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開目抄

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1、開目抄は、(     )年(1272年)2月、日蓮大聖人が51歳の時、(     )流罪中に執筆された御書です。門下一同に与えられた御書ですが、具体的には(     )のもとに送られました。本抄は、日蓮大聖人こそが末法の御本仏、すなわち「(  A  )」であることを明らかにされた「(  A  )開顕の書」です。



2、大聖人は、文永8年9月12日、(     )にあわれ、それに続いて流罪されました。「開目抄」の御執筆は、御生涯における最大の難の渦中のことでした。



3、流罪されてから初めの約半年間の住まいとされた(     )は、死人を葬る原の中にある一間四面の荒れ果てた狭い堂です。ここで認められた開目抄のなかで、大聖人は、二つの重要な法理について強調されます。それが、「(  A  )」と「(  B  )」です。
まず、「(  A  )」を通し、末法における正法を明確にされます。
さらに、「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」などの御文を通し、「(  B  )」の力を訴えられるのです。



4、大聖人は、本抄御執筆の動機について、「日蓮の不思議を留めておこうと思い、開目抄を構想した」と「種種御振舞御書」のなかで仰せになられています。
竜の口の法難の際に示された「(     )」の甚深の意義を留めるために、本抄を御述作されたと拝せられます。



5、池田名誉会長は「開目抄講義」で、「『開目抄』全編の主題は、『(  A  )』というこの題号に尽きている」とし、次のように述べています。
「『(  A  )』とは、文字通り『目を開く』ことです。また、『目を開け』という大聖人の呼びかけと拝することもできる」



6、本抄は、大きく「(  A  )」「(  B  )」「(  C  )」の3段に分けられます。
初めに一切衆生が尊敬すべき主師親がテーマであることを「(  A  )」し、続いて儒家・外道・内道における主師親を「(  B  )」し、最後に日蓮大聖人こそが末法の一切衆生を救う主師親であると「(  C  )」ばれています。



7、「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂(  A  )(  B  )(  C  )これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり」
「(  A  )」の徳とは、人々の生活を守る力・働きのことであり、「(  B  )」の徳とは、人々を導き、教化する力・働きのことであり、「(  C  )」の徳とは、人々を育て、慈しむ力・働きのことを指します。
 一切の衆生は、この三徳の恩恵によって生まれ、成長し、生活を営んでいます。その意味で、「(  A  )(  B  )(  C  )の三徳」こそ「一切衆生の尊敬すべき者」といえるのです。




8、日蓮大聖人は習学すべき思想・宗教として、(  A  )・(  B  )・(  C  )、すなわち儒教・道教などの中国の諸教、インドの外道つまり仏教以外の諸教、そして内道である仏教の三つを挙げられています。これらは当時、日本に伝えられていた有力な思想でした。

①Aの特徴
②Bの特徴



9、適切なものを語群から選びなさい。
①「因果を弁ざる事嬰児(=赤ん坊)のごとし」。人間に幸・不幸をもたらす因果(=原因と結果)を的確に説いていない。
②法華経以外の大乗諸教では、二乗や悪人、女性の成仏を否定している。それに対し、法華経は、一切衆生が平等に成仏できることを説いている。
③、「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」と仰せである。「一念三千の法門」が、法華経寿量品の文底にのみ秘沈されていることが示された。
語群[内外相対、大小相対、権実相対、本迹相対、種脱相対]



10、爾前経や法華経迹門での仏の立場を漢字4文字で何というか。また、法華経本門での仏の立場を漢字4文字で何というか。




11、「無始の仏界」とは「(  A  )」のことです。この本果の生命に、九界の生命も具わっているのです。「無始の九界」とは「(  B  )」のことです。無限に菩薩行を続ける生命そのものこそが、永遠の仏界の生命の具体的実践の姿なのです。
このように、法華経本門では、「永遠の仏界の生命」と「無限の菩薩行」を説いて、「仏界即九界」「九界即仏界」を明かしたのです。
こうして、(  A  )・(  B  )が明かされることにより、「真の十界互具・百界千如・一念三千」が明らかになったのです。



12、人々の苦しみの元凶は、謗法の諸宗にある。民衆を苦しめる「(     )」の悪僧の本質をただ一人、見抜かれた大聖人は、「日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり」と仰せです。

法華経や涅槃経などの経文に照らして、このことを言うべきか、言わざるべきかを思索したところ、言わなければ、後生は必ず無間地獄に堕ち、言えば、(     )が競い起こってくると述べられています。

深い思索の中、大聖人の御心に浮かび上がったのが、法華経宝塔品の「(     )」でした。およそ不可能な九つの“易しい”ことを挙げて、法華弘通の六つの“難しい”ことと対比して、仏の滅後の弘通がいかに困難であるかを教えているものです。