「質問をするということ」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「質問をするということ」(2006/02/05 (日) 01:31:27) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
今週(2月1日)から、うちの部署に新人が来ているわけです。
私が、2月末で現作業から離れるので、その代替人員なのですが。。
昨日までの三日間をstudyとして、資料を読んでもらったりターゲットマシンに触ってもらったりしているのですが、ぜんぜん質問が無いんですよね。
こちらから、「何かわからないところはない?」とつついて見ても、特に無いという。
それが本当なら、実に優秀なわけだけど。
つか、あんなわかりにくくてかつ細部では矛盾しまくった資料の山をみて質問が無いはずが無い。
自分が何を(あるいはどこを)わかっていないのかがわかっていないと、誰かに質問するということはできない。
ということは、彼はまだ「わかっていない」ということなのでしょう。
であれば、「まだ具体的には質問できる段階ではない」といってくれるなら、資料について解説したり、口頭で説明したりできるわけですが、そうも言わない。「大丈夫」などと、よくわからない言い方をするわけです。
なんだか不安でいっぱいです。
資料を読ませていても、ほんとに読んでるだけだし。
打ち合わせのミーティングに参加させたときも、打ち合わせ内容がわからないのはいいとして、それに対して質問がやっぱり無いんですよね。
私が同じ立場であれば、まず渡された資料から自分なりに図などを描いたりして、自分にとってわかりやすい形に直そうとします。また、不明点をメモったり、資料にマーキングするなどして自分が何がわからないのかを洗い出そうとします。
その後はおそらく周りの人間を質問攻めにするでしょう。実際、1年前に今の作業に入ったときにはそうしましたし。
質問攻めにされるほうはウザがるでしょうが、最初のうちはわかっていないのが当たり前なのだから、それは許されます。
後になって「実はわかっていなかった」というほうが、よっぽど許されないことです。
少々酷かもしれませんが、来週から彼には一人で動いてもらおうと思います。実際、一通りの資料と一通りの手順は教えたわけですし。
そこまでで質問が出なかったということは、「わかっている」と解釈されても仕方ないことなのです。
私には私の作業があるわけで、いつまでも相手にしているわけにもいかないですし。しかも、私には2月末までという締め切りが存在するわけですから。
「質問する」というのは、仕事をする上で基本的かつ重要な能力だと思います。
質問される側も、質問されることによって「何がわかっていて何がわかっていないのか」を把握することができるわけです。
また、特に仕事の場合、「自分で努力して、時間かかってもなんとかする」よりも「既存のものに関してはわかっている人に聞いて時間を節約する」ことのほうが重要なこともあります。
質問とかしてくれるなら、それに対しての対応はしますが、職場は学校ではないし、私は彼の先生ではないので、彼がわかっているかわかっていないのかを、そこまで積極的に把握する気はありません。
社会人として、そのあたりは彼自身の問題だと思います。このあたりが「学校」と「社会」の違いだと思っています。
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: