神戸の酒鬼薔薇事件が起きたのが1997年。本書の元になった新聞連載が開始されたのが1998年。あの頃、巷では「14歳」がキーワードだった。本書は、14歳の中学二年の男子生徒を主人公にした物語である。
本の背表紙にある概要を抜粋してみる。
ぼくの名前はエイジ。東京郊外・桜ヶ丘ニュータウンにある中学の二年生。その夏、町には連続通り魔事件が発生して、犯行は次第にエスカレートし、ついに捕まった犯人は、同級生だった――。その日から、何かがわからなくなった。ぼくもいつか「キレて」しまうんだろうか?……(後略)
うん、そう。他にもいろいろイベントはあるのだけれど、この概要に付け加えることがあまりない。同級生が通り魔で、世間でいう「14歳」として取りざたされる。そうした状況に置かれた中学生と周囲の大人の様子を主人公の視点で書いた作品だ。
なにせ小説の視点が中学生の一人称だから、全篇に渡って非常に平易な言葉で丁寧に書かれている。親に苛立ったり、友達や先生との間で感じたりする気持ちや、自分がもし人を後ろから殴ったり刺したりすることになったら、という妄想。作者はきっと自分が中学生だったころの気持ちをよく覚えているんだろうと思う。ただし、わかりやすすぎて、実際の中学生ってもっと整理されてないよな、とか言葉がもっと足りてないよななどの印象があった。要するに「中学生日記」みたいだなと思ってしまったのだが、でもまあ、それはしようがないのかな。前回の感想文で書いた『蹴りたい背中』だと、やっぱり整理されてはいるのだが、もっと気持ちの生生しいところがあったように思う。『蹴りたい背中』の場合は主人公が高校一年生の女子ということもあるし、作者の年齢が近いということもあるだろうから、あまり比較にはならないのだが。
さて、この小説にはいろんな中学生キャラが出てくるのだが、当然のように秀才キャラもいる。彼はタモツくんといって、同級生が逮捕された後、新たに現れた別の通り魔についてみんなが不安になっているときに、得意げに犯人像のプロファイリングを披露したあげく「あのさ、なんでみんな人間の悪意を認めないわけ?(中略)通りすがりの人に優しくされることもあるし、ひどい目にあわされることもある。それがあたりまえの理屈なのにみんな知らん顔をしているだけなんだよ」なんて言い放ってしまういつもクールな少年(しかも運動もできて、誰からも一目おかれている)なのだが、彼は塾に向かう電車の中でメロンパンを「童話の挿し絵でよくあるチーズをかじるネズミみたいに」むさぼり食っているところを、エイジに偶然見られてしまう。このときのあわてよう、頬についた砂糖の粒、そして「メロンパン、好きなの」とエイジに聞かれてむきになって顔を赤くしながらの「そんなんじゃないよ、砂糖はさ、すぐにブドウ糖に変わるからエネルギー効率がいいんだ」という言いわけは、なかなかに萌えた。男の子のツンデレもなかなかいいもんだね(ツンだけど別にデレとちがうか)。
タモツくんの萌え場面は、小説のかなり終盤で、それからほどなくして読み終わったのだが、どうにもメロンパンが食べたくなって、買いに行き家で食べ、しばらく休憩してブドウ糖に変わったのを見計らってから、この感想文を書きはじめた。
次は「ジ」で、和泉さんに回します。