江戸川区  小野 俊一


   「努力は報われない」「将来のことを考えるよりも今の生活を楽しみたい」将来に希望が持てず無気力になっていく若者が増えている。次代の社会を担うべき若者が希望を持って意欲的に人生を切り開いていくためには何が必要なのか。

 現代の社会はリスク社会と呼ばれている。大学を卒業しても良い企業に就職できるか分からない、大企業に就職できても倒産や解雇により職を失う可能性がある、結婚しても経済的に不安定になり離婚されるかもしれない。社会で生活をする限り誰にでも危険がつきまとう。さらにこれらのリスクは個人のレベルでは回避することが困難である。その結果、現在の若者の中にリスクは回避することはできない、努力して報われるかは保障されていないという運命論、無気力が生まれる。これが若者の中で希望、自分の可能性に対する信頼が失われていく原因ではないだろうか。

 社会心理学者ランドルフ・ネッセは希望とは努力が報われるという見通しがあるときに生じると述べている。ここで重要なことは報われるということがどのような状態であるかということである。高額の収入を得る、社会的地位を得る状態が報われるとしたとき、現代のリスク社会において余りにも脆い。成功したとしても常にリスクに晒され不安を振り払うことはできない。では、何を以って報われるとするのか。それは物質的、社会的成功ではなく自身の人間としての成長にあると思う。日々の地道な挑戦を重ね困難を乗り越えていく中で何にも負けない強い自分が形成されていく。日蓮大聖人は崇峻天皇御書で「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」と仰せられている。どんな時も諦めずに前進してゆく強い心それが心の財である。リスクに晒され財力や地位が無くなったとしても心の財は残る、そして新たな出発をすることができるのである。

 心の財といって精神が強くても社会の状況を変革することはできない、そう思う人は多い。そこで仏法の願兼於業の法理に注目したい。願兼於業の法理とは自分の持つ宿命はそれを乗り越えることで自分の人生を深め、さらに同じ宿命を持つ多くの人を励ますためにあると捉えることである。直面する悩み、困難を自らの使命と捉え前進してゆく希望の哲学である。また、その実践の中で必ず宿命を転換していけると日蓮仏法では説いている。

 現代まで人々は社会的地位、財力を求めて日々努力し続けてきたが、その価値観がリスク社会によって崩壊しつつある。では、それに代わる価値観は一体どこにあるのか。私は心の財を築き、宿命を転換してゆく希望の哲学、日蓮仏法であると訴えたい。
最終更新:2006年03月13日 19:00