雑記
オカルトのお話
最終更新:
匿名ユーザー
-
view
ほんの少し趣向を変えて、かなりの人にドン引きされるようなお話を。
いわゆる、オカルトっていう文化について。
現代でこそ、オカルトって単純に「キモい」文化として扱われているわけですが、科学が今ほどいろんなことを説明してくれなかった時代には切実な真理の探究の手段だったわけで。
実際、錬金術の知識と経験が化学の発展を促したのは有名な話である。
それ以前の神話や宗教といったものも、世界の神秘に対するその時代の人間のあくなき探究心によって生み出されたものだ。
現在、科学という名の宗教によって駆逐されつつあるけれども、それらの世界観や思想というものの深さはある意味において科学をも凌駕するといえる。
理路整然とした、その世界観は、ある種美しい。
世界を陰と陽のバイナリで理解しようとしたタオの思想。
すべてのものは神の分け御霊であるとした日本の神道。
ギリシャ神話や北欧神話に見られる、神々の世界と秩序。
魂の高みを目指す、セフィロートの道。
すべてのものは神の分け御霊であるとした日本の神道。
ギリシャ神話や北欧神話に見られる、神々の世界と秩序。
魂の高みを目指す、セフィロートの道。
それらには、「科学的根拠」とやらがないため、それらは間違っているということに、なっているらしい。
ということは、それらの美しいとすらいえる世界観は、「科学的根拠」などという俗なものに縛られず、人間が人間のあらゆる知恵と知識を終結させた集大成であるといえる。
その意味で、私はそれらを究極の芸術として、愛している。
人間が、人間の想像力のみを武器として世界を相手に戦いを挑んだ結果としての、偉大な芸術なのである。
それらを信じて、怪しげな儀式やらにはまるのはいただけないが、それらの思想や世界観といったものはもう少し評価されるべきだと考える。