袖すり合うも多生の縁
そですりあうもたしょうのえん
振り合う、触り合うとも。袖が軽く触れ合う程度の関係を指す。
これだけ多くいる人々の中で、すれ違う程度の出会いであっても、何度も生まれ変わった上での出会いなのだから大切にしよう、ということわざ。
現在、過去、未来の人々はどれくらいの数になるのか見当も付かないが、その中での出会いなのだから大切にしたいものだ。
これだけ多くいる人々の中で、すれ違う程度の出会いであっても、何度も生まれ変わった上での出会いなのだから大切にしよう、ということわざ。
現在、過去、未来の人々はどれくらいの数になるのか見当も付かないが、その中での出会いなのだから大切にしたいものだ。
多生は仏教用語で、何度も生まれ変わるという輪廻転生(りんねてんしょう)を意味する。他生、と書いて、前世、来世を意味する事もある。
多少の縁とするのは誤り。出会いを多少、などと言っていては、相手に袖にされかねない。
多少の縁とするのは誤り。出会いを多少、などと言っていては、相手に袖にされかねない。
柳生流剣術に「一殺多生之剣」があるが、これは一人の悪を殺したとしても、その他の多くの人々を助ける、生かす剣として、「活人剣」と呼び、仏教用語とは異なる。ちなみに、意味無く人を殺すのは「殺人刀」と呼ぶ。
「募金をするのもされるのも、――だ」
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