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大意

 法華経寿量品の文底に秘沈された「事の一念三千」こそ民衆救済の「法」であることが示された前段までを受け、ここからは、その大法を弘める「人」に焦点が移ります。
 はじめに、大聖人の出生の素性が明かされます。
 次に、過去世における大聖人御自身の六道流転の理由を述べられ、「謗法」こそ、人々の苦しみの元凶であると断じられます。さらに、御自身が末法流布に立ち上がられた時の「誓願」について述べられます。

「謗法」が人々を悪道に

 「此に日蓮案じて……深く此れをしれり」(御書200ページ2行目~9行目)
 末法に入って200余年。大聖人御自身の無始以来の生死流転の過去世を回想するという形をとりながら、成仏できずに六道の流転を繰り返す等の理由を述べられます。
 無数の生死流転の間に、法華経を信受したことがあったにもかかわらず、退転した動機は何であったか。
 ここでは、世間の悪縁や王難、外道の難、小乗経の難などではなく、権大乗経を立てて法華経への信を破らせる邪師の存在であったと指摘されます。大聖人は、こうした人々を悪道に堕とす邪師を「悪魔の身に入りたる者」(同ページ7行目)と喝破されています。
 悪に対しては、油断することなく徹して戦い、見破っていくのが、仏法の正統な教えです。
 これらの謗法の宗派の祖らが悪縁となり、万人の成仏を説く法華経の正法を信じることができない、多くの人が生まれています。正法たる法華経から遠ざける、誤った謗法の教えを信じることにより、人々が正法不信の闇に堕ちていくことを、大聖人は深く知っていると仰せなのです。

万人救済へ一人立つ!

 「日本国に此れを……これなるべし」(同ページ9行目~16行目)
 人々の苦しみの元凶は、この謗法の諸宗にある。民衆を苦しめる「悪鬼入其身」の悪僧の本質をただ一人、見抜かれた大聖人は、「日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり」(同ページ9行目)と仰せです。
 この事実を語れば、父母、兄弟、師匠のみならず、国王からも難が起こるとされます。一方、もし難を恐れて言わなければ、無慈悲の謗りを免れない。
 そこで、法華経や涅槃経などの経文に照らして、このことを言うべきか、言わざるべきかを思索したところ、言わなければ、後生は必ず無間地獄に堕ち、言えば、三障四魔が競い起こってくると述べられています。
 さらに大聖人は、「王難等・出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと且くやす(休)らいし程に」(同ページ13行目)と仰せです。
 魔の働きの激しさを知悉されていたが故に、敢然と立ち向かう行動を開始される前に、深い御思索を重ねられていたことが拝されます。
 それは、全宇宙に瀰漫する魔軍を完全に破ることの至難さに思いをめぐらせ、正義の言を発する御決意を固められゆく、真の法華経の勇者ならではの御思索と拝されます。
 その時、大聖人の御心に浮かび上がったのが、法華経宝塔品の「六難九易」でした。およそ不可能な九つの“易しい”ことを挙げて、法華弘通の六つの“難しい”ことと対比して、仏の滅後の弘通がいかに困難であるかを教えているものです。
 ここでは、その「九易」のうちの、須弥山を他方の無数の仏土に投げ置くことや、枯れ草を背負って、大火の中に入っても焼けないことなどを例として挙げられ、いかなる苦難も越えて、滅後の弘通に邁進することが仏の心にかなった正しいことであると示されています。
 大聖人は、「我等程の小力の者……無通の者……無智の者」(同ページ14行目)と述べられ、凡夫であることを強調されています。
 ここには、だれ人であれ、確固とした誓いをもって、仏とともに進めば、どんな大難も乗り越えることができるとの無限の希望のメッセージが込められていると拝せます。
 たとえ力のない凡夫であっても、悪世において、「誓願」をもって信を貫けば、自身の生命の奥底から、無限の仏界の力が涌現し、洋々たる人生が開かれていくのです。

成仏を求めて戦い続ける

 「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(同ページ16行目)
 何があっても、成仏を求めていく心を持ち続け、決して退転しない、との御誓願です。
 「断じて、万人を救おう!」との大聖人の烈々たる気迫が伝わってきます。
 そして、大聖人は、この誓願のままに、断固たる民衆救済の行動を貫かれ、予見した通りの嵐のような大弾圧を受けながら、万人の幸福のために、戦い続けられたのです。

池田名誉会長の開目抄講義から

全民衆を幸福へ――「誓願」は「変革の原理」
 仏教において「誓願」は、宿業の鉄鎖を切り、過去に縛られた自分を解放して、新しい未来に向かう自分をつくる力といえます。仏の教えで自分を磨きつつ、確立した心によって、未来の自分を方向付け、それを実現していく努力を持続していけるのが「誓願の力」です。
 誓願とは、いわば「変革の原理」です。それは、自分自身の変革はもちろんのこと、薬草喩品の仏の誓願に見られるように、全民衆を変革していくための原理であると言えます。
      ◇
 末法における万人成仏という誓願を成就するにあたって、大聖人が強調されたのは「信の力」です。
 いわば、妙法の当体としての人間の無限の可能性を信ずることが、法華経の真髄です。それは妙法への深い「信」であるとともに、人間への透徹した「信頼」でもあると言えます。
      ◇
 大聖人の生涯の壮絶な闘争を支えた原動力は、ひとえに誓願の力であったと拝することができる。誓願を貫くことによって仏の心と一体化し、生命の奥底から仏界の無限の力を湧現することができることを示し、教えてくださったのである。
 濁世にあって、人間不信を助長させる魔の策謀を打ち破ることができるのは、万人救済を誓う「誓願」の力以外にありません。