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サミュエル・ディレイニー『アインシュタイン交点』」(2005/12/07 (水) 16:13:28) の最新版変更点

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<p>2001年</p> <p>7/31<br> 「アインシュタイン交点」読み進んでいます。<br> なかなかいいかも。RPG的ロックSF散文詩といった感じですね。作者の頭の中身というか夢の中身をそのまま象徴的に具象化して視覚化したような小説?です。1回目は小難しいことを考えずにイメージの奔流を楽しみ、2読、3読目で深読みするというのが正しい読み方でしょうか? ドアーズあたりの歌詞をそのまま小説にしたようといっても通りそう。もっともこの小説のほうが古いんですけど。かなり好みですね。「アインシュタイン交点」という題名はめちゃかっこいいけど、内容的には「素晴しく形のない暗闇」の題のほうが「作者のイナースペースの視覚化」という内容をよく表してはいますよね、確かに。</p> <p>8/1<br> ディレーニイ「アインシュタイン交点」★★★★★<br> 見た目の単純さと裏腹な幾層ものメタファーを混ぜ合わせた複雑な遠未来の世界と自己探究の神話。音楽/芸術論でもあり安定と変化、性と均一と差異の物語でもある。ストーリー自体は「神話的形而上ヒロイックファンタジイ」とでも呼ぶべきわかり易さ、面白さであるが、その個々のエピソードに幾層もの意味が込められている(らしい)ため、サブリミナルな印象のゆらぎが右へ左へと脳髄を揺さぶり、非常に渾沌とした印象を与える。音楽ネタは露骨に前面に出ておりビートルズ、プレスリーといった固有名詞が臆面もなく出てくるが、主人公が復讐のため追い掛ける少年がビリー・ザ・キッドだったり、主人公を助けるドラゴン使いのボスがスパイダーマンだったり、意味があるのかないのかわからない固有名詞が脈絡なく(あるいは脈絡が分かりにくく)次々と出てくるあたりはさすがに一読しただけでは「何でそうなの?」との印象を避けられない。他にも、登場人物の名が「バット」「ナイフ」「ピストル」「ダヴ」(鳩?)といった普通名詞だったりするのも意味があるのかないのか。「グリーンアイ」という名前の必然性は? 「ダヴ」は必然性がありそうだ、冒頭の引用で、ブレルの「鳩」(鳩は羽を裂いた、だからもう愛の歌はない)が引用されているし。この段落頭の引用がまた意味ありげというか、むしろこの作品の中でもっとも明快に意味を伝える部分だったりする。特に「作者の日記」が入っていることによって、作中世界の視座と作者の視座の両方が得られる。高いところから鳥瞰しつつ、作品の混沌世界に入っていける。この作品で作者が意図したことが抽象的ではあるがこの日記の中で最も明快に説明されている。もっとも、個々のエピソードがどのような要素に分解できるのかの手がかりは全く与えられていないのだが。それがないから逆に2読、3読の楽しみが残るともいえる。とにもかくにも今まで読んだことのない唯一無二の作品で、よくわからないながらも凄いとしかいいようがないのがもどかしい。だが、まさにそれが作者の狙ったところで、一読してわかるような薄っぺらい作品であれば作者の意図を外した失敗作ということになるからこれはこれでいいのだ。そのこと(作者の文学的主張)は作中でもさり気なく語られており、要するに本作は作品自体が作者の文学論となってもいるのだ。<br> しかし、高橋源一郎の作品を思い出したのは僕だけかな? 「ビリー・ザ・キッドの新しい夜明け」なんて作品もあったし、表面的な分かりやすさ、冗談のような固有名詞の乱発など、結構通ずるものがありますよね。ドラえもんやサザエさんが出てくる作品まであったし(笑)。</p> <br>

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