SF百科図鑑 Barry N. Malzberg "Galaxies"


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April 10, 2005

Barry N. Malzberg "Galaxies"

島宇宙プリングル100冊。「ローマという名の島宇宙」というメタSFというか「SFについてのエッセイ」をノヴェラ化した作品。短い作品だからといって内容が内容だけに侮れない。原型短編は新潮文庫の宇宙SFコレクション2「スターシップ」で読んだが、あまり面白くなかった。つうかあれ、小説じゃないだろ。あれを単純に書き延ばしただけならあまり面白くなさそうだが、果たして&&。 感想、粗筋メモ追記 2005.4.11
読了。信じがたいことに、面白かった。短編版ではフィクション部分の肉付けが薄くて、ただの創作法に関するエッセイの域を出なかったのだが、この長編版では主人公のリーナのキャラクター付けが(蛇足な作者マルツバーグの茶々入れつきとはいえ)しっかりされていること、不明確にぼかされていたストーリーラインが明確に一つに選択されていること、サイボーグや死者との会話も具体的に肉付けされリアリティが付与されていること、超光速航法に関する詳細な歴史が追加されたこと、そして何より、ブラックホール脱出後の出来事の描写が具体化され、特に短編版で分りにくかったオチを、単一のメタフィクション的なオチにかっちりまとめてきたこと、などにより、フィクション部分の面白さが見違えるほどに増して、作者の取り留めない語り部分とうまく結合して、一個の完成したメタフィクションとなっている。
特にオチが綺麗である。短編版が面白くなかったのはオチが不明確だったためだろう。
一回限りの手ではあるが、見事などんでん返しのあるメタフィクションで、かつ、SF小説の書き方も勉強できる。一粒で三度ぐらい楽しめるお得な作品だ。

テーマ性  ★★★★★
奇想性   ★★★★★
物語性   ★★★
一般性   ─
平均    4.25
文体    ★★★
意外な結末 ★★★★
感情移入力 ★★
主観評価  ★★★1/2(36/50点)

<粗筋メモ>
島宇宙 バリイ・マルツバーグ

最初に肉体、次に精神、意識、自意識、その外延が発生した。環境、抽象的環境、不死、魂の問題。こういった性状が継続すると仮定することはできるし、秩序/命令(オーダー)を与えようとする存在は、肉体死の時点を過ぎても活動を継続すると仮定することもできる。
だがこれらの仮定を完璧に確実なものにするためには、いくつかの用語の定義が必要になる。「意識」「魂」とは何か。「オーダー」とは? それをいうなら、「肉体死」とは何だろう?
H・H・ブレナー「最後の所有者」


はじめに定義しておくと、これは小説というよりも、小説を書くために書き記した一連のメモになるだろう。だが注意して欲しい。ついに作品としての力を固めたと見えたまさにその時点に、本書は小説であることをやめる。(それがいつかを告げるつもりはないが)その時点までは、小説だ。だが正確に言うと、その小説じたいは、書くことができない。40世紀という時代に書かれる必要があるからだ。そのイディオムや道具立てが完成するのに、1800年以上はかかる。


作者について話そう。彼は35歳。「島宇宙」という小説にとりかかった。彼は生死について考える。生まれることで世界を想像し、死ぬことでそれを終わらせるなどということがありうるだろうか、と考える。


著者はこの「島宇宙」の登場人物ではない。読者は著者がその作品世界に入りこんできて妨害する心配をする必要はない。ここにいう「著者」は現実の著者の性質を投影した一種のメタファであるとともに、そうではない。
この著者はこれまで活動を続けてきてそれなりの成功は収めているが、失敗の確率は非常に高い。彼は自分が若く、若さゆえの失敗を犯すと考える。だが失敗には力がある。若さは自動的に失われるが、失敗はずっと残るから。だから作家は失敗することによってそれを糧に成長するのだ。編集者の前渡金もあるけれど。


この小説はアナログに載った二つの記事に着想を得ている。キャンベルの「科学的小説──科学的事実」だ。それによると、「黒い島宇宙」ないし「光なき島宇宙」というものがある。それは中性子星の内破により発生する。光のみならず空間やおそらくは時間も飲みこんでしまう罠世界を内包しており、そこから脱出するには光速を越えなければならない。彼はこの島宇宙を「ローマ」と呼ぼうと主張した(すべての道はローマに通ず?)。


中性子星は極端に高温高密度な白色わい星である。普通の星のように長期間燃えたあと、「最後の審判」を経てゆっくりと分解・分散することはない。逆に、自らの存在を続けるために燃焼を加速し、物質が大変動を迎える。最後の審判は短期間で終わり、「死者の再火葬」を帰結する。


この小説はこの物質世界との関連では、3902年超高速宇宙船飛び石号がブラックホールにとらわれる事件を描くものだ。むろんいかにここを脱出するかが第一のテーマとなるわけだが、私自身はむしろこの環境に乗組員がいかに順応するかに興味がある。この環境を受け入れることは悲劇的世界像を意味するだろう。だがそればかりでは売れない。「アルクトゥルスへの旅」にも太刀打ちできない。妻子を抱えた作家として、私はこの作品を読者の興味を引くように書こうと決めた。


キャンベルの記事を私はリアルタイムで見逃していて、後で人にきいてコピーを取り寄せたのだった。これをネタにすればいわゆるハードSFになる。私はあまり得意ではない。それを書くには科学と文学の両方に通じなくてはならない。だがSF界でそれができるのは私の知る限りA・・ぐらいのものだが、つまらないやっつけ仕事に追われている状態だ。文学に造詣が深いB**は科学面が弱い。他にも多数の作家がいるが、両方できるというのは少ない。
それはそうと、ここで扱うのはM**という35歳子持ちの作家だ。そう考えて私は、自分の生活環境自体がブラックホールじゃないかと思った。私の二人の娘は中性子星の内破以上の吸引力を持っている。チーヴァ-の登場人物の口調を真似て愚痴りたい気もするが、とりあえず私はこの創作ノート「島宇宙」を書こうと思う。


この小説は3902年飛び石号がブラックホールにとらわれるところから始まる。女船長はリナ。倉庫にはゼラチン質に保存された515人の死体が眠り、宇宙の紫外線を吸収する。別の倉庫には技術者7人の精神を埋めこんだサイボーグが待機する。
彼女には独り言を言わせよう。会話文は、小難しく陰気になりそうなテーマから考えても駅の売店でこの本はどんな本かいなとざっとページをくるサラリーマンが内容を手早く知るのに不可欠だ。リーナは死者にも話しかける。


だが本書が扱うのは不死だ。ちなみにレナは28歳だ。人類は太陽系中に植民している。この時代には多くの病が克服されているものの、新たな疾病が発生するなど自然との綱引きが続いており、モラル的障害などもあって、医学は今とそれほど変わらないし、平均寿命も多少延びたにとどまる。主要な死因が腎臓やすい臓や動脈硬化に変わっただけだ。船に乗っている死者は大半が60,70代だ。
結局技術が進歩しても人の意識の領域は逆に狭まるのだ。何たる皮肉。これはいつもの私の作品テーマだ。

10
レナはただの技術者。科学知識は大卒程度。彼女のような高度の訓練を受けたものにとって、宇宙船船長の仕事は簡単すぎて物足りない。続けていると鬱気味になる。金のために仕方なしに引きうけた仕事である。今回の調査が終わった後彼女はウラヌスで3月の休暇を願い出るつもりだ。彼女が必要とするものはわれわれと何ら異ならない。

11
レナは肉体関係にこだわらないと書いたが、女性を主人公にする以上セックスの描写は避けられないかもしれない。宇宙を見ながらオナニーするレナや、仮想の恋人にセックスをねだるレナなどを書くことは可能だ。だがどういうわけかSFではこれまでセックスはあまり扱われてこなかった。やはり、宇宙ではセックスなど重要な問題たりえないからだ。

12
あらゆる段階の文化でセックスというのは重要だが、新世界の開拓という局面にはあまり関係がないと思われる。それはこの本のテーマ、つまりレナの探査行についてもそうだ。

13
3902年にもまだ地球外知的生命体と出会っていない。シリウスに牛に似た生物を見つけたが知能は高くなかった。生物の無垢さについては議論になりうるところだが、SFでは議論にならない。無垢ということは腐敗の余地が大きいということだ。

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さてセックスを扱わないのなら別の方法でレナの性格づけをしなければならない。宇宙船はブラックホールに落ちる。レナは落下を感じる。実は時間も吸いこまれているのだがレナは知らない。こうしてレナの感情機構は壊れていく。

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さてここで作家も感情武装を失う。この先をどう扱えばよいか分からないからだ。作家は医学、物理などの各分野の知識が怪しい。ハードSFでは、スタイル的技法にも頼れない。冒険する勇気もなかなか持てないのだ。小説を書くということと勇気はあまり関係がない。大半のSF作家は酒飲みで不幸な生活を営んでいる。

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飛び石号は黒い島宇宙に落ちる。ここでいろんな分野の知識がいる。これを怠るとファンタジーになっちまう。この局面でSF作家は他のジャンルのように読者を退屈させないかと心配する必要は少ない。ジャンルSFの読者はこういった薀蓄につきあってくれるのだ。むしろ、キャラクターへの感情移入などのほうこそ、真実への無関心を示すものでしかないと考えられている。

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中性子星の内破で莫大な重力が発生する。それはすべてを吸いこんでしまう。

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このことでレナは驚く。40世紀とはいえ、レナにそういう経験はないのだ。それにただの技術者で知識もくわしくはない。

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中性子星の内破で次のことが起こると推測される。
(1)見えなくなる。
(2)宇宙の掃除機になって全宇宙を吸いこみかねない。
(3)宇宙生成の原因かもしれない。
(4)そこに落ちた宇宙船はでられなくなる。さて、この船は果たしてどこへ、いつへ行くのか? 分からない。
(5)そこに落ちる過程自体が理解しがたい。乗員は発狂するだろう。

20
こういうわけでレナは落ちて初めてブラック島宇宙にいることに気付く。

21
いよいよ黒い島宇宙に飛びこんだ宇宙船のドラマの始まりだ。レナにはあらゆることが起こりうる。意識を持ったまま生死を繰り返したり、肉体が裏表になったり&&。
レナはジョンという訓練生時代の上司にこう話していた。「どうして死者を運ぶの?」
「理由は沢山ある」
「教えて。一つだけでも」
「彼らが費用の大半を出したからさ。彼らの金なしではこの探査は実現しなかった」
「うそ」
「予算的にきわどかったんだよ。紫外線にその他もろもろ、将来の命で埋め合わせた。お互いの利害が一致してラッキーだった」
「でも間違ってるわ。死者が命に縛られるなんて。宇宙でトラブルが起こったらどうなるの? あたしに責任があるっていうの? あたしはどうなるのよ?」
「免責条項にサインしている。だいじょうぶだよ」
「でも死人と旅するなんていや」
「意識はないよ」
「でも死んでる」
「ただの荷物だよ」
「今は荷物でも昔は人間だった」
「レナ、今度の費用は誰も考えも及ばないぐらいべらぼうなんだ。死者の提供した金が役にたったんだよ。人はみな死ぬ、将来生きかえる望みにかけるのは悪いことじゃない」
「あたしは当分死ぬ気はないけど、今死ぬというならそれを受けいれるわよ。人生の一時停止なんてしないわ」
「どうしてわかる」
「わかるのよ。自分が分かってるから。自分のすることも。分かってないなんてあなたにいわれる筋合いじゃない」彼女はなぜこの地球外生命探索の旅に死者を連れていきたくないかを説明する。ジョンはレナの感情に押し流されそうになりつつも、そうなってはならないと自分に言い聞かせる。そして他の技師の目の前で、レナを連れて行く。彼らはこの二人の間に何が起こったかは分からないが、この先の準備作業の方向性が変わるだろうと思う。実際は何も変わらないのだが。

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そう、3902年にはこういった計画はいったん決まると変更がきかないのだ。そういう次第で、船長が精神的に参るといった瑣末なことも、宇宙船出発と同様に秒読み開始することになる。そのことがジョンをも不安にさせる。当局が決めたことに起因して、ジョンやレナの感情的問題が発生し、二人の間に親密な関係が発生することなど当局は全く予期していない。レナも当局が予期していないと思いたい。もしジョンと関係することも当局の計画どおりだとか、ジョンがレナの性的パートナーとして適任だということでコーチに選ばれたとかいった事実を二人が知っていればすぐに別れるだろう。当局は宇宙探査計画の要人の私生活に干渉しモニターしようとするが、未来におけるこの探査の重要性に鑑みるとやむを得まい。こういったことの結果としてジョンとレナが寝てしまうわけだがそれを誰も非難できない。ここで、作者は腕によりをかけてセックス描写をする。「ああっ、すごい、ねえ、今すぐしなきゃだめ」レナは少し上気した声で叫ぶ。抑圧した中の上気が、レナの魅力的な特質の一つ。興奮して古臭い言い回しに忘我すればするほど、かえって威厳が増すのだ。「今すぐしなきゃだめ。今あたしにしなきゃだめ。あたしを芯まで貫いて。あなたに近づきたいの、一つになりたいの。今欲しいの。今したいの、ジョン。あなたがしなきゃだめ。自分ではできないから。ほんとにもう我慢できない」言われるままにレナに覆い被さり腰を使いながらも、ジョンはレナに威厳を感じ、無言のままだ。心の中で思う、おれはなぜこんなことをしているのだ。何のためにしているのか分からない。それが何かは分からないが彼女の中の何かを満たすためにしているのだ。そして彼は、突如、当局が彼らをどのように利用しようとしているのかを理解する。だがその考えをすぐ払いのける、当局が自分をどう利用しているのか、そのことに直面することができない。でも今これをしなければならない、それがおれに期待されていることなのだから。おれは義務を果たさねばならんのだ。ただ義務を果たすことだけを考える。「あ、あ、いきそう」レナが言う。「すごいのがくる、すごい速さで。だんだん大きくなってる。今やめたら、あたしこわれちゃう。もっと深く突いて。もっと乱暴に。最後までいっちゃうまで」ぴくぴく痙攣し始めるレナの上で、ジョンはいやいやながら、高さを様々に変えながら上下動を繰り返す。「いく」レナがいう。「いくいくいくいくいく」絶叫をあげてレナが達する。
もしこの描写でレナがあまり魅力的に見えなかったなら、書き方がまずかったのだ。なぜなら実を言うと、レナはすごい美人なのだ。美的基準は二〇世紀とあまり違わない。たとえるなら50年代から60年代半ばにかけての映画女優。胸は大きく、腰はきゅっと引き締まり、唇は肉感的。張りのいい太腿。少しこするとつんと立つ、大きな乳首&&。作者の性的妄想の観点からするとめちゃくちゃ魅力的な女性だ。
作者は別に好色ではない。自分がレナと寝ることなど、自分が飛び石号に乗るのと同じぐらい想像もつかない。むしろ極端化することで距離を置いているのだ。作者は、登場人物と共に泣き笑いするようなタイプの作家ではないのだ。私はどちらかというと地中海文学よりもロシア文学の影響が強く、レナのセックス描写に少しそこから借用している。
あるいはこれは読者向けのお追従かもしれない。40世紀においてもセックスは人類の相互依存、お互いの結びつきの象徴的行為だ。それほど重要性を持つわけではないが、それなりのポルノグラフィにはなるという意味での重要性はあるかも知れぬ。
そしてジョンのほうもようやく果てる。
「あたし、死者が怖いの」まるで今しがた性交などしていないかのような口調でレナがいう。「恐ろしいのよ。そう思う権利があると思う」
「怖がってはだめだ」
「死者と一緒に行くのはいや。死者を積みこんでいい権利なんてないわ」
「宇宙での仲間になるじゃないか」これは他のメンバーからの受け売りだった。「いざとなればプロテーゼス(サイボーグ)に相談すればいい」
「プロテーゼスなんてただの機械」
「でも、人格もあれば、いろんなすばらしい人の記憶も持っている。技師、カウンセラー、アドバイザーなどなど──」
「そんなことどうでもいい。やっぱりただの機械だもの」
「レナ、しょうがないんだ。宇宙船一隻で生きた人間一人を生かすシステムしか、技術的に不可能なんだ。当局は最善を尽くしている。きみが幸福でいられるように」当局と強調して、自分が役割を果たしているという意味合いで話すが、内心自分と当局の乖離を痛感する。レナの不安、苦悩がだんだん分かってきたが、具体的な中身までは理解できない。
「あたしは幸福じゃない」
「幸福かどうかは瑣末な問題だ」
要は任務をこなすことしか期待されていないといい、レナは、知っているけどフェアじゃない、正しくないという。
ここでジョンと当局の関係にページを割くことも可能だが、本書のスタイルや目的からは多視点描写はかえって有害だ。ただ、彼がレナの心理的不適格性を当局に報告しなかったことを指摘すれば足りる。
レナのセックス描写も決して扇情のためではない。あくまでもレナがブラックギャラクシーに閉じ込められた局面での彼女の行動や思考をどういう文脈の中で理解すべきなのか、そのために書いたに過ぎない。

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昔ラジオ番組にでたとき、ある男がポルノなど芸術じゃない、馬鹿でもちょんでも書ける、と言ったことがあった。私ははじめ怒ったが、すぐ彼が正しいことに気付き、「その通りです。あなたは正しい。でももちろん、修正一条が全部カバーしてくれますがね」と答えた。

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飛び石号突入場面においてはジョンの話はレナの記憶の一つに過ぎない。だがこの本は小説ではなくメモだから、何が無駄で何がそうでないかを考える必要がない。
40世紀の地球は安定期に入っている、人々は怠惰だ。当局は宇宙開発計画を一手に取りしきる。当局に選ばれたものは過酷な訓練にさらされる。レナは40世紀の標準的な人間である。
また余計な要素を中性子星に付け加えてもいい。例えばパルサーとは実は中性子星であるなど。そのほうが読者の興味を引くかもしれない。

25
パルサートは見えないのに一定周期で信号を放つ謎の存在だ。遠すぎて光は見えないが何らかのスペクトルパターンを放出している島宇宙だといわれている。

26
これはレナについての話だから、終始一貫してレナの視点から世界を描く。肝心なのはこの極限状況でレナの感情が壊れることだ。
そこで生者と死者が混じりあう。死者たちは叫ぶ。「俺たちは生きてるんだ、解放しろ」
だがレナは彼らを解放できない。そうすれば彼らの体の保存システムから切り離すことになる。そのことをレナは説明しようとするが、やがて自分自身の反応に屈する。死者が生きかえったというなら、生者は死人になるのか?(ブラックホールの中で生死が逆転するなどということは科学的に推論は不可能だが、無理にメタフィジックスなどを投入すれば最低限の合理性は付与できるだろう。)そうすると&&彼女は生きかえった死者の数だけ死に、1000人もの人生を追体験することになるのか? そうレナは考える。

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レナが体験する死者の人格は、船内の死者に限らない。記憶の中で個人的に知っている人、本作品上の創作である一種の普遍的人格。70000年かけてそれら1000人の人生を体験する。
ここはどのようにでも編集者の要求に応じて書き延ばせる。何なら全70巻ぐらいにしてもいい。最後の締めくくりにレナの極限状況に関する解決編をもってくればいい。
だが作者はそうしたくない。作者の関心はそういった危難がもたらす精神的効果ではなく、レナがそこからいかにして抜け出すか、そしてそれが読者にどのような効果を及ぼすかにある。
そもそも作者自身が自分の生活上の問題をもてあましているのだ。レナの精神的危機を詳細に語るなど無理だし、でっち上げて書くよりも読者の解釈に委ねるほうがいい。レナは愚かでもなく鈍感でもない。強い性格の持ち主でもない。SF作家でも書く勇気のない事柄はあるのだ。最善の策は、沈黙することだ。

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レナはジョンの人格を呼びだす。が、ジョンは感情的問題を解決するためプログラムされたカウンセラーに過ぎず、技術的問題には対処できない。他の人格にきくか自分で考えろといい、消えてしまう。

29
ここでジョンの思い出に入っていくことも可能だ。また安易にレナに超人的精神力を与えることもできる。しかしレナがそんな人間なら決断までに10000年もかかったりしない。彼女は結局死者に話しかける。

30
レナは死者と話す、死者は、ジョンが解決法を知らないのは当然だ、それはジョンではないからといい、解決するのはあんたの責務だ、答えはあんたの頭の中にあるという。
レナは3人のポロテーゼスを同時に呼びだす。

31
それらのプロテーゼスは聖書のヨブをモデルにした人格だった。レナは彼らに状況を説明し、外を見ないようにいう。
彼らは加速せずにタキオン航法に入るしかないが、その方法は自分で考えろという。また死者との会話は幻覚ではないか、この世界は観察者が観察しなければ存在しないのでないかと語る。また、こんな世界を体験することなど当局は予期していなかった、もう少し調査をすべきではないかなどと言う。

32
再び3人のサイボーグと話す。脱出方法についてどうすればいいか。しかし、サイボーグたちは、脱出する必要はない、ここで観察を続けるのだ、それが当局の意志だ、という。無理に出ると宇宙を破壊するおそれがあると。結局、ブラックホールの中に入った後どうなるかは分からない。別の宇宙に出るのか、同じ宇宙のどこかに出るのか。結局物別れに終わる。レナは当局が自分のことを何も考えてくれていなかったと知り、嘆く。

33
レナは絶望に泣き、ファックユーと罵る。が、サイボーグは反応しない。レナは電源を切るぞと言うが、サイボーグは別にかまわないという。自分たちは感情があるが、当局がプログラムしたことに従って、レナによかれと思うことを答えているだけだ、と。レナは、うそつき、狂ってる、というがサイボーグは平気だ。そして、逃げ出したいと力説するレナを無理に止めようとするでもない。サイボーグたちは「あなたが自分のやり方をとおそうとするならわれわれもそうするだけです」といい、窓外を見ようとする。レナはその前に電源を切ろうとするが一足遅く、カーテンは開いてしまった。窓外の眺めのあまりの恐ろしさにレナは絶叫する。偶然電源シャットオフのレバーに手が当たり、サイボーグたちは倒れた。まるで突然人間に戻ったかのように。
レナは泣いている暇などなかった。やるべきことは分かっていた。たとえ自ら作った宇宙を壊す結果になろうとも、タキオンを操って脱出しなければならない。

34
さて、そんなわけで本書はおさだまりの結末に向かうわけだ。主人公はこの苦境から逃げ出そうとする。逃げ出せるか逃げ出せないか、結末はどちらかだ。
だが私が書きたいテーマはそんなことではない。私が書きたいのは「何が起こったか」ではなく「なぜそれが起こったか」そして「それが読者にどんな影響を与えるか」なのだ。

35
ここで本作をスカトロやギャグで面白おかしく脚色することもできる。
だが、脱線しないようにするには、基本的なビジョンを失わないためには、十分な材料が与えられている。そして基本的ビジョンは最終章のセッテイングにある。

36
小説の中で作者の思想を長々と述べることは読者に嫌われる。いい小説を書く作家がいるとして、そいつの思想になど大半の読者は興味がない。いい小説から思想部分だけ抜きだしてみて、それがユニークなものであることはめったにない。作家は自分の思想に関しては沈黙しつつ、読者の期待に添うように筆を運ぶ。そうすれば読者は退屈しない。

37
人物の性格づけというものが読者の作品世界への接近の媒介項となる。レナに関しても、ブラックギャラクシーに関する客観描写とからめて個性化の作業を行えばよい。

38
これは小説ではなくメモだ。小説自体は二〇世紀先じゃないと書けないから書かない。もし書くとすれば当然、レナの個性化のための長めのセクションが必要になる。これによって読者がレナと対話している気分になれるように。
そしてそのセクションの最後にレナは決断することになる。危険を冒してでも、加速なしでFTLドライブに切りかえ、ブラックギャラクシーから脱出することを。彼女はコントロールをロックし、死者と向きあう。

39
ある意味で死者がすべてをコントロールしている。この探査旅行は死者の投資がなければ実現しなかった。ブラックギャラクシーへの落下時に死者がいなければレナはパニック時に乗り移る人格がなくて発狂していたはずだ。この船自体が死者の貯蔵庫を中心にすべての設備がそれを取り巻くように配置されている。そのことをレナは悟った。

40
レナは死者の一人に話しかける。彼はすべてを説明するという。この死者は3361年に生まれ、3401年に死んだ。彼の語る真実とは、レナはこの場所から出ることはできないということだった。理由は、外に出ることで今よりも状態が悪くなるから。時間も何もない世界、死者たちに真の死が訪れる。ここにこそ平和があると。しかしレナは断固としてここから出るという。ここでは生死など意味はなく、私も死んだようなものだと。私が死んでいないという保証はない。そういうと、死者は黙った。

41
光速を超えられないという法則は、新相対性理論などの隆盛を経て、「当局」の手で、物質の構成素たる原子の状態を変え光速を超えて運動するタキオンに変換できることが発見されたことで乗り越えられた。幾多の悲劇を経てタキオンによる超光速飛行を行う宇宙船が開発された。財政的な問題は、死者を乗せる代わりにその財産を寄付させるという制度でとりあえず解決したが、これは今考えると誤った制度である。しかし、当局の体質がデカダン化していたためそうなるべくしてそうなったという性質のものであった。3619年にレナを乗せた船はスタートしたが、黒い島宇宙にとらわれるという事態など当局全く予期しなかった。もっともこれは当局のミスではない。そうなるべく運命づけられていたのだから。

42
レナは死者と、出るべきか残るべきかの議論を続ける。死者は、出るとどういう形態になるかも分からない、宇宙を破壊するかもしれない、それでもいいのかこの利己主義者、というが、レナは断固として出るという。それでこそ人間だ、生者の決断と。

43
かつてレナはジョンに相談したことがあった、死者と行くのはいやだ、探検飛行の目的は単に再生を待つ死者の処置に過ぎないのではないかと。ジョンはそうではない、生者のための任務だといったが、内心は自信がなかった。しかし、レナに対してはそう断言しつづけた。

44
レナと死者の議論は続く。死者は、ブラックギャラクシーの中心を超えたときに起こる可能性のあることをおれは知っている、それは死者にしか分からない、といい、お前は今の形態では出られない、宇宙の構造も変えてしまうなどという。レナは、この死者との会話自体が自分の極限状態における現実逃避の顕現に過ぎないからあんたの話なんかきかないといいつつも、議論を続けてしまう。そして、ほとんど霊感交流に近いほど接近していることに気付き、まずいと自覚する。このままではこの死者にとりこまれてしまう。ブラックホールに吸いこまれるように。

45
レナは会話を絶ち切りタキオン航法へのレバーを押す。と、強烈な頭痛、死者とレナが同時に絶叫していた。死者の叫びがレナに共鳴を強いたのだ。強引に出ようとするとこうなる。レナには耐えられない。レナは、死者に屈する。レナと死者の心は恋人のように近づき、互いに理解しあう。死者と心の距離を近づけながら、どうしても生きたいのだと繰り返す。ある瞬間、死者の抵抗が消える。理解が訪れたのだ。「きみのやりたいようにやるといい」と死者がいう。レナは止まる。頭をのけぞらせて、再び絶叫、同時に死者達も叫ぶ。
今度は彼女の叫びだった。それは理解の叫び、そして、船は生死のはざま、リンボーに突っ込む。

46
さて、オチはいくらでも考えられる。同じ時空に出現するもよし、時空のない別の宇宙に出現し永遠に停止するもよし、当局が宇宙を一大アミューズメントパークにしレナを観光名所にするもよし、出現したとたん巨大な星に飲みこまれ即死するもよし。
だが、完全な、完璧なオチはまだ語っていない。

47
どんなエンディングでももちろんいい。だが、これしかないというオチが自然と作者の頭にしみだしてきた。それはこのノートを書き始めた最初からぴったり来るオチだ。そのおちをかたらせてほしい。作家にはそれを語る以外方法がないから。
キャラクター達も、そのオチを享受するにふさわしいと思う。

48
飛び石号はブラックホールから無限に飛びだす。無限の中を飛びまわり、レナたちはアンタレス、シリウスから古代ローマ、様々な時空における様々な知的生命などを見る。しかし、レナらは独自の自我を持っておりそれ以外のものになることはできない。最終的なひらめきの結果──かれらは宇宙の既知の領域に現れた。
そして、ここに彼らはいる。

49
かれらは1975年7月、ニュージャージー州リッジフィールドパークに現れ、地元住民1万5000人の肉体に住み、その人格とマージした。もちろん作者もその一人で、こうやってその記録を書いているのだ。そんなことがありえないように見えるかもしれないが、もっとありえないオチは他にも沢山あるし、結局これが難問を解決する唯一の道なのだ。
どうやってありうるようにできるのか? われわれの時代のすべてのリッジウッドパークから、偉大なエンジンを組み立てて宇宙に飛ばすのだ。星星に命を奪われるものもいれば、生命を得るものも、何も得ないものもいるだろう。だが、エンジンは動きつづけ、われわれは宇宙に行き続けるのだ。
だからこそ、曲がりなりにも、われわれなりのやり方で、やってみようではないか。
~完~
















silvering at 18:41 │Comments(5)TrackBack(0)読書

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この記事へのコメント

1. Posted by slg   April 11, 2005 11:58
ゆうべ30ページほど読んだが、ほぼ短編版をなぞる内容。ただ、若干変わってるのとディテールが詳しくなってる。変わっているのは例えば3895年