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クウェディク「ブロントの卵」」(2005/12/05 (月) 02:11:13) の最新版変更点

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<p>2003.9.8</p> <p>9月8日<br> <br> 「ブロントの卵」読了、面白かった。8点。<br> <br> 1 舞台設定<br> 場所=とあるメガロポリス郊外の建物内<br> 時代=未来(時代不詳)<br> 状況設定=虐待され逃げ出したペット用の人工ミニ恐竜を引き取って郊外の建物内で生活させている。恐竜たちは言葉を喋り、知性を持つ。レギーというコンピュータも与えられている。ブロントが卵を生むが、なかなか孵らない。好奇心旺盛な恐竜アクセルは、レギーを使って宇宙にメッセージを発信し、その後「ロトモトマン」製作を試みるが・・・<br> <br> 2 人物設定<br> アクセル=主人公のミニ恐竜。ペット用にランスロットとともに飼われていたが、ランスロットが興味半分に解剖され、身の危険を感じて逃げ出し引き取られる。好奇心旺盛でエキセントリックな性格。「サンキューサンキューサンキュー」などフレーズを繰り返して叫ぶ癖がある。<br> ブロント=牝のミニ恐竜、卵を生む。<br> アグネス=牝のミニ恐竜、ヒステリーっぽい性格。<br> ヘトマン=手足と目を失った寝たきり恐竜。ベッドでブロントの卵をあたためる。<br> プレストン=銀行口座を持つ恐竜。アクセルに頼まれて、ロトモトマンの代金を払う。<br> レギー=コンピュータ。自分を3人称で話す癖がある。<br> ロトモトマン=アクセルが発案し製作した組み立てロボット。<br> トム・グロバートン=人間。恐竜ハウスの管理人。<br> テレビガエル=アクセルが偶然目撃した「テレビを見るカエル」。<br> その他有象無象=多数のミニ恐竜、恐竜ハウスにやってくる人間(生物学者等)、恐竜たちを飼っていた人間など。<br> <br> 3 変化(事件)<br> 変化軸その1=「ブロントの卵が孵らない」(達成すべき課題)?「ロトモトマンによって卵が孵る」(課題の達成)<br> 変化軸その2=「ロトモトマンを作りたい」(達成すべき課題)?「プレストンを説得し金を出させ、嫌がっていた他の恐竜も徐々に組み立てに協力するようになり遂にロトモトマン完成」(課題の達成)<br> 変化軸その3=「テレビを見るカエルがいる! でも誰も信じない」(謎&課題の提示)?「アクセルがテレビを見るカエルに近付き、皆のいるところに連れて行くが、皆卵を返すのに夢中で気づかないうちにカエルがいってしまう」(謎は解決せず&課題不達成)<br> 変化軸その4=「宇宙へのメッセージ」(伏線)?「傍受した人間がメッセージ中の『卵を孵す』に興味を持ち、恐竜ハウスにやってくる」(克服すべき危難)?「何とか卵を守り、ロトモトマンで卵を孵す」(危難の克服)<br> <br> 4 分析<br> 主人公のアクセルは、変人(恐竜)。子供っぽくて夢見がちで熱狂的。一般人には共感しにくいだろうが、読者として想定されていると思われるSFマニアには親近性が高いと思われるので、意図的なキャラクター設定だろう。志は高いが、財力や能力に限界があり、独力では課題を達成できない。コンピュータのレギー、口座を持つプレストンの力を借り、メッセージを送ったりロトモトマンの設計、発注をしたりし、1人ではロトモトマンを組み立て切れず、結局皆の助けを借りる。テレビガエルの謎も解決できず、信じてもらえないまま。自分の送ったメッセージが原因で人間の興味を煽り、卵に危難をもたらす。他の恐竜やトムの助けで、何とか危難を乗り切る。こういった間抜けな人物設定は、SFマニアの共感を得易いだろう。<br> 他方の異能の者としては、特定の者ではなく、コンピュータのレギー、口座を持つプレストン、管理人のトム、卵を孵すロボットのロトモトマンなど、様々なキャラがそれぞれ助け合いながら課題達成、危難回避をする。こういった賑やかさがほのぼのとした読感をもたらす。<br> マンガチックでユーモラスな内容の背景に、「人間に作られペットとして虐待されたミニ恐竜の悲話」という設定がある。この設定が、恐竜たちのコメディタッチのストーリーの底流でそこはかとないペーソスをもたらす。ある意味で、科学批判、文明批判、人間批判の側面も持った寓話と言える。<br> 複数の事件軸が絡み合うが、その事件軸はきっちり噛み合っているとはいえない。また、キャラの行動や動機も到底合理的といえない。しかし、そのような不調和がかえって本作のユーモアやペーソスを強調する役割を果たしているから、意図的なものかも知れない。ミニ恐竜が組み立てロボットで卵を孵すというだけの話なので、きっちりまとめても仕方がないという気もする。本作はストーリーラインはいちおう基本ラインに乗っているが、どちらかというとそういったストーリーに乗せて展開されるミニ恐竜たちのユーモラスで愛らしく哀しいどたばた騒ぎを楽しませるところに眼目があると考えられる。<br> 以上の通り、藤枝理論における物語性を踏まえつつ、それをやや変奏させた作品ということができるだろう。<br></p>

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