第14帝國の過去を懐かしむwiki

12/03ニュー速の元帥のコメント


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

2005年12月3日

「第14帝國」には、幻の最終回というものが…
…と言っても、私が心の中でそう呼んでいるだけですが、
まあ、勝手にそう呼んでいる作品が三篇あります。


ひとつめは

「ライヒス・リッターVol.15」~忍者でござる~

楠本柊生帝國元帥が雪山にて命を落とすという、
非常にわかりやすい最終回ですが、
後日何度かネタにしたとおり執筆中に続行することが決定いたしました。
まあ、一度死んでみるのも一興だし、次回作で生き返らせればいいかなあと。
作品中元帥に語らせた、式典への想い、世界への想い、存在の概念は、
CUTせずにそのまま描かせていただきました。


ふたつめは

「ライヒス・リッターVol.23」~元帥の中日×巨人戦~

これは意外に感じられるかもしれませんが、
「30歳定年制」を掲げていた当時、20代最後の作品でしたので、
当初は最終回として、まったく違った結末を用意していました。
長い洞窟を抜けた先が古代遺跡で、
スポーツ新聞や、グリコのマークや、ガンダムのプラモを発見したシーンに
名残がありますが、
第14帝國は現代日本の未来の姿というものです。
プラモを元に造りだされた、くすもとくん1号を始めとするロボットたちが、
時を越え現代日本に現れ、国を創り、歴史を創っていくというものです。
しかし、これも執筆中に30代以降も続行することが決まり、
大幅な変更を加え、描かせていただきました。


みっつめは

「ライヒス・リッターSTAGE」~あの衝撃をもう一度~

今更ながら再演っぽい副題だったなあと反省していますが、
本題の「STAGE」の部分は、本来「FAINAL」になるはずでした。
「Vol.23」を最終回のつもりで書いていた時、
ロボットたちを日本に送るべきか、それとも、あまざきくん666号を加えて、
4体を第14帝國の初期に送るべきかを非常に悩みました。
帝國史上、立花・定光寺・天崎の3人は、革命までに死亡している筈であるのに、
何故、現在生きているのか?その疑問に終止符を打ちたかったからです。
それぞれの死去により、それぞれがロボットと入れ替わり、
唯一存在している元帥と、元帥そっくりのロボットの一騎打ちで、
いずれが残るのか…。
その当時果たせなかった構想を、広域暴力団体「柊生会」に置き換えて、
余すことなく描かせていただきました。心の中では最も最終回らしい最終回です。
故に、最終回を留意されたときも、「Vol.26」とはせず、
「STAGE」とさせていただきました。


そして…


今まで一度も触れたことはありませんが、幻創論には致命的な弱点があります。
世界の認識も、空間の概念も、時の流れも、多々強引な理論で押し切る幻創論ですが、
唯一、幻創論を用いることで描くことが不可能になる事柄があるのです。
作品中でもその事柄は故意に幻創論を無視して描くことにしていました。
それは、「自分の死」も「他人の死」も存在してはいないということです。
しかしながら、幻創論に正体というものがあれば、それを正確に描くことも可能です。
話は、退役したリッターの死から始まります。
死んでも消えることのない自分、死んでも消えることのない人々、
死んでも消えることのない世界を、大きな笑いで包んで描きます。
そして世界を超えた世界が現れたとき、
「終わらない物語」は「終わりようがない物語」であることに気づき、
「幻創論」は書物でも理論でもない、あるとんでもない物であることを知るのです。
その後の世界が抱腹絶倒なのですが…、まあ、この辺りにしておきましょう。



そしてこれは、本当に幻の最終回となりました。



ここまで最終回のことを書いておいて言うのもなんですが、
私は最終回というものが嫌いです。

私の描く世界は、閉じられつつも永遠の広がりを見せ続ける
「終わらない世界」ですから。

しかし、「閉じられた世界」の存在に安心して努力を怠ったり、
ただ維持することだけを目的に掲げるような「広がらない世界」は、
私が描こうとした「終わらない世界」とは大きくかけ離れたものです。


大きな変革をもって「第14帝國」を理想とする世界に近づけるか?
最終回をもって「第14帝國」というひとつの世界に終止符を打つか?
共に帝國の始まりを築いた、立花・定光寺・天崎と話し合いを重ねた結果、
そのいずれでもない道が、
四者にとって最も良い選択であるという結論に達しました。

私の理想とする世界は、今後私が描く「世界」をもって
示させていただきたいと思っております。



私の「第14帝國」はこれで終わりです。




もしもおまへがそれらの音の特性や

立派な無数の順列を

はっきり知って自由にいつでも使へるならば

おまへは辛くてそしてかヾやく天の仕事もするだらう


けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで

おまへの素質と力をもってゐるものは

町と村との一万人の中になら

おそらく五人はあるだらう


それらのひとのどの人もまたどのひとも

五年のあひだにそれを大抵無くすのだ

生活のためにけづられたり

自分でそれをなくすのだ


すべての才や力や材といふものは

ひとにとゞまるものでない

ひとさへひとにとゞまらぬ


恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう

そのあとでおまへのいまのちからがにぶり

きれいな音の正しい調子とその明るさを失って

ふたたび回復できないならば


おれはおまへをもう見ない


なぜならおれは

すこしぐらゐの仕事ができて

そいつに腰をかけてるやうな


そんな多数をいちばんいやにおもふのだ


おまへに無数の影と光の像があらはれる

おまへはそれを音にするのだ


みんなが町で暮したり

一日あそんでゐるときに

おまへはひとりであの石原の草を刈る

そのさびしさでおまへは音をつくるのだ


多くの侮辱や窮乏の

それらを噛んで歌ふのだ


ちからのかぎり

そらいっぱいの

光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ


―宮沢賢治「告別」―


「世界」を創る存在を神と呼ぶならば

人は誰しも神と呼ばれるに値する

私は「世界」創り続ける


それでは、また、ここではないどこかで。


「帝都第1放送」内「ニュース速報」
ttp://gensui.sakura.ne.jp/cgi-bin/news/news.cgi
より転載