不快指数 【投稿日 2006/07/20】

カテゴリー-笹荻


七月のある週末のこと、生ぬるい空気の中、小雨が金曜夜から
しとしとと降り続いていた。そんな中、土曜も朝から起き出して
荻上は、夏コミに向けての原稿を書いている。
個人的なものと、現視研としての出品分なので、描くのが早い
荻上も大変なようだ。部屋は修羅場らしく衣類やゴミが散らかり、
台所の流し台にも洗い物が溜まっている。
クーラーはつけているが、その額には汗が浮かび、前髪が
数本、ぴたりと張り付いている。
いや、前髪だけではない。Tシャツも背中に張り付いて
うっすら透けていて、かなりの汗だ。
「あーーもう!動いてないのに汗が出るなんて!」
ガタッと立ち上がると台所の冷蔵庫に向かうのだった。
台所へ移動しただけで眼鏡が曇るほどに湿気ている。
「はー、シャツ、着替えよう…。」
寝室の扉の向こうで、タオルを使う音と衣擦れの音が聞こえてきた。
ごしごしと汗を拭いて着替えたようだが、
「…着替えてもすぐ汗で濡れるって!うー、ムカツク!」
こんなに独り言を言うほどの状態に追い込まれている。
しかし原稿は、やらねばならない。

その時、「~~~♪」机の上の携帯が鳴る。
(あっ、笹原さんだ。)
電話をぱかっと開くと、受話ボタンを押す。
「はい、荻上です…や、いえいえ、すみません、原稿が―――。」
しばらく電話に耳を傾け、話を聞いているようだ。
「いえ、嬉しいんですけど、来て貰っても原稿やってるから、
 今週末は無理ですよ。うちの部屋には入れませんから。」
そして左手で額の汗をぬぐいながら、また笹原の言葉を聞いている。
「え?そんなつもりじゃ……。そんな事言ってないですよ!」
「もう!私だってホントは―――!……もう、いいです!」
そう言って電話を切ってしまった。
その携帯電話の液晶画面をしばらく見続けると、ティッシュを1枚取り
表面に付いた汗をふき取りながら、溜息をついた。
「はー、もう…いくらなんでも、こんな荒れた部屋に入れるなんて
 恥ずかし過ぎて絶対、嫌なのに…。」
ティッシュをゴミ箱へ投げつけてから、机の上の原稿に眼をやる。
「私も行きたいけど、原稿有るし…会いたいのに…それを!あーもう!」
ソファのクッションをボスボスと殴りつける荻上。
こんな状態では原稿も出来ない…かと思えば、ちょうどハードかつ欝な場面
を描くところで、荻上は机に向かうと、猛然とこのストレスを紙面にぶつけ、
強くなったり弱くなったりする雨音も耳に入らない様子で、その日の午後は
原稿がすごい勢いで進んだのだった。

ひと段落した夕方のこと、荻上は霧雨のような弱い雨の中に傘を差して
歩き出すと、コンビニに向かった。冷房で冷えていた眼鏡が曇ったが、
歩くうちに温まり、眼鏡の曇りは晴れた。空は晴れない。
とめどなく、汗も出てくる。
道路の向こうに、見慣れたコンビニが見えるが、ガラスが擦りガラスの
ように真っ白で、中が見えない。見慣れない光景だ。
ゴロッ…ドドド…。
その時、低い空から雷鳴が響いてきた。雲も光り始めた。
急いで店内に駆け込むと、カミナリを伴って大きな粒が地面を叩きつける
ようにして、強い雨がやってきた。
みるみるうちに、道路に川のような流れが出来る。
曇っていたガラスを雨が洗い流し、そんな様子をしばらく眺めていた
荻上は、食べ物や飲み物をカゴに確保すると、雑誌の立ち読みを始めた。
20分もすると雷が少し鳴り、急に日の光が差して景色が照らされ、
明るくなってきた。白いもやが遠くに立ち上っている。
買い物カゴをレジに運ぶと、荻上は店外に出た。さっきまでの
どうしようもない湿気と暑さはどこへやら、ひんやりとした空気が
肌に心地良い。荻上は、はっと思い出して傘立てから自分の傘を抜き取り、
ずれていた眼鏡を上げると、遠くの空を見て歩き出した。

「ん?………あ!」
荻上が急に携帯を取り出して、写真を撮り始めた。
そして、歩きながら携帯をいじると、嬉しそうに歩き始めたのだった。
やがて掛かって来る電話。
「あ、もしもし!メールの写真見ました?まだ今なら虹、見えますよ!」
苛々していたのが嘘のように、笑顔で話をしている。
「や、とんでもないです、…こちらこそ。そうそう、アレが―――。」
大きな虹の下を歩きながらの長電話は続く。
最終更新:2006年07月30日 02:51