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『悪魔の星』 A Case of Conscienceジェイムズ・ブリッシュ(James Blish) 済<br> <img alt="悪魔の星" src= "http://cyber.dyndns.ws/~sdc/sf/akumanohoshi.gif">超難解な宗教SF。「宇宙都市」シリーズの有名なブリッシュだが、その作風は理知的で難解なハードSF。本作もキリスト教の異端の問題を異星の異なる環境に投げ込まれた善意?のエイリアンの姿を通じて描き出す・・・ものらしいのだが、いかんせん読む当方に宗教に関する知識とセンスが根本的に欠けているため、ものすごく難解に感じた。題名から娯楽SFを期待して読むと大半の人が挫折するのではと心配。正直に、エンタテインメントとして、自分の好みという観点から評価するならば?【創元文庫、1点】<br>
<p>『悪魔の星』 A Case ofConscienceジェイムズ・ブリッシュ(James Blish) 済<br> <img alt="悪魔の星" src= "http://cyber.dyndns.ws/~sdc/sf/akumanohoshi.gif">超難解な宗教SF。「宇宙都市」シリーズの有名なブリッシュだが、その作風は理知的で難解なハードSF。本作もキリスト教の異端の問題を異星の異なる環境に投げ込まれた善意?のエイリアンの姿を通じて描き出す・・・ものらしいのだが、いかんせん読む当方に宗教に関する知識とセンスが根本的に欠けているため、ものすごく難解に感じた。題名から娯楽SFを期待して読むと大半の人が挫折するのではと心配。正直に、エンタテインメントとして、自分の好みという観点から評価するならば?【創元文庫、1点】</p> <br> <p>2000年日記</p> <p>4/14<br> 「宇宙の戦士」読み終わる。★★★★1/2。ハインラインの思想が詰め込まれてて興味深く読める。前半は少年犯罪や体罰の話が出てきて結構新しい感じがする。終盤は単調。戦闘シーンも平凡。途中までは面白いのに。ストーリーもあってないようなもので、この作品の読みどころは、好きが嫌いかは置いておいて、ハインラインの思想開陳部分の理屈が楽しめるということに尽きる。少なくとも「ダブルスター」なんかよりは遥かに面白い。<br> 「悪魔の星」読み始める。キリスト教に疎い僕にはかなりとっつきにくく、難解な感じがする。50ページ読んだが、内容がさっぱり分らない。最後まで読めるか、読めたとして果たして内容が理解できるか甚だ疑問だが、頑張って読まねば。</p> <p><br> 4/17<br> トウカイテイオー産駒が先週は頑張ってくれて(2勝、2着2頭、3着1頭、着外1頭と、出走した馬の殆どが馬券に絡んでいる)、こないだのトウカイポイントといい、トウカイテイオー産駒フリークの私としては大いに溜飲を下げておる昨今である。ただ、馬券に結びついてくれるともっといいんだけど、残念ながら万馬券にならない馬券は、ほとんど持っていることがないから。<br> また、ブライアンズタイム産駒もそろそろ勝ち上がり始め、「マイネルブライアン」「トーホウシデン」といったクラシック級も出現し、ナリタブライアン全弟の「ビワタイテイ」もようやく勝ち上がって、いきなり昇級戦で善戦し、器の大きさを見せてくれた。若葉ステークスでこけた「ミラーダ」も、落鉄していたことが判明し、続く自己条件戦は楽勝したので、今後の出世次第ではクラシック級かも知れない。<br> コンスタントに強い馬を出すSSよりも、時々とてつもない化け物を出すBTの方が圧倒的に好みなので、ダービーでは、これらBTの子たちがSS上位組を蹴散らしてくれることを大いに期待したい。<br> あと、天皇賞に出る「ノボエイコーオー」。負けても負けても買い続けてやる。どこかで穴を開けてくれるはず、と信じて。チタニックオーの皐月賞、先週のトウカイポイント等をみても、ジリ脚だがタフな脚質の馬が多いことをみても、トウカイテイオー産駒は、晩成ということに加えて、全般に、ステイヤー度が非常に高い可能性がある。3000メートル超のレースには未出走だが、いざ出てみたら、リアルシャダイ産駒のように、いきなりG1級の走りをするのかも知れない。母系にリアルシャダイの入ったSS産駒のペインテドブラックが、ステイヤーズSでオペラオーを負かして、ステイヤーの資質を証明したように。</p> <p> 「悪魔の星」、途中から、南北問題のような題材が加わってきて、作者の思考実験の意図がある程度鮮明になってきたので、次第に面白くなってきた。今後の展開に期待だ。しかし、このような娯楽性の全くないシリアスな作品に、ヒューゴー賞が与えられていたというのは、当時のファンの質は結構高かったということか。もっとも、その前前年にはあのつまらない「ダブルスター」が受賞したりもしているのだけれど。<br> 「理想とするモラルが理性のみの作用で自然に実現される社会」というこの作品のモチーフは(もっとも、現段階で、作者がこれを肯定するのか否定するのかは不明であるが)、翌年受賞作「宇宙の戦士」におけるハインラインの主張(「悪魔の星」で「標準化」と呼ばれる概念が、ハインライン作品におけるモラル実現手段としての教育に相当するものである。)と好対照をなしており、読み比べてみると興味深いものがあるかも知れない。冒頭部分しか読んでいないけど、設定やテーマ的にこの作品とイメージのダブるルグイン「所有せざる人々」との読み比べもいいかも。</p> <p><br> 4/26<br> 「悪魔の星」、いやー、参ったっす。私が今まで読んだ小説の中で、いちばん難解だったかも。未だによく分らないので何度も読み直さないと評価が定まらない。結局、リチア星というのは何だったのか? エグドヴェルチというのは何だったの? それに対する作者の評価/視点は何? 何の説明もない。とにかく思考実験の場としてしかSFを捉えていないために、ストーリーの面白さなど全く捨てている。作品の大部分を占めるのが登場人物の思考や議論の描写。登場人物それぞれに役割を割り当てて、それぞれの立場から議論を展開させぶつかりあわせるという手法を用いているが、肝心の中心人物であるラモン・ルイスサンチェス神父の思考が最も難解で、それゆえに、まるで曇りガラスの向こう側を見ているように、議論の核心が全く見えてこない。難解な理由は、神父の思考の前提であるカトリック協会の教義や神学論争の概要に関する知識を読者が当然に有するものとして、何の説明もなしに次々取り上げているためだ。また、宗教だけでなく、文学、生物学に関する高度の教養も当然に要求される。冒頭いきなり、神父がジェイムズ・ジョイスの「フィネガンス・ウェイク」を読みふけり、神学上の大問題について悩み抜くという場面が出てくるが、この作品が「フィネガンス・ウェイク」だということは前半部分の最後の方でやっとわかるしくみになっている。そもそも、最初の部分の引用で、「フィネガンス・ウェイク」だと分るか否か、更に、仮に分かったとしても「フィネガンス・ウェイク」の内容を理解しているか、これと神学論争にどのような関連があるのかといったことを理解しているか否かといったことで、この作品に関する理解力には格段の違いが生じることになる。生物学に関しても、さすがに進化論と天地創造説との軋轢ぐらいの知識はあるものの、更に進んでキリスト教における天地創造の詳細や聖書に記載された神話の具体的な内容に関する知識は全く欠如しているため、その理解度は皮相的なレベルに留まり、多少突っ込んだ議論をされるともう全くついてゆけないていたらくとなる。<br> しかし、通常であれば、多少細かい議論が分らなくても作品のおおまかなテーマは把握できるのが普通だが、この作品の中心テーマとして措定されている「モラルも信仰もない星=リチア星で、理性のみにより行動するリチア星人が自然にエデンの園のような楽園を構成しているのは、カトリック教教義に対する重大な挑戦ではないか?」(おぼろな理解力で把握した限りでは)という問題提起の重要性自体が全く実感できず、後半に出てくる「悪魔の創造性」を認めるか、認めるなら異端だ、といったような議論も、そもそも「悪魔の創造性」という言葉の意味自体さっぱり分らない故に、理解の範疇外である。<br> 特に難解なのは、その「理想郷」であるのに「キリスト教教義と矛盾」し、神父によって「悪魔の星」「人類文明からの謝絶が必要」と断じられたリチア星人の卵が地球に持ち帰られ、地球で誕生して育ち、シェルター社会に抑圧された反動分子の煽動者として地球を破滅に導く「エグトヴェルチ」の位置付け。このエグドヴェルチは、結局、地球を混乱に陥れた挙げ句、国連に追われて命からがらリチア星に脱出することになるが、これに対する神父の評価が「可哀想」であり、そのキリスト教的把握についても、善悪いずれと決めかねているかのような描写のまま小説が終わってしまう。<br> そしてラスト、神父が「悪魔払いの儀式」をして、リチア星が爆発し超新星となる(ここがこの作品で唯一、小説らしい場面であろう)のであるが、なぜ「悪魔払いの儀式」が神父の最後の切り札にならなければならないのか、その必然性もさっぱり分らない。<br> あまりの訳のわからなさに、最後についている作者自身の後書きを読んでみたが、「主人公がカトリックの神学者なので、必然的にローマカトリックの教義を信奉する者にとっては、のっぴきならぬ問題点を含んでいる」「バスラ会議のことや、&剃髪式をとりやめたことなど」「2050年には祓魔式は中世的な過去のものとして全く葬り去られ」「俗人でもやり方を知っていれば、&最後の塗油を行ってもよいと仮定した」等など、後書きに書いてある言葉自体が訳が分らない。何、バスラ会議って? 剃髪式って何ですかぁ? 祓魔式ぃ? へ、最後のとゆ? とゆって何? もお、ぜんぜんわかんない。まるで頭の悪いのを笑われているような感じがしてすごく不愉快になる(笑)。まあ、勉強不足のおれが悪いんだろうけどさ。<br> んで、最後、ジェラルド・ハードとかゆう神学者の文章を引用しやがるんだけどさ。地球外生命を宗教的観点から3つにカテゴライズしている文章を引用した後、「読者には、ルイスサンチェスと同様に、おわかりいただけると思うが、リチアは、この3つのカテゴリーのどれにも入らない。故に結論は御想像にまかせる」おいおい、想像に任せるなよ(笑)。わかんねえよ全然。説明してよ、無責任だよ。<br> というわけで、今回、私は敗残者です(笑)。くっそー、もう一回挑戦してやる。<br> しかし、この難しさじゃあ、ヒューゴー賞取っていながら絶版になるわけだな。売れるわけねえよ、これじゃあ(笑)。なにせ260ページ読むのに半月かかってるんだから。よって、評価不能。★付けはもう一回基礎教養を身につけて再読してから、改めて行う。<br> げっ、しかし、次のも宗教ものじゃねえか、「黙示録3174年」。勘弁しちくりー。</p> <p> ふと昔の日記読んでいたらあまりの面白さに読みふけってしまった。いかんいかん。<br> でも中には、ホームページに載せたいぐらいの傑作もあった(笑)。<br> <br></p>

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