SF百科図鑑

Ian WATSON "THE EMBEDDING"

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December 03, 2004

Ian WATSON "THE EMBEDDING"

エンベディング並行してこれ。邦訳が出ましたが、3000円近い値段がしますのと、山形氏の訳文が苦手であるため、節約して手持ちの原書で読むことにしました。

(追記)粗筋メモ 16.12.20
エンベディング イアン・ワトスン

ジュディに

クリス・ソールは急いで服を着た。既にアイリーンが一度、彼を呼んでいた。二度目に呼んだとき、既に郵便局員が戸口まで来ていた。
「ブラジルから手紙よ」階段の下からアイリーンは叫んだ。「ピエールからだわ」
ピエールだって? やつが何の手紙を? その知らせにクリスは不安を覚えた。息子が生まれてからというもの、アイリーンはよそよそしく距離を置くようになった──自分とピーターと思い出の中に閉じこもっているのだ。もはやそのよそよそしさを取り除くのは容易でなくなっていた──というより、正直いってどうでもよくなっていた。アイリーンの昔の男からのこの手紙が、彼女にどういう効果を及ぼすだろうか? 厄介なことにならなければいいが。
踊り場の窓から、真っ黒い野原と、他の職員の家と、一マイル離れた丘の上の病院が見えた。一瞬目をやってから──朝の不安な気分に身震いした。目を覚ましてから病院に行くまでの間に、よく襲われる気分だ。
キッチンでは、三歳になるピーターが音を立ててテーブルを汚しながら、朝食を食べている──ボウルの牛乳に浸してふやけたコーンフレークだ。アイリーンは立ったまま手紙に目を通している。
ソールはピーターの向かいに座り、トーストにバターを塗った。何気なく、息子の顔を見る。この子の細く狐のような顔立ちは、ずっと昔子供のころフランスのどこかのマルガリータ畑で撮ったという写真のピエールの顔に行きつかないだろうか? 既にこの子は、ピエールと同じ刺のあるせっかちさと、うろつきまわる雄狐のようなぎらぎらした茶色の目を持っている。
ソールの顔はといえば、ある種の誤解を招きやすい特徴があった。あまりにバランスがよすぎるのだ。鼻の上に鏡を立ててずらして見ても、大半の人と違い、二つの異なる顔に分けることができない。一組の瓜二つの双子になってしまう。この目鼻だちのバランスははじめ印象的だが、時がたつにつれて、最終的にはその人物の別の側面の印象を打ち消してしまう効果があった。
ソールは手紙を読んでいるアイリーンを見た。&&
**
ソールはピエールの手紙を読む。ピエールはアマゾンの原住民マコンド族に混じってフィールドワークをしているが、アマゾン川の洪水で移動を余儀なくされるらしい。マコンド族は一般人のことをカライバと総称している。ピエールはアマゾン部族のことを「人間動物園」と呼んでいた。そのいい回しが非常に気になった。
他方で、ソールの病院での仕事について、アイリーンはきいた噂を指摘する。それによるとソールらは、脳に障害のある子供たちに悪い(間違った)言語を教え込んでいるというのだ。ソールは必死に否定する。妻は、精神病院のような病棟があるらしいじゃないかと詰め寄るが、ソールは、それは言語障害の子を扱う以上やむをえないと食い下がる。
**
ソールはユニットに出かける。そして理想主義者ピエールの心境に思いをはせる。異なる者の心理を理解するのは難しい。自分は「異なるもの」を見出す実験に従事しているのだが。遅かれ早かれ誰かがやらねばならないこと。特別にデザインした言語を子供たちに教えること。
ソールは勤め先のハドン神経療法ユニットに着く。生化学者ザールもいる。
中に入り研究室に行き、子供たちの映像を見る。彼らに、単語は英語であるが、文節を高度に複層化した言語、「ラッセル言語」を、ソールとライオネル・ロッセンの声を合成して話させて聞かせているのだ。
レイモンド・ラッセルの詩「アフリカの新印象」はピエールを魅了したが、恐るべき隠された力を持っていた。それが今ブラジルでピエールの慰めとなっているという。
ソールはまた手紙を出して読み始める。
「かれらはゼマホア族と自称するが、長い間一つの呼称にとどまることがない。彼ら部族の前シャーマンが信じがたい秩序を築いたにもかかわらずだ。あのブルクソが──弓や毒矢や吹き矢を使ったのではないにしろな!
彼らは自分たちが立ち向かおうとしている対象の巨大さに気づいていない。<大いなる遊戯者>の前では連中なぞ歩兵もしくはそれ以下なのに! ブルクソが来るべき災厄に対し、自らの文化的文脈に即して取り組もうとした試みは、まさしく哀れなほどの偉大さだった。ラッセルの詩と何ともはやにていることか。&&何とかゼモホアBに翻訳できないかと思っている。&&」
ソールは埋めこみ言語の単純なものから複雑なものまでを大量にテープに吹きこんで使っていた。また子供たちの話は全てフェザーマイクで録音されていた。
が、このソールの世界のほかに、ドロシイ・サマーズとロッソンの論理的世界、心理学者ジャニスの「エイリアン」世界という三種の異化世界を子供たち(ラマ、ヴィドヤ、ガルシェン、ヴァシルキ)に体験させていた。
研究所の運営は有能なサム・バクス所長に任せて置けばよかった。ソールがピエールのブラジルワークに関与する必要はなく、ただ、子供たちの「悪い言語」強化教育にいそしんでいればいい。
**
ソールはロッソンの妻ドロシイと食堂で同席し、子を持つ親をこのような子供の人体実験まがいの研究に従事させることの是非を話す。そこへ所長が来て、ニューヨークの「数を数える」食虫植物「金星旅行の罠」が、毒を持った蝿を食べて死んだ話をし、子供たちに危機があるとすれば「三つの世界」の中ではなく外部からだろうという。
そして、明日トマス・R・ツウィングラーという人物が来ると告げる。二時半に研究経過の説明をすることになっていた。


ブラジルプロジェクトのチャーリー・フェイスを、保安警察のフロレス・デ・オリヴィエラ・パイシャオら三人が訪問する。共産主義テロリストが妨害工作に向かっているらしい。プロジェクトではアマゾンにダムを作っているが、このダムを決壊させ洪水を起こそうとしているか、もしくは責任者のチャーリーを殺害しようとしているらしい。パイシャオはチャーリーの身を守ると宣言する。
**
「すまん、ジョルジュ、ほんとすまん」三人が帰ると、チャーリーはすまなそうに言った。
「チャーリイ、時々おれは、治療よりも病気のほうがましだと思うことがあるよ。テロリストがいるのは事実かも知れんが──」強調するように肩をすくめた。
「いいたいことはわかってる」
ベトナムのあの燃える小屋。うすやみの中、煙が上がっている。銃剣を持った男が、ナイフの少年と戦う。決然としていて、今更引き金を引くまでもない。犬の目をした少女が恐怖に吐き気をもよおしながら見ている&&
「君の言いたいことは分かる! ジョルジュ、ダムまでひと歩きして、頭をすっきりさせよう」
指を鳴らす音はとうとうやんだ。
「なあ、今夜カフェに行かないか? とにかく、おれたちは喧嘩する理由なんかないはずだぜ!」
ジョルジュは渋く微笑しただけだったが、彼らはダムまで歩いていった。最後の雨が霧のように優しく降っていた。
彼らはヒューイ・スリックの声が水面にこだまするのを聞いた。それは一直線に飛んでいくのではなく、ぐるぐる回っているように思えた。
**
すぐにチャーリイは、二つのはっきりした音を聞き分けた。ヘリコプターの音と、樹の生い茂った湖を走りまわる船外機付ボートのモーター音である。
しばらく二つの音が交錯していたが、やがてヘリの音が遠くなり、ボートが近づいてきた。
今、それは水に浸かった木々の陰から姿を現した──深さ二〇フィートのドラフトボート。その幌の下に隠れて、白いコットンのローブを羽織った二人の人影が見える。一人が手を上げて挨拶した。
「彼らは安全な方角から来たように思う。あの方角は、二〇〇マイルにわたって、ジャングルとインディオしかいない」
ジョルジュはさかしげにチャーリイを見た。
「君はそう思うのか?」ジョルジュは軽く笑った。
チャーリイは、ジョルジュの肩を叩きながら、冗談っぽく見えるようなおどけた表情をして見せた。
「おいおいジョルジュ、おれを脅かすのはやめてくれよ。あいつらが誰だか分かるよ。例の二人の神父じゃないか」
ボートはタラップが水に入る地点に近づいた。二人の人影はボートから降りてコンクリートの上に乗り上げると、長い坂を登りだした。
「ハインツとポマーだったな。一人はやたらに元気な男だった。もう一人は熟したリンゴのような頬をしていたな&&」
「素晴らしい眺めだな!」ハインツ神父は声の聞こえる距離に入るなり叫んだ。「ブラジル国旗のように、世界中がオレンジの旗だ。言わせてもらうと、このうす汚れた森に偉大な祭の旗が掲げられたかのようだ。ほとんど奇跡に近い。名誉の窓枠。永遠の日光が溢れる景色」
神父は坂を登る苦労のために息を切らしていたが、生来のおしゃべり好きが酸素の必要に打ち勝っていた。
・・・
遠くからジープがやってくる。クリソストモか? チャーリイは神父二人を中に誘う。ヘリの連中は上空から写真を撮っていたらしい。
**
神父によるとピエールが滞在しているゼマホア族だけが撤退を拒んでいる、ピエールがテロリストでないかというが、チャーリイはありえないという。いずれにしろやつらは村が水びたしになれば動かざるを得ないだろう。
**
チャーリイはジョルジュとカフェに行き、エーテルでらりっているムラト女に出くわす。ジョルジュはその一人と出で行き、チャーリイはもう一人と残される、ナイフを持ったボーイを銃剣で刺す&&幻覚?


トム・ツウィングラーは、ルビイのタイピンと、一組のきらびやかな赤い水晶のカフリンクをつけていた。それ以外は全て黒と白ずくめだった。発言の正確さも含めてである。&&
という具合に、保安局のトムは登場する。
会談の参加者は、所長のほか、ジャニス、アーネスト・フリードマン(バイオニクス)、ライオネル・ロッソン(コンピュータ)だった。そして、地下の実験室を外から覗くことになる。彼らはこの実験が知性促進の実験なのか、いやそうでないといったことを話す。
**
彼らの実験は、生の赤子の頭に三種の人工言語を教えこみ、世界像の変異ぶりを研究することで、ひとつはドロシーの論理的言語により、「論理は実在するか」を検証することだった。あるいは現実は論理的かを。
ふたつめは、リチャードの言語・世界。エイリアン=別次元の生物の生育環境の再現が目的である。
みっつめが、クリスらの言語。レイモンド・ラッセルの詩の言語である。
「&&三つ目の世界はどうなのですか──あなたの担当ですね?」
「ええ&&レイモンド・ラッセルというフランス人の詩を聞いたことがありますか──『アフリカの新印象』という題名ですが」
アメリカ人は首を振った。
「奇妙な詩です。じっさい、ほとんど判読不能だ。つまり、文字通りの意味で。そんなに悪い作品ではないのです──非常に独創的だ。だが、それは、言語学でいう『自己埋め込み構造』の最も狂気じみた例です──それが、子供たちに学ばせているものです──」
「『自己埋め込み構造』ですか──説明していただけますかな?」
数時間前に宇宙飛行士の言語障害に関するツウィングラーの報告を読み終えたばかりのソールにとって、このアメリカ人がその程度の言語学用語を知らないとは信じがたかった。がともかく、彼は説明した。
「自己埋め込み構造とは、いわゆる『循環法則』の特別な用法です──これは、文を作るに際し、文の形態や長さを自在に調節するため、同じ表現を二度以上挿入する規則です。動物はコミュニケーションを取るために、一定の組合せのシグナルを用いる必要があります──あるいは、同一のシグナルであっても強度を変化させる必要が。ですが、われわれヒトは、それに限定されません。われわれの作る一つ一つの文が新しい発明です。それは、この繰り返しの特徴ゆえです。『いぬとねことくまが食べた』『かれらは、パンとチーズと果物を、がつがつと、かつ、欲深く、食べた』これらの文を初めて聞いたとしましょう──全く新しい文だ──だが、それを理解するのに困難はない。なぜか? 我々は頭の中に、この柔軟で創造的な言語プログラムを備えているからだ。だが、『自己埋め込み構造』は、ヒトの精神を更なる限界へと推し進める──だからこそ、われわれはそれを未知の領域への探査船として送りだすことができるのだ──」
「クリス、埋め込み言語の具体例を出したほうがいいんじゃないか」サムが割りこんだ。「わしの頭には、いささか理屈っぽく聞こえるぞ」
ソールは不審げにサムを見た。サムもおれの話している内容を完璧に理解しているのは間違いないのに。ジャニスは気取りながら背筋をそり返らせて座っていたが、その表情は、完全に話題から興味を失ったことを示していた──なぜか知らないが──フープをくぐって逃げだしたことを。
だが、サムがそうしろというのなら&&
「では、童謡を例に取りましょう──これは美しい繰り返しの連なりです、非常に理解しやすい&&」
&&
ここにいる農夫の蒔いたコーン
が生かした朝鳴く鶏
が起こした頭をつるつるに刈り込んだ牧師
が&&

その牧師が何なの? 何、何、何? 彼の頭の中で子供っぽい声がこだました──
&&
彼らは苦労して最後まで思いだす。
&&がおいてあった、ジャックの建てた家。

この埋め込み構文を活用した、全ての言語を統合する統合文法を開発していた。
**
彼らは実験室の子供を見る。まずはクリスのうめ込み言語世界だ。
人形を並べていたヴィドヤが、一番小さな人形を見て凍りつく。これらの人形は中に別の人間が入っているが、これだけ入っていないのだ。少年は半狂乱でこの人形を引き裂く。
**
彼らは論理世界、エイリアン世界を次々と見る。クリスは、埋め込み、論理世界の子は現実に順応可能だろうが、エイリアン世界は無理でないかと思う。
ツウィングラーは、クリスに更に話があるという。


ピエールの一人称。
ピエールはカセピからゼマホアの神話、言語、ドラッグ(マカイ)、二つの笑い、ドラッグダンス、家族制度などについて聞かされる。
ゼマホアの言語は日常語のAとトランス時のBに分かれ、Bが埋め込み構造を持つ。これはシャーマンがトランス時にしか使うことができず、他の者もトランス時にしか聞き取れない。ゼマホアの笑いは魂の笑いと下賎な歓喜の笑いに分かれ、後者は前者を失うおそれがあるため差し控えられる。
ゼマホアは部族内結婚のインセストルールがある。カセピは部外者との私生児であるため、軽んじられている。
ゼマホアの神話によると、女蛇が丸太の空洞に、男蛇が石の空洞に入った、そして側位で性交してヒトとマカイを生んだということだ。マカイは土に触れた精液が生む。ヒトはマカイの腐った土を食べ、自らの糞をマカイに与える。石の中で体を結んだ雄蛇の結び目が脳であり、これが埋め込み言語Bのルーツである。
ゼマホア語の時間は主観的、相対的時間であり、数を表す語が豊富で鳥の羽毛の数などをとりいれている。


ツウィングラとソール。
地上のテレビ放送を反射する奇妙な船が近づいているので、クリスが言語学者としてファーストコンタクトに従事することになった。
この船?は、一週間前のテレビのヌードショー、野球中継、ニュースを交互にリピートしながら近づいていた。エイリアンのカモフラージュ? 他国のプローブではなかった。ロボットないしドローンかもしれない。信号を送ったがはね返された。


ピエール。
ピエールは更にゼマホアに入りこむ。ゼマホアの生理中の娘と側位でセックスし、身をもってその風習を体得する。追っ手が村に来て家探しをし、ピエールは隠れろといわれる。狙われているのはピエール?
水位が次第に上がる。マカイの子(禁忌の小屋にシャーマンがかくまっている妊婦の子)の誕生が近づく。そのとき何が起こるのか?


交信記録~クリス。
謎の球体が近づいてきて、迎えた地球人飛行士が中に招かれる。言語解析を受けた上で、ネヴァダ州に船を着陸させるよう勧め、応じさせる。
ソールは、基地でこの通信を読み、着陸地点に向かう。機中で、ピエールの手紙を読む。ピエールは、ドラッグの力でシャーマンが毎夜、B言語(埋め込み)を用いた世界を語る言葉を次第に巨大化させていることを熱く語ると共に、ダムによるアマゾン海洋化プロジェクトがこれをだめにしないか、と心配していた。クリスは、妻とポストをピエールに奪われないかと心配した。


ピエールは、カセピと川を北上。反ダムのゲリラ三人(リーダーは女性)と会う。ピエールは同志と認められるが、カセピは同行を拒否し、南に戻ることになる。いよいよブルクソの子が生まれるという。


ソールら5人は大観衆の中、エイリアンを出迎える。彼らはスプスラ人と名乗り、窓口となった者は「フテリ」という名だった。彼らは銀河の中央方向の星出身の言語学者、コミュニケーター等の集団で、コラプサー、エネルギーの干満を利用した航法によって結果的に超光速移動を行っている。言語解析に機械を用い、一種の統合文法を使って多くの言語を理解しているという。そして、相互の情報交換目的で言語に関する取引をしようという話になる&&。
スプスラによると波動を感知する「汐読み」という種族もいて、超光速移動に協力している。彼らは、それぞれ独自の「現実」の中で思考しているという。ソールらはウィトゲンシュタインの「人は語り得ぬことについては沈黙しなければならない」を引用するが、スプスラ人は、「それは我々の哲学ではない」という。
**
「実をいうと我々の哲学でもありません」ソールが更に元気よく会話に再び加わった。「我々人類は、音になしえないものを音にする方法を絶えず模索しています。限界を見つけようという切望が、それを乗り越えようという欲望を示していると思います」
エイリアンは肩をすくめた。(彼自身の生得的なジェスチュアだろうか? それとも既に人類のジェスチュア言語を真似しているのか?)
「ある一つの世界で、その問題に取り組む単一の知的種族が全ての限界を探索できると期待しないほうがいいです。それは科学ではありません。それは&&唯我主義。多分その言葉があてはまるでしょう」
エイリアンの話を聴くにつけ、ソールはフテリの語彙の豊富さに舌を巻いた──どんな仕組みでそうやって正確に言葉を体得できるのだろうか。それほど多くの情報を神経の埋め込みで学習できるのか?
「一つの惑星は、一つの唯我主義です。スプスラ人の義務は、唯我主義のN次元への拡張を防ぐことです」
「だが、我々はみな、究極的には一つの宇宙に埋めこまれているのですよ、フテリさん。それも一種の誰にも逃れ得ない唯我主義でありませんか。それとも、『一つの現実』とは一つの銀河という意味なのですか? 別の銀河には別の現実があると? あなたがたは銀河間航行も計画されているのですか?」
エイリアンの柔和に飛び出て広げられた眼から、巨大で粗野な悲哀の圧倒的な印象が感じられた。と殺場の外で番を待つ賢い牛のような眼だ。
「いいえ。この現実の全ての銀河が単一の一般法則に従います。われわれは別の現実を探しているのですよ。われわれは達成せねばならない。もう遅すぎるのです」
再び、時間の問題。
「問題は」フテリは憂鬱に言った。「二次元の存在が三次元的なふりをして対処しなければならないことです。超越的な三次元存在の笑いと、愛に満ちたからかいに対して──」
それはある種のナンセンス、分裂症的言動に思われた。誰があざ笑うって? 誰が愛に満ちたからかいを?
ソールは、より確たる足場に戻ることにした。
**
交渉の末、フテリは、最寄りの居住可能な未使用の空間と、タキオンによる航行技術を提供するのと引き換えに、「異なった言語で動く6つの脳」のユニットを要求した。

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一方、研究所では、クリス・ソール担当の埋め込み言語の子供たちにある問題が生じていた。それに気づいたライオネル・ロッソンは、所長のサムに相談を持ちかける。サムは、エイリアンとのファーストコンタクトでクリスが活躍する知らせに夢中になっていたが、ロッソンから「足元を見ろ」と諭される。
**
問題はヴィドヤというクリス気に入りの少年だった。第1は、ツウィングラー来訪時。埋め込み人形の大きい人形から中の人形を取りだして並べるという挙に出た。埋め込み言語に対する抗議とも解しうる仕草だ。次いで、クリス出発の48時間後、他の子供の日課のウィスパリングに加わらず、外をうろつきまわって支離滅裂な叫び声を上げ始めた。ロッソンの解釈では、ヴィドヤは、埋め込み言語を脳の生得的な言語中枢にあまりに深く取りこもうとし過ぎて、拒否反応を示し始めたのではないか。頭の中の二つの言語体系の矛盾を叫び声や発作として発散しているのでないか。ロッソンは直ちにクリスを呼び戻してくれと求める。しかし、サムは、クリスの重要任務を中断させるわけにいかぬと拒み、ヴィドヤを看護士による24時間監視体制におくことになった。

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「フテリさん、あなたがたも同じことをしますか?」ソールはきいた。「スプスラ人の脳のサンプルを一つ、我々に提供してくれるのですか?」
「それは取引上の利益に関する我々の評価次第です。もし相応しい利益があれば、承諾しますよ」
「ということは、あなた自身の脳を提供することになったとしても、あなたは個人的にも反対はしないとういことですか? あなた自身が選ばれたとしても」
「スプスラ人はシグナル取引業者ですからね。生体脳の交換はシグナル取引の究極形態に間違いありません。脳はその種族のあらゆるシグナルを含んでいます」
「提供する脳はどれぐらい生きられるのですか?」ソールはきいていた。だが、さいぜん自己の主張を大声でがなりたてた宇宙飛行士が、叫んだ。
「私は金属箱にいれた6人の人間の脳と引き換えに、宇宙への切符が欲しい。それも、恒星間飛行の切符が!」
***
スプスラ人が提供する情報について。最も近い居住可能領域は21光年の場所にあること。またタキオン航法の情報を持つ種族は98光年の場所にいる。ということは回答を得るまで196年かかるということか? ソールは、スプスラ人にきく。
***
「フテリさん──なぜあなたがたは、そんなに<この現実>から逃れたいのですか?」
「スプスラ人の問題を解決するためです」フテリは短く答えた。
「その問題の解決のために、我々にも手助けができると思いますが?」
「それは、ほとんどありえない」フテリは冷淡にいった。「つまり、スプスラ人という種族固有の問題という意味です」
英国人は首を振った。
「いいえ。その問題はこの宇宙の全種族を巻きこむに違いありません──あなたかたがあらゆる言語の比較対照という手法で問題にアプローチしつづける以上は。そう考えるのが合理的です。ただし&&それはセックスの問題なのですか? 種族特有の問題ということは、そうお見受けしますが。それに、取引にずいぶんと固執されていますしね!」
「繁殖の問題ですか? スプスラ人は、双子の世界で繁殖の問題などありません」
「感情的問題──感性の問題ですか?」
***
フテリは、(異性間の)愛とは相手に自己のシグナルを見出しそれを愛する唯我主義に過ぎない、問題は、〈変化の話者〉に対する〈引き裂かれた愛〉なのだ、と語る。それは我々の知る現実をシグナルを変化させることで変える存在らしい。我々の埋めこまれた宇宙を、自らは変わることなしに変化させる。だが、あと地球年で12909年以内に双子世界の間の〈言語の月〉で全ての言語プログラムを重ね合わせれば、我々もまた現実の変化から自由になるということだった&&。しかしもう時間がない。
スプスリ人は探索を始め、7000年後に〈波読み族〉を知った。物理的三次元空間の調査では望みがなく、言語の重ね合わせ以外にアプローチ手法はない、と考えてきた。異なる相矛盾する言語体系同士を比較し、接点を見出し統合する以外に手はないと。
***
「その〈変化の話者〉とは、種族ですか? それとも個体? その性質? いったい何ですか?」
「〈自己を超える存在〉という概念のバリエーションを多くの種族が持っています」フテリはくたびれ果てたように答えた。「〈変化の話者〉とは、〈副次的存在〉なのです。彼らが我々の双子世界にはるかな昔に現れて以来、我々スプスラ人は彼らへの深く引き裂かれた〈愛〉に衝き動かされているのです。そして彼らはいってしまった。彼らはスプスラ人から〈語り変え〉して、去ってしまった──現実の中の彼らの埋め込み構造を変化させることによって──我々を置き去りにして&&
置き去りにして!!!」
***
「あなたがたは、絶えず意味を変化させるような生物とどうやって意思疎通するのですか? 永続的なものが何かあるのですか? それにしても──一万三〇〇〇年とは! それほど長い時間、あなたがたはその狂気じみた愛を保ちつづけていたというのですか? どうやって──それに、いったいなぜ?」
***
フテリによると、変化の話者は、スプスラと接触した際、あるものを望んだが、スプスラ人が期待に答えられなかったために、失望して去った。スプスラはそのトラウマを癒すことなく独りではいられない。そのトラウマを癒すためにこの13000年間、探究の旅を続けてきたのだという。
それは我々の神だと叫ぶやつ、また、ただの偏執狂だと叫ぶやつなどが出たが、偏執狂だと叫んだ当人こそがヒステリーっぽかった。そいつは、宇宙航行中のウイルスかもしれない、どうやって隔離しようかなどと息巻くが、
***
「そうではない」フテリは叫んで、両手を挙げ、至上の怒りあるいは混乱に親指を振り動かした。「我々スプスラ人は狂ってはいません。我々は知っているのです。変化の話者は存在します──別の現実の階層にね! 彼らが〈この現実〉を通過した時、その出来事によって、〈引き裂かれた愛〉〈苦悩〉〈陰鬱な強迫観念〉が同時に発生したのです。あなたがたはこのことを知りません。他の種族も。変化の話者は、あらゆる現実の接線を、今ここの我々の埋め込み階層へと合わせたのです。だが、彼らが触れたところには、この宇宙を共鳴させる点が残りました──古代のスプスラで鳴っていた鐘のようにね。我々の月の上にできるだけ多くの種族の現実像を重ね合わせることで、我々も彼らのように〈この現実〉を昇華しなければならない。変化の話者を追いかけ、そして──」
「そして何です?」
***
その後についてはフテリは明言できなかった。過去、異端者が、変化の話者はスプスラの鏡像あるいは未来像に過ぎず、種族的自殺を示唆しているといった異説を唱えたが、衰退したという。
ソールは、このエイリアンの思考の核にある「宇宙の中の埋め込み構造」という概念がくしくも自分の研究内容とかぶることに気づいた。果たして偶然の一致だろうか? いや、違う。これは新たな発見なのだ。
ソールは、エイリアンに、自分の研究所の研究や、ブラジルのゼマホアB語の埋め込み構造について説明を始めた&&。
***
ソールの新しい提案に対し、エイリアンは、巨大ガス惑星の〈潮読み〉を追加に提供しようと約束した。
***
ワシントンの特別行動団体小委員会が開催され、脳が最高の活動状態にあるときの統合能力を高め、IQを上げる薬品が話題になる。彼らは、ドラッグを用いて埋め込み言語を話すブラジルの部族に関し、ダムによるアマゾン海洋化計画を縮小し、部族の生活圏をそのまま保存してはどうかと話す。

12
チャーリー・ハムドとジョルジュの会話。当局のパイシャオが男女の囚人を尋問している。鍵も渡してしまったため、彼らは小屋に入れない。
チャーリーは強引にパイシャオに面会を求め、パイシャオが出てきた。
***
「ミスター・フェイス。朗報です。ここへ来る途中で、あなたの命を狙っていたテロリストを二人逮捕しました。彼らは自白している最中です。残念ながら、グループの一人をジャングルの中で逃がしてしまいましたが、じきにのたれ死ぬでしょう。食料補給も輸送手段もないと来てますからね。あまり長時間、小屋をお借りするつもりはありません。もう一時間したら出発しなければなりませんので。お待ちいただけますかな?」
「差し支えなければ、キャプテン、あの人たちに何をしているところなのか、聞かせてもらえませんか!」
チャーリーはパイシャオの横を無理やりくぐりぬけ、小屋の中を覗きこんだ。
一人の人物が床にうずくまっていた。
その頭のあたりに、もう一人は何とか立っているように見えた。そのときチャーリーは、その足首にロープが巻きつけられているのに気づいた。ロープは天井の梁の上を通され、体を釣り下げていた。両脚は剥き出しだった。恐らく全身丸裸だろう──だが、パイシャオの部下が立ちふさがって見えない。
「何をしているんだ、あんた!」
「あなたは東南アジアで任務を果たしただろう、セニョール・フェイス。ならば、任務を果たすというのがどういうことかはおわかりのはずだ。罠に鼠がかかったんですよ。鼠を懲らしめなくてはならない。あなたまで巻きこまれる必要はありません。ただ、あなたの電源装置をお借りせねばならないんです──録音機用にね。それと、頭上の屋根も必要です」
「あの人たちの一人が女性だというのは事実ですか?」
「二人ともゲリラですよ、ミスター・フェイス。破壊工作員で、殺人犯です。文明の敵です。あなたをつけ狙う暗殺者です。性別の問題などどうでもよい」
***
やつらはレイプしているのだろうか? と、つりさげられた体が回転し、女性の胸が見えた。チャーリーは突進した。が、あっさり叩きだされる。チャーリーは雨の中、ジープに戻る。そしてなぜ鍵を渡したんだとなじり、せめて発電機を止めないと、という。ジョルジュはもう一つの鍵は渡してないよ、という。
***
彼らは電源を止め、38スペシャルの銃を準備する。そして小屋に戻る。パイシャオが電源を直せというので拒否すると、パイシャオは、
***
「もしあなたがたが自分の命をそこまで軽く扱うのなら、少なくとも我々は、ダムの価値をもっと高く扱うことにするまでですよ! 幸いヘリには鞭がありますからね。獏の革のね。古代の中国の伝説で、獏が夢を食う生き物といわれていたのをご存知ですかな? 私の獏革の鞭は、どんな秘密の革命の夢を見つけ出すんでしょうなあ! あなたが電源を切ったことは彼女にとって、非常に気の毒なことだ。電気は傷を残しませんが──心の傷は別としても。だが、獏革の鞭は、オリンピオのようなプロの手にかかれば──乱暴ないい方をするとね、ミスター・フェイス、それは人の生皮を剥ぐも同然ですよ」
彼の声は凍りついた鋼鉄のようにこわばった。
「だから、あんたは電源を戻すんです!」
チャーリーはためらった。
これは彼が何年もの間避けようとしていた分かれ道だった。
ズボンのポケットの中で、何か固いものが腿に当たっていた。
「キャプテン・パイシャオ、もしあんたが囚人を連れて直ちに出ていき、しかるべき方法で監獄に送る手続を踏まなければ──」
「ああ? 何をするんですか、ミスター・フェイス? 言って下さいよ、興味があります。この件に関しては私自身がしかるべき権限を持っていますからな」
「私はサンタレンと大使館と合衆国のマスコミに騒ぎ立ててやります。洗いざらい、名指しでぶちまけてやりますよ。ここブラジルでも教会に協力を求めますとも! あなたは破門されたいのか? 拷問するようなやからを、最近の教会は即刻破門にしていますよ!」
「雇うどころか破門ですか、ええ? 何という脅迫だ! あんたは自分がローマ法王にでもなったつもりか。ミスター・フェイス、あんたは繊細すぎる。その最もありそうもない、私が排除されるようなことになったとしても、私は疑いなく断言するよ、文明がしかるべく秩序を取り戻した暁には、私は弾丸のごとく母なる教会のみもとに戻されるとね。自由主義の教会なんて、風の中の凧みたいなもんだ。風がやめば、凧はローマ教会によって投げ落とされる。なあ、聞いてくれ。私はこのあまっこに話がしたいんだ! さあどうするね? 選ぶんだ。電気かね──鞭かね?」
チャーリーは選んだ。
彼は38スペシャルを抜き、パイシャオの腹につきつけた。

13
ソールは、ツウィングラー及び三人の随行員(チェスター、チェイス、ビリー)と、飛行機を乗り継いでアマゾンに飛んだ。
***
最後にギル・ロシグノルと名乗るヘリのパイロットが乗りこんできた。この男は「何故夜に空は暗いのか?」ときいた。
***
ツウィングラーはうなずいた。
「答えは──宇宙が膨張しているからだよ」(合言葉?)
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ソールはシェイクスピアの一節を思いだし、衝動的に口に出した。
「頭上の星星、それらがわれらの環境をすべる」
チェスターは興味深げにソールを見た。
「シェイクスピアのちょっとした受け売りですよ」ソールは肩をすくめた。「もし星というものがなければ、我々は今この地球上に生きてませんからね」
ツウィングラーは気に入らんというように、ルビーを彼に向かって振った。
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ツウィングラーはインディアンセンターにいく前に村の場所や状況に関しあらかじめエンジニアと詳細な検討をしたいという。これに対し、ギルは、
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「問題は、ミスター・ツウィングラー、ここで現実に破壊活動が行われているんです。チャーリー・フェイス──エンジニアです──彼は頭の骨を折り、脳しんとうを起こしました。既にサンタレンの病院に空送されています。ブラジル人の助手からきいた限りでは──この助手も今、非常に精神的に不安定な状態なんですが──実をいうとかなり酔っ払って、エーテルでラリっておるんです──チャーリーは、ここにある小屋の一つで、政治犯の容疑者に対し、かなり乱暴なやり方で取調べをしていた警官に、銃を向けました。そして、ライフルの銃床で頭を殴られたと」
「政治犯の容疑者といったな? こんな──何もないところで?」
「何でも、アマゾンプロジェクトの要員に対するある種の攻撃が予定されているという噂で。共産党員が興味を持っている。世界のマスコミ相手に、パフォーマンスをする必要があるんでしょうな。やつらは戦闘部隊をこちらに送りこんでいます。チャーリーが割りこんだときも、その戦闘部隊の一つに対する尋問の最中だった──私の理解の限りでは、やつらはチャーリーを殺しに来たのであって、同盟を結びに来たのではないのにね」
「かなり乱暴、というのは、どの程度?」ソールがきいた。
テキサス人は飛行機の窓から外を見た。
「かなりどころではなかったと思います。女を裸で逆さ釣りにし、乳首とか眼球とかいろんな場所に電極をつないだらしいですよ。チャーリーが電源を切ったので、彼らは鞭で責めさいなんだ&&あなたなら、生皮を剥いだというでしょうね。拷問が済んだとき、彼女は見るに堪えない姿だったとブラジル人はいいました。ただの死んだ生肉の塊。その後彼が酔っ払ったことを非難する気になりません。──ですが今、彼は話しかけられる状態でありません──」
ツウィングラーはおびえているようだった──月のペンダントがコントロールを失って揺れていた。
「胸がむかむかする。いかれてるよ──まったく、薄汚い。考えたくもない。そんなことをやってる政府の一部を我々が支持してるということか──」
「我々にはやるべき仕事がありますよ、ミスター・ツウィングラー」チェスターがため息をついた。「眼を涙で曇らせていては、できる仕事もできなくなります」
仕事だって、とソールは心密かに叫んだ──誘拐みたいなことがか? それで誰かさんの脳みそを取り出して売り払うことが? 全世界が地獄の中だ、そして銀河も──あの連中が「愛」と呼び、言語コンピュータのために本物の脳を買わなければならないほどの精神的煉獄の中で、いったいどこをさまよっているのか? 忘れてはならない一つのこと、一つの素晴らしい考え──ヴィドヤとヴァシルスキだけは、隠れ家で守ってやらなければ&&
「このゲリラたちは」黒人がきいた。「暗殺だけを予定していたのですか──それとも、破壊工作も?」
「多分、機会があれば破壊工作もやろうと思っていたでしょう──これまでは、たまさかのとるに足りない事件で済んでいたんですが──しかし、この一〇マイルある土壁には、連中も大したことはできないのでは──」
「あのアカのゲリラ連中には大したことはできんでしょう」チェスターは歯磨きのCMのように歯をきらきらさせて笑った。バターを切るナイフのように鋭く。「ゲリラどもが攻撃をしかけてきたのは、ちょうど都合がよかった」
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チェイスとビリーは、ダムの背後、探査機の傍らに鉄製スーツケース二つを置いて待機した。トム・ツウィングラーは、軽装に着替える必要があったので、ルビーのタイピンとカフリンクをビリーに預けた。
ギル・ロシニョルは、インディアン・レセプション・センターを訪問した後、他のメンバーを連れて南方へ飛んだ。
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彼らは上空からのサーモスタットによるマップでインディアン居住地に当たりをつけた。
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彼らはヘリで探索の末、ピエールのいるインディアン部落を見つけた。村人はドラッグを吸引し、祭の最中だった。既に水が村中を膝の辺りまで浸していた。四人はヘリを降り、踊りが行われている広場へ行った。顔にペインティングをして、ほとんど全裸で歌い踊りつづける村人たちは突然の訪問客も無視していた。ピエールも全裸で羽根付のペニスサックをして踊り歩いていた。ソールらを見て一瞬ひるんだが、進みつづけた。ソールはピエールに近づき、手紙のことで来たと話しかけた。しかしピエールはインディアンと同じように歌いつづけていた。チェスターが腕をつかんでとめようとすると、ゼマホア語で何かいい、手をもぎ離した。英語かフランス語で話せと言うと、フランス語で話し始めたが、言うことは支離滅裂だった。構文はめちゃくちゃだが、インディアンの歌の内容を訳そうとしているのではないか、と思った。ピエールはクリスに気づき、にやっと笑ったが、すぐに歌の輪に戻ってしまった。
「ダメだ、頭がイカれてるよ。これ以上かかわりあっても時間の無駄だ」
「いや、彼は方法論を重視する男だ。いささかロマンチストの気はあるが方法論を大切にする。恐らくインディアン言語の詳細な記録をつけているはずだ。今はその最中で、タイミングが悪かったんだろう。とりあえず小屋で待とうじゃないか」ということになった。
小屋にはピエールのカセットレコーダーと日記がハンモックにあったので、ヘリに持ちかえって日記を読んだ。正月の前後に数個所ブランクがあり、あたかもピエールが時間の観念を喪失し混乱したかのようだったが、それ以上のことは分からなかった。
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日記の内容から、ピエールがゲリラとあっていたことが分かった。現在はドラッグ服用した妊婦の子の出産イベントの最中らしい。ツウィングラーは「ナイアガラの滝」を先にやろう、と言い、チェイスとビリーを呼ぶように指示した。
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ツウィングラーの指示内容は、ダムを小型核爆弾(広島の一〇分の一)で破壊し、インディアンの生態系を守ること(テロリストの仕業に見せかける)と、ピエールの言語データを「フランクリン」(アマゾンプロジェクトの研究施設)に送り分析させることだった。「ナイアガラの滝」というのはダム破壊を示す暗号だった。核による放射能汚染や洪水による被害の可能性は交通事故発生率と同程度であり、宇宙的任務の重要性に比べれば微々たるものだ。そして、ゼマホアB語を話す酋長の脳をエイリアンに提供するのだ。代わりの跡取りの子が生まれれば、インディアンも納得するだろう。ツウィングラーはヘリをチェイスらのもとに送った。チェスターは小型麻酔銃を準備した。全てが周到に準備されているようだ。ピエールも理解するだろう。何か問題があるだろうか?

14
研究所ではロッソンがヴィドヤの画面を見守っていた。ヴィドヤは、混乱のときを経て新しい言語を創造していた。表面的には静かだが頭の中で嵐が荒れ狂っている。ヴィドヤが他の子供たちに話すその言語は、従前学んでいた言語との関連性はないものの、明確な概念を伝えていると思われるものだった。ロッソンは唖然として、ただその言語をコンピュータが解析する様を見守るだけだった。ヴィドヤの頭の中で絶えず神経繊維がフューズのごとく融解しては新たな方向に枝を伸ばしているかのようだった。このような結果をもたらすドラッグであるPSFの投与を止めるべきか否か、ロッソンは悩んだ。四人の子供たちがぐるぐる回りながら、奇妙に表情をゆがめ始めた。ロッソンは看護士を呼んで、待機するよう言った。この奇妙な動きは何だろうか。ついに脳の観念の領域が、行動制御領域に干渉し、それを行動で表現し始めたのであろうか?
看護士のマーティンソンが待機した。ロッソンは、しばらく中に入らないように忠告し、子供たちの脳内で起こっている変化について考えた。PSFの作用で情報分子の生成が加速され、もはや従来のシンボル格納領域だけでは追いつかずに、新たな「行動シンボル」「現実シンボル」を生成し、別の格納領域にものすごい勢いで格納しているのであろうか? 子供たちのシンボル経験の濃度は、恐るべきものに加速しつつ近づきつつあった。
そして突然子供たちの体が衝突し、倒れた。少女は脚を痛めたようだ。ロッソンはマーティンソンに救出の指示を出した。

15
夜、護衛に取り巻かれて、フテリとシアヴォニが会った。シアヴォニは、人間の冷凍死体を準備をしたと告げた。シアヴォニはこれを提供する代わりに船を見せて欲しいと要求するが、フテリは難色を示した。冷凍死体の解剖は脳の取得というメインの取引の必要条件であるから、個別の取引には値しないというのだ。フテリは、脳を体からダメージなく切り離すことが可能かときくので、シアヴォニがすぐには無理であり、5年ぐらいの研究が必要だというと、フテリはそんなに待てないと叫んだ。が、シアヴォニの言わんとすることはむしろ、切り離された脳が発狂せずにすむような環境を調えるための時間だと言うことを説明した。フテリは、それは心配に及ばない、仕事も娯楽も休息も与える、視力が必要なら与える、そのために死体を解剖させてくれ、といった。シアヴォニは、死体の提供と船内の視察が引き換えだと要求するが、フテリは、あなたがたは死体を尊重しない、あなたがたにとって価値がない以上、取引上それ相応の評価しかできない、と拒否した。
シアヴォニに対し、地球人グループから、やつらは我々をまるで原住民のように扱っているとの批判が上がるが、少なくとも我々が脳を尊重していることは理解してもらっている、という意見もでた。たとえ脳がリンゴを取引するように売り渡されるとしても、それが星星への切符になるのなら。むろん、アマゾンの件が実を結べばだが。
それを耳にしたフテリが、自己埋め込み言語の脳はいつになったら手に入るのかときいた。
シアヴォニはすぐにといいながら、シルヴァートンというNSAの男に最新報告を求めた。「ナイアガラはまだ壊れていません。フランクリンの職員撤収後24時間以内には。若干のゲリラ活動が不安要素としてあります」との報告。
フテリは、48時間以内に埋め込み言語脳を提供すれば、スペシャルボーナスとして船内視察を認めるといい、「普通の言語の脳はどうですか」ときいた。シアヴォニは、英語、ロシア語、日本語、エスキモー語、ベトナム語、ペルシア語のサンプルを準備していると答えた。
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商船員の井沙波登(いざなみのぼる)は初めて日本列島を離れる旅に出て、サンフランシスコに直行した。そして、自殺者が都市の正面に立つことになる場所、ゴールデンゲートをくぐったが、それはまるでアメリカンドリームの神殿への偉大な鳥居のように思えた。
登はエレベーターでコルトタワーの最上階に上がり、カメラのフィルムを半分使って景色を撮った後、ポスト通り、ブカノン通りを通って、日本人居住区に足を向けた。商店街を昔懐かしい気分で歩き、アメリカの町が日本のそれとあまり違わないのに喜んだ。彼は、「照子」という店で焼きそばを食った──表のショーウインドウには和食のサンプルが並べられていた。照子を出たところで、彼はサンフランシスコの地元民二人に会った。一人は日本人の二世か三世で、驚くべきことに、今も日本語がしゃべれた。
「英語ハ、少シモ分カラナイノデスカ? だめだよロイド、彼は英語がぜんぜん分からない。アノ、気晴ラシニ一杯ヤリマセンカ? 今のは、一緒にどこか行きませんかと誘ったんだ。チョットソコラヘンデ──」
登は、自分が邪魔になるのでは、と答えた。
「気にしないで。ドウイタシマシテ。アナタノオ話ヲ伺イタインデス。今、彼の旅行話を聞きたいんだといったんだ、ロイド」
登は慇懃に頭を下げ、自己紹介した。「私ハ、井沙波登ト申シマス、ドウゾヨロシク」
彼らはポスト通りに沿って、にこやかに東へ向かった。
「外国語ハサッパリダメデシテネ!」登は申し訳なさそうに鼻に皺を寄せた。
「外国語はさっぱりだめだと言っているよ、ロイド。おあつらえ向きだ」
***
一方、カナダではエスキモー語しかしゃべれない漁師の妻が、腎臓移植のため必要と称して、担架で空港に急送されているところだった&&。

16
夜。
水びたしの村の広場で焚火に火がつけられ、出産の踊りは続けられた。クリスらは、虫に苦しみ、村人たちが身につけている蛭に怯えつつ、祭典が終わるのを待ちつづけた。
ところが、クリスは足もとの水流に異変を感じた。ダム決壊の効果が予想外に強く感じられるのだ。この高地ですら感じられるとなると、下流はどうなのだ? チェイスとビリーの身が案じられた。
***
ダムの決壊により、ギルとビリーらの乗っていたヘリは森に墜落し、二人は死んだ。にっくきダムを破壊したレイマンドは、その様を嬉々として眺めていたが、やがて自らも水に飲まれて死んだ。

17
出産の踊りはいよいよクライマックスに近づいた。酋長はドラッグで鼻血を流しながら、踊りの速度を緩め、止まった。村人たちが絶叫し、ソールは祭の終わりが近いことを悟った。酋長は小屋に入り、村人たちが入り口を取り囲んだ。ソールはピエールに話しかけた。ピエールはうなずいたが、ドラッグで瞳孔が開いていた。ソールはダムが壊れて水位が上がっていることを指摘した。ピエールはフランス語で、酋長が今出産の施術をしていると説明した。ソールは、妊婦を殺してしまうと心配したが、ピエールは、フランス語で、石を割って中身を出しているところだと説明した。何の石だ? 石を割って種を出すように妊婦の腹を裂いているのか? 
小屋で酋長が絶叫し、手を血まみれにして飛びだし、はいつくばって「マカイ!」と叫んだ。村人たちはソールらをつき飛ばして走りだした。ソールとピエールは小屋に駆けこんだ。
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女が抱いている赤子はとんでもない奇形だった。頭蓋骨に穴が開き、三つの脳の塊が露出し、眼窩に眼球はなく、体の節節に、自らを中に埋めこもうとするかのように穴が開いていた。だが、生きていた。外では、カヤピが酋長を助け起こしながらゼマホア語で何か叫んでいる。ピエールの通訳によると、マカイの神が洪水の水を飲んでいる、そしてゼマホア族に語りかけるメッセージとして、赤子を送ったのだ、という内容だった。ソールはとっさに思いつき、酋長と女を赤子から引き離さないと、赤子はメッセージを伝えられないとカヤピに言うように、ピエールに頼んだ。そして、ツウィングラーの下へ行き、酋長と母親を連れ去ってエイリアンに提供すべきだと主張した。乱暴な帝王切開で生死の境にいる母親に応急処置が必要だ。チェスターが処置することになった。ヘリは、じきにフランクリンから来るだろう。雲が空の星を覆い隠すように集まり、雨が降り始めた。ゼマホア族は洪水が終わりつつあることを知った。もう焚火に枯れ枝を入れる必要はなかった。

18
米国軍上層部の「カエル跳び」に関するグループミーティングの議事録
人類は文明発展のステージワンのどんづまりにきていた。ステージツー、つまり環境汚染等の問題を回避しつつ文明を次の段階に進めるため宇宙への進出が必要だったが、エイリアンの来訪と取引によって、楽にこの段階へ進めることになった。その詳細な計画を「ロバのひと蹴り」と題し、また、エイリアン来訪に伴う諸問題の処方を「ウェルズ・ファラーゴ」と題して巻末に添付するが、そのアクセスに関しては厳格な必要性を要件とする。

19
シアヴォニは、シルヴァーソンに起こされ、アマゾンの状況の報告を受けた。破壊工作員によってサンタレンのプロジェクト本部がやられた、ダムは自ら破壊する必要がなくなったが、ソールらの行方が知れないとのこと。また上流ダム決壊による放水量も予想を上回っていた。ソールやインディアンの安否が気遣われ、フランクリンが必死で探査中だったが、何しろ高台の密林であり困難を極める。本部破壊もダム決壊もゲリラのせいにできるのはいいのだが。フテリは、48時間の要件を強調し、更に24時間待っても埋め込み脳が手に入らなければ、既に確保された6人の脳だけ持って去る、と言った。既に死体解剖で人体の構造を把握したので、脳と眼球等をセットで摘出できるらしい。いよいよ、6人の言語サンプル用の人体が運び込まれた。

20
チェスターの努力のかいなく、昼頃には、小屋の女は死に、そのマカイ漬けになった脳も死んだ。
だが、奇形の赤ん坊は何とか生き続けた。その引き裂かれた器官は機能し続けた。露出した脳は意識を保ちつづけた。眼のない頭部は、音に反応して虫のようにうごめいた。赤ん坊は甲高い声を上げた。
夜が明けるとすぐに、ゼマホア族は全員が村に戻った。カヤピが、病んで頭の混乱した酋長を、子供のように手を引いて連れてきた。タブーの小屋を覗きこむ者はなかった。赤子にとって、外気にさらされることは明らかに一つの試練だった──そしてカライバも。その現象の解釈という観点からすると、カヤピにとって、赤子が生きるか死ぬかはどうでもいいことなのだろう。
インデイアンたちは頭痛を治めるべく、めいめいのハンモックに戻って眠った。ピエールだけが、死ぬほど走りまわることでトランス状態をさまそうとしていた──村と小屋の間のジャングルの道を、水をはね上げながら何度も憑かれたように往復して。ピエールの行動は、ソールが子供のころ家の外の道を、つまらない用事で際限なく何度も走りまわっていた、戦争後遺症の元潜水艦乗りの様子に似ていた。
赤子の母親が死ぬと、ソールらは、このフランス人と面談し、激しい運動によって彼が精神の明瞭さを幾分なりと取り戻したかどうかを確認することになった。
だが、チェスターはインディアンの女の命を助けられなかったことに落胆していたし、トム・ツウィングラーは、計画の遅れを気にするあまり心臓の具合を悪くしていた。それゆえ、ピエールとの面談の始まりは、ハッピーなものでも、同情的なものでもなかった。
「このカヤピという男に、酋長を連れて行かなければならないと話したのかい?」チェスターがきいた。
「彼の思考の鳥たちは、飛んでいってしまった」ピエールがため息をついた。「あの赤子を見た瞬間、全てが森に失われてしまった。だが、カヤピは呼び戻すだろう──カヤピはその方法を知っているから」
女とその子のために何一つやらなかった者への、この衷心からの信頼が、チェスターの最後の頼みの綱なのだ。
「それは結構。あんたのいうカヤピは、何でもするということにかけては、人後に落ちない──それに、自分のすることが何たるかを正確にわきまえている。我々と同じようにね、ええ? ただもう少し効果的にやるというだけ
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