「ヴィックター! お手紙とってきたよー!」
 パン屋リーベルタース――二階居住区・居間。
 昨晩の大雨が嘘のような快晴に、クリスのはつらつとした声が元気に弾んだ。
「おう。ごくろうさん」
「これがパン屋リーベルタース宛でー、こっちが傭兵リーベルタース宛でー、これがウィルトスさん個人のでー……」
「なんでクリス君がさも当然のようにうちの手紙をとってくるわけ……?」
「で、これがクロル宛」
 ぴん、とクリスがクロル宛の手紙だけを乱暴にテーブルにほうる。
 この餓鬼――と思わず頬を引きつらせたクロルをまぁまぁとなだめながら、ウィルトスはテーブルに並べられた手紙の傭兵宛と自分宛の手紙を回収した。
「ぼくはヴィクターに言われて取ってきただけだもーん。ね。ヴィクター。褒めて褒めて」
「よしよし、偉いぞクリス。あとでオヤツやるからな」
「わーい! ヴィクター愛してる!」
 犬が。
 吐き捨てようとして、あまりの大人気なさに気付いて我慢する。
 クロルが鉄の忍耐力で黙って手紙を引き寄せると、ウィルトスが大人ですね、と褒めてくれたが、クリスと比べられたようで全く嬉しくない。
 憮然としながら三通の手紙の差出人を確認し、クロルはおや、と手を止めた。
「……よく届いたな。住所変わったの教えてないのに」
 呟いて、ばりばりと封筒を破る。
「ご家族からですか?」
「えぇまぁ」
「なに、おまえ家族いたのか!」
「あたりまえだろ。黙ってろ馬鹿」
「ちょっと! なんでヴィクターが馬鹿になるんだよ! ひどいよクロル!」
「うるさい犬。吼えるな」
 冴え渡る毒舌で少々頭の中身の乏しい二人を石化させ、クロルはたった一枚きりしかはいっていなかった便箋を開いて文面に目を落とした。
「いまどき珍しい……つけペンで書いてますね」
「母がそういうの、好きな人なんです。僕も昔は羽ペン使ってました」
「羽ペンですか。生産してるところも少ないでしょうに……」
「近所に製造工場――っていうか、工房があるんです。母がそこの人と知り合いで」
 知り合い、という言葉に、言った自分が苦笑いした。
 ウィルトスが不思議そうに首を傾げるが、構わずに手紙を読み進める。
 当たり障りのない挨拶から始まって、元気かどうかとか、こちらは元気だとか、いつまでもだらだらと本題に入らない、まだるっこしい文が続く。
 いわゆる、返事に困る部類の文章だ。
 最後までこの調子で続くのかと不安になった矢先に、不意に文章が消失した。いくつもの空行を飛ばし、最後の一行にたどり着く。

 お父様が倒れました。

 そして、手紙が終った。
「――クロル。どうした?」
「え?」
「顔色、真っ青ですよ」
「あ――いや……」
 呟いて、もう一度手紙に視線を落とす。
 気の弱い弟からの手紙だ。伝えるべきか、黙っているべきか、悩みぬいてこの手紙を送ってきたのだろう。ただでさえ下手な字が、緊張のためかさらに震えて歪んでいる。
「……お父様が」
 そこで一旦、クロルは言葉を切った。
「倒れた……」
 一瞬の沈黙。
 真っ先に動いたのはヴィクターだった。
「おっさん! 常連客と配達先に臨時休業の連絡だ! クロル! すぐに部屋に行って最小限の荷物を纏めてこい!」
「そ、そ、そうだよ! 大変じゃん! 早くお父さんのとこ行かないと!」
「クロルさん。実家の住所を教えてください。最短ルートを割り出します」
「いいよ」
 静かに、だがはっきりと呟いて、クロルは手紙を折りたたんで封筒に戻した。
 クロル以外全員が立ち上がり、行動を起こそうとしていた状態のままどういうことかとクロルを見る。
「帰らなくていいんだ。だから、何もしないでいい」
「だっておまえ――親父さんが倒れたんだろうが!」
「うん」
「そのまま死んじまうかもしれねぇんだぞ!」
「かもね」
「だったら――!」
「両親は、僕に帰ってきて欲しくないってさ」
 笑って、クロルは手紙をテーブルに放り出した。
 ずっと分かっていた事だ。だが、これではっきりと確定した。
「この手紙ね、弟からなんだ。ありきたりな挨拶文でだらだらと引っ張って引っ張って、最後の一行でようやく、勇気を出したみたいにお父様が倒れたって書いてある。真っ先に伝えたい事を、一番最後に、恐る恐る書く理由がわかるかい? 弟は、帰ってきてって書くこともできなかったんだ。その意味がわからないほど、僕は能天気にできてない」
「俺にはわかんねぇよ!」
「――ご両親と、なにかあったんですか?」
 ウィルトスは頭がいい。
 クロルは苦笑いを浮かべて頷いた。
「家に大恥をかかせて出てきたんです。両親は――とりわけ父は、きっと僕を憎んでる」
「そんなはずあるか! 実の父親だろうがよ!」
「そうだよ! 家族なのに、恨んだりするはずないじゃないか!」
「するんだよ。僕の故郷では」
「土地柄の問題じゃねぇだろう!」
「僕の故郷にも、そういう風習はあたりまえのようにありますねぇ」
 困ったようにウィルトスが笑う。
 ヴィクターは一瞬口を開き、しかし結局何も言えずに乱暴にソファに腰を下ろした。
 元は対人屋だった男だ。家族間の恨みや殺人を、知らないわけではないだろう。
 恐らく、間近で見てきたからこそ信じたくないのかもしれない。自分の身近な存在が、そういう家族関係を築いているなどと、ヴィクターは思いたくないのだ。
「……それでも、弟は会いたがってるんだろうがよ」
「うんまぁ……たぶんね」
「だったら、会いに行ってやるべきじゃねぇのかよ……!」
「そうだよ! お父さんと喧嘩してたってさ、仲直り出来るよ! だって家族だもん!」
「仲直りって――」
 ぎこちなく唇を歪めて、クロルは鼻先でせせら笑った。
「いいなりになるってこと?」
 ぽかん、と、クリスとヴィクターがクロルを見る。
 クロルは立ち上がった。
「やめよう、こんな話。気分悪くなるだけだよ。僕には家族なんかいませんでした。それでいいじゃないか」
 場にそぐわない不自然に明るい笑顔で無理やり会話を終らせて、クロルは居間を後にした。

 ――溜息が出る。
 自室のベッドに倒れこみ、クロルは枕の下に頭を突っ込んだ。
 決別したつもりでいた。家を飛び出して軍に入って、その軍も辞めてしまった今となっては、もう一生家族と接する事はないだろうと思っていた。家族がいたことすら忘れかけていた。
 家を出ると言った時、行かないでと言って弟が大泣きしたのを覚えている。
 手紙を書くと、離れていてもずっと一緒だと必死になだめて出てきたのに、その手紙もこちらから一方的に打ち切った形になった。
 恨まれているだろう、と思っていた弟からの、縋るようなあの手紙――。
 行ってどうなる。ただ、父を苛立たせて病状を悪化させるだけではないか。周りの人間だって、きっと嫌な思いをする。弟も、それが分かっているからこそあんな書き方をしたのだ。
「あー……」
 仰向けに寝転がり、顔の上に枕を置いたまま溜息とも呻き声とも吐かない奇妙な音を上げ、クロルはばたばたと手足を振り回した。
 そしてそのまま、枕を抱いて昼寝を決め込んだ。

 ねえさま、ねえさまだめだよ! 木登りなんて、あぶないよ!
 待ってねえさま、おいてかないで、おいてかないで!
 怒ってるの? ねぇさま。おこらないで、ねぇ、ぼくいい子にするよ。
 ご本を読んで? ねぇさまが読んでくれると、すごく面白くかんじるんだ。
 ずっと一緒にいるよね。ずっと一緒にいてね? ぼく、ねえさまがいないと――。

「クロル!」
「おぐぇ!」
 胃の内容物が逆流しそうな衝撃が腹部を遅い、クロルは唐突に夢を打ち切られて腹を抑えて悶絶した。
 その拍子に、どさりと何かがベッドから転げ落ちる。しかしそちらには目もくれず、クロルは腹を押さえたまま声の主を睨み付けた。
「なにすんだよいきなり! 人が折角いい気分で昼寝してたのに!」
「なにが昼寝だ。もう夕方だぞ」
 呆れた様子のヴィクターが、窓に顎をしゃくってみせる。
 見るとなる程、窓の外が見事に赤い。
「おっさんが表で待ってる。それに適当なもん詰めて降りて来い。長期戦になるかもしれねぇ」
「なにそれ――傭兵の仕事?」
 鈍く痛む腹をさすりながら、ベッドをはいおりて床に転げ落ちていたバッグを引き寄せる。中を開くと、クロルの装備が一式理路整然と入っていた。
「そんなに急ぎの依頼なの? 目的地は?」
「おっさんに聞け。下で待ってるぞ」
 言って、ヴィクターがさっさと背を向ける。
 クロルはぶつぶつと文句を言いながらも、寝ぼけた頭でバッグにぎゅうぎゅうとその辺りにあるものを適当に詰め込んだ。
 傭兵業をはじめてから、こんな風に突然店を飛び出して行くはめになることが多くなった。いつも店を利用してくれる人達は残念がりながらも快く送り出してくれるし、いい加減になれもしたが、それでも溜息は禁じえなかった。
 やれやれと、荷物を担いでだらだらと一階に下りる。
 見ると、ジープではなく物々しい四駆が低く唸りながらクロルを待っていた。

「それで? どこでどんな仕事なんですか?」
 車の後部座席に乗り込んでながながと寝そべり、クロルはなぜか持ってきていた枕に頭を置いてウィルトスに問いかけた。
 車は既に町を出て、何も無い道を真っ直ぐに走っていく。
 ウィルトスがヴィクターを促し、ヴィクターが紙の束をクロルに手渡した。
「ここ最近、ある地域で次々に人が倒れるというちょっとした騒ぎが起こりました。伝染病の類かと自治体が調査を進めたところ、どうも病原菌が原因ではない。有害物質の調査もされましたが土地は豊かでいたって正常。気候の急激な変化もありません」
「はぁ……じゃあ、倒れた原因はなんだったんですか?」
「過労です」
 クロルは目を瞬いた。
「過労……ですか?」
「倒れた人達には年齢、性別、職種等の共通点はなく、唯一の共通点は住んでいる地域のみ。こういう場合予想される状況は一つです」
「――寄生ですか?」
「そう考えるのが妥当でしょう。幸い、被害が及んでいるのはごく小さな田舎町二つです。ですが、赤ん坊が過労で死にました。宿主を殺す寄生生物は、宿主を移動することがほとんどです。早急に対処しないと、町の人々が一人残らずとり殺されかねません」
「それって――もう傭兵の仕事の範疇こえてるじゃないですか! 軍がなんとかすべきでしょう!」
「そうですね。軍に連絡が行きさえすれば、普通は軍が動くでしょう。ですが、自治体のトップは事態を大げさにしたくない。というより、状況をよく理解できていない」
「突貫部隊でもあっただろ。軍の立ち入りを嫌がる市長やら町長」
「それで、傭兵に依頼を出したんですか?」
「そうですねぇ……まぁ、結果的には、そういう形になりますねぇ」
 含みのある言い方である。
 呆れ混じりにぱらぱらと書類をめくり、ふと、クロルは見慣れた写真に目を留めた。
 この、やたらと古びた時計塔は――。
「――事件が発生した町は、ここウェンティース地方の東四百km地点にあるブルーバー地方のはずれ、ネブロサス――クロルさんの故郷です」
 謀られた――と気付いた瞬間、クロルは車のドアに飛びついた。しかし当然といおうかヴィクターにやすやすと捕らえられ、乱暴に引き戻される。
「嫌だ! いやだいやだいやだ! 帰らないって言ったじゃないか! 僕は帰らない! かーえーらーなーいー!」
「仕事だクロル! 諦めろ!」
「そんなのおかしいじゃないか! できすぎてるだろどう考えたって! ウィルトスが無理やり依頼取り付けたに決まってる!」
「経緯はどうあれ仕事は仕事だ!」
「いやぁだぁあぁ! お家にかえるぅううぅ!」
「もちろんです。すぐにお家に着きますからね」
「実家はいやぁああぁ!」
 こんなことになるのなら、大人しく一人で帰郷すればよかった。だが後悔してももう遅い。
 ヴィクターががっちりと拘束され、身動きの取れない状態で、クロルは半泣きになりながら絶叫した。

|新しいページ|検索|ページ一覧|RSS|@ウィキご利用ガイド | 管理者にお問合せ
|ログイン|