ここのページは,管理人による流体力学の覚書やエッセイなどを書き留めておく場所です.

0.「くもゆきみずながるのこころ」事始め


自然科学の分野で,とりわけ今現在私が興味を持っているのが「流体力学」だ.学生時代は,電磁気学を主に熱心に学んでいた(つもりだった)が,今になって考えてみると,数式に踊らされていたところがあったんだと思う.電磁気学の基本方程式であるマクスウェル方程式の簡潔さに憧れ,最初にベクトル解析を学んだ.単純に,マクスウェル方程式に現れるdiv,rotの意味が知りたかったんだと思う.そして,物理数学にかなりのめり込んだ.しかし,もっと良く振り返ってみると,完全に数式に踊らされていたわけもなかったのは事実である.というのも,私は,「空が何故青いのか」という素朴な疑問を理論的に知りたかったのだ.そういう素朴な疑問を持つことはとても大事なことだと思っていたし,今でも,そしてこれからも思っていたい.

学生時代を終え今になって,素朴な疑問を沢山持つようになれた.とりわけ自然に対して.私個人のなかでは,空の青い厳密な理由をまだ納得しきれていないところがある.電磁気学を学ぶ理由は,その疑問だけからかと問われれば「それだけです」と答えてしまうだろう.しかし,今の興味の対象である「流体力学」は違う.極々ありふれた日常に,流体のなす現象がちりばめられているからだ.私は学生の頃に使っていた物理数学の本を取り出し,ベクトル解析を復習した.幸いにも,流体力学でもdiv,rotが大いに登場するのである.だが,数学的な問題はさておき,「流体のなす現象」は私の心をときめかせてくれる.

事始めとして,流体力学についての数学的議論から,現象の物理的考察,あるいはフランクにエッセイなどを交えてこのコーナーを潤せていこうと決意するものである.


1.桜吹雪


2014年の春もそろそろ中ごろを迎えようとしている.私,望月快の住む北海道道南は,つい最近まで桜が満開であった.自転車で街中を駆けていたら,桜吹雪を身に受けた.まことに風流である.さて,ここで一つの素朴な疑問が想起される.

「桜の花びらは,どのようにして運ばれているのか?」と.

1-1.ラグランジュ記述とオイラー記述


空間にある流れをどのようにして表すかは,流体力学の最初の課題である.流れの様子をどのように見るかは,二つの表現方法がある.ラグランジュ記述とオイラー記述と呼ばれるものである.ざっくりと言ってしまえば,
ラグランジュ記述は,流れの中にある一点を追い,その運動を視て流れの様子を知る方法.
オイラー記述は,流れの中にある空間を固定して,そのなかの運動を視て流れの様子を知る方法
だ.

流れは刻一刻と変化していて,実に多様である.だから,一つ一つの点をいちいち追うラグランジュ記述の方法は,宇宙物理学のある領域を除けばあまり一般的ではないと思われる.オイラー記述のなかで,運動を視る為に固定された空間を「場」という.場のなかでは,様々な量が変化したりしなかったりする.

桜の花びら一枚の運動の様子を視るのがラグランジュ記述で,一つの流れの中にある空間(「場」だ)の中で桜の花びらたちの運動を視るのがオイラー記述であると例を挙げて言えば,お分かり頂けるだろうか.

次は,「流線」について述べたい.


1-2.「流れ」を視る方法


流れを表す方法は,前項で書いた通りの二通りある.ラグランジュ記述とオイラー記述は,流体の運動を数学的にどう表現するか,その方法である.二つの記述では,ある量の時間微分と空間微分を演算する項がある.ラグランジュ記述での微分を実質微分と呼ぶ.
ここで,高校数学の悪夢を思い出された方がいるのではないだろうか.「微分」というだけで忌避感が湧いてくるかもしれない.しかし,多くの科学史の本がそう書いているように,微分と積分は,ニュートンが力学の理論を作るのに発見した新しい数学論である.故に,物理と微積分は切っても切り離せない関係にあるのだ.…そうは言っても,数学にトラウマがある人でも自然の振る舞いをどううまく説明するのかが自然科学者の使命であろう.

では,もっと簡単に,流れの様子を具体的に,直感的に捉える方法はないだろうか.数式ではなく誰もが見てパッと分かる方法が…?

ここで,前例として出した桜の花びらについて思い出して欲しい.
ラグランジュ記述で話を進めるとする.ある一枚の花びらを黒く染めてみよう.この花びらは他の花びらとは色が違うから目立っている.この黒に染まった一枚の花びらの運動をずっと追ってみると,一つの「線」が出来上がる.
例えば穏やかな風が吹いている時,一秒ずつ写真を撮ってみると,黒い花びらによる黒い「点」の集まりができるわけである.この一秒をもっと短い秒数にして撮ってみると,段々と数の多い点の集まりができて,やがては「線」になることがお分かり頂けるだろうか.その線によって,流体の流れの様子を視るというのも一つの方法なのである.
この,流れに沿った粒子の軌跡を追って視た線を,「流跡線」という.

次に,この流跡線をオイラー記述で視てみよう.オイラー記述とは,「流れの中にある空間を固定して,そのなかの運動を視て流れの様子を知る方法」であった.
今,とある空間の中に沢山の花びらたちが入っていて,穏やかな風が吹いている.各花びらたちはそれぞれに流跡線を持っている.ある瞬間における花びらたちは,それぞれ独自の速度を持っている.実は,流跡線を持っていることと独自の速度を持っていることは同じ意味である.今の例でいうと,空間のある場所の花びらたちの速度ベクトルを集めた線の集まりこそが「流線」というのである.数学的に言うと,流跡線の接線群は流線に他ならない.

もし混乱を起こしてしまったのなら,申し訳ない.流線とは,直感的に分かり易く言えば,流跡線の集まりのようなものである.実際に流れがどうなっているのか視る時に,その流れの中に粉をまいて動きを見るようなものだ.


2.古代の琴


今回は,ベクトル微分演算子「∇」について語ろうかと思う.

「∇」の読み方は「ナブラ」である.最近だと,よくネット上あるいは携帯・スマホのメールでの顔文字として使われていることが多いと思う.「ナブラ」の名付けの由来は,古代アッシリアの竪琴だという.名付けたのは,電磁気学では有名なあのマクスウェルの,親友の助手であるということは驚きである.日本ではそのままナブラやデルタと呼んだりするが,海外では専らデルと呼ばれているようである.

さて,このナブラ.「演算子」というからには,ナブラの後には何かがつく.それは方向を持たず大きさだけを持つ量(スカラーと呼ぶ)であったり,方向と大きさを持つ量(ベクトルと呼ぶ)であったりする.例えば,Aを何かのスカラーとして,

∇A

などと書いたり,ベクトルAについて(太字にしてベクトルを表すのは数理上しばしば見られることである)

∇・A

や,

∇×A

と書くのである.上から,Aについての「勾配」,「発散」,「回転」という.そう,0節で私が書いた,ベクトル解析で良く出てくるのがこれらなのだ.上の三つを,ナブラを使わずにそれぞれこのようにも表せる.

grad A

div A

rot A

読み方は,それぞれ「グラディエントA」,「ダイバージェンスA」,「ローテーションA」である.


3.とあるギリシアの姫君


ものすごく久し振りに,漫画の「風の谷のナウシカ」を読み始めた.
読んでいると,過去に読んでいた頃の思い出が蘇ったり,「そう言えばこんな設定があったなあ」と思ったり,私の一次創作の一つである【天外理想郷】は漫画のナウシカの話が元になっていることを改めて実感させられたりする.稲葉振一郎氏の著書「ナウシカ解読」のサブタイトルにある"ユートピア"という言葉….つまり「理想郷」である.因みに,冒頭でナウシカが王蟲の抜け殻から目の殻を取り出した時,それを「キャノピー」,解説つきで「天蓋」(てんがい)と呼んでいる.

話は移り変わり,ちょいと流体力学の話.
メーヴェは,とても美しい流線形をしているように思われる.第一巻の冒頭でナウシカの台詞に,

「ガンシップは風を切り裂くけどメーヴェは風にのるのだもの…」

とある.確かに,ガンシップは鋭利な翼やキャノンがあり,速度の急な変化や戦闘にも対応している部分もあるから,この時点でのナウシカがガンシップを忌み嫌う理由は分かる.そして,流体力学的にもあまり好ましくない形をしていると思われる.ガンシップは前方に添えられたキャノンが,一様流速中にある円柱の上流側における淀み点(流速がゼロになる点)に当たり,(レイノルズ数は十分大きく,且つ形状が複雑であると見積もり)複雑な乱流を起こし兼ね,飛行には適さないと予想する.

一方のメーヴェはどうだろうか.動力炉はあるものの,ナウシカの言う通りメーヴェは基本「風にのる」ものである.ガンシップのようにエンジンを焚いて無理やり風の流線を破壊すること(「切り裂く」こと)はしない.「風にのる」という表現は,極々普通の表現とみられるかもしれないが,これも流体力学的には非常に巧妙で重要な表現である.流体力学を学んでいる私などからすれば,次のように理解される.

「風にのる」…とは,

「空気の流れがあり,その流れはとある秩序だった流線を形成している」(流函数)

「流線は速度場を作り,そこにおかれた物体は流線がつくる速度場に従い運動する」(速度ポテンシャル)

「空気の流れに従い物体は運動する」

と,段階を追って考えている.
上に書いた「流函数」と「速度ポテンシャル」とは,非粘性流体における理論において,現在考えている流体現象を説明するのに必要不可欠な概念である.非粘性流体,つまり「粘り」が全くない流体のことを「完全流体」と呼ぶ.

ここに,「行雲流水の心」の記事としては(本格的な)始めの導入部が置かれたことを期待したい.もっとも,戦闘機好きの一部のファンからは文句を言われそうだが.


4.ラピッドファイア


音楽を聞きながら,台所で洗い物をしようとした経験はないだろうか? 実際やってみると,大体は蛇口から出る水の音によって,聞こうと思っていた音楽がかき消され,腑に落ちない思いをしたことが多い.私もそうしようとして腑に落ちない思いをした一 人である.この原因は一体何によるものであろうか?私の考えの順番はこうである.

蛇口から出る水は運動エネルギーを持っている


水の運動エネルギーが空気を震わし,振動させる


空気の振動は「音波」というエネルギーに変換され空気中を伝わってゆく

問題はこの後だ.聞こうと思っていた音楽をかき消すほど,水の運動エネルギーから変換される音波は「それほど」強いものなのか?ということだ.このことを探求するには,「蛇口から出る水の流れとは一体どんな流れなのか」を知ることまでさかのぼる必要がある. 流体力学でいうところの最もホットでエキサイティングな話である,乱流理論について軽く述べようと思うわけだ.


5.パーセルにサルウェー


「ルーララ 宇宙の風に乗る」

彼らはこう歌った.30代に入った私から見れば,懐かしくて流行り時期の思い出が蘇る歌だ.その歌「ロビンソン」も,「チェリー」も,「空も飛べるはず」も,みんな私の思春期をなぞりえぐっていく.約20年後,ものすごい再会をするとは,あの頃の私は夢にも思っていなかっただろう.

20年前,私は古生物学者になりたかった.当時刊行されていた恐竜の雑誌に一目惚れしたからだ.20年後の今は,気象学者あるいは流体力学者になりたいという夢がある.理由はしっかりあって,自然災害への対策について,少しでも役に立ちたいと思うからである.私は理学部物理学科卒業の身なので,専攻を活かし研究職に就きたいと思っている.

昨年(2014)から続けてきた流体力学の勉学が終わり,ようやく自分のなかで応用への道を拓こうと思っていた半ば,出会ったのが「宇宙流体力学」と「総観気象学」という二つの学問であった.

私は,宇宙流体力学と初め聞き,「まさかあの苦手だった相対論(今は克服した)が入ってくるのか」と思った.それを除けば,なんて心が広くなれそうな学問なんだろう,とも思った.学生時代の読みかけの本を思い出した.そういえば宇宙について憧れていた時期があったなと.しかし,それから幾分かは現実的になっていた私は,宇宙から興味を外していたのだ.しかし,本を手に取り眺めていると,相対論が全く関わっていないようであった.「これならいける」と思い,思い切って学びだして今に至る.

宇宙流体力学とは,宇宙にある流体すなわち星間ガスを主に流体力学の手法で解析する学問である.星の構造,形成過程なども宇宙流体力学で扱われる現象だ.ブラックホールに降着するガスの集まり具合から,超新星爆発の衝撃波についても詳しく解析されている,宇宙の発展においては欠くことのできない現象を説明する学問なのである.

ここに来て,私の心のなかでまた「宇宙の風」が吹いた.

総観気象学は,中緯度で起こっている低気圧,前線の動きや竜巻・台風についてこれまた流体力学を基礎方程式を基に解析していく学問である.そのさい,パーセルとよばれる空気のかたまりがあって,そのかたまりがどう空間を動くのか―平たく言えば「どんな風が吹いているのか?」である―を調べる作業がある.その手法をまた本を通して見た私は,別の風に吹かれていたことだろう.

まさに,「パーセルにサルウェー(ラテン語で「こんにちは」の意)」なのである.

§宇宙講座第三回資料全文§


§「電磁波」をめぐって~


古代からの電気と磁気の考え~離れたところにあるものが引き合うのはどうして?


古代ギリシャの時代から,離れたものがくっついたり離れたりする現象は知られていました.琥珀をこすると電気を帯びてものをひきよせることを彼らは知っていました.古代ギリシャ語で琥珀のことを「エレクトロン」と言います.現代では当たり前のように使われている英訳,electronは,正にこの古代ギリシャ語に由来するわけです.
古代中国では磁石の「磁」という漢字が,磁石のものをひきつける性質のことを「慈愛をもった石」と表現するのに由来して,使われています.
このようにして,電気・磁気の現象は,古代から関心を寄せ集めていました.なぜ,どうして離れているのに引き合ったりくっつきあったりするのかを説明しようとしたひともいました.古代では,それは誰かの意志によるものだと考えるひともいました.
しかし,時代が変遷していく内に,そのような神がかり的な考えは消え失せていきました.実際に,遠く離れた惑星同士が引き合っていることを実験・理論で説明されるまでは….電気・磁気も,同じ仕組みで引き合うのではないかと考えられるようになったのです.

分光学のはじまり~人類の賜物「スペクトル」の一大発見


ニュートンは,運動の法則や万有引力の法則を構築したので非常に有名な偉人です.しかし彼が他にもいろいろなことをしていたというのはご存じでしょうか?
ニュートンは,光についても研究をしていました.「ファウスト」で有名なドイツの文豪,ゲーテと,光の正体について激しい論争を起こしたほどです.しかしニュートンは結局,光の正体を突き止めることが出来ずに生涯を終えてしまいました.
しかし,彼の考案した「プリズム」というガラスの三角錐を使って光を分けることは,大きな発見でした.彼によれば,プリズムを使えば太陽光を,赤色から紫色まで,分けることができた,というのです.
光を分ける,とはどういうことでしょうか?これについて,もっと詳しく調べたひとがいました.フラウンホーファーというひとです.彼の発見は,プリズムを使って分けた光の帯(スペクトルと呼びます)の赤い色のところが妙に温度が高かったことでした.彼は実験を重ね,ついに「赤外線」を発見します.赤より外の部分は,人間の目では見えません.ですが,その部分は,赤色のところより温度が高くなっているのです.
フラウンホーファーの発見は,これで終わりではありません.彼は太陽光だけではなく,いろいろな星の光のスペクトルをみました.すると,帯のなかに何本か暗い線が走っているのです.これを,彼の名前をとり,「フラウンホーファー線」,またあるいは単に「暗線」と呼びます.なぜ,暗い線が入っているのでしょうか?
実はこの暗線は,特定の元素が特定の光を吸収しているから,暗い線が走っているのです.ということは,どんな元素がどんな光を吸収するかという情報を前もって知っておけば,星からやってくる光を分析することで,「その星にどんな元素があるのか?」という疑問に,直接その星に行かなくとも,答えることが可能になります.この,「光を分けて,対象がなにでできているか分析する学問」のことを,「分光学」と呼びます.

マイケル・ファラデー


話は少し脱線しました.電気と磁気の性質を実験で調べつくし,こんにちで言ういわゆる「電磁誘導の法則」をみつけたのが科学者ファラデーです.彼は貧しい家庭に生まれ,きちんとした学校教育も受けられませんでした.当時の物理学会では,数学と実験の両方が合わさってやっと理論が認められる(自然科学とはそういうものです)ものでした.数学の教育を受けてこなかったファラデーは,学会から辛辣な目で見られていました.彼は,「場」という,こんにちの物理学を語るには必須の概念を打ち出した偉人です.ですが,それを証明する数学の能力が十分でなかったため,認められませんでした.しかし彼は諦めませんでした.子どもたちのために実験をみせてあげ,記憶障害にかかっても必死に自分の考えを曲げなかった,立派な科学者でした.

ジェームズ・マクスウェル


ファラデーと同郷の理論物理学者マクスウェルは,ファラデーの述べたことを,持ち前の高度な数学で表現してみせました.電場と磁場という概念を,数式化したのです.現代では「マクスウェル方程式」と呼ばれる四つの簡単な式がそれです.
話はこれで終わりではなく,マクスウェルは,電場と磁場は波となって空間を伝わることを自分の数式で確認し,その波,「電磁波」の伝わる速さを算出しました.それが,当時知られていた光の速度に極めて近いことからマクスウェルは「電磁波は光である」と確信したのです.
そして,ここで世界中の物理学者たちは「自分たちの世界の法則は全て解き明かされた」と言いました.しかし,自然界は,そんなに甘くはなかったのです.

黒体輻射,20世紀初頭における物理学の動乱期


時代は更に変遷し,ついに20世紀に入りました.新世紀に入り,人類は輝かしき文明を築き,と言いたいところですが,少なくとも物理学界では大きな二つのモヤモヤした暗雲を抱えたまま新時代に突入することになったのです.ある科学者が述べた二つの暗雲とは,次のようなことです.
一) 光の速度が,どんな状況でも変わらないこと
二) 高温の物体から発せられるスペクトルが,理論とどうしても合わないこと
一番目の問題は,アインシュタインによって,いともあっさり解決されました.どのように解決されたかというと,「どんな状況でも変わらない」のなら,「それはこういうものだ」と逆に原理として掲げたのです(言い方を変えれば,「割り切った」のです).その,「光速度不変の原理」を基に構築された特殊相対論は,後の一般相対論の礎となり引き継がれます.一般相対論は,アインシュタイン一人が構築したものだと一般的に言われていますが,厳密には違います.やれ天才だ,やれ偏屈だのと言われるアインシュタインですが,彼にも友だちはいたのです.いえ,むしろ,アインシュタインは,とても子ども好きで,博愛主義に満ちたひとでした.地球に暮らす人類のことを誰よりも,とても広い視野でみていました.そんな彼の友だちの内の一人,数学者グラスマンから,リーマン幾何という数学を教わり,四次元の空間を説明しようとしました.三次元空間に,時間という一つの空間を加えた「時空間」を数学的に説明した結果,こんにちで知られる重力場の方程式(別称,アインシュタイン方程式)の導出されるに至るのです.
さて,二番目はどうでしょうか.高温の物体から電磁波が放出されることは,ジーンズやレイリー卿などの理論物理学者によって知られていました.ですが,その電磁波のスペクトルの強度が,温度だけで決まることが観測で分かっていたものの,理論的な説明がつかないままにいました.そこには,今までの物理学の常識をくつがえす「新しい考え」が必要だったのです.「量子力学」の誕生です.
量子力学は,馴染むまでにかなり時間を要します.私は大学で物理学を専攻していましたが,ほとんどの学生が量子力学でつまづいていました.背景にある考え方が,理解しがたいからです.
ここで簡単な例え話をしましょう.人魚が岩場にいます.人魚は,半分人間の姿をしていて,半分魚の姿をしています.あるひとは,人魚が人間か魚かどっちなんだ,ハッキリしろと考えてばかりいます.また別のひとは,人魚という存在をいったん認めて,人間が住む世界と魚たちが住む世界がどう共存してゆくか,ということを考えます.
量子力学につまづくひとは,この例で言うところの前者に相当します.量子力学を構築した物理学者は,なぜ人魚がいるのかさておき,後者のような考え方をとったひとたちでした.
「量子力学によると,全ての物質は粒子であり波でもあります」.
さて,今のこの「」でくくった言葉を読んだ瞬間のあなたはどっちの立場になったでしょうか?
あいまみえぬ,それまでの常識をくつがえす二つの巨頭
二つの巨頭,それは相対論と量子力学でした.宇宙という大規模の現象を説明できる相対論      に対し,量子力学はとても小さな世界を説明する物理学です.どれくらい小さいかというと,原子核,そして陽子や電子のレベルまでです.量子力学は,その理解のし難さから,多くの物理学者がたずさわりました.黒体放射の公式を導き自分の名前がついた定数を残したプランク,最も原子の存在を信じた孤高で…精神的に追い詰められ自殺を図ってしまった悲壮なボルツマン,量子力学の基礎方程式の名前を冠したシュレディンガー,位置と速度どちらかがハッキリと決まらないという「不確定性原理」を提唱したハイゼンベルグ,そして革新的な「物理量の量子化」というアイディアを打ち出したボーア…と挙げるとキリがありません.
相対論,量子力学は,極端です.ものすごい大きなものと,ものすごい小さなものを説明する理論ですから.しかし,この二つの理論を一緒にしようという試みが―――行われてきたのです.そのなかのひとりに…,アインシュタインがいました.彼は,全ての物理現象を説明する理論をみつけようと,晩年になっても続けていました.しかし,それは叶うことがなく,時代は二十世紀後半に入ります.「あの天才,アインシュタインでも?」とお思いになった方がきっといらっしゃると思います.残念ですが,自然というものはそう簡単に答えは見せてはくれないもののようです.しかし,「それが面白い」と思って探求するのが,物理学者なのです.…いいえ,物理学者でなくとも,私たちでも,常日頃から「なぜこの現象はこうなっているのか?」「これはどんな仕組みでこんな風になっているのか?」と疑問に思い続けることはできます.ものごとへ興味を持てるということが,私たちが人間という知性をもった動物として生まれた意味だと私は考えています.

物理学者の永遠なる挑戦


現代の物理学者は,とにかく,「すべてを説明する理論」を打ち出そうと躍起になっています.相対論と量子力学は,弦理論という新たな理論でひとくくりにされ,解明されようとしています.いまは,「どうやって」を説明することが物理学者の課題でしたが,もしその課題を達成できても,物理学者の役目は終わりません.今度は,「なぜそうなっているのか」という,哲学までに達するようなところへ向かうのです.
最後に,私の物理観を言いたいと思います.
かつて寺田寅彦がそうしたように.そんな極端な世界の法則よりは,身近な物理の方が,より親しみが湧くと思うのです.温めた味噌汁が,どのような模様をしてお湯と味噌に分離するのか.ロウソクの火のゆらめきはどんな仕組みでゆれているのか.私たちが感じる風は,どのような仕組みで説明されるのか.
それらを少し分かるようになった私は―ものの流れを調べる学問,流体力学―自然と,気付かずに宇宙について知るようになりました.星も銀河も,流れているのです.流れこそが万物の法則だと信じてやみません.私の最高の趣味は,宇宙流体力学です.

§気象講座第一回資料全文§


~「決定論的カオス」とは~


§気象現象を科学的に説明すること


 「気象現象」と聞いて、みなさんが思い浮かべるものは一体なんでしょうか。台風、ゲリラ豪雨、梅雨、猛暑、暖冬、エルニーニョ、爆弾低気圧…。自然の猛威は近年際立ってきて、ひとびとの関心を集めつつあります。これらはわたしたちの社会生活に甚大な被害をもたらし、時には多くの命を奪ってしまいます。
 それでは、こういった気象現象を前もって予知し、場合によっては防ぐことはできないのでしょうか。影響を最小限にとどめることは不可能なのでしょうか。
 こういった時、科学の方法が用いられます。科学は人類が築き上げた経験知であり、自然を記述する方法であり、従ってこれから私たちが自然から経験することを説明する力があるからです。
ここからは、気象現象と科学の結びつきについて、お話をしたいと思います。その準備として、上に挙げた気象現象を、詳しく見ていきましょう。
例えば、台風です。台風は、何が強くて被害をもたらすのでしょうか。晩夏、秋ごろには台風が日本に上陸した、と毎年のように報道されます。テレビ局の天気予報士の方の言葉を思い出してみましょう。「最大瞬間風速○○メートル」、「中心気圧○○○ヘクトパスカル」などという言葉が思い浮かんだのではないでしょうか。いま、「風速」と「気圧」という言葉が出てきました。風、とは空気の流れです。気圧、とは空気が押す力のことです。
さらに新しい言葉が出てきました。「空気の流れ」、「空気が押す力」…。いま出てきたこの二つが科学的にどういう仕組みになっているのか、それが説明できれば台風は説明がつくのでしょうか。
他の言葉も見ていくと、雨水のできかた、降りかた、前線とは何か、なぜ異常気象が起こるのか。
それらを説明する科学とは、一体どんなものなのでしょうか。

§気象学の根幹は物理学


 風が一体どのように吹くのか、雨がどのように降るのか…すごく大ざっぱに言うと、これらの仕組みを科学的に解明する学問を「気象学」と呼びます。気象現象を説明しようとする、気象学。単純ですね。では、その気象学とは一体どういうものなのでしょう。
 実を言いますと気象学は、気象現象の空間的規模の大きさによって分類されています。上に挙げたエルニーニョなどは、現象の規模が1万キロと地球レベルなので、地球科学になります。日々、日本にやってくる温帯低気圧の規模は数千キロと地域規模なので、地域の気象学が必要となるわけです。ゲリラ豪雨、竜巻はもっと小さい規模ですので、それを説明する気象学が必要になります。
 さて、具体的な話をしましょう。台風でいえば、「空気の流れ」、「空気が押す力」は、どのような科学で説明されるのでしょう。空気や水の流れを説明する学問は?それはズバリ、流体力学です。流体力学は、「流れ」の力学です。力学とは、物理学の基礎学問のひとつです。つまり、気象学の根幹を成す理論は、物理学なのです。

§天気予報が当たらない理由


みなさんは、「中国でチョウがはばたくと、ニューヨークで大嵐が起きる」という話をご存じでしょうか。『わずかな変化が大きな変動につながる』、簡単に言ってしまえば、これがカオス理論の根幹です。
流れの物理学の基礎方程式があります。基礎だから、誰でも解けるのだろうとお思いになるかもしれませんが、話は全く簡単ではありません。その基礎方程式、ナヴィエ‐ストークス方程式を解くことは、現代数学界の大問題であり、実はまだ解決していません。それくらい、「流れ」を説明するのは難しいのです。
そういうわけですから、わたしたちになじみのある風を説明し、かつ天気を予測することは、並大抵のことをしないといけません。人間の手には負えない作業は…、コンピュータにさせるわけです。現代の気象予報は、コンピュータがあって始めてできるわけです。しかし、それでも外れるのはなぜでしょうか。それは、流れの方程式のなかに「かけ算」が含まれるからです。
気象予報では、この流れの方程式を基にしています。しかし、実際気象予報で使うとき、流れの方程式を少し簡単に変形したものが使われています。流れの方程式は解くことが難解で未解決なので、コンピュータで直接数値を代入し無理矢理計算させているのです。その結果が、みなさんが日々見ている気象予報のデータなのです。このようにすこし「強引に」求めた数値を使って気象予報をすることを、「数値予報」と呼びます。
数値予報には、「決定論的予報」と「アンサンブル予報」という二つの種類の予報があります。
観測で、最初に得られた一つの結果だけを基に数値予報をすることを決定論的予報と言い、複数の結果を基に数値計算を行い平均して(アンサンブル)数値予報することをアンサンブル予報と言います。
 「決定論的」という言葉が出てきました。これは、「最初の状態で、そのあとに起こる全てのことが決まってしまう」という考え方で、18世紀、そのような考えを豪語していたフランスの数学者ラプラスの名をもじり、実際に「決定論的」に決まることをしばしば「ラプラスの魔物」と呼ばれます。しかしラプラスは「決まってしまう」ことを主張したかったのではなく、ものごとは確率で起こることを説明する際に、対比して「決まってしまう」ことを述べたのです。
 このような考えが出てきた背景には、18世紀に確立したニュートンの力学があったからです。
しかし19世紀半ば、そのような考えはほころび始めます。マクスウェル、ポアンカレ、バルタザルと時代はかけめぐり、1972年、アメリカの気象学者エドワード・ロレンツが、革命を起こしました。「中国でチョウがはばたくと、ニューヨークで大嵐が起きる」、いわゆるバタフライ効果を提唱したのです。決定論的カオス理論を、提唱したのです。

§気象学の「ラ・リ・ル・レ・ロ」


 ここで面白い話をしましょう。流体力学と気象現象とは深く結びついていますが、実際にどのように結びついているのか、「ラ・リ・ル・レ・ロ」で知ることができます。更に言いますと、このラリルレロに気づいているひとは、専門家でも意外と少ないのではないでしょうか。
 まず、ラリルレロをそれぞれローマ字で表します。「Ra・Ri・Ru・Re・Ro」となります。最初に、「Ru」です。これは簡単、Ryu体力学、つまり流体力学です。
次に、「Re」。これは流体力学でいうと「レイノルズ数」と呼ばれる数を表し、流れの規模・様子を表わす数のことです。管に水を流す実験をしていたオズボーン・レイノルズは、管に流れる水の勢いを速くしていくと、流れに乱れが発生することを発見しました。乱れのある流れのことを、「乱流」と呼びます。
その次に、「Ra」。流体力学では「レイリー数」と呼び、熱と対流現象を説明する鍵になる数字です。熱と対流の関係は気象学では非常に大事です。レイリー卿は、電磁気学、統計力学、天文学などに多く貢献した理論物理学者です。
そして、「Ro」。これは「ロスビー数」と呼び、中緯度から高緯度に渡って、地球規模で流れる波動(ロスビー波)の様子を決める数になります。実は、このロスビー波の発見により、地球規模の風が、単純な流体力学の法則に従うことが確かめられたのです。また、ロスビー波はエルニーニョ現象とも関わっています。
最後は、「Ri」。これは気象学で重要な、大気の不安定性に関係がある「リチャードソン数」です。「大気の不安定性」とは、大気が上昇して雲ができ雨を降らせるか、それとも下降して高気圧を作り晴れをもたらすか、どちらかを決める目安となります。

§リチャードソンの夢

 「天気の変化はいかに複雑不思議であっても、流れの方程式にしたがって変化しているはずである」
この信念のもとに1913年頃から、コンピュータ無しに初めて天気予報に取り組んだ偉人がいました。彼の名をリチャードソンといいます。上の「Ri」のひとです。彼は、第一次世界大戦中に友好救急隊の一員として負傷者の後方支援を務めながら、懸命に自分の手回しの計算機を回し続けました。しかし、そうした努力の結果はすぐに認められず、たった6時間先の予測が実際の結果と合わず計算結果は失敗でした。
にもかかわらず彼は信念を貫き通し、自分の失敗の原因を、初めのデータの不足・信頼度の低さ・計算理論の不備を追及しました。
 気象学者リチャードソンは、乱れた流れ、「乱流」の本質をとてもよくつかんでいたと言われています。こんにち出版されている流体力学の書籍の多くには、リチャードソンの名前が挙がるほどです。彼は、立派な科学者でした。
 最後に、そんなリチャードソンのユーモアさを語る「渦の詩」を紹介しましょう。これは、「ガリバー旅行記」の著者として有名な18世紀の風刺作家スウィフトの詩、”On Poetry, A Rhapsody, 1733”の替え詩です。この替え詩も、ときたま流体力学の書籍で抜粋されることがあります。
 リチャードソンは50才のときから心理学を学び、国際紛争、軍拡競争、国民感情の変化の数学
モデルの研究に没頭します。晩年には米ソの冷戦がすでに始まっていました。もし彼がもっと長く
生きる事ができていたら、ベルリンの壁崩壊、冷戦の終結を見てどれだけ喜ぶでしょうか。リチャードソンは、科学者であり、平和主義者でもあったのです。

§気象講座第二回資料全文§


~地球をとりまく流れ~


§風の規模


 気象学と流体力学の強い結びつきは,前の資料でお話しした通りです.そこで今回は,具体的に空気の流れ…つまり,風の流れについて具体的にお話しをしようかと思います.
 「風」と聞いて,何を想像するでしょうか?台風のような激しい風を想像する方もいれば,そよ風のような穏やかな風を想像する方もいらっしゃることでしょう.また先日,「春一番」が吹いたことは,記憶に新しいです.
 さて,気象学では色々な風が登場します.オランスキーという気象学者が,様々な風の種類,規模とその風の寿命の関係を図に表しました.それが,右の図です.図から,規模が大きいほど,寿命が長いことが分かります.私たちが普段,テレビやラジオの気象情報でよく見たり聞いたりするのが,ちょうどこの図で言うところの「温帯低気圧」,「移動性高気圧」に関わっています.
 日本の大きさを考えてみましょう.大体,東西南北3000kmくらいです.この図は,1000km当たりの規模で発生する低気圧・高気圧・台風の寿命は数日か一週間程度であることを述べています.「日本の大きさが3000kmくらいの大きさだから,台風に襲われやすい」,この図が言っているのは決してそういうわけではありません.あくまで,「このくらいの風は,このくらいの寿命だよ」と言っているだけです.では,なぜ毎年晩夏になると日本列島に集中して台風はやってくるのでしょうか.

§二つの大きな風の流れ


 そもそも,風はどうして起こるのでしょう.
地球は,大気で満ちています.満ちていますが,地球という天体ひとつとれば,大気のある部分など,ごくわずかに過ぎません.簡単に数字でどれくらい「ごくわずか」か,はじきだしてみましょう.  
地球の半径は,約6400kmです.そして,私たちに「天気」として大きく影響を及ぼす大気の層,「対流圏」の厚さは,緯度によって異なりますが平均して約10km程度です.これを6400kmで割ると,およそ0.0016です.つまり気象に影響する対流圏の厚さは,地球の半径の0.16%にすぎません.ヒトの身長を155cmとすると,0.25cm(つまり2.5mm)です.これは一円玉硬貨二枚分の厚さしかないのです.一円玉二枚分の厚さの空気の層が,あなたほどの大きさに及ぶ星を覆っている.地球をとりまく空気の薄さがどれだけ薄いか,理解していただけたでしょうか.
そんな薄い層で,気象現象は起こっているわけです.一円玉二枚分の薄さで,よくもまあ色々な現象がおこるものです.その一円玉二枚分の空気も,地球の自転運動によって吹き方が決まっています.
下図をご覧ください.また,今日の気象講座も思い出して下さい.赤道近くの空気は,自転による遠心力の効果で,地表から離れやすいです.つまり,一年を通して,上昇気流が強いのです.赤道直下の地表面では何が起こるのかといいますと,上昇した空気を補うために,近くの場所から赤道近くへ風が吹きます.大ざっぱに言って、この風のことを「貿易風」と呼びます。下図でいいますと、赤道に向かう二つの矢印が、貿易風に当たります。
自転の話を少ししました。地球の自転に合わせて共に動かされている空気があります。地球は反時計回りに回転しています。この「反時計周り」の運動にともない、中緯度以上の地域では、地球に対して「反時計回り」の風が、つまり西から東へ向かう風が吹いているわけです。この風のことを、「偏西風」と呼びます。
偏西風と貿易風は、地球上で安定した風です。別の言葉でいいますと、常に吹いている風です。
§「鉛直流」という観点から
 地球に比べて、大気が覆っている領域がいかに薄いかは、お話ししました。例えば日々、日本にやって来る温帯低気圧は、オランスキーの図によると大きさは1000kmと数日の寿命だということもお話ししました。
 ここで、少し訂正をしなければいけません。「大きさは1000km」と言いましたが、これは、東西南北の距離ことです。地球は基本、三次元ですから、実際の気象現象を扱うには、東西南北の他に高度のことも考えなくてはいけません。気象現象を扱う際、東西南北方向の地球表面上の風の流れのことを、水平移流(すいへいいりゅう)と呼び、高度方向の風の流れのことを、鉛直流(えんちょくりゅう)と呼びます。
 ラジオやテレビで報じられている天気予報では、地上の東西南北の図しか見られません。「発達した低気圧が近づいている」とか、「高気圧に覆われる」とか、「前線が近づいている」などと耳にして、そして目にして、なんとなく「低気圧?なんだかヤバそう!」、「明日は穏やかな日になりそうだ」などとお思いになるでしょう。また、気象衛星ひまわり8号からの衛星写真に写る雲の移りゆくさまを見て、なんとなく「明日には雲がやってきそうだな」などとお思いになるでしょう。それは、水平移流しか見ていない天気図の見方です。ですが、鉛直流のことを見ると、天気予報に関して、色々なことが、もっと分かってしまうのです!
 気象予報士が、たまにこんなことを言います。
 「・・・上空からの強い寒気が近づき・・・」
 気象予報では、高度を気圧に変換しています。地上の気圧を1000hPa(hPaはヘクトパスカル、と読む)とし、高度が上がるに連れ気圧は変化します。「上空からの強い寒気」とは冷たい空気のことです。前回の講義を思い出しましょう。冷たい空気は下へ暖かい空気は上へ流れます。強い寒気は下降し、地表面に流れ込み、その日は寒い日になる・・・というわけです。
 次図は、2月16日12時の速報天気図と、高度850hPa、700hPaの高層天気図です。地上と、高い位置では、何が違うのでしょうか。これから、解き明かしていきましょう。


6.宛てのない旅


「物理学に従事している」,と言えばかっこよく聞こえるかもしれない.
しかし,物理学を学んでいることをなんと表現したらよいのであろうか.
単純に「物理学を学んでいる」でいいかもしれない.
しかし,私は自分のしていることが,単純に「学ぶ」範疇から超えているかもしれないと思った.

今回は,いわゆる「エッセイ」になりそうである.

将来,物理学者になれるわけではない.というか,望みは極めて薄い.
専門機関(大学,大学院)を離れて数年が経つ.
そして,現在は独学で流体力学,気象学を学んでいる.

なんのためか?

第一に,気象予報士になるためである.
気象学は,上でも書いている通り流体力学と非常に関連深い.
第二は,大学で学んだことを無にしたくはないから,である.
自分の持っている力を社会に還元したいと思っているからだ.
第三は,人類の発展に貢献したいからである.
物理学は,ものの運動を調べるためだけの学問ではなく,哲学・思想にも影響を与えていると私は考える.

以上の三点の理由から,私は「物理学に従事している」.

それも,「宛てのない旅」だ.

目的のある小説は面白くない.
目的のない論文は論文ではない.

私になんの目的があるのか.なぜ「宛てのない」のか?
それは,私が小説と論文の,両方のなかで生きている人間だからだろう.

定常流なんて面白くない.一様等方性なんて,つまらない.

人生は,乱流だ.
乱れていてほしい.
なにが起きるのか,分からない.
決定論なんていうのも,つまらない.
確率の法則さえも,ぶち壊してしまえ!

人生は,永遠に「乱」流なのだ.

(16/03/05)

7.飛躍の年へ

新生活へ向けて、いろいろと準備をしているさなかに思ったことを、いくつか挙げてみよう。

運命大橋プロジェクト
エクセル応用の技取得
パワーポイント応用の技取得
統計学演習

なかなか遠いが、それだけ、進み甲斐があるということだ。
(20/03/29)

8.コロナの影響、ショートカットで実践を


前によく通っていたミスタードーナツがあまりにも静かだったので、拍子抜けしてしまった。
コロナの影響、だとはすぐに思いついた。しかし、ほかにも要因があるのではないかと私は思った。
なぜだろう? 禁煙スペースの拡大、時間帯・・・。
やはりコロナの影響か。

ショートカットキーを最近よく覚えることが多くなってきた。
パソコンを仕事用に切り替えて、真面目に使うようになってから、覚えようと思っている。
その成果は、必ずややって来る。そう信じるしかない。

実践することが鍛えられてくる。

(20/04/06)

9.解析学と流体力学


私は既に数学の道具を持ち合わせていた。ただ、それを使いこなせていないだけで。このままでは宝の持ち腐れである。

E.クライツィグ著の「フーリエ解析と偏微分方程式」を読み始めた。
読みやすい本、だとは思った。しかし、演習のページをめくると、高校数学の問題集みたいで、当時のことを思い出しそうになった。フラッシュバック、というやつである。

ここ数年、流体力学と複素解析について考えること・学ぶことがだいぶあった。最近になって乱流理論のために統計学を学びだしもした。同期理論も学びだした。道は終わるどころか、枝分かれしている。だが、

「すべての道はローマに通ず」

数学を学んでいれば、いずれは大切な・・・、問題を解けるようになると信じて。

ローマ建国の日に思う。

(20/04/21)

10.数学の年を歩む


「数学・物理学をやり直そう」
私は時たま強くそう思うことがある。
そう思うことがあるものだから、基礎的な積み重ねができると、
大いに満足したと思える。例えば、「常微分方程式の解法」が最近アツい。

ツイッターでもつぶやくことがあるが、最近になって、ラプラス変換に
熱心に取り組むことが多くなった。

大学生になったばかりの頃。常微分方程式の解法では、指数関数をまず代入して
特性方程式を得る作業が、ひどく天下りに思えてしょうがなかった。
だから力学から私はつまずいたのである。

あれから15年ほど経ったいま、私は解析学について学ぶ機会を得た。
その極一歩として、ラプラス変換にのめりこんでしまったのである。
数学の道を歩む楽しさは、尽きない。

(2020/06/01-02)

11.とうとうフーリエ変換を再学習


E・クライツィグによる、「フーリエ解析と偏微分方程式」を読み進めて、数日前にフーリエ解析の章に移った。
私の尊敬する数学者のひとりであるフーリエ。その彼が切り出した数学の分野にとても興味があるのだ。

好きなことを学べるのは、まことに喜ばしい。
同時に、いま本を書いていて、そのことも喜ばしい。
人生、一生勉学だ。

自分の力で、どこまでやれるか分からないが、とにかく進んでみることにした。まずはやってみること。
これに尽きる。

(2020/06/22)

(続く)

12.プログラム言語に埋没


VBAを学んでいる。

(2020/09/15)

13.偏微分方程式とともに


今日は、ロックの誕生日・・・だったと思う。
ティナのとき(2020/10/18)は何も祝えなかったからなあ。
FFVIのキャラはたくさんいて、それぞれが面白くて。
キャラのプロフィールを見るのがとても好きだった。
エドガーたちが年上・・・から、すっかり年下になってしまった。
いまは、ケフカと同じ年さ。

(2020/11/24)

14.F(z)とカオス


ノートに数式を書く。そう、偏微分方程式だ。クライツィグシリーズから、プリンストン解析学へ。
フーリエ解析、複素解析、実解析、と続く。興味深い数学書はたくさんある。それらを読んで
深い洞察を得るのが、私の夢である。ヴィジュアル複素解析、ストロガッツだって、読んでみせるさ!

(2020/11/24)





最終更新:2020年11月24日 19:40