SF百科図鑑

ジョン・クリストファー『草の死』(ハヤカワSFシリーズ)

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April 15, 2005

ジョン・クリストファー『草の死』(ハヤカワSFシリーズ)

草の死プリングル100冊がんがんいく。日本語のやつは多分これが最後だが、もしかしたら『去勢』は日本語版にするかも。未定。今『トリポッド』が訳されてるクリストファーの破滅もの古典。
読了。
新種のウイルスで世界中の草が根茎類を除いて絶滅してしまう。世界は極度の食糧難に陥り、動物も次々餓死、人類の食料は魚介類とイモ類だけになる。
農場の息子2人、兄のデイヴィッドは農場を相続し、弟のジョンはロンドンに働きに出ているが、ある日、政府が都市部の住民を核兵器で殺し、口減らしをするという極秘情報をつかんだことから、ジョンは友人らとともにロンドン脱出を企てる。折りしも政府は自分が住む地域からの外出禁止を発令し、検問を開始。主人公らは検問の兵士を射殺し脱出、兄の住む農場を目指しての旅が始まる──。
本書の恐ろしさは、自然発生的なカタストロフィ自体はたさほど大したことがないにもかかわらず、それを契機に、人間の精神や道徳心がたやすく崩壊して原始的アノミー状態へと堕落してゆく様がこれでもかというぐらいに描き出されているところにある。噂が噂を呼び、疑心暗鬼になった人々は、食うために平気で殺人を犯す。必ずしも殺す必要のないところで殺しているところがミソである。破滅によって規範、法体系が崩壊し、生きるために自分が必要と判断することが正義だと主人公は勝手に解釈をし、それを周囲に強要する。その結果、手当たり次第に民家に強盗に入って、家人を殺害し食料や武器を奪う。そして最後には兄の家に着くが、受け入れを拒否され、武力行使の末、ついには兄を殺してしまう。更に恐ろしいのは主人公らの行動の根拠となっていた「都市部への核兵器投下」計画は結局真偽不詳のまま、起こらずに終わっていると思われるところである。
作者はこの主人公たちの行動にどういうスタンスに立っているかは一見、明確ではない。だが、仮にSF界の鷹派・ハインラインの「自己の生存のためには暴力や犯罪も時には必要である」という利己的倫理観を肯定したとしても、本書における主人公らの行動の正当性を論証するのは難しい。最初の検問突破に関してはともかく、次の民家襲撃に関しては家人を殺す必要などないわけで、その後の集団内の醜い確執をみても、この極限状況を前提としてすらおよそ正当性を認めがたい。
むしろこういった描写によって、自然的災厄を契機として現出した人間精神や倫理規範の危機、人間性の恐ろしさ、醜さを表現することに作者の眼目があることは明らかだ。
こうした作品の構造はバラード作品と酷似している。
だが、バラード作品が同じ災厄によって表面化する人間精神の暗部・獣性を描いているとしても非常にシュールレアリスティックで視覚的な筆致で単なる狂気としての叙述に徹するのに対し、クリストファーの筆は、その狂気の行動が表面的には牽強付会な倫理的正当化の論理に基づいて行われているところに特徴がある。こういったところが伝統的過ぎてバラードの気に入らないところだったのかもしれないし、一見古い感じを与える部分でもあるのだが、偏見を捨てて冷静に見れば、ある意味で夢の中のこととして美化されているバラード世界よりも、論理の力で具象的に迫るむしろ本書のほうがリアルで恐ろしいともいえる。
いずれにせよ、単なる「心地よい破滅物」という当時のトレンドを越えて、鬼気迫る規範崩壊の悪夢世界を描き出したこのジャンルの代表作の一つだろう。扱った素材は多少古くなっていても、描かれている人間性の本質は不変である以上、本作のインパクトは今なお衰えていない。『トリポッド』と比較してみるのも一興である。
なお、片岡義男(!)の訳文は古くてちょっと読みにくい。
テーマ性  ★★★★★
奇想性   ★
物語性   ★★
一般性   ★★
平均    2.5
文体    ★
意外な結末 ★★★
感情移入力 ★★
主観評価  ★★(21/50点)
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