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蟹立ちぬ、いざ生きめやも A Crab Must Try バリントン・J・ベイリー」(2006/02/06 (月) 02:08:35) の最新版変更点

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<p>蟹立ちぬ、いざ生きめやも A Crab Must Try バリントン・J・ベイリー</p> <br> <p> あの夏は何と楽しかったことか! 浜辺を飲み歩き、店をはしごしてアルキイマッシュを食らい、岩プールで水遊び。水の中でかけっこ。別の蟹ギャングと喧嘩。<br> 女蟹を追っかけまわす!<br> ほんとに楽しかったなあ。メンバーは、おれ、〈赤甲羅(レッドシェル)〉──我らが巨漢、勇敢なるレッドシェル!──〈柔頭(ソフトナット)〉、〈速鉤(クイッククロー)〉、肢が曲がってほとんど前方を向いているために歩き方のおかしい〈びっこ肢(ギンピー)〉、ギンピーよりもちいさい〈チビ(タイニー)〉。チビは体の小ささを埋め合わせるために高慢に振るまい、やたらと辺りをはねまわる。レッドシェルは、ギンピーもチビも大目に見てやったし、他のみんなもそうだった。どうせやれっこないってわかっていたんだけどな。<br> そうさ! 女とやれるやつはレッドシェルだって、みんなわかってたさ!<br> あの夏で覚えておかなきゃならないことは沢山ある。崖鉄道に乗って、浜沿いの隣町の〈高岩(ハイロック)〉に行ったときのことを考えるのが好きだ。そこの店はどこも新鮮だったね。アルキイマッシュも違った味がしたよ。それに、いつもよりはやく酔っ払ったさ! <br> おれたちがある店を出たとき、地元の不良連中にでっくわした。おれたちは立ち止まり、千鳥足でお互いに体がぶつかるような感じ。やつらは肢を伸ばして立った。典型的なチンピラの威嚇のポーズだ。<br> だからなんだってんだ、おれらはそいつらの見た目が気に入らなかったんだ。そいつらの発する匂いがまさに、そいつらがおれらと違う託児所育ちだってことを物語ってた。もちろんやつらが本気で気に入らなかったのは、地元の娘たちが脇を通りすぎながら立ち止まっては、色っぽくしなを作ったってことだろう。新しいオトコが町に来たわよ!ってな。<br> やつらのひとりはでかい男で、チビの二倍はあった。やつは前に出ると、われらがチビの片肢をつかみ、空中に持ち上げた。<br> 「こいつはたいしたことねえな、ああ?」そいつはあざ笑って、眼柄をひらめかせた。「肢をひっこ抜いてやるぜ」<br> 他の蟹が進み出て、チビの別の肢をつかんだ。やつがチビの体を引き裂いても、おれは驚かなかったろう。すると──バキッ! レッドシェルの巨大で頑丈な鉤爪が大男の大顎を殴り降ろし、そいつを後ろに転倒させ、チビの体は敷石の上に落ちた。<br> それを合図におれたちも加わった。甲羅がぶつかり、鉤爪が引っ掻き、殴打する。チビはぴょんぴょん跳んで、悪口をわめきたてる──だが、強力な鋏を持った連中から十分距離を置くのはもちろんだ。地元の男の一人がすぐチビの後ろに回る。鉤爪を振ってしゃちこばりながら。<br> 通りの端に見まわりが現れたときに喧嘩は終わった。そいつらは歩哨みたいにつっ立って、棍棒を振りまわした。地元のギャングはその棍棒を食らったことがあるのだろう。その証拠に、悪態をつきながら、あっという間にずらかった。<br> その結果、おれたちはそこにつっ立って、喧嘩を見物していた女たちに取り巻かれていた。チャンス到来! おれたちはさっそく、鉤爪でモーションをかけ始めた──ギンピーとチビ以外は。かれらはやっても無駄だと分かってて、決してモーションをかけない。<br> 本能的に女たちは、守りのサインを送り始めた。おれたちは女と一対一になり、鉤爪のサインはちょっと混乱した。おれは興奮してたんだ! でも酔っ払ってもいて、うまく調整がいかなくなった。おれの狙った女は、突然シグナルを止めて、行っちゃった。<br> レッドシェル以外は全員諦めた。レッドシェルはモーションを続けていた。かれはいつも他の誰より長くモーションを続けるのだ! 女の後ろの鉤爪が今にも飛び出さんばかりに震えている。レッドシェルはシグナルの第二段階に入ろうとしているのだ! だが、かれもまた酔っていて、肢をその段階の複雑な動きに調整することができなかった。女が去っていくと、かれはおれたちを振りかえり、片爪をあげてセックスを表すジェスチャーをした。<br> 見まわりの蟹がやってきた。「若い衆、これ以上トラブルを起こすんじゃないぞ」一人が荒っぽい声で言った。<br> 誰が好き好んでトラブルなんか起こすんだよ? アルキーマッシュの店に戻ろうぜ! おれたちが店を出るころにはとっくに終電を逃していた。おれたちは岩の坂を浜へ滑って降り、夕日が沈むのを見ながらふざけまわった。それから出発した。帰りつくまでに一晩かかった。岩を越え、潮のある水たまりをぱしゃぱしゃと渡り、潮が満ちたころ、海底をのこのことゾンビのように歩いた。ああ、いい一日だったさ。</p> <br> <p>* ****</p> <br> <p> 冬の洞穴を出ると、外はまだ寒くて、やるべき仕事がある。たいていおれたちは建設作業班に配置されて、浜辺を移動しながら、水際のビルを修築したり、霜でだめになった柔らかくて穴の多い海石を交換したりする。もちろんギンピーは違う。やつはその手の仕事ができない。やつは春のあいだ、浅瀬で海草を養殖している。しくじるなよ、ギンピー。おれたちの酒の原料なんだから!<br> 夏の真っ盛りには主な経済的仕事は終わり、休暇になる。アルカイマッシュ・バーは朝から晩まで店を開け、明日のことは心配しなくていい。若い蟹は気の向くまま友人とうろつき回り、マッシュをすすりながら道行くねえちゃんをナンパしていればいい。<br> だが実を言うとおれたちは、女の来ない店で時間を過ごしてるほうが多かった。<br> で、どんな話をするかって?<br> それについて言わせてもらえば、頭に焼きついてはなれない問題さ。〈あれは、どんな風に見えるんだ?〉つまり、女蟹の卵の入ったチューブと──もっとヤバイのは!──交尾の穴。もちろん、まだだれも見たことがない。おれたちは、見たことがあると言うやつから聞いた話を際限もなく披露しては悦に入るのさ。<br> もう一つの話題はどこまで行ったかの自慢。おれたち全員〈ギンピーとチビは除く)、シグナルの第三段階まで行ったことがあると言っている。だがおれのみたところ、レッドシェル以外は嘘だ。おれたちを勇気づけるのは希望さ。いつの日か、女の守りシグナルに見あうだけの力のあるシグナルを送り、セックスに持ち込むという夢。女の鉤シグナルは本能的に複雑な動きができるが、男のは学ばなきゃならないというのは自然の残酷ないたずらだ。せっかくスピードと調整能力のレベルをあげたと思ったら、女はいともたやすく次のレベルに上げて行きやがるんだ。<br> 千人もいる男蟹の中で、生涯に女とヤれるのはたぶん、三、四人だけ。<br> だが、蟹はチャレンジしなきゃならない。<br> ある日、おれたちがアルキイマッシュで腹を膨らませ、今度は軽食堂で巻き海老の唐揚げをたらふく食おうと、通りを歩いていると、〈萎れ角(ドループストーク)〉に会った。<br> こいつは昔のスクールメートだが、おれたちは成績が悪く、卒業後すぐ就職しちまったので、会うのはそれ以来だった。いつもどおり眼柄を伏し目がちに歩いている。周囲に興味がないみたいに。<br> 「ドループストーク!」<br> 「おや、あー、こんにちは、〈茶色マント(ブラウンマントル)〉」ドループストークは、おれを見て言った。それから他の連中にもいい加減な挨拶をした。少しとまどっている。学校ではいつもこいつをおもちゃにして遊んだ。やつはやつなりにちゃんとやってたが、現実の生活には興味がなさそうだった。いつも眼柄を本の中に突っ込んでばかりいた。<br> 「引っ越したと思ってたぜ! 最近は何やってんだ?」<br> 答えるかわりに、ドループストークは目を上に上げた。そこ、町の上にそびえる高台には、宇宙観測所があった。ドーム型で、おれの目にはそれはいつも、めちゃめちゃ頭のいい学者蟹の甲羅のように見えた。<br> 「あそこで働いてるんだよ」<br> 「うひょ! 科学者かよ」<br> 「そうさ、科学者だ」ドループストークは言った。恥ずかしさと誇りが半々の、おかしな口調で。「すごく面白いよ。星や惑星を研究してるんだ」<br> チビは跳びはねて言った。「星と惑星だってさ! こりゃいいや! おれたちは女の子の殻の下がどうなってるかを研究するほうがいいね!」<br> クイッククローとソフトナットも鳴いて同意した。ドループストークは自分が未熟なのを楽しめるようなやからじゃない。本当に困ったように爪を振って、慌てて去っていった。<br> ちょっとした偶然だねと、チビが言った。おれたちは食堂に行き、巻き蝦をたらふく食った。それから午後ずっと、浜辺に出てぶらぶら過ごした。そして、中央通りのアルキー酒場でしめようぜということになった。<br> 通りへの階段を上がった。途中で、チビの姿が見えなくなった。後ろを振り返ると、チビは通りの下の階段にかがんでいた。そして眼柄を敷石の縁から突き出して上を覗いていた。<br> ちょうど女の蟹がゆっくり小ばしりに通りすぎた。チビは女の甲羅の下を必死で覗き込んでいた。<br> チビの存在をばらしたのはおれだった。おれの目線に気づいた女の子が、眼柄を勢いよく下ろしてチビを見たのだ。女の子は、怒りの叫びを上げて、振り返り、反対側に駆けて行った。<br> チビは通りの上によいしょとあがり、密かな勝利に顔を輝かせてた。おれたちに加わると、興奮状態で下顎から泡を吹いた。<br> 「いやったぁ~! 見たぞ、見たぞ、あの子の卵管を見ちゃったぞ! マジで! ほんとだぞ! もうちょっとで、穴も見えたぜ、ちくしょう!」<br> おれたちはそれを聞いて興奮のあまり、みんな泡を吹いた。レッドシェルを除いて。レッドシェルは馬鹿にしたように四本の爪を振り、超然と立っていた。<br> 「ほんとにおまえは最低のやつだなあ」レッドシェルはわざとらしく言った。突然、リラックスして笑った。「だがともかくおめでとうよ、チビ」<br> 最寄りのマッシュ酒場に戻ると、おれたちは我慢できなくなった。バーの隅にチビを追い詰めた。<br> 「なあ、どんな形してたんだ? あの子の卵管はよ?」<br> 「すっげえすべすべして、赤黒いんだよ」チビは嬉しそうに語った。そして左の上爪を軽く後ろめたそうに振った。「腹の下からまっすぐ下りててさ、でもそれほど長くはない。で、端っこがこう、ちょっと前に曲がってるんだよ」<br> たぶんそうなってるだろうと思った通りの形だった。チビは今まできいた話をただ繰り返しただけとも考えられる。<br> おれは頭をひねった。こいつ、ほんとに見たのか?<br> ええ、ほんとに見たのかよ?</p> <br> <p>*****</p> <br> <p> もう一つのおれたちの楽しみは、高潮に身を委ねることだった。<br> それは一日一回必ず訪れるのだが、時刻は一定ではない。ドループストークによると、おれたちの月は月の割に小さくて、すぐ近くを回っている。そして一日より早い周期で一回転する。だから空に登って高速で通りすぎるときに海水を引っ張って波を起こすらしいんだ。防波堤はあるのだが、高潮は浜に押し寄せて防波堤を激しく打つ。それから大きく吸いこむような音をさせてひいていく。何もかも運び去って。<br> 浜辺でおれたちは波が来るのに合わせて砂に肢を突っ込み、体を支える。それから海水がひいていくのに身を委ねて、海底を転げまわるんだ。<br> しばらくすると精神が変わる。いくつかの点で、アルキイマッシュで酔っ払った気分に似てもいるが、いくつかの点では違ってる。海水を呼吸するところからその違いが起こるんだ。空気中よりも酸素が少ない。だからトランス状態になる。ふらふらと笑い転げて、まともに物が考えられなくなるんだ。<br> 女たちは海中に来ない。トリップすると酸素不足で、性的な守りのシグナルがちゃんと使えなくなるからだ。男の蟹は本能的に性欲が抑えられるわけじゃないから、やろうと思えば女とやれる。<br> この夏、解体刑が執行された。犯人の男は、女の子を海に誘って犯したんだ。シグナルが停止している間に。そこで処刑台が建てられ、やつはばらばらに解体された。残念ながら、女の子の方も解体されることになっている。彼女は受精卵を身ごもっているが、合意に基づかない妊娠は犯罪なんだ。<br> この二重の解体刑の話に、チビは大興奮した。チビは腹黒いやつだ。「当然だよ」その夜チビは呟いた。「当然だ。女のほうもやりたかったんだからな。同じぐらい悪いのさ」<br> むろん、女の子も男のように本当はセックス好きで、ただ本能的に守りのシグナルを送ることにより、両者が直ちにセックスに及んでしまうのを妨げているだけだ、というのが男どもに通用する俗説だ。<br> 女の子が強姦魔と合意の上で海に入るなどということがありうるだろうか? チビは、スモーレ群島の蟹たちが合意の上でこっそり海へ行き、女が半分窒息してシグナルを抑制し、セックスしやすい状態を作るという噂を嬉しそうに話した。犯人のカップルは、卵が孵るまで隠れて暮らし、卵が生まれたら破壊する、という。「な、おれたちと一緒でさ、そいつらも、ただやりたいだけだよ」チビは小声で強調する。「どうかな、おれたちも女の子を誘ってやってみないか──」<br> 「いいじゃん、やってみなよ、チビ」ソフトナットがそそのかす。「いいぞいいぞ! やれやれ、女をたらしこめ! 向こうのあの子なんかどうだ!」<br> おれたちは酒場を出て別の店に向かった。その途中、向こうから縞の甲羅の女の子がやってきた。<br> 「ねえねえ!」とソフトナットが叫んだ。「チビが、君に話があるんだってさ!」<br> チビは女の子が脚を速めて通りすぎる間、眼柄を引っ込めたままだった。<br> それからチビはおれたち全員に容赦なくからかわれた。<br> 「やれよチビ! またきたぞ! 口説いて来い!」<br> 「一緒に海に入りましょうっていえ、チビ!」<br> 「鼻の穴にテープ貼っていいですかってきけ、チビ!」<br> ある日、とうとうチビは本当にやってみせた。<br> おれたちは浜辺でくつろいでいた。その日の高潮は既に終わったあとで、女の子も安心して通りから浜辺に出ていた。<br> チビは、落ちつきがなく、おれたちがここ数日冗談半分ではやしたてたことを、ずっと本気で考えていたようだ。水辺を滑りまわり、爪で泡をなぞっていた。<br> 向こうからやってきたのは、それほど可愛いわけではない女の子だった。自分に自信がないチビは、いつも可愛い子は自分から避けるのだ。その子は爪がちょっと大きすぎ、甲羅の模様もちょっといびつだった。だからこそチビの狂った頭の中では、この子こそふさわしいと思えたのだろう。<br> 女の子が濡れた砂を落ち付いた様子で急いでいると、チビは女の子の横に並んだ。二人は止まった。チビはシグナルを送らない。ただ話しているのが見えた。<br> 突然、女の子は怯えた様子で爪を広げながら、後じさりした。ホーと激しい叫び声を上げ、激しく浜辺を肢で掻きながら、眼柄を振ってよろめき、あらゆる方向に逃げまわった。明らかにパニック状態で、階段を駆け登り、大通りに消えた。<br> チビは砂の上に彫像のようにじっと立ってた。かなり時間がたってからチビは動いて、おれたちに加わった。<br> クイッククローが不思議そうにチビにきいた。「お前、何を言ったんだ?」<br> 「きいただけだよ、それだけさ」チビは不機嫌な声だった。「きいただけだ」<br> 「だから何を?」<br> 「一緒に海に入りませんかって」<br> おれたちはショックを受けて、チビを見た。<br> 「よお、チビ」おれは言った。「今度はお前、本当にやったな」<br> チビ自身も、自分のしたことにショックを受けているようだった。あるいは、女の子の反応にかも。だが、他の反応をまさか期待してたわけじゃあるまい? 熱烈な白昼夢のあまり、とんでもないことをしでかしたもんだ。</p> <br> <p>*****</p> <br> <p> 夏が過ぎ行くにつれ、おれたちは、ますます必死でシグナルを送り、女を口説きつづけた。いつもの夏のパターン。だが今年の夏は特別だ。今までよりもずっといい夏だったんだ。<br> チビとギンピーにはちょっと退屈で憂鬱だったに違いない。おれたちが女と会うたびに爪を争って走っていくのが。はじめのころはチビもシグナルをやってみたことはあったが、すぐに諦めてしまった。ときどき女はちょっと反応するが、数秒で逃げてしまう。ギンピーはとっくの昔にやるだけ無駄だと学習していた。だからおれたちが頑張っている間、この二人は傍観してるだけだ。前みたいにおれたちみんなでアルキイ酒場に飛びこめばいいのにと思いながら。<br> 女がシグナルのやり取りをしている間は、興味を持っているということだ。女が爪を下ろしてそっぽを向いたとき、ふられたとわかる。最初のシグナルに対し、女は防御のシグナルで答える。相手のシグナルよりもっと複雑なシグナルを送るんだ。それに対して男は、いわば、女のバリヤーを破るシグナルで返さなきゃならない。すると女は更に複雑なレベルに入る。こんな風にしてやり取りが続いていく。続いている間はだんだん興奮が高まり、爪が振りまわされ、複雑に踊る。その特別な夏、おれたちみんなが──チビとギンピーを除いて──テクニックを上達させた。特にレッドシェル。やつはだんだん他の仲間と行動をともにしなくなり、一日中酒場にたむろすることには興味をなくしているようだった。<br> やつは女が欲しかったんだ!<br> ギンピーはよく、クイッククローに近づいていくようになった。ある日言った。「なあクイッククロー、こういうジョークはどうだい。あんたが途中まで女を口説き、途中でおれが入れ替わるんだよ。たぶん、相手はすぐには気付かないぜ。面白いジョークと思わない?」熱心に言い終えた。<br> 「ああ、そいつはお笑い草だな。まったく」クイッククローは気安く答えた。「だがな、あの子はお前の相手にしちゃ、ちょっと年を食いすぎだよな? ええ、ギンピー?」<br> これはもう話したくないという意味だった。ギンピーは、下校時に校門をうろついて、まだ守りシグナル能力の確立しない未熟な女学生を誘惑しようとつけねらう悪い癖があるので有名だった──これも解体刑もの重罪だ。だがギンピーはそうせずにいられないのだとおれは踏んでいた。蟹は挑戦しなきゃならない。そしてギンピーにはそうでもしないと、女とやれるチャンスはなかったのだ。<br> それ以来しばらくギンピーとクイッククローは口をきかなくなった。<br> おれたちはレッドシェルのシグナルの速さと正確さがどんどんアップしているのを絶賛した。やつはある女を追っかけ始めた。すっげえ美人で、甲羅の模様は崖に咲く花のよう、爪の動きは身震いするほど利発で素早いのだ。レッドシェルはこの女が中央通りに来る時間帯を知っていて、そこらの戸口から跳び出しては、シグナルをやり直した。チャレンジするたびに、シグナルは先へ先へと進むようにやつは思っていた。<br> 魔法の瞬間は意外な形でやってきた。高潮の一、二時間後だった。おれたちは通りの反対側の端にある浜に出ていた。岩が防波堤に転がり、まだ濡れていた。おれたちがしばらく遊びまわっていると、突然その子がいた。砂の上高く立ち、肢をデリケートに伸ばして海を見下ろしていた。レッドシェルは時間を無駄にしなかった。その子に近づきながら、爪は既に動き始めている。女の子は振り向いてレッドクローを見た。そしてシグナルが始まった。<br> おれたちはうっとり見とれた。レッドシェルのシグナルは今やものすごく上達している。やつは持っているものをすべて注ぎ込んでいた。たちまちやつは初歩的第一段階を過ぎ、女の子の後爪が現れた。そして、第二段階、第三段階──<br> いったい何段階あるんだろう? おれたちのだれも知らなかった。怖くて話せないことだった。おれたちの無知がばれるから。どっちみちわかりっこないことだった。女の子とレッドシェルの爪は、次第に激しいダンスを演じ、動きが速すぎてぼやけて見えるほどだった。ほとんど十分に近い間、その状態が続いたに違いない。<br> そしてとうとう、おれたちの眼柄が麻痺する前に、終わった。女の子が爪を前に出し、茫然と降参のジェスチャーをした。レッドシェルは震えながら立っていた。<br> 次に何が起こるのか、おれたちみんなが知っていた。男が女の体を裏返し、女が自動的に甲羅を傾け、男が性器を女のそれに挿入できるようにするのだ。それがおれやクイッククローやソフトナットだったら、友達みんなの前でやっただろう。勝利のおたけびを上げながら。だが、レッドシェルは違った。やつは新しく手に入れた相手を小突き、岩の間の目に見えない場所に連れて行った。<br> 目をぎらぎらさせて、チビが追いかけようとしたが、クイッククローが引きとめた。強力な蟹鋏で、チビの肢をつかんだのだ。<br> 「ほっとけ、さもないと、レッドシェルに八つ裂きにされるぜ」<br> そこでおれたちは黙って立ったまま、数メートル向こうで行われていることを想像した。とうとうおれたちは、セメントの通りに登り、中央通りに歩み出た。<br> 突然おれたちは跳び回り、あらゆる蟹に叫んで回った。<br> 「おれたちのダチがやったんだぜ!」<br> 「レッドシェルが女をゲットした! 今、やってるぜ!」<br> 「やつはおれたちのダチだ!」<br> 中央通りでおれたちは、最寄りの飲み屋に飛び込み、思うがままに飲み食いした。一時間後、レッドシェルが自慢げに戻ってきた。肢を堅くまっすぐに伸ばして近づいてきたやつは、下顎にアルキイマッシュをかっくらった。<br> おれたちはやつを畏敬の念で見上げた。「どんなだった、レッドシェル?」チビがしわがれ声でささやいた。<br> やつは何も答えず、しばらく何も起こらなかったように振舞った。新たに現れた高慢な態度を除いては。いつもどおり、チビとギンピーを友達らしくからかい、蟹の生活について、勤労者としての大雑把なアドバイスをした。<br> そして、夕方早い時間に、おれとクイッククローの甲羅を軽く叩いた。<br> 「頑張れや、みんな。おれはもうちょっとヤって来るよ」</p> <br> <p>*****</p> <br> <p> それ以来、おれたちはレッドシェルをほとんど見かけなくなった。やつが消えてすぐ、おれたちの小さなグループも解散した。一度女とやると、蟹の生活は変わる。もはや古い生活にかまけていられなくなるのだ。重い責任がのしかかるから。<br> 毎日毎日、天頂の太陽の高度が次第に下がるにつれ、おれたちはますます必死で女を口説きつづけた。どんな女もおれたちの貪欲な爪の動きを避けることはできなかった。ときどき、警察蟹がそばに立って、やり過ぎないように自らの存在でおれたちに警告していた。<br> おれたちのだれも、レッドシェルの手柄を本気で自分も成し遂げられると期待してたわけじゃない。だが、ガールハント自体は、やらずにいられないもので、かつエキサイティングだった。ある日おれは、意識も朦朧とするような状態で、女から女へと渡り歩いては、必死で口説きつづけていた。そのとき、遠くから大きく何かがぶつかる音が聞こえた。毎日一回の高潮が防波堤にぶつかったのだ。空を見ると、小さな月が地平線の上へぐんぐん昇っている。<br> その瞬間、メインストリートの端でざわめき。町のすべての蟹が大通りを練り歩いて行われるイベントを見ようと現れた。伝統的な結婚式が行われているのだ。<br> それはレッドシェルだった! 勝ち誇って先頭の荷車に乗っているのは、レッドシェル自身。その後ろ、色つき海草を敷いたやや低い荷台の上に、魅力的な甲羅の美人の花嫁。<br> 残りの隊列では、七台の荷車に、子孫たちがお披露目をされていた。動き回る何千人もの子蟹だ。<br> 昔なじみのいいやつ、レッドシェル。やつとその妻は、浜辺のこの地域の次の世代を担う六組ほどのカップルの一つになるのだ。恐ろしいことだが、それが自然の摂理。片手分の数の蟹がいれば、生殖には十分だ。<br> 「あれはおれたちの友達のレッドシェルだ!」おれたちはみんなに言った。「レッドシェルはおれたちのダチなんだ!」行列が前を通ると、おれたちはグループのリーダーに自慢した。「レッドシェル! レッドシェル!」<br> レッドシェルはおれたちに爪を上げるサインをよこして通り過ぎた。<br> 考えぶかげに、おれたちは群衆の中に消えていくレッドシェルを見送った。</p> <br> <p>*****</p> <br> <p> それが二夏前。そして今年の夏も終わりが近づいている。巨大な流氷が群島を通って流れてきている。ときどき浜辺にたまっているのだ。太陽は空低くかかっている。おれは浜辺で肢を砂に突っ込んで過ごすことが多くなった。去年はレッドシェルがいなくても、おれたちは楽しんで、女を追いかけたりした。だが、前ほどじゃなくなった。そして今年おれたちは、もはやあまりやる気がなくなっている。<br> 浜辺に座ってたそがれてたり、アルキイ酒場の奥で静かにうずくまってたるする爺さんに、今まで滅多に気づかなかったのは面白い。「可哀想な老いぼれ蟹だ」ときどき軽い軽蔑をこめて、おれたちは言った。遠からぬ未来にそれが自分たち自身の姿になるなんて考えは、ほとんど浮かばなかったんだ。可哀想な老いぼれ蟹。<br> おれはときどき町の上の空に浮かび上がる宇宙開発センターを見上げる。ドループストークはあそこにずっとこもりっきりで、眼柄は望遠鏡に釘付けなんだろう。だがやつは一生、女に爪シグナルを送って口説こうとしたことなどないだろうな。たぶんほとんど考えたこともあるまい。本に埋もれて忙しいから。おれは学校の授業でやつが目を輝かせたときのことを覚えている。この太陽系には惑星が一九あって、ここは四番目だ。惑星の割に小さい。重力の不足で空気がだんだん吹き飛んでいると科学者は考えている。一億年もすれば、天気を維持するほどの大気もなくなり、生命のない世界になるだろう。<br> もちろん、誰かが何かをしない限りだ。未来のどこぞの蟹の種族がそれを解決しなきゃならない。そいつら、いったいどんななりをしてるんだろう? おれたちには似ても似つかないんだろうな。たぶん。みんなドループストークみたいなやつなんだろう。頭は数字でいっぱいで、世界を救おうとしてばかりいる。<br> そうだとすると、そいつらどうやってセックスするんだろうか? ドループストークは、哀れなギンピーほどにも、女を口説いてセックスに誘うシグナルの能力はないはずだ。レッドシェルのような精力絶倫な蟹が必要なはず。おれは人生の最良の時に思いをはせ、思い出に耽り始めた。ダチといるときではなかった。一度だけおれは、一人でさまよい、町の南の岩場を探検したことがある。ある谷間に塩水だまりから上がると──上に女の子がいた。甲羅は青と緑のぶち。爪はこの上なく気品がある。おれが見ると、その子はびっくりしておれを見た。おれは考えることなく、さっそくシグナルを出し始めた。いつもと違う感じだった。おれの爪は何をすべきかを知ってるようだった。そしてその子をより複雑な守りのシグナルへと導いて行った。おれは全身震え、全集中力を傾けて頑張った。ここまできたことはない! 間違いなく二分以上は、おれはその状態を続けていた。結局、女の子は途中でやめて行ってしまったけど。<br> 二分だぜ! あと六分ほど頑張ればやれたんだ! 考えても見ろよ!<br> 興奮!<br> 欲求不満。<br> おれはため息をついて砂にもぐり、体を落ちつける。クイッククローも近くで海を見ている。チビもギンピーも近くにいる。みんな何を考えてるんだろう。チビやギンピーにとってはつらいことだろうなと思う。小さいとはいえ、いつかやれるというチャンスを少しでも持ったことのあるダチと一緒に時間を過ごすのは。そしておれはまた考える。あの子のことを。ぶちの青と緑。魅惑のダンスを踊る爪。あの子の穴に、おれの棒を突っ込むんだ。あの子は鉤爪を前につきだす。あの子の中に入るんだ、入るんだ、あの子は鉤爪をつきだすんだ!<br> もう考えるのはやめろ! つらすぎる。<br> 以前なら、つらすぎた。今は、ちょっとこそばゆいだけだ。今になってみるとどうでもいい感じがするのは、面白いな。<br> おれたちは今回は冬眠の穴に入らない。寒くなる前にみんな死んじまう。砂這いの連中がおれらの甲羅や鉤爪を集めて回る。そして、おれらの外骨格は、内陸の合同墓地に注意深く飾られるんだ。おれ、クイッククロー、ソフトナット、チビ、ギンピー、そして男も女もみんな。むろんレッドシェルは違う。父母になる者は〈先祖の聖遺物)として特別な墓が与えられるんだ。すぐに町の一部は、レッドシェルの子供たちで溢れかえるだろう。<br> 正午の太陽の高度は、今日、とても低かった。おれはそれが水平線に沈み、海を赤く染めるのを見ていた。おれは町に入り、飲み屋の穴にひとりで座って、アルキイマッシュの皿を舐めていてもよかった。でもそれはちょいと面倒なことになりそうだ。おれはここに寝て、太陽が沈むのを見ていよう。それからまた昇るのかどうかが分かるまで、ひたすら待ち続けるんだ。<br></p>

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