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<div class="datebody"> <h2 class="date">October 09, 2004</h2> </div> <div class="blogbodytop"></div> <div class="blogbody"> <div class="titlebody"> <h3 class="title">レイ・ブラッドベリ『華氏451度』</h3> </div> <div class="main"><a href="http://blog.livedoor.jp/silvering/d4e25d79.jpg" target="_blank"><img class="pict" height="218" alt="華氏451度" hspace="5" src="http://blog.livedoor.jp/silvering/d4e25d79-s.jpg" width="160" align="left" border= "0"></a>1954年レトロヒューゴー賞長編部門を受賞したので、仕方なく買って読んだ。実は子供のころ買っていたが、積読のまま紛失していた。<br clear="all"></div> <a name="more" id="more"></a> <div class="mainmore"> 結論から言う。やはりブラッドベリは、子供のころに読まないと楽しめない。それは、仮病を使って学校を休み、SFを読む小学生の心を必要とする。<br> ブラッドベリの作品は文体に際立った特徴がある。異常に単純化し誇張、象徴化された事物や人物や行動は、演劇を思わせる。そして、世界設定にも具体性がない。大人の読者は世界設定に信憑性、現実性のある具体性、詳細性を要求するが、ブラッドベリの作品は確信犯的にそれを否定し、唾棄している。それは明白に、子供向けファンタシイの文体である。<br> そして、その技巧の核心は感傷と恐怖である。ブラッドベリの作品は理性ではなくもっぱら情緒に訴えかける。ブラッドベリのホラー小説は、うまく決まったときは震え上がるほどの原始的恐怖を呼び起こす。ブラッドベリの感傷的なファンタシイは、うまく決まったときは子供時代の忘れかけた愛惜の情を呼び覚ましてくれる。<br> ホラー小説の最良のものは、「10月はたそがれの国」「刺青の男」「黒いカーニバル」「とうに夜半を過ぎて」の4冊に含まれている。感傷小説(および不思議小説)の最良のものは「ウは宇宙船のウ」「スは宇宙のス」「太陽の黄金の林檎」に含まれている。両者が絶妙に結合しているのが、代表作の「火星年代記」だろう。<br> <br> さて、本書である。<br> 本書は、生来のインドア派、「書物マニアの登校拒否小学生」の心の持ち主であるブラッドベリが、50年代の赤狩り、マッカーシズムに強烈な嫌悪を覚えて書いた、社会風刺のコメディである。ブラッドベリの作品の中には数は少ないものの、政治的な風刺小説もないわけではないのだが、ここまで露骨にヒステリックな風刺作品(しかも長編)は本作しかない。<br> が、しかし、社会風刺とは、本来理性に訴えかけるものだ。むろん、スラップスティック要素を加えることによって、例えば初期筒井作品に見られるように、情緒へ訴えかける手法も併用されるものの、究極的なターゲットは読者の理性、思想改変である。したがって、ある程度の象徴化は技巧としてありうるとしても、基本的にはある程度の複雑さ、リアリティが通常要求される。本書と同様の世界を扱ったオーウェルの「1984年」のように完璧なディテール構築をした場合には、その読後感はとてつもなく重いインパクトがある。もしリアリズムを放棄してもよい場合があるとすれば、それは初期の筒井作品のように、主に戯画化する場合であろう。<br> 以上の観点から本書を見ると、まず、リアリズムの観点からも、戯画化の観点からも、不徹底というか、そのような配慮がほとんどなされていない。前述したブラッドベリの文体の特徴がそのまま堅持されているのである。ブラッドベリとリアリズムは相容れないものであるから、風刺の意図を成功させるには戯画化の手法をとるしかないと思われるが、本作のトーンはむしろ笑いよりも感傷に向けられている。徹底的に単純化され極端化された世界設定(本が禁じられ、見つかると焼かれるという世界)や人物の行動(ブラッドベリ作品の人物には性格描写はなく、極端化された全くの記号である)は、スラップスティック効果を高めるに最適の道具立てだが、ブラッドベリの意図が笑いにあるようには見えない。むしろブラッドベリは感傷に訴えかけようとしているシリアスな書きぶりなのだが、シリアスな社会風刺は本来、理性に向けられるものであるから、読者はその信憑性の前提として基盤となる世界設定のリアリティを要求せずにいられなくなる。するとそこで、世界設定の脆弱さが障害になってしまう。<br> <br> 結論として、本書の読後感は、ブラッドベリの主張に共感し、滅び行く書物への哀惜の念や、愚かな物質文明への怒り、憎悪を呼び覚まされるというよりも、むしろ自己の特質であるファンタスティックなセンチメンタリズムを場違いなテーマに向けてしまい、図らずも自己の限界を露呈してしまった作者の姿を良かれ悪しかれ見ずにいられないということに尽きる。<br> <br> 本書は、奇書といってよい。子供のころに読んでいれば、世界設定のリアリティのなさなどあまり気にならず、素直に感動し、怒ることができたかもしれない。また、もちろん、本書に素直に感銘を受ける多数の成人読者がいることも理解している。しかしながら、少なくとも今の私には、文体、手法と内容、目的との齟齬が強く感じられて、痛々しいほどの違和感が最後まで消えなかった。本書の内容である『物質文明、映像文明による書物の追放、反知性主義、情緒主義」は、確かに既に現実になっている。そういう意味でブラッドベリの予言は正しかったといえるだろう。だから、本書がリアリティのある世界設定の下に、リアリズムの文体で描かれていたならば、強烈な印象を与えたに違いないのだが&&。<br> また、ブラッドベリの物質文明に対する生理的嫌悪感があまりに「生理的」でありすぎるがゆえに、その批判対象に対する『無知」のレベルから一歩も進もうとしないという姿勢も、鼻につく。反知性主義を忌み嫌う作者自身が反知性主義に陥っているジレンマは、解説で福島正実がいみじくも指摘するとおりだ。<br> 少年自体、あれだけ熱中したブラッドベリなのだが、この印象の落差は、それだけ自分が年をとったということなのかもしれないけれど&&。<br> <br> テーマ性 ★★★<br> 奇想性  ★<br> 物語性  ★<br> 一般性  ★★★★★<br> 平均   2.5点<br clear="all"></div> <div class="posted">silvering at 14:44 │</div> </div>

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