「月は東に日は西に」(わかつきめぐみ)でも取りあげて楽をしようかと最初は考えた。単純に「はにはに」なるエロゲはどこまでこの名作を意識していたのだろうか、とか小ネタもあるし、何より氏の漫画が好きだからだ。
だがしかし、せっかく「つ」でまわってきた訳だし、こんな機会でもないと再読する機会がないだろう、というわけで「罪と罰」と相成った。棚には1987年、第67刷という恐ろしく昔の岩波文庫版(翻訳者は中村白葉だ!)があったのでそれを素直に再読したのだが、価格は上中下で250,300,300円だわ、ドストエーフスキー表記だわ、「パス」という単語にかっこがきで注釈(しかもトランプではなくカルタを例に出していた)がついていたりと、まあ何だ、高々20年前の翻訳ものってこんなんだったんだなあ、と内容とは関係の無いところでも色々感慨があった。単純に当時中学生だった私が「何だろうなこれ」と思いつつ読んだ記憶がぼちぼちと蘇りつつ読んだ訳です。
するとまあ、ぜんっぜん覚えていない訳ですな。なにせエンディングからして忘れていたし、その終わり方には心底驚いた。単なるラスコリーニコフの話が延々と続く内容だったかと思っていたら、各登場人物それぞれにきちんと話があって、彼一人の話ではない。いや、この企画のおかげで読み返せたのは良かった。
ただ、これを今読むのを人に勧めるか、っていうとまた別の思いがあって、当時のロシヤの世情だったりをある程度は知らないとやっぱり「良く分からない海外文学」「それも古典」「さらに純文学」でしかない。今新規に書かれている新作を読んだ方が面白いし、下手をすると本を読んで物思いにふけるとか議論する、とかそういう目的だとしても今更「罪と罰」でもないよなあ、という気がしてしまったのは確か。
彼(ラスコリーニコフ)の罪とは何か(いやさ、私の持ってる文庫だと表紙に露骨に書いてあるけどさ)、罰とは何か。彼だけではなく、その回りにも様々な罪だの罰だのがあって。その当たりの描写が淡々と(うん、淡々と)描かれているその筆致は確かに今でも残る作品として理解は出来るのだけれど……どうにも歯がゆい作品とも言うことも否めない。
今「解題」なる前書きを読み返したら、実はエンディングまで示唆してあってさらに驚愕。く、こういう場所の感想ですらいかに内容を書かずに感想を書こうとしているか考慮しているという身にとってはちょっとアレな気分だ。
「大地」(パール・バック)とかそーゆー本のほうが面白いと個人的には思うんで、古典を読むにしても無理には勧めないなあ、というのが今読んだ改めての感想かな。何だか中途半端にストーリーがある感じで、中途半端な気がしました。単純に「ブンガク」を求めるならもっと極端な方がいいかな。
何となくお茶を濁したようなまとめかたになってしまったけれど、ifさん、もういっかい「つ」でお願いする次第でつ。