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<p>2001年</p> <p>2/15<br> アシモフ「銀河帝国の興亡1」とディクスン「巡礼者の方法」平行して読み進む。<br> 「銀河帝国」は何といっても「銀河帝国」のイメージや都市の描写、「心理歴史学」のアイデアが秀逸。第1部を読み終えた。ハリ・セルダンが島流しにされるまでのいきさつを紹介。<br> 「巡礼者の方法」は英語が平易ですいすい読める。単語が易しいからというより、書いてある内容の分かりやすさのためだろう。もろ侵略テーマのSF。アーラーグというエイリアンが地球を征服して人類を家畜として使っている。いわゆる「人類家畜テーマ」のそのものずばり、直球ど真ん中(笑)。主人公は2年前、アーラーグの地球総督に通訳として雇われたうちの一人で、「家畜」の中では最高のエリート。アーラーグ人同士の伝令を主な仕事にしており、地球をまたにかけて働いている。しかし内心はアーラーグに敵意を抱いている。ある日、アーラーグに殴り掛かって処刑された男の姿を見て、酔った勢いで、死体の下の壁に「杖を持った巡礼者」のマークを書き付ける(主人公がアーラーグを倒す英雄として夢想していた男のシンボル)。このマークがどうしたわけか、「反アーラーグ」地下組織のシンボルマークとして、半年の間にデンマークから世界各地に伝播する。半年後、某地のアーラーグ役所(派遣先)内で地球人女性が捕まって拷問されようとしているのを目に止め、任務を抜け出し、外で巡礼者のマントを買ってシンボルマークを描きつけて騒ぎを起こし、女性の容疑を晴らす。しかし、帰途、地球の地下組織メンバーに拉致され尋問を受ける。主人公は真相を語り、自分がシンボルマークの発明者であることを明かす。地下組織メンバーは主人公を利用価値があると認めたばかりか、シンボルマークの発案者だと知り(既に「伝説」と化している)、是非地下組織メンバーになるようにと口説く。くだんの女性もこの組織の主要メンバー。主人公はこの女性に恋心を抱き、「考えてみる」と言って解放される。帰りの飛行機中で、アーラーグに刃向かうなど気狂い沙汰だと思い直すが、しかし、2年にわたる奴隷生活で性欲を抑圧されていた(アーラーグには繁殖を奨励されるのだが、抑圧生活で自我を保つために孤独が不可欠であるため、性的行為をする者はまずおらず、任務が終わると自室に戻ってベッドに入るのが大抵の者の生活パターンとなっている)ため、くだんの女性に対する個人的感情が勝ち(笑)、たとえ死ぬことになっても自分は地下組織に入ってアーラーグと闘うしかない、と悟る。<br> 以上が60ページまでの粗筋。今日中に100ページを突破し、1日100ページずつをノルマにするつもり。このペースなら4、5日で読了できる。<br> ストレートな侵略テーマというのがまず好感が持てる。何のひねりも加えないそのものずばりの直球勝負、ここまで素直なものはかえって珍しい。しかも、ストーリーは分かりやすく、愛と感動の冒険小説。ディクスンらしい「孤独な男の不屈の魂」がストーリーの中軸を占め、「ドルセイ」系の精神論が展開されるのがこの作者ならではだ。ディクスンといえば「ドルセイ」以外では「ホーカシリーズ」ぐらいしか我が国では知られていないが、いろいろ書ける作家だということの一つの例証である(しかもディクスンならではの持ち味が十分に生きている)。</p> <p> さて、80年代受賞作のSFマガジンもだいぶ揃ってきたので、ここらで一気に仕上げるかと思う。</p> <p>チャーナス「オッパイ」★★★★★<br> フェミニズム人狼小説。面白かった。何といっても題材が日常生活に根ざしていて感覚的に分かりやすいところがよい。角川ホラー系の女流作家が書いたといっても通りそうなネタだ。女性の生理、性徴を扱った作品としてはウィリス「女王様でも」などと並ぶ代表作の一つといえるだろう。平井和正ウルフガイの女版ともいえる。「吸血鬼つづれ織り」「世界の果てまで歩こう」も必読か。</p> <p>2/18<br> 「巡礼者の方法」200ページ突破。<br> シェーン・エヴァートは、結局地下組織と再度アクセスをし、自らの計画を進める。その計画とは地球人の自治組織を試験的に構築の上、その効用をアアラアグ人に認めさせながら、地球人の地下組織を全地球規模に強化させる。そして十分に依存性を高めさせた状態で突如生産性を低下させ、アアラアグ人自ら「地球を捨て、他のもっと有用な星を探させる」との選択をするよう仕向けるというもの(実は、「マリア」という娘を仕事の相方にして口説くため、という超個人的な動機によるのだが)。他方、アアラアグ政府内の委員会でも「地球人の通訳を養成する」プランが採用され、シェーンを地球人代表(媒介者)として特に優秀な若い者を選んで通訳を養成する計画が着手される。シェーンはロンドンに世界各地の地下組織メンバーを集めて、時計台広場でアアラアグ人の目の前でアアラアグ製の反重量機&光シールドを使って時計盤の上にシンボルマークを描くパフォーマンスをした後、メンバーを集めて演説をぶつ。その後、マリアのいるホテルの部屋に戻る、というところで200ページ突破だった。<br> 革命の話なのに武力でなく策謀による抵抗であること、キャラクターの行動の動機や心理が個人主義的で人間臭いことなどにディクスンの特徴が出ている。アアラアグのSFガジェットも、反重力や光シールドなど古典的な分かりやすさがかえって楽しいし、アアラアグ人の「地球人を獣並みと思っているためにその策略に気づかない」というアイデアも「ドルセイの決断」などと似ていてディクスンらしい(これがこの話自体の一つの鍵にすらなっている)。読み易く分かりやすい、昔ながらの正統派娯楽SFといえるだろう。<br> 何とか来週前半には読み終わりそうだ。</p> <p>2/19<br> 今日は「巡礼者の道」あまり進まず。体調が優れなかったせいだ。体が優れない時は頭の調子も悪い。<br> 今の時点で214ページ、ほとんど進んでいない。<br> 今日読んだところの粗筋は、シェーンがロンドンから防衛庁に戻ってリト・アーンと会う。リトはアドサと会談中で、アドサはシェーンが真語を理解できることを忘れていて動物の扱いに関する議論を始めようとするがリトにたしなめられて慌てる。その話は後回しにしてシェーンがリトとリトの部屋に行って話をする、という場面までである。<br> 後は寝ながら250ページまで潰し、明日はきちんと100ページのノルマをこなすつもり(350ページまで行く)。そうすると水曜日には440ページまで読み終わる計算になる。<br> この本は難しい単語も少ないしとても読み易い。</p> <p>2/20<br> 260ページまでいった、今から寝るまでに350は無理でも300ページまではいく。<br> シェーンがリトにマリアを紹介し、マリアもシェーンの相棒として採用される。アアラアグはスピードを重視するので、「地球人の子をアアラアグの家庭で育てる」よりも有望な成年に真語を教える方が通り易い案なのだ。で、シェーンが防衛庁の自分の部屋にマリアを連れて行くとそこでシルヴィに鉢合わせる。シルヴィはシェーンと寝たことがあるため表面では歓迎するが内心嫉妬する。シェーンの部屋と隣室の壁をぶちぬいて隣室の女性を追い出し、マリア用の部屋になる。そこでしばらくシェーンはマリアに真語を教える。やがてラア・イオンもシェーン&マリアと面会する。ラアはシェーンに「リトの統治ぶりはどうだ」ときく。会見後シェーンは、「ラアはアアラアグ人のくせに全体でなく個人を優先する発言をした。アアラアグ人として異常だ。処刑されておかしくない」とマリアに語るが、伝統的にまたは遺伝子的に全体を個よりも優先するアアラアグの思考回路はシェーンのようにアアラアグと常時密着して生活しなければ身につかないもので、マリアにはよく分からない。その後シェーンはジョルジュに会い、「いつでも乗れるように常時タクシーを待機させておいてくれ」と頼む。そんなこんなしている一方、シェーンはマリアにとうとう自分の恋情を漏らしてしまい、結局そういう仲になってしまう。で、ロンドンのビッグベンでのシェーンのパフォーマンスは地下組織レベルを超えて地球人全体に口コミで広まっている。しらけているシェーンに対し、「すごいことよ」と述べるマリア。<br> というところで260ページだ。<br> 結構中だるみがちだ。ピーターや地下組織メンバーとシェーンの確執や、シェーンの自己中心的な性格、「話がうますぎる」といいたくなるマリアとの順調な関係など、ちょっと納得いかない気もするし、アアラアグとのコミュニケーションのすれ違いなど少し大袈裟に引っ張りすぎな感じもするが、それなりに面白いので、まあいいでしょう。</p> <p>2/21<br> 今日は「巡礼の方法」、ノルマの100ページをこなして360ページまでいきました。北京でピーターがウォンら二人を紹介し、本庁へのデモ行進を全世界規模で2週間以内に行う(その後、シェーン(の中の巡礼)が真相を語る--アアラアグが人類の無用さを悟って地球を去る)というシナリオが進行していきます。相変わらず計画に無理がありますが(笑)、シェーンとマリアがアアラアグと人類の類似点を考究するくだりは圧巻。で、シェーンは街角の猫を見て、自分の孤独な境遇が猫と似ているが、猫は「孤独」を人間と同じようには感じないことに思い至り、アイデアが閃く。「種を守るために全体を優先し個の死をいとわない」演出をすることでアアラアグに共通点を見せようという策? このへんの説明がいまいち足りないのだがおおかたそんなところだろう。ところが計画の矢先、シェーンはリトから、「ラアに使用貸借物件として貸与されることになった」「マリアは貸与されないが、解放してミラノに戻してもよい」と告げられる。このへんが、「家畜の悲哀」があらわれていて面白いが、べったりくっついていたマリアとの別れが、シェーンにはつらいし、また計画にも狂いが生じる。デモ行進による悲劇の後の「語る巡礼」役を自分で務められないので、マリアやピーターに託さざるを得ないのである。で、マリアとシェーンは飛行艇でミラノに向かう途中、「アアラアグにも個性がある」「リトのグループと、ラアのグループは違う」「ラアは狂ってはいなかった、しかし、リトには、ラアは病気だと報告するつもりだ」といった会話をする。このあたりのアアラアグについての構築もなかなかの読みどころだ。<br> さて、設定や計画に無理はあるものの、「人間を家畜扱いする異質な思考のエイリアン」という仮設を掘り下げることで人間性の考察をし、また、アアラアグの考察においては仮設に基づく論理構築の楽しさも味わえ、かつ、その舞台設定で「革命」と「恋愛」と「冒険」のスリルをも味わえるというサービス満点のSF娯楽作品に仕上がっているこの作品は、現時点でも好印象だが、終盤に入ってストーリーが動き始め、波乱と悲劇の予感が漂い始めた。明日あたり一気に読み終わりそうだが、終盤の展開が楽しみである。<br> これ、多分ドルセイよりも面白いから、ぜひ創元文庫で出してほしいなあ。ロバート・チャールズ・ウィルソンなんていうマイナー作家の地味な長編を出すぐらいなんだから、この程度出してくれてもいいんじゃないの? これだけストレートな侵略&人類家畜テーマは珍しいし、ストーリーは面白く娯楽性が高いし、訳したらけっこう評判になる作品だと思う。難しいのと活劇系と2極分化している状況を打破するには、こういうバランスの取れた、ほどほどに娯楽性があってほどほどに思弁性もあるのがいちばんいいと思います。</p> <p> さて、これを読み終われば後は80年代の短編は「SFマガジン」掲載の数作と、シルヴァーバーグ「兵士入場、もう一人入場」(取り寄せ中)のみ(ヒューゴーは)となります。それとファウンデーション、ダウンビロウでノルマ達成。いよいよ90年代に入れそうです。</p> <p>2/23<br> ディクスン「巡礼の道」★★★★★<br> いやあ面白かった。シェーンがアアラアグに仕掛けるトリックはいかにもディクスン節で、この長編の一部である「マントと杖」がヒューゴー中編賞を受賞した同じ年のノヴェラ賞受賞作「ドルセイの決断」とよく似ているが、今日、平行して読んでいるアシモフの「ファウンデーション」で、市長がアナクレオンの侵略を防ぐために仕掛けるトリック、特に教徒たちが一斉にストライキを始めるシーンが、この小説のクライマックスに酷似していて、興味深かった。<br> シェーンがリトに仕掛けたはったりが功を奏し、リトは、「地球人類がみな病気」で「無価値」であり「家畜化不能」と判断して地球撤退の指令をくだすが、最後の最後まで、人類はアアラアグ真類とコミュニケーションができないまま物語は終幕となる。シェーンはリトに対して、「人類の全ての中に「巡礼」の部分が存在する。それは個の肉体を超越した存在で、同時に全ての固体に存在し、アアラアグに占領された当初は身をひそめていたが、「奴隷化」された3年間の間に隠れていた本能が次第に顕在化して大群衆となり、押し寄せてきているのだ」と「巡礼」のふりをして語り、証拠として「ガードマンに広場からの群集撤去を命じろ」と催促する。ガードマンは群集に撤退命令を出すが、群集が応じなかったので発砲しようとし、押し寄せた群集の下敷きとなって全滅する。同じことが全世界で同時に起き、リトは「人類は病気」「無価値」との判断をして撤退を決意することになる。リトとのやりとりでシェーンは、人類と真類の共通点(真類は、母星でエイリアンに襲われて以来、「さまよえる種族」となって銀河を彷徨っているのだが、「奴隷化」を嫌い、結局このような大群衆となっている「人類」は、「支配されることを嫌う」という点では「真類」と共通点がある、等)について説得を試みるのだが、結局最後まで通じずに終わる。文字どおりエイリアンと人類のディスコミュニケーションの面白さもさることながら、人間と動物、統治者と被治者の関係など様々なメタファも読み取ることができる。<br> また、真類の人類奴隷化の思想は、ブリンの「知性化」のアイデアと似ているし、真類内での「人類を純粋に奴隷として扱う」主流派(リト)の主義と、「人類をパートナーとして訓練し、母星奪還に戻る」というラア(結局「病気」と判断されて自ら格下げに甘んじることになる)の対立も物語に深みを与えている。<br> このSFアイデアの核をめぐる大きな軸の部分の議論の面白さとともに、シェーンの個としての生き方を描くところにもこの作品のもう一つの軸がある。もともとディクスンは「チャイルドサイクル」がそうであるように、大きな社会、文明そのものの考究と平行して、個人の内面や人生そのものの探求を正面から行うところに特徴があるが、この作品も例外でない。シェーンは早くに両親をなくして孤独な環境で育ち、語学の才能だけで身を立ててきた人物で、アアラアグが地球を占領したときもその才能をフルに使っていち早く「奴隷」のトップにまで上り詰めた。人類をアアラアグから解放するためのアイデアも初めのきっかけはマリアに対する個人的感情を満足するための手段として出てきたものに過ぎなかった。そういう意味で、極めて孤独で道徳的に優れているわけでもない人物であり、要するに、普通の孤独な人間である。それゆえ、シェーンは結局、人類を解放する作戦に成功するのであるが、最後まで真のヒーローたり得ずに終わる。例えば、地下組織の規模拡大の運動過程におけるマリアやピーターらとの視点の食い違い、軋轢に始まって、クライマックスの場面で群集の排除を命じさせ、ピーターを死なせてしまう(マリアも脚を折る重傷を負う)、最後のリトとの会話で、リトの説得を試みても冷たい拒絶に遭って終わる、と終始孤独である。また、アアラアグにも人類にもなりきれないはざまの存在という意味でも孤独であり、アアラアグ撤退後は、「アアラアグに奉仕した裏切り者」の目で見られる運命にもある。<br> マリアが生きていたのだけが唯一の救いである。同じ人類家畜テーマでもディッシュであれば「人類皆殺し」でほんとに全部殺してしまうが、ヒロインともいうべき美少女を死んだと見せかけて生かしておくところが、いかにもディクスンらしい。ピーターの死体の下にマリアの体が見つかる場面はショッキングで、この作品のクライマックスの中でもいちばん盛り上がる?場面である。その後、えんえん10数ページの間、読者はてっきりマリアは死んだものだと思っているので、「おいおい、ほんとに殺しちゃっていいのかよ」とはらはらさせられるが、最後の最後で生きていましたというのは、よくある手で騙されたとは思うけど何度騙されても飽きないんだよね(野島ドラマでよく見かけるパターンだね)。<br> というわけで、ほどほどの思弁性と苦味と皮肉(「イルカの流儀」もそういえば、人類を「動物以下」と見る点でこの作品と通ずるものがあった)を持ちながら、SFとしての娯楽性もふんだんに盛り込んだこの作品は、間違いなく<ドルセイ>ものの傑作群に匹敵するディクスンの代表作の一つと言えるでしょう。<br> ちょうど1週間程度で読み終えた。<br> ちなみにディクスンは今年1月31日没。「ローカス」で紹介されている代表作は、<br> <チャイルドサイクル>シリーズ<br> <ホーカ>シリーズ<br> 受賞作

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