後ほねっこ男爵領

国設定

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atohone

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国設定[大分改易改訂版]

○ほねっこ男爵領(改易後)概要

先の戦以降、滋賀から大分へと改易されたほねっこ男爵領は、移動先の地形を生かしつつ、迅速に藩国としての体制を整えつつあった。
移転先は海岸に程近い盆地であった。北には2つの山塊(シッペイ岳、早太郎岳)を望む・その2つの山々からは「犬走川」が、冷たく清冽な雪解け水を湖に運んできた。その
湖は鳴駒の湖程の大きさはなかったが、民はこの湖に滋賀の鳴駒の湖を思い出し、「淵駒の湖」と名づけた。そして、そのほとりに新たな城市を立てたのである。

○北の盆地、行政の中心

新たなほねっこ男爵領は、大きくわけて2つのエリアに分けられる。
すなわち「山里」と呼ばれる北部の山岳+盆地のエリアと「海里」と呼ばれる海岸の工業地帯である。
山里の中心は淵駒の湖でありその傍らにある新・ほねっこ城市である。盆地は城市と湖
以外は灌漑の施された小麦畑となっており、「畑の中にある首都」と時たま揶揄されたが
藩民にとってはこれこそが誇りであった。国の基本は農業であることを彼らは良く知っていた。
ほねっこ城市は、淵駒の湖から流れる河を背にし、それ以外の三方を城壁に囲まれた城塞都市であると同時に、
河の流れを市中に引き込むことで、水路として活用している水郷都市でもある。
市内には、政庁、病院、劇場、商店街、学校など、生活に必要な施設は一通りそろっており、
また、冬季を見越して豪雪対策はしっかりと執られているため、生活の快適性は意外に高い。
とはいえ、この兎に角一箇所に集まろうとする性質は、冬の行動範囲が非常に狭くなりがちな北国ならではといえる。
この性質が遺憾なく発揮されているのは、藩国立ほねっこ学園で、幼稚部・小等部・中等部・高等部と
一纏めになっている上に、特に高等部には、普通科のほかに、藩国の基幹産業である農業を学ぶ農業科、
六つ斑飛行場(かつては七つ斑)の整備士・パイロットだけでなく、
広くエンジニアを輩出する航空科、星見司を育成する特別高等科、清く正しい
バトルメードとしてのあり方(ゆっくり歩くのがたしなみ)を教えるバトルメード科と、
実に多種多様な教育課程がある。
もっとも、これは講師の数が少なく、複数の科を跨いで生徒を教えている講師の割合が
多い事も一つの原因となっているのだが。
なお、ほねっこ学園には本校のほかに、航空科の実習を行うための六つ斑分校、
コロの里工業団地に暮らす児童が通うコロの里分校がある。

政庁を中心とするほねっこ城市のメインストリートはほねっこ銀座と呼ばれている。
滋賀のころに山で採れる宝石を、銀製装飾品として加工していた職人が軒を連ねていた
場所からその名を受け継ぎ、今なお工芸品としての技術・評判は高い。
今でも、ほねっこ銀座といえば、高級宝飾品の代名詞となっているほどである。
(例えば、ほねっこ男爵領の上流階級(これには夏、避暑に訪れる藩国外の人々も含まれる)の御婦人方の間で、
『ほねっこ銀座でしつらえていただく』といえば、宝飾品を買いに行く事をさす、といった具合に)
また、こういった人々を目当てに、帝國の一流ブランドや高級レストラン、エステなどが、熾烈な生存競争を繰り広げている。
改易後は一時、これらの高級店は撤退するかと思われたが、
復興支援の資産が流入するのを見て、将来の発展を期待し、少々の規模縮小はあれども
変わらず町並みに彩を添えた。
一般庶民にはやや敷居の高い界隈ではあるが、休日などには精一杯おめかしして、銀ブラと洒落込む
カップルや夫婦の姿をよく目にする。この通りが復興のバロメータと言う藩民も多い。
最近では、こういった層を目当てに、高級感を保ちつつも、ややリーズナブルな値段を
前面に打ち出した店も出店し始めている。

○たてがみ峠と孫ヶ森

海の里と山の里を隔てるのが、たてがみ峠である。交通の要衝であり、海岸からの侵攻に対しては
防御の要となる地形でもあるという、相反する目的を持った地形である。
結局のところ、先の戦の教訓を生かし、山里への防御地形としての性能を第一に考えられ
国道バイパス(新・ほねコロ街道)が一本という“細い喉首”となった。そのため、この峠は
一般車両の乗り入れが制限され(時間制)、山里と海里の行き来は公共手段によるのが一般的となった。
また、孫ヶ森には数々の軍用防御構築物、倉庫などが配置されているが、詳しくは国防機密に指定されている。
とはいえ、ほねコロ街道の規模がSTOL機の滑走路を兼ねているというのは
公然の秘密となっている。
このたてがみ峠を見下ろす位置にあるのが、新メッケ岳であり、新たな王犬舎と天文台がそこに設置されている。
王犬舎がここにあるのは山里と海里の両方をともに見守るためだといわれている。
その姥ヶ森に、鳴駒の湖を間にして、相対するように建っているのが、王犬社の本宮である。
冬季や緊急時を除き、王犬は通常ここに起居しているとされているが、市井の暮らしを知るという方便の下、
ほねっこ城市内の離宮を使うことも多いらしい。
本宮は北方では珍しい総檜造の壮麗な神社建築様式に則って建築されており、観光名所としても有名である。
王犬社は緩やかに隆起する新メッケ岳丘陵地帯に抱かれるようにみえる。地元住民は、
この丘陵をさして、よく王犬社の裏山などというが、実はこの裏山は王犬社の一部で聖域なのだそうだ。
丘陵それ自体、王犬社と切り離せるものではなく、二つ併せて神聖で貴いのだと。

○ほねコロ街道とコロの里

ほねっこ城市へと続く唯一の街道沿いの里は、旧藩のころから妙に犬が多い事でも有名だ。
諸説あるが、その昔、街道を歩く旅人相手に商売していた茶屋に、この里と同じコロという名の賢い看板犬がおり、
そのお陰で茶屋は商売が繁盛したため、それにあやかって今でも犬を飼う家が多いとか。
それに習ってか、南のコロの里工業団地では、各工場で王犬ならぬ工場犬が飼われている。

このコロに関しては、その賢さを讃える様々な逸話が残されている。
その一つに、冬のさなか、病に倒れた飼い主を救った、というものがある。
その話によると、コロは病に倒れた飼い主の助けるため、吹雪の中、街道を駆け上がり、
森を突き抜け、ほねっこ城市の医者の元に薬を受け取り向かい、そして矢のような疾さで、
飼い主の元に特効薬を届けたのだという。
この国唯一の街道が、『ほねっこ街道』ではなく、『ほねコロ街道』なのは、このコロの忠勇を讃えてなのだと
コロの里の住人は言うが、それはさすがに贔屓の引き倒しというものだろう。

飼い犬が多いという事に関しては、もっと物騒な説もある。
街道沿いにあるこの里は敵の侵攻に一番早く晒される事になる。
故に平時より犬を飼い、変事のあった時は伝令犬として、ほねっこ城にいち早く情報を伝えたとか。
今でもこの話を真に受け、コロの里では軍用犬を育成しているのだという噂が絶えない。
かつてはその噂は笑って否定されていたが、コロの里でアイドレスが作成されたり、
ほねコロ街道が国防の要となった今では、笑い事ではなくなったという意見が多い。

○海里、工業地帯

開けた南部には小麦畑をはじめとする農作地が広がっている。
新メッケ岳から流れ出る清流は畑を潤しながら、顎湾(あぎとわん)に流れ込むが、
そこで旅人は必ず、河の傍に佇む時計塔を目にする事になる。
初夏から秋にかけて、兎角日の長いこの国では、この時計塔の鐘の音が、
農作地で働く人々の作業時間の目安になっている。
また、内部の機構を利用して、河の水を水路へ汲み上げる役目も担っているのだそうだ。
この時計塔は通称を『働き者の塔』と言う。
正に名は体を表すといったところだが、一つそれに関して面白い話がある。
この『働き者の塔』は、その時々で呼び名が変わるというのだ。
具体的には、その時藩国一の働き者だと皆が認める人物の名を関して呼ばれるそうだ。
当代の働き者は、財務尚書として帝國に出向した事もある『無量小路』とのこと。故に、
今この時計塔は『無量小路の塔』と呼び習わされている。

やがて潮風薫るコロの里工業団地へといたる。
かつては、昔ながらの農家の佇まいや、或いは農作業に使う道具を納めた納屋の連なる
牧歌的な風景が暫く続く場所であった。
その風景だけは往時を保ちつつも、現在この地域は改造アイドレス「香車リバー」の生産地となっている。
個々の工場はシンボルとしての工場犬を庭先で飼いながら、最新鋭の国防兵器を
オートメーション・ラインを稼動させて作成している。
海岸沿いには各種の実験場や、物資輸送の埠頭が配置され、
顎湾はかつての七つ斑飛行場並みに行き来の困難・頻繁な港となっている。

○六つ斑飛行場

パイロットたちは新たな飛行場を使い、異口同音に言ったものである。
「七ツ斑に比べれば、潮風なんてたいしたことねぇな」と、
それゆえ、斑が1つへって六つ斑と呼ばれるようになったのである。
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