「改革」(2006/02/05 (日) 22:38:48) の最新版変更点
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歴史上、「改革者」と呼ばれる人たちがいます。
日本の歴史で言うなら、聖徳太子、織田信長、源直陰(坂本龍馬)あたりでしょうか。
彼らは、日本の歴史の転換期において、未来の日本を見据えて偉大な働きをなした人たちです。
しかしながら、その当時はほかにも多くの優秀な人たちがたくさんいましたし、日本の未来について真剣に考えている人たちも多かったはずです。
なのになぜ、彼らだけが飛びぬけた発想と活躍をすることができたのでしょうか?
私は、その違いとは「視点の違い」であると思います。
歴史上、「改革者」と呼ばれる人たちがいます。
日本の歴史で言うなら、聖徳太子、織田信長、坂本直陰(龍馬)あたりでしょうか。
彼らは、日本の歴史の転換期において、未来の日本を見据えて偉大な働きをなした人たちです。
しかしながら、その当時はほかにも多くの優秀な人たちがたくさんいましたし、
日本の未来について真剣に考えている人たちも多かったはずです。
なのになぜ、彼らだけが飛びぬけた発想と活躍をすることができたのでしょうか?
私は、その違いとは「視点の違い」であると思います。
当時のほかの人たちも、「世界」を視野に入れ、「未来」を考えていたことでしょう。
ですが、それは「日本から見た世界」、「現在から見た未来」を考えていたと思います。
それに比べ、(あくまで推測ですが)上で述べたような人たちは「世界から見た日本(あるいは世界の中の日本)」、「未来の原因としての現在」を見ていたように思います。彼らの為したこと、そこから推測される彼らの考え方は、そうなっていると思うのです。
彼らのやったことは当時の「日本」においては画期的でした。ですが、それは「世界」から見たときに日本をどうしたらいいか、という視点で見てみると、至極当たり前のことをやっていると思います。
誤解の無いようにしておきますが、私は彼らのことを貶めたいわけではないのです。当時としては、その視点に立つということそのものが非常に困難な時代だったのですから。
柔軟な思想と見聞の広さが無ければ、そういった視点に立つことそのものが難しいはずです。実際、彼らの時代に彼らと同じ始点に立てた人間がいなかったことがそれを証明していると思います。
ですが、今私たちはインターネットという史上空前の地球規模のネットワークを手に入れました。
彼らの時代と違い、その気になれば世界中の情報を手に入れることができます。
つまり、現代という時代は、私たちのひとりひとりが「日本」という国をよりよくしていくための知識と視点を持ちうる時代なのです。
現代日本は民主主義国家です。国民の権利として、「自由」が認められています。
「自由」には義務が伴います。まして、民主主義とは、政治を政治家に任せるのではなく人民一人一人が参加することを「義務」としているということです。
私も、ワイドショーを見て文句を言う前に、自分でできることを考えていきたいと思います。
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