シャーロティナは全裸で、四つの乳は金色、乳首が銀色だった。ユシャリスプを見て、「誰?」ときき、立ちあがった。モーフェイルは床に落ちた。「時間旅行者?」とシャーロティナ。「そうさ。ピルトダウン人だ。タイムマシンは事故にあったらしい。わたしの推測だが」とジェレク。
モーフェイルは立ちあがり、「そいつは何に乗ってきたのだ? 見せろ」ときいた。ジェレクは「明日来てくれ」と答えた。
シャーロティナは「なぜもう帰るの? あなたがたが言い出したんでしょう。まだいなさい」
「いや、この動物に特別な食事を与えなければならないので」
「そんなもの、うちで作るわよ。レシピを言ってくれれば。本当はあなたが時間旅行して連れてきたか、自分で作ったんじゃなくて?」そう言いながら、シャーロティナが近づいた。そして、ユシャリスプにきいた。「名前は?」
「こいつはしゃべれない──」
「スクリー」とユシャリスプ。そして出口に駆け出した。ジェリクは慌てて追いかけた。
「ああ、待って、待って、ジェレク!」
***
ジェレクはユシャリスプをつかまえ、<水>の<門>を越え、<反重力指輪>で空中に飛びだした。そしてエアカーに乗った。後を追ってきたシャーロティナが「とまれ、泥棒!」と叫んだ。ジェレクは、マングローブ邸に向かいながら、「止まれ泥棒、止まれ泥棒&&」と一人ごちた。ユシャリスプは床に座って、「トラブルになるのでは?」ときいた。ジェレクは、「ああ、そうさ。これは愛のためだ」と答えた。ユシャリスプは、「あなたはすばらしい心を持った生き物だ、<スクリー>だ、対応する訳語がないが、あなたのようなものをわたしの故郷では<スクリー>という」。
「マングローブ邸に着くまでに、君を元の姿に戻したほうがいいな」と、ジェレク。

第八章 アメリア・アンダウッド夫人の約束:謎
マングローブはユサリスプをもらって喜んだ。ユサリスプのほうも、そのうち宇宙に送りだしてもらえると思いこみ、上機嫌でマングローブと話していた。
ジェレクは、アメリアをエアカーに乗せ、自宅に連れかえった。そして、最高の部屋である大部屋(自分の寝室の真上)を与えた。かれは、自室に入り、彼女に気に入られるようなどんな服装をしようかとあれこれ考えるとともに、彼女に服の贈り物や音楽を与えて歓心を買おう、と思った。
***
ジェレクは自室に横たわり、眠らず考えていた。シャーロティナは報復を望んでいるだろう。どうやって応戦しようか。アメリアはすこぶるつきの美人で、しかも知的だ。明日の朝彼女もおれを愛するだろうか。もしそうなったらおれたちは、あらゆる遊び、例えば<別居><心中><憂鬱な散歩><ほろ苦い別れ>といったことをやってみよう。全ては彼女次第なのだ。だがともかく今は下準備をしよう。彼はうす笑いを浮かべながら少しだけ眠った。
***
朝になった。いよいよ<求愛>の時間だ。
ジェレクは大部屋に行った。19世紀の音楽を少しずつ大きくした。そしてノックした。「アメリアさん、聞こえますか? わたしのノックか足音が」
「どこかに消えうせてくれれば嬉しいんだけど。あなたがわたしを狂わせてものにするつもりなら、わたしは自殺するから」
「うちの<ロボット給仕サーボ>が朝食を運んでますよね? お気に召されると思いますが」
「最低。朝っぱらから生のビフテキに、ウイスキーって何よ」
「すみません。なら、好みをおっしゃってくださればそのとおりにします」
「朝はトースト二枚に、無塩バター、ママレード、カフェオレ、時々茹でたまご二個。昼はそのときそのときで違う。例えばサラダ、ただしトマトは肌の色が悪くなるからだめ。それから&&」と長々とメニューの好みを説明する。
「なんでもお望みどおりに。ところで、入ってもよろしいでしょうか?」
アメリアは驚いていた。「はあ? あなた看守でしょ。勝手に入ればいいのに」
ジェレクは入った。音楽をきいて、アメリアは耳をふさいだ。「うるさーーーーい!!!」
「この音楽はお嫌いですか? あなたの時代のですが」
「不協和音だわ」
ジェレクは音楽を止めた。
アメリアはシャンペンの水槽をバックに立っていた。ジェレクは、自分以外では今まで見た中で最も美しいと改めて思った。
アメリアは言った。「あなた、わたしを誘拐したのね。たとえわたしをレイプしても、心は許さないわよ!」
だが、うっとりするあまり、ジェレクは全くきいていなかった。そして、チョコレートをさしだした。「チョコレート」
「何よ、ドラッグなんてごめんよ」
「チョコレートです」
「チョコ?」少し興味を引かれたようだったが、結局手を出さなかった。
それから、ジェレクはとっておきの色とりどりの洋服を披露した。
「なに、これ?」
「洋服です。あなたのものです、どうです美しいでしょう」
「こんなもの、わたしのような育ちのいい淑女の着るものじゃないわ。いつも着ている物を洗って使うから。洗濯機はどこ?」
「でも、あんな服は飽き飽きしませんか?」
「自分に似あうものを選んでるのよ! 余計なお世話だわ!」
ジェレクはしぶしぶ、服を全部アメリアが着ていたのと同じ物に変化させた。それを見てアメリアは「ありがとう」といった。
ジェレクは、ひざまずいて両手を胸に当て、いった。「ミセス・アメリア・アンダウッド! わたしはジェレク・カーネリアンです。わたしは<自然出生>しました。あなたを愛しています!」
「ちょっちょ、ちょっと待って!」
「人生よりも尊厳よりも何よりも、あなたを愛しています。牛が家に帰るまで、豚が飛ぶことをやめるまで、あなたを愛すると誓います。わたしこと、ジェレク・カーネリアンは&&」
「カーネリアンさん!」アメリアは面食らっている様子だった。「お願いだから、立って頂戴。わたしは貞淑な女なの。あなたはわたしの地位に関して、何か誤解をしていらっしゃるわ。つまり、わたしは──既婚の主婦なの。ロンドン近くのケントのブロムレーからきたのよ。わたしは何も──それ以外には、何の仕事もしていないわ」
「誤解って何がです? さっぱりわかりません。説明してください」
「その、つまり、他の職業──コーリング──呼びかけはないわ」
「はあ?」
「さっきから、遠まわしに言おうと思ったんだけど、その──あれが呼んでるの。その、あの設備が見当たらないんだけど」
「設備? よくわかりませんが」
「つまり、あのその、バスルーム」
「ああ、それなら、ワインの水槽でも、牛乳の水槽でもありますよ」
「お風呂じゃないのよ、ウォーター・クローゼット」
「クローゼットに水を入れればいいんですね? 簡単です。そしてわたしたちは愛を交わせます」
アメリアは呆然としている。何かまだ誤解を? 「愛してますよ」
アメリアは両手で顔を覆った。「あなたは、わたしのことを本当に憎んでいるのね」消え入りそうな声。「理解できないなんて信じられないわ。ほんとに、嫌いなのね!」
「違う! 愛してます、愛してます! わたしは何もかもあなたの時代の家に模して、この部屋を作ったんです。何か足りませんか?」
アメリアは真っ赤になった。
かなり時間がたってから、やっと理解したジェレクはいった。「ああ、そういう機能は、わたしたちの体からとっくに不要になっているんです。あなたもすぐに、不要にしてあげますよ」
「余計なお世話だわ!」
「お望みどおりに」
***
ジェレクは、アメリアの指示に従ってトイレを作り、壁をもうけた。アメリアはその箱の中に飛びこんだ。ジェレクは奇妙に思った。この壁は何のためだろう? 動物園の動物が環境を拒否するために必要とする壁?
ジェレクは、アメリアが出て来るのを待つが、なかなか出てこない。「いつまでかかるのですか?」と呼びかける。
「あなた、ちょっと気がきかな過ぎるわね。悪意がないのは分かったけど、あなたのマナーは最低!」と声がした。
「わたしは気がきくことで有名なんですよ。なにせ、わたしは<生まれた>のですから」
「わたしもよ。あなたがなぜそのことを繰り返すのか、さっぱり分からない。南アメリカでわたしたち家族が運悪く出あった部族が、似たようなことを言っていたけど」
「その部族は、無礼だったのですか?」
「それはどうでもいいわ。少なくともあなたみたいなのを、イギリスの淑女は<気がきく>とはいわない」
やがて、水が流れる音がして、アメリアが出てきた。
ジェレクは、アメリアとどうやればコミュニケーションできるものかと思案した。どうやったら、この女性とキスをし、セックスをすることができるのか。とにかく、やってみよう。
「わたしは、あなたと愛を交わしたいのです。それは、どうでもいいことですか? あなたがたの時代は、誰もが恒常的に愛を交わしあっていたと学びました。あなたがたの時代の人々にとって、愛はいつも頭を離れることがなかったと、わたしは知っています!」
「そういうことを話しているのではないわ」
「では、何を話しているのです?」
「クリスチャンには、結婚という制度があるの。もし二人が結婚すれば、あなたのいうような形での愛は許されないのよ。あなたはモンスターではないと分かったけど、ちょっとずれているわ。わたしはクリスチャンとして、あなたに教えてあげなければと思っている」
「そうですか。では、この結婚はOKですか?」
「わたしと結婚したいの?」アメリアは薄く冷笑した。
「はい」
「わたしはもう結婚しているのよ、アンダウッドという人と」
「わたしもしています」
「なら、あなたとわたしは結婚できないわ。一度結婚した人は、自分が結婚したその相手と、ずっと結婚しつづけていなければならないの。あなたは、どなたと結婚しているの?」
「たくさんいます。まず、母の<鉄の蘭>と結婚しました。それから、クリスティア、シャーロティナ、ヴェルテル、最近では友人のジャギド。百人以上ですよ」
「はあ? 百人も?」怪訝な目つきで、ジェレクを見た。「わたしのいう結婚の意味が分かっていないようね。お母さんと? 男の友達と? 何よ、それ!」
「わたしは、間違いなく理解していないでしょう。つまり、結婚というのは、愛を交わすという意味ではないのですか?」適当な言葉を探した。「セックスという意味の愛では」
アメリアは寝椅子に背中を沈め、眉に手をかけた。そして蚊の泣くような声でいった。「おねがい、カーネリアンさん! もうやめて。これ以上ききたくない。お願いだから、わたしをひとりにして」
「今、わたしと結婚したくないのですか?」
「ひとりにして&&」アメリアはドアを震える指で示した。「お願いだから&&」
「あなたを愛しています。チョコレートに洋服、あの設備も差し上げました。わたしは永遠の愛情を誓いました。あなたのために、盗み、詐欺をはたらき、嘘をつきました」
「とにかく、わたしはあなたの間違いを正さなければならないと思っているわ。でも、ちょっと難しすぎる&&。わたしの父は、インドやアフリカで宣教師をしていた。原始人に神の教えを説いていたわ。キリスト教の美徳を。だからわたしも&&」
「美徳。あの有名な<美徳>ですか? それを教えてくれるのですか?」
「今は一人にして頂戴。考えてみるわ。今のこの状況を」
「わたしが美徳を学んだら、わたしの愛人になってくれますか?」
「お願い、とにかく一人にして」
「わかりました。後で戻ってきます。わたしのレッスンを始めるために」
「ええ、あとでね&&」
ジェレクは外に出た。
「お昼は、一時きっかりにお願いね」とアメリアはいった。
***
自室に戻ると、ジャギドの声が聞こえた。下のメインルームにいると言う。ジェレクは早速下に行った。そして、アメリアへの求愛がひどく難航していることを話した。「だが、彼女はおれを愛し始めている。たぶん、数日、いや、一週間以内には、愛を交わせるだろう。だがその前にいろいろ儀式がいるようなのだ。<結婚>とかいうらしいが」
「まだ愛しているのか?」
「もちろんさ、君の考えているような愛じゃないよ、おれの愛は。おれは、彼女に<美徳>も教えてもらえそうだ。ところで、シャーロティナは?」
「彼女は、君に対する永遠の復讐を誓った。君に対して最も残酷な時期を見計らって、復讐するつもりだ。だが、まだ具体案は考えていない」
「そうか。なら、当分はアメリアの愛を得ることに専念できるな」
「ところで、<環境>がほったらかしのようだな。水牛は止まったままだし、オウムは消えちまってるよ」
「そうだった、他のことがどうでもよくなってしまってな。とりあえず、夕日は消さないと」夕日を消して、昼の太陽に変えた。
そこへ、羽ばたき飛行機(オーニソプター)が降りてきた。モルフェイルだった。彼はびっこを引きながら入ってきた。
「おはよう。研究所から今度は何を持ってきたのかい?」
「ジェレク、約束しただろ。タイムマシンを見せてくれると」
ジェレクはすっかり忘れていた。何を言ったか必死で思いだした。「ああ、あれはシャーロティナにジョークを言っただけなんだが。彼女からきかなかったのか?」
「わたしはあの後、すぐ帰ったんだ。そんなこときいてないよ、実に残念だ」
「その代わり時間旅行者がいるよ。なんと19世紀の女だ。この二、三日中に来たらしい」ジェレクは自慢せずにいられなかった。
「なんだと? 二、三日中にタイムマシンが来た記録はないぞ。最近に来た時間旅行者は、皆すぐに帰っている。その女からききだすんだ、どんなタイムマシンで来たのか! これは重要なことだ、新型のマシンに違いない! あるいは、タイムマシンでないかもしれないぞ! 何かの謎、ミステリかも知れん!」
「わかった、きいてみるよ。何か分かったら教える」
「ありがとう。おっと、そういえば&&」
「昼飯でも一緒にどう?」
「いや、いいよ。わたしはやるべき研究があるんだ。じゃあな」モーフェイルは帰って行った。
「謎だって?」
「謎?」
「また、新たな謎だな」ジャギドは言って、目くばせした。
疲れきって、ジェレクも目くばせを返した。

第九章 なかなかの田園詩、なかなかの悲劇
日数が過ぎた。シャーロティナの復讐はなかった。ジャギドは自分の用事で忙しく、訪ねて来なかった。マングローブとユシャリスプは仲良くなり、マングローブは宇宙船建設に協力を始めた。鉄の蘭は、ゲーテと仲良くなり、黒い服ばかり着るようになった。
ジェレクがアメリアに入れあげていることは有名になった。二人は次第にうちとけ、様々な乗り物(アメリアの指示で作った自転車を含む)で様々な場所(シャーロティナの地所を除く)を旅して回った。アメリアは、よく歌を歌った。ジェレクは楽器で伴奏しようとしたが、うるさいといわれたのでやめた。アメリアの要望で<環境>を作ったが、なかなか希望どおりにならず、<サールミア湖>は造ってからとり壊した。
ジェレクはモーフェイルの約束を思いだし、どうやってここへきたのかと、アメリアにきいた。アメリアは言う。「誘拐されたの。頭巾をかぶった人物に。服を着ろといわれ、気を失い、気がついたらここをさまよっていた。英国領事館を探したけどここにはないのね。元の時代に戻りたいんだけど」
「無理だと思う」
「モーフェイルに頼んだらどうかしら」
「無理だ。あなたはタイムマシンできていない以上、特に。モーフェイル効果といって、一度未来に来た以上、過去へはずっといつづけることができないんだ」
彼女によると頭巾の人物は女性だったようだという。あるいは何かのエイリアンか。男性ではなかった。
「そいつは妙だな。まるで、<運命のメッセンジャー>が、<二人の運命の恋人>を<何世紀もの時をまたいで、再びめぐり合わせようとしている>かのようだ。そしてぼくたちは、こうやって──」そして手を握ろうとしたが、はじかれた。
「まだそんなことを考えてるの? あなたは魅力的な男だとは思うけど、わたしは結婚しているといったでしょう」
「あなたはもう未亡人だ。アンダウッドさんはもう亡くなっている! ぼくと再婚できるはずだ」
「わたしは常に、自分の時代に戻ろうと努力する義務があるわ」
「それはモーフェイル効果で無理なんだ」
「わたしはあなたにモラルを教える義務を感じてはいるわ。でも、もし無理と分かったら諦めるわよ。そうすればあなたと一緒にいる理由はない」
「なるほど。でも数ヶ月前、あなたは<美徳>を教えてくれるといったが、いまだにちゃんとした説明をうけていないよ」
アメリアは、サー・パーシファルの物語を語って聴かせた。
***
さらに月日がたち、二人は夫婦関係がないということを除いては夫婦同然なまでに仲良くなった。アメリアは、ここでは19世紀の家と違い、ジェレクに道徳を教えるという自ら課した義務以外には何の仕事もしなくてよかった。
アメリアはそれでもなお、19世紀の家へ帰る努力をする義務を感じていた。
ここはいったい何だろう。デカダンスの時代。腐った楽園。魔王がいるようには見えない。だが、魔王はいなければならないはずだ。あの乱れた性的慣習。だが驚きはしなかった。究極のデカダンスの証拠というだけだ。
19世紀のイギリス、自分の家族たちの痕跡が全く残っておらず、忘却の彼方に去っているのはショックだった。ジェレクがこの時代における19世紀の専門家だというぐらいだから。
***
アメリアはよく夜中に歌っていた。
アメリアの求めに応じて環境は19世紀のアメリアのいた場所そっくりに作り変えられた。アメリアはこの環境こそがいいのだと言った。ジェレクには退屈に見えるのだが。アメリアは、19世紀の人々は安定性、継続性を重視するのだ、と言った。
アメリアは、歌を歌った後、散歩に行こうといったので、一緒にでかけた。丸っきり19世紀の田園風景の中を二人で歩いていった。とっさに、ジェレクは立ち止まった。そして抑えきれなくなり、アメリアを抱きしめ、キスした。アメリアは拒まず、ジェレクを抱き返した。「わたしの、愛するジェレク&&」
そして、アメリアは消えた。
ジェレクは家に戻ったが、アメリアはどこにもいない。
ジャギドは言っていた、こんなようなことが起こるかも知れないと。
シャーロティナの復讐が行われたのだ。

第一〇章 彼女の心の願いをかなえる
シャーロティナがアメリアを隠したに違いない。とりあえず、ジャギドに相談しようと思い、アメリアの要望に合わせて作った車庫に行ったが、鍵はアメリアが持っていた。ジェレクは車庫をいったん解体しエアカーを出した後、車庫を元に戻した。それから、エアカーでジャギド邸に向かった。
ジャギド邸は、巨大な鳥かごの中に反重力フィールドでたくさんの箱型の部屋が浮かんでいた。ジェレクはジャギドを探したが、何ヶ月も留守のような様子で、いなかった。
シャーロティナが復讐の標的にしたのだろうか?
次に、ヴェルテルの<墓>に行ってみた。黒衣を着た母とヴェルテルがいた。母が呼びかけたので、降りてみた。
シャーロティナがアメリアを連れ去ったらしいことを打ち明けると、二人とも、前にそのことを聞いていたと言う。もちろん、シャーロティナの復讐だと。ヴェルテルも二、三週間前に聞いていた。
ジェレクは、どうすればいいだろう、と相談するが、ヴェルテルは、「運命なのだ。運命に従え」というだけだ。母は、シャーロテイナが「ミセス・アンダウッドの心の願いをかなえてやる」というようなことを話していたと言う。
「これは君の望みではないのかね?」とヴェルテル。
「ばかな。おれは、アメリアを愛しているんだ」
ジェレクは、エアカーを出し、<ビリイ・ザ・キッド湖>に向かった。
シャーロティナがジェレクを出迎え、「来ると思っていたわ」という。やはり、彼女が犯人だったらしい。そして、「なぜ仕返しのジョークをしかけてこないの? つまらないわ」と言う。
ジェレクは、「アメリアに嫉妬していたんだろう、いったい彼女をどこへやったんだ?」と詰め寄った。シャーロティナは、モーフェイルに頼んだことを白状する。ちょうど、モーフェイルが現れて説明した。彼は新たな実験で、アメリアを元の時代、元の場所に戻したという。1896年四月四日、ブロムリー、ただし、多少の空間的誤差はありうる。
ジェレクは、自分もその時代へ送れ、とモーフェイルに詰め寄る。モーフェイルは、モーフェイル法則があるから無理だ、と難色を示すが、シャーロティナは、ぜひそうすべきだと賛成する。そして、何事かモーフェイルに耳打ちし、モーフェイルも承諾する。「君の望むことをしてあげよう、ジェレク。ただし、あらゆる意味で時間の無駄だがな」

第十一章 ブロムリー探索
ジェレクは、シャーロティナとモーフェイルに見送られて、タイムマシンで出発した。シャーロティナは「偉大な殉教者よ! お前は時の十字架の上で英雄として死んで行くのだ!」などと囃したてた。ダイヤルの点滅が次第に速くなり、痛みに絶叫したが、声は出なかった。そして、気を失った。
***
ジェレクはくらやみで、目覚めた。球体のタイムマシンが転がる震動で全身を怪我した。震動が終わり、球体の一部が割れてしまっていた。ジェレクはスーツを脱いで外に出た。寒く、霧がかかっている。水辺の構造物の上にいた。テムズ川か? 階段を登ると街灯があり、小道があった。遠くで声が聞こえ、道をすすみもっと大きな通りに出た。家々の中の家具は思ったより小さい。光へ向かって歩くと馬車がやってきた。馬に合図すると馬が驚いてジェレクの頭を蹴った。人影が見え、人々がやってきた。通訳ピルを飲んで、話しかけた。ジェレクのことをロシア人と思ったらしい(最初ピルなしで話したせいか)。女がジェレクを立ちあがらせた。女はジェレクに「あたいと寝ない? あんたかっこいいから安くしとくよ」と言った。
「きみはぼくと愛を交わしたいのか? 君はとても皺が多いね。面白い。でも残念ながらぼくは──」
「くそ! 飲んだくれの糞やろうが!」女は罵って去った。
「彼女を傷つけてしまったしい。心外だ」
そこへ若者が話しかけた。彼はジェレクの面倒を見ようと言う。コーヒーをおごってもらった。若者は金属の円盤をコーヒーショップの男に渡し、コーヒーを受けとってジェレクに渡した。初めて飲むそれはおいしかった。
「あなたの英語は達者ですね」と若者は言った。
「ありがとう。だが実を言うと、ぼく自身の才能とは関係ないんだ。ご存知の通訳ピルだよ」
「何ですって?」若者は言ったがそれ以上追及しなかった。「船から来たんですか」
「そう言ってもいい」タイムマシンの詳しい話はまだ出さなくていいだろう。アメリアを見つけてから、タイムマシンを持っている科学者を紹介してもらおう。
今は1896年4月4日だと言う。
メゴという女が若者に話しかけ、若者がスヌーザーと呼ばれていることが分かった。彼の本名はミスター・ヴァインだった。
ブロムリーはここから列車で行けるが、今日は遅いので、若者のいるホテルに泊まらないか、と言う。服やら何やらを世話してくれるらしい。
「ぼくと組めば、儲かりますよ」と彼はいった。どういう意味かと問うたがそれ以上は説明しなかった。
彼に案内されて迷路のような道を抜けて黒い建物についた。他の仲間と共同で使っている場所らしい。彼は「<スミスの台所>へようこそ」と言った。
部屋に入ると少年が迎えた。「やあ、スヌーザー。このツレは誰さ?」

第十二章 スヌーザー・ヴァインの奇妙な行ったり来たり
一階のメインルームの上に、ギャラリールームがあった。人がたくさん集まってわいわい騒いでいた。女たちは顔に粉やペンキを塗っていた。誰もがスヌーザーを知っていて話しかけ、ジェレクのことを尋ねた。<黎明時代>の人たちだ。通訳ピルをもってしても聞き取れない言葉が多かったが、幸い話すほうはばっちり通訳されていた。ネリーという年老いた女をはじめ様々な人間がジェレクに性的興味を示したが、スヌーザーが断ってくれた。
彼らは階段からギャラリールームに上がり、通りぬけて、奥に入った。そしてドアの一つを開け、電気をつけた。ベッドや、たくさんのトランクがあった。その中から気に入りを一つ選んだ。
「さて、今度は洋服ですね」
「それなら、この<パワー指輪>で作って見せよう」
「あなたは魔法使いですか? なら金を作ってください」
やってみたがうまくいなかかった。「すまん、ここにはエネルギーバンクがない。はるかな未来にあるんだ」
「未来から来たのですか」
「そうとも、タイムマシンで来たんだ」
「冗談はやめてください、ロシアから来たくせに。なら明日の競馬の勝ち馬は?」
「そういう細かいことは分からない。この時代については一般的なことしかわかっていないので」
「あやうく信じるところでしたよ。あなたは多分、精神病院から逃げてきたんですね。でもちょうどいいや。ブロムリーに行く気はまだありますか? ホテルに泊まる気は?」
「それがいいというなら」
「なら行きましょう」
***
ジェレクは貴族の服装に着替えさせられた。そしてヴァインはジェレクを「閣下」と呼び始めた。
彼らはそこを出て、馬車をつかまえ、ヴィクトリア駅に移動した。蒸気機関車を見て、ジェレクは驚き、未来に戻ったらこれを作ろうと思った。
ヴァインは、「これから、あなたの代わりにぼくに話をさせてください。それからぼくをスヌーザーでなく、ミスター・ヴァインと呼んでください」といった。
駅の出口で別の馬車に乗り換え、インペリアルホテルに行った。
ヴァインはジェレクを「こちらは、カーネル閣下だ。ド-ヴァーから電報で予約を入れてある」とボーイに紹介した。
ボーイも受付もそんな電報はもらっていないと言うが空き部屋はあると言うので、ヴァインはスイートを借りた。26号室だった。ヴァイン自身は隣の部屋だ。
ボーイに荷物を持たせ、部屋に向かった。小さな箱型の部屋(=エレベーター)に入ると、部屋が上がったのでジェレクは驚いた。「こんな部屋ははじめて見た」と言ってしまった。そこからでて、26号室に入った。
ヴァインばかりが話すのでボーイはジェレクに非難がましい顔をしていた。ジェイクは「おやすみなさい。外に川を置いてくれてありがとう」とボーイに言った。慌ててヴァインが遮り、「閣下はテムズ川を見るののが久しぶりなのです」と言い訳した。ボーイは去った。
ヴァインは眠るようにいって隣の部屋に出ていった。しばらくして、隣室を開けるとヴァインはいなかった。大きなトランクが二つ開けたまま、小さなふたつのトランクはなくなっていた。待っているとヴァインが小さなトランクにパンパンに物を詰めて戻ってきた。そして、ジェレクがいるのを見て驚いていたが、「あなたのような紳士らしい外見の人がきてくれたおかげでここに入れました。人生最大の大仕事ができましたよ」といい、トランクの中のものを大きなトランクにいれると、また出ていった。そうやって、なんとも行ったりきたりを繰り返し、たくさんのものを運び込んだ。時計やら指輪やら、金の円盤(=貨幣)その他もろもろだった。ジェレクにはその価値は分からなかったが、ヴァインには価値があるのだろう。
ヴァインは一通り運び込む作業を終えると、とても嬉しそうだった。そして、朝早く、他の連中に気付かれないうちに逃げよう、と言った。一部はジェレクの目的地までの運賃にする、という。「これだけあれば、ぼくはダービー馬のオーナーにもなれるし、飲み屋を買いとって大儲けができるぞ! ヤッホー! さあ、そろそろ寝ましょう」とヴァインは本当に嬉しそうだった。
ジェレクはベッドに横たわりながら考えた、「ミセス・アンダウッド。あなたの救い手が、いま、方法を思案していますぞ」。そして、ミスタ・アンダウッドが自分の立場をわきまえてくれるといいが、と思った。
***
翌朝ヴァインが起こした。いったん<スミスの台所>に戻ってから駅まで送って切符を買ってくれるという。服を着ていると、ボーイが来たので、トランクを運んでもらった。トランクが昨日より格段に重いので、ボーイが怪訝な顔をしていた。
部屋を出て、エレベータで下に降りた。外は夜明け時で、曇っていた。ヴァインは受付の男に金貨を渡し、「閣下の奥方が病気なので急遽戻ることになった」と説明した。怪訝な顔をしながらも男は受け取り、「お気をつけて」と言った。
ヴァインがトランクを持ったボーイを従えてドアに向かい、ジェレクも従った。ボーイが言った。「このバッグはやけに重いですね」
ジェレクは「ええ。それにはスヌーザーの手に入れたお宝がたくさん入っていますから」と言った。
スヌーザーと、中年ボーイの口が、あんぐりと開いた。
その瞬間、寝間着のまま顔を茹でだこのように赤くしてかんかんに怒った男が降りてきた。「泥棒だ! 妻の宝石と、わたしのタバコ入れと、その他何もかもだ」
受付の老人が「止まれ!」と叫んだ。
中年ボーイはドアを放して、ジェレクに体当たりして倒した。ジェレクはこんなことをされるのは初めてだったので、笑った。ボーイは、トランクをドアから出そうと四苦八苦しているヴァインに向かってタックルし、ヴァインはトランクを落とした。ヴァインは「そんなことはさせんぞ」と叫び、服から何かを出した。ボーイは、「スヌーザーめ! きさまのことは知っているぞ。おれはもと軍曹なんだ」と言って飛びかかった。バーンと音がして、ボーイは血を流して倒れた。
ヴァインはジェレクに、「トランクを持って外に出ろ!」と叫び、ジェレクは言われた通りにした。外では馬車の御者が助けを呼びに走っていくところだった。彼らは荷物を馬車に積んだ。ヴァインは、武器を向けながら、「撃つぞ! 邪魔するな」と叫び、場所を疾走させた。通りには野次馬が集まっていたが、無視して通りぬけた。
ジェレクは、なんて面白いイベントなんだ、と思った。アメリアにあったら絶対話そう!
馬車は途中で捨て、彼らは<台所>に戻った。しくじったのかと詮索しようとする仲間に対し、ジェレクが説明しようとすると、ヴァインは怒って遮った。「やめろ! おまえはおれのいうとおりにしてりゃいいんだ!」
「ブロムリーに連れていってくれるといいましたよね?」
「はあ? それどこじゃねえよ! あんた、地獄に落ちてたかもしれないんだぜ!!!」
***
それから数日で、ジェレクは<悲惨>を学んだ。汚い服に虫がたかり、髭は伸び、飲み食いもろくにさせてもらえず、部屋に監禁され、乱暴に扱われた。かれは飢えや渇きや恐怖というものを学んだ。
ある朝下で騒ぎが起こった。ヴァインは置きあがり、ジェレクを叩き起こし、ピストルを持って外の様子を窺った。そして、上がってきた男たちと撃ちあいになったが、つかまれ、逃げようとして、手すりを越え飛び降りた。
ジェレクは後を追った。「止まれ」という声も耳に入らず、手すりの下を見ると、ヴェインは血を流して横たわり、立ち上がろうと頑張るものの、手足が不自然に折れ曲がっていた。青い服の多数の男が取り囲んでいた。ヴェインはジェレクを指差し「もう一人の犯人がいる」と叫んで静かになった。ジェレクは、男たちに拉致され、ワゴンに連行された。ジェレクは、アメリアの名前と住所を繰り返し告げた。そしてワゴンに乗るとき、これでヴェインから解放される、と安心し、男たちに、「ありがとうございます! ありがとうございます!」と言った。
男は薄い微笑を浮かべた。「おれに礼を言うな、若造。この件でお前は、縛り首だろうよ」

第十三章 絞首刑台への道、新しい装いの旧友
ジェレクは監獄でいい待遇をうけ、体力を回復した。
彼のところへはラウンズ師という牧師と、国選弁護協会のグリフィスという男が頻繁に訪ねて来た。
牧師は、ジェレクの死んだ友達と、目に見えない友達について、あれこれ説教をし、帰り際に「君の心に許しが与えられるのはもうすぐだと思うよ」と言った。もうすぐ釈放されると思い、ジェレクは陽気になった。
もう一人のグリフィスは、「君はあらゆる目撃者に目撃されている。君が状況の何たるかを把握していなかったという以外には、全く逃げ道はない。君は、タイムマシンで未来から来ただのといった戯言を話している。君を救えるとすれば、そのあたりにかけるしかないんだ。そこで、アルフレッド・ヴァインという男とどうしてあったかを話してくれ」というので、ジェレクは全部話した。グリフィスは全部聞き終わり、「唯一の問題は、ある点において全く正気である君のような男が、別の点においては全く狂っているということを、どうやって陪審員に信じさせられるかということだ、ともかく、わたしは信じているよ、真実だと」と言って帰り支度をはじめた。
「またお会いしたいです」
「ああ、ああ。そうだとも」
回を重ねるにつれ、ラウンズ師の表情は明るく、グリフィスの表情は暗くなっていった。
そしていよいよ、エドワード・フランク・モリス殺人事件の裁判が始まった。
開廷前にボックス状の被告人席に座らされているジェレクに、グリフィスは、「君の知人でミセス・アンダウッドという人が証人としてきている」と告げた。「彼女とは昔からの知りあいかね?」
「ええ。厳密に言うと、これからかなり長い間の知りあい<でしょう>。こういうパラドックスは大好きですが、あなたは?」
「わたしは好きじゃない。彼女はまともな女性なのかね? つまりね、その──例えば、頭のほうは正気なのかとか」
「ええ、それはもうずば抜けて」
グリフィスは、彼女を呼んであるといった。ジェレスは大喜びした。そして、ヒーロー気分で、法廷内の人々に向かってにこっと笑いかけたが、誰も無視した。
そこへ、誰かが何かを叫び、全員がいっせいに立ちあがると、ローブを着た男たちが入ってきた。かれらはジェレクの正面の席にならんで座った。その一人は、ジャギドだった。
「カナリアのジャギド卿!」ジェレクは絶叫した。「ぼくを追ってきたのかい? なんていい友達なんだ、きみは!」
だが、ジャギドはジェレクに気付きもしないように書類を読んでいた。後ろの男が静かにしろと小突いた。「その人は裁判官だし、名前はジャガー卿というんだ」
開廷した。目撃者が次々現れ、証言した。ほぼ現実にあった通りのことをいっていた。フリーマンという男がまず質問をし、次にグリフィスが質問していた。グリフィスは、事件内容についてはどうでもよさそうに、ジェレクの様子におかしいこところはなかったかばかりを執拗にきいていた。一部の証人が、おかしいこと、わけのわからないことをしゃべっていたと証言した。だが、泥棒の暗号だと思ったと。最後にラウンズ師が、ジェレクがいかに悔い改めているかを証言した。
昼休みになり、昼食をとった。
グリフィスは、「陪審員が、君は有罪だが心神喪失だったと判断する可能性は高いと思うよ」と言った。「特に、君自身は発砲していないからね。ただ、検察官は厳罰を望んでいるし、陪審員も君に同情的とは言えない。結局裁判官に委ねられると思う。ジャガー卿は、寛大な判決で有名なお方だから&&」
「ジャギド卿です! 彼はわたしの友人です」
「そこにかかっているんだよ。ともかく、わたしの立証に協力してくれ」
「彼はわたしと同じ時代から来たんです。わたしのいちばんの親友でした」
「われわれの時代の有名人なんだよ、彼は。もう長いこと大英帝国に仕え、スピード出世しているんだ」
「ということは、彼はわたしを追ってそんなにも長旅を! なぜ一言言ってくれないんだろう?」
そこへ、新聞記事を見て連絡をとってきたというミセス・アンダウッドが入ってきた。相変わらずものすごい美人だった。ジェレクは、「ミセス・アメリア・アンダウッド!」と叫び抱きつこうとした。アメリアは身を引いた。そして看守に大丈夫ですといい、「彼です、間違いありません、グリフィスさん」とよそよそしく言った。
「ぼくたちは今すぐここを出て帰れる! ジャギド卿もいる。彼はタイムマシンを持っているだろう。みんなで一緒に帰れるよ」とジェレク。
「わたしは帰れないわ、ミスタ・カーネリアン。あなたを見
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